自由な関係

先日、妹と小旅行に出かける機会がありました。

私たちは電話で近況を連絡し合うような姉妹?性質?ではないし、妹は関東に住んでることもありたまにしか会わないので、今回のような小旅行となれば、積もり積もった話がでてきて観光などほぼ眼中になく「ただ話しまくる旅」になります笑。

妹は、子どもの頃にやりたくて親に頼んだけれど叶わなかったピアノを、1、2年前から習い始めたのですが、旅行中の彼女の話はもっぱらそのことでした。

彼女は子どもの頃にオルガン(近所の人が譲ってくれた)を習わなくても弾けていたし、歌もとても上手だったので、もともと音楽の才能があるんだろうなと私は思ってます。

だからなのか、大人のイチからの習い事といっても、想像以上に真剣に突き詰めているようです。

練習曲を弾くためのテクニック以上のこと、例えば根本的な体の運び方を学ぶためにある本を読んで、自分のこれまでの姿勢や力の入れ方がおかしかったと気づいたとか、音が響くというのはこういうことだみたいな話までしていて、彼女のプライベートの時間のほとんどがピアノのために使われているのもわかりました。

そんな感じでお互い話しまくって、あっという間に時間が過ぎて、妹と別れ、私は車で帰途についたのですが、

妹から聞いた話を運転しながら無意識に反芻していたら、とても重い感覚を感じました。

正確にいうと、旅行中も彼女の熱い話を聞いてる途中からすでに、なんだか重たいな、苦しい感じがするなと思っていたのですが、はっきりそう認識したのは、一人になった帰り道の車の中でした。

大人になってそんなに夢中になれるものに出会うなんて、とても素敵な話で、しかもやりたかったことを叶えた喜ばしい話なのに、なんだろう、この重い感覚は?!

妹の情熱に圧されたのかな?!

自問してみましたが、自分が感じる重さが「何か」わからなかったので、この件は、そのまま忘れて、私もまた自分の日常に戻っていきました。

そうしていたら、昨日、ふっと私が重さを感じた理由がわかったので記事にしてみます。

私が感じた重さは、

ピアノという習い事を妹が自分と ”アタッチ(attach) させてる” と感じたから、でした。

アタッチとは、何かと何かをくっつけることで、

人が何か(モノや人)に強くこだわったり、

執着したとき、

両者にエネルギーコードが形成されることがあるのですが、そのコードのついた関係が私には重く感じられたのだと思いました。

わかりやすい言葉でいうならば、ピアノが彼女にとっての「執着」になったと感じたからだったのです。

「何か」を自分とアタッチさせると、人はその「何か」と ”自由な” 関係ではなくなります。

自分に何かとつながる ”ヒモ”  が物理的にくっついてると想像すると、

自由自在に、軽やかに動けなくなるとイメージできるのでは、と思います。

アタッチしてる/されてる関係は、人間関係でみるとわかりやすいです。

彼が大好きでたまらない、

彼なしでは私の生活は成り立たない、彼がいなくなったら私の人生はおしまい、

みたいに表現できる関係が、それです。

私から一生離れないでね、私を幸せにするといったじゃない、みたいなのも、

アタッチしてる関係です。

母子間でもこれはみれます。

この子が私の全てですとか、この子が成功することが私の望みです、みたいなのもアタッチしてる関係です。

自由な関係とは、

彼が大好きだけど、でももし彼が私から離れたとしても、まあ、なんとかなるでしょ、他の男もいるしね…、みたいな関係で、

あなたが好きで結婚したけど、気がついたらもうウン十年も一緒に過ごしてるね、みたいなのも自由な関係だと思います。

これはモノとの関係も同じで、

お金がないと暮らしていけない、はお金とアタッチされてる関係で、

お金があるほうがいい、でも、まあ、お金がなくなっても、なんとかやれるでしょ、自給自足でもいいし、みたいに思えるのは、お金と自由な関係と言えます。

モノだけでなく、名誉だったり、地位だったり、評価といった抽象的なものへのアタッチも同じです。

アタッチという視点で、自分の人間関係やモノとの関係が自由な関係かどうか点検してみたら、

エネルギー療法という仕事も以前は”自分の”ライフワークと考えていてアタッチしかけていたけど汗、今は、いつやめてもいいな〜と思ってるし、

モノもお金も、なくてもまあ、なんとかなるでしょと思えてる、と思いました。

大好きな趣味のテニスは、正直、以前はアタッチしてたかもと思うのですが(真剣すぎた)、

今年の春に肩の腱をケガして、その時、もしかして今後テニスできなくなるかもと思ったことをきっかけに、目が少し覚めて?!今はほどほどにと思えてるので、以前よりかなり自由な関係でいられてるかも、と思いました。

家族のことは大好きですが、それぞれが自由に生きていくことを望んでいるし、それぞれ自由にやってくれるだろうと思えてるので、家族とも自由な関係かなと思えました。

結局、そうやって点検していくと、もっとも私がアタッチしてるのは「猫」だと思いました。

猫がいなきゃ、だめという感覚ではないですが、

猫がいつかいなくなるときが来たら(魂は死なないとわかっていても)耐えられるのだろうか…とは思ってます汗。

しかし、アタッチメントコードをつけると、つけた自分だけでなく、つけられた猫も軽やかにいられないので、意識して自由な関係でいよう、と思いました。

最後に、

この記事のネタにさせてもらった妹ですが(ごめん!)、彼女はそういうのにちゃんと気づく人なので、そのうち、「うっわー、このピアノとの関係は重いっ」と自分で気づくと思うので、アタッチしてるかもよ、ということは、今のところ、伝えていません。

ちょうど紅葉の季節に旅行できました。

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アタッチしてる、コードをつないだ関係を持ってると気づいた方、

そのコードを切りたい場合は、

ハサミやナイフでカットするイメージを使って、コードを断ち切ることができます。

まずは、自分がそのコードは不要だ、もっと軽やかに生きていこうと意識することから始めるとよいです。

Higher selhとlower self

突然ですが、あなたという存在には、

ハイヤーセルフ(高次の自己) と  

ロウワーセルフ(低次の自己)と呼べる幅があること、ご存じですか?

わかりやすい例で説明すると、

例えば、あなたに高慢なタイプの知り合いがいて、

いつもその人はあなたに上からモノを言っている。

ある日、その人が誰かにギャフン(死語?)と言わされる出来事が起きたとき、

「ふふん、いい気味〜、私はいつもあなたからそんな目に遭わされてるんだからね!」

とほくそ笑むのが Lower Self、

「あの人、プライド高いからものすごく傷ついてるかも、大丈夫かな……でも、今回のことであの人が何かに気がつきますように」と、相手を思いやったり、良きことを願うのが Higer Self  みたいな感じです。

上記のように書くと、

うわ〜、人によくないことが起きたときにそんなこと思う人になりたくない、私はLower Self は要らないわ、みたいなことを思う人がいるかもしれませんが、

Lower Self も Higher Self もどちらもあなたなのです。

低い自己も高い自己も、あなたは含有してるのです。

別の言い方をすると、私たちは、固有の波動の範囲内で、低い波動にもなるし、高い波動にもなるエネルギー体なのです。

ちょっと、思い出してもらうといいのですが、

あなたのこれまでの人生で、

ああ、あの頃の自分はどうかしてたなとか、

あのときの自分には絶対戻りたくないなとか、

あのときの自分は最悪の人間だった、どうしてあんな馬鹿なことしたんだろうとか、これまでの人生で、そんな時ありませんでしたか?苦笑。

私は、あります。

1つどころか、複数、ある、ある……ある!

あのときの自分はどうかしてた、あのときの知り合い達には恥ずかしくてもう二度と会いたくない、というような自分が幾つも幾つも思い出されます(冷汗)。

それらの自分、それがつまり、 Lower Self が現れていたときなのです。

私のようにたくさん思い出した人もいるかもですが、しかし、落ち込まなくても大丈夫。

そういうLower な自己を認識できてるのは、幸(さいわ)いなのです。

その Lower Self も自分の一面だったと体験して、

その自分はどうかしていたんだ(本来の自分ではない)、と学んでいるので、

その後、生きていく上で、何を選択していくかが、はっきりしていくのです。

Lower Self を表現していたことで、心地悪かったり、自分を責めたり、後悔した人は、

そちらのSelf を選びたいとは思わなくなっていくのです。

なぜなら、本当の私たちというのは、実は Higher Self の方の波動なのです。

肉体をもったことで、エゴ(自意識)が付随し、 Lower Self も出現するのだけど、

この肉体を動かしてる真の存在は、Higher Self の方なのです。

真の自分が一致するのが Higher Self の方なので、

Lower Self として現れた自分を思い出すと、居心地が悪かったり、自責したりするのです。

Higher Self と一体となって日々を生きてる人は、実際にはごく少数と思いますが、

誰しも段階を追いながら、Higher Self の方に近づく旅をしてると思います。

あなたが、今の自分をそんなに好きでないのなら、

それは、あなたが Lower Self の方を表現してるだけかもしれません。

私たちは、自分を Lower にも Higher にも表現できる存在です。

それなら、Higher の表れのほうを選びたいですよね。

もちろん、時々 Lower がでても、それも自分の一部で仕方なし笑。

明るくまぶしく軽く感じるのがハイヤーセルフ、
暗くて重くて粘っこいのがロウワーセルフ。毎時、自分はどちらか気づけるといいなと思います。

Higher Self を発揮したいけど、どうしてもLower Self の方が強くて、その表現で終わってしまう方、

それは、あなたの Higher Self を自由に表現させないようなブロックや傷ついたトラウマがあるからだと思います。

それらを解放して、本来のあなたらしくいきませんか。

コンサルテーションと、エネルギー物質のレメディを使って、それらの解放のお手伝いをします。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

色んなこと、楽しんでいい

今朝、瞑想しててふと降りてきた見方ですが、

何か1つのことだけに全てをかける

という生き方は、1つ前の時代で終わったのかもしれないと思いました。

確かに、このところのクライアントさんたちのお話を聞いていても、

例えばある方がビジネスに秀でた才能を持っていても、それだけに集中して人生を展開していこうとは思ってはいない、そういう傾向が全体的にみえます。

そのビジネスの才能は、ご両親から譲り受けているわけですが、幼少期の体験で、親がそれに集中するあまり、家族の生活が大事にされず、子供だったご自身が寂しい思いや不足感を味わったことにより、1つのことだけで燃え尽きる生き方を選びたくないという学びが、そうさせてるように思います。

自分個人の道だけでなく、家族やプライベートでも充実した人生を選んでいく、というのが今の時代の全体的な傾向としてあるように私は思います。

アイドルは落ち目になるまで結婚しないと思っていた時代が終わり、絶頂期に結婚し家族や子供たちとの生活も大事にした木村拓哉さんがそうであるように(これが一番わかりやすい先駆者の例だと浮かんだ笑)、

テニスのバーティ(豪州の女性プレーヤー)が世界ランキング1位のときに、しかも25歳の若さで早々に引退し、別のことを始めたいと会見したように、

今の&これからの時代は、なにか1つのことだけに人生を捧げる時代ではなく、色んなことを体験したり、自分だけが何かをやり尽くして自分だけが幸せで終わらず、周りの人との関係も調和させていく、そんな時代なのではないかと思いました。

これを精神世界の言葉でいうならば、今世に、複数のことを体験するような魂のプランを持ってきてる人が多い、といえるかもしれません(転生最後の方はそうなる)。

その視点で、自分のことをみると、私もエネルギー療法という仕事についてはライフワークという感覚をもっていて大事にしてるけれど、

同時にプライベートでやってるテニスも、やりたい気持ちがなかなか減らなくて、いつまで勝ち負けのゲームやっとんねん!と時々、自分を突っ込んだりしてたけど笑、これも、私が体験したいプランの1つなんだろうなと思いました。

また自分個人のしたいことだけでなく、家族での生活も同じくらい大事にしたい、という思いも持っています。

一言でいうと、どれも楽しみたい、ということになりますが、
この記事を書きながら、自分も含め、こういう時代なんだよな、と改めて思いました。

18歳になった私の息子も、メインで学びたい専門を既に決めてますが、同時に副業でやりたいこともすでにあり(すでに「副業」というカテゴリーに入れてる笑)、さらにもう1つお金を稼ぐためにチャレンジしたいと思ってることもあるそうです。

以前は、息子のそういう話を聞くと、
1つに絞れないの?!エネルギー分散するよ….とか、
でも、まあ、そのうち、何かに絞られるかも、とか、
いや、どこかでそれらが1つにつながるときが来るかもね、

みたいに思ってましたが、
今朝のインスピレーションで降りてきた見方でみると、
彼はすでにそういう時代の子なんだよな、とわかりました。

私たちの肉体を生かしてるエネルギーが体のまわりにあるのですが、
それらのエネルギーは7つのチャクラ (出入口みたいなもの)を通して流れていて、その7つに人生を通して取り組むテーマがそれぞれあります。

それらのテーマをクリアしていくと、心身のエネルギーバランスがよく、
現実の人生自体にもバランスがとれていくわけで、
つまりは、上記に書いたような、人生のいろんなカテゴリーでもバランスのとれた、自分の充実だけではなく、まわりの人も充実する幸せな人生になるのだと思います。

ということで、

何か1つだけにかけなくてもいい(かけるのもよし)、

これ、やりたいなとか、楽しいなと感じること、

その自分の感覚に素直に従って色んな体験をするのがよいと思います。

虹の7色は、7チャクラ の色を表しています。

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7つのチャクラのテーマを学んでみたい方に、

腸内細菌レメディプログラム

というのを提供しています。

それぞれのチャクラに対応したレメディを取りながら学ぶので、
同時にそれぞれのテーマで自分が抱えてる問題(ブロック)についても
みていくことができます。

7、8ヶ月かかりますが、1通り終えると、以前とは違う自分になってると思います。

ご興味のある方は、上記のプログラム名をクリックしてみてください〜

あなたの直感を遮(さえぎ)るもの

先日、講座をやったのですが、久しぶりに複数の方と対面でお会いするので、着ていく服についてチラリと前日に考察しました。

(”チラリ”というのは、私は各シーズンに2, 3コーデと決めてるので選ぶの簡単)

最初にパッと思い浮かんだのは、今年さんざん着回してるノースリーブの夏バージョンの服で、よし、それにしよと思いました。

とはいえ、かなり涼しくなってきたので、明日の朝に気温を見て、もし涼しそうなら秋バージョンもありだなとも思いました。

さて、当日の朝、その日は31度まで気温があがるという天気予報でした。

だったら、最初に浮かんだ通り、夏バージョンだよね、と思ったものの…….

いやいや、待てよ、もう9月だよ、9月といえば秋を感じさせる季節、少し早くても秋バージョンの方がふさわしくないかな?!と自問が起こりました。

そうだよ、参加者さんたちは秋の装いで来てるかもしれないのに、ノースリーブで夏バリバリの格好というのはどうなのさ?!

季節感ないって思われるかもしれないよ…

と、こんな思考が湧いてきて、そうかもな、と秋バージョンの服を準備しようかと思い始めました。

そこで、ん?!と気がついて、その場でほんの1分ほど内省してみました。

夏バージョンを推してるのは、最初にパッと思い浮かんだその感覚です。

秋バージョンを推してるものって何だろう?と思考を点検してみると、

その思考の声は、

季節を考えたらフツーはこうでしょ、というどこで仕込んだか不明の判断、

参加者さんたちの(勝手にこちらが想像した)格好に合わせておいたほうがいいでしょうという調和を求める謎の誘導、

こう思われるかもしれないよ、という不安を煽(あお)る根拠のないまさに妄想、

でした笑。

ああ、危なかった、自分の直感を遮(さえぎ)るところでした汗。

ということで、スパッと夏バージョンの服を着て、車を講座会場に飛ばしました(実際は飛ばしてません…笑)。

この服選びの話を軽く講座の中で披露したら、参加者さんの中にも、やはり服選びに迷い、服をいったん秋バージョンに着替えてから、夏バージョンに戻したという方が2名いて、シンクロしてました。

”直感”という言葉の定義はいろいろあると思いますが、

心と直接つながって感じることを ”直感” と定義すると、

直感を大事にしていくというのが、自分の深いところとつながっていく生き方になると思います。

自分の深いところとつながりたいとか、本当の自分を生きたい、こんなことを望む人がどんどん増えてきてるように感じますが、

そうなるには、自分の中におきる直感に従った道を選択していくことだと思います。

上記の私の中に起きたように、

いやいや、違うでしょと直感をとどまらせて、他の道に方向転換させているのは、

社会の通念だったり、いわゆる常識と呼ばれてるものだったり、人の目だったりします。

そっちの声を聞いて、そちらの道にガイドされていけば、いわゆるそういう生き方になります。

なんとなく社会に適用してるようにみえる人、

常識的に生きてるようにみえる人、

人の判断にまかせて生きてるような人、

そちらが良いなら、それもアリ(選択は自由だから)。

でも、本当の自分を生きたいなら、自分の直感がガイドする道を歩んでいくことを意識するとよいと思います。

ちなみに、直感に従うというのと欲望に従うのは、違うことなのでご注意を。

欲望というのは(あくまで私の考えです)、

外側からの情報に刺激されて、外側からの刺激で「欲しい」と思うことです。

例えば、雑誌やYoutubeみてたら、美味しそうに食べてる映像や、素敵な盛り付けがでてきて、うわー見てたら食べたくなった、と本当にそういうものを食べたくなってくる。

これは本能として持ってる食欲を外側からの視覚情報などで刺激されて湧き上がってきたもので、直感ではなくて欲望だと私はカテゴリーしてます。

エロい画像や映像をみかけたら、モンモンとしてくる笑。
これも直感ではなくて、外側からの情報で、本能として持ってる性欲を刺激されておきた現象で欲望といえると思います。

直感は、外からの刺激で動かされたものではなく、内側から自然と起こってきた衝動です。

紛らわしいのは、たとえば、雑誌やオンラインショップをみていて欲しくなった商品であっても、

それが心の深いところとつながって欲しいと直感的に思ったものか、
情報からの刺激で欲しいと思わされているのか、これの見極めです。

直感で欲しいと思うものは、いわゆる「ピンと来た」、この言葉に表されると思います。

ピン!というのは、深いところとつながった目安になると思います。

パッと浮かんだとか、いわゆる深いところと電気回路がつながったような感覚があると思います。

外側からの刺激で欲しくなるものは、ピンとはこなくて、流されていくような受動的な感じではないかと思います。

いわゆるマルチ商法や上手なセールスで、巧みな商品説明に流されて買ってしまうようなときは、これが起きてるのではと私は思います。

ということで、なにかに迷うとき、推してるのと反対してる声の正体、それを見極めて、自分が望む道のガイドの方に従うとよいと思います。

自分の中のきらめくスパークを大事にしていくってことですかね。

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直感を選択していきたいけれど、直感を選ぶことにどうしても抵抗がある場合、

直感を遮るエネルギーブロックがかかってると思います。

そのブロックを外すお手伝いができるかもしれません。

ピン!と来た方はHPの方をご覧ください〜:https://arnicahomeo.com/

ぶれないために開発する能力

昨夜、とても変わった非現実な夢をみていたら、ミャウ〜と鳴くのが聞こえ(繁殖時期になると時々やって来るオスのかわいいノラ猫)、

枕元のipodをつけると「4:4 4」でした。

2日前も、ぼんやりと目がさめていって(なにか思考していた)、今、何時だろう?と

ipodつけたら「4:4 4」でした。

早く起こされすぎですが笑、これは、もう疑いようのないサインだなと受け取りました。

そんなわけで、今朝も4:44に起きて、瞑想をしました。

すると、ここ最近メールのやり取りをした4者の方にお伝えするとよいだろうなと思う(そこも4!笑)インスピレーションが降りてきたので、記事にします。

・なにかを選択するときに迷ってしまい、自分一人で決めきれない

・とりあえず決めたのだけど、不確かでずっと落ち着かない

・なにか事象が起きると、解釈を他人に委ねる、そしてそれが正解だと安堵する
(判断するときに誰かを頼る)

このようなとき、

その部門の情報を調べたり、比較検討したり、経験のある人のアドバイスを参考にすることは基本的に有効だし、それも必要だと思います。

とはいえ、上記のようなことが度々起きているなら、

気がつくとよいのは、現実的な思考レベルを超えた能力を使っていくことです。

それは何かというと

サードアイに関連した能力です。

サードアイというのは第3の目ですが、それと関わる能力は、

一般に知られてる有名な「透視力」だけでなく、

直感力、洞察力、判断力、集中力や記憶力なども含みます。

いわゆる自分が何かを行っていくときに総合的に「司令」を下す能力ということができます。

上記のような傾向がある方というのは、

どれが質が良いか、無駄がないか、どちらが得か、失敗しないのはどれか、どれなら実行可能か、

というような物質レベルで比較検討し思考することはできています。

不足しているのは、

直感力、洞察力といった感性を使う能力です。

簡単にいうと、「感じる能力」です。

思考を超えた力、みえないなにか(エネルギー)を感じる力です。

例えば、ネットでとても素敵そうな商品をみつけた。

とても素晴らしい効用が、数々、謳(うた)われ、レビューも褒め言葉であふれてる。

パッケージも素敵なデザインで綺麗な色の仕上がり。これが入手できたら、私にとって有益ではないか…..

ここまでは思考の世界、物質レベルでの判断力を使っています。

ここから使ってほしいのは、サードアイの能力です。

商品をみたときに受けた感じや、
そのサイトの運営者/販売者、商品開発者の写真や、開発の意図などに目を通して、自分が「何を感じるか」、その感じる力を使ってみてください。

その過程で、ちょっとでも違和感を「感じるな」ら、それをスルーしないで大事にしてほしいです。

違和感というのは、自分の波動と共鳴しない波動を教えてくれてるからです。

この販売者のページをみると「なんだか心地が悪い」とか「ちょっとざわっとした」「なんか変」「ん?って感じた」とか、そういう抽象的な感覚を大事にしてみてください。

サードアイの能力というのは、皆、誰しも持っているのだけど、あまり使わない時代を過ごしてきて開発されていないだけなので、これからはそれをどんどん使っていき、開発していくのをオススメしたいです。

なぜなら、サードアイの能力で選択したものは、思考で選択したものと違って、ぶれることがないからです。

それは自分の波動と共鳴した、自分の真実だからです。

検討比較や有利不利、得か損かの範疇を超えているので、何を言われても、それが自分にとっての正解になるからです。

ですので、この能力を開発していくと、ぶれなくなっていきます。

内面の不確かさがどんどん減っていき、安定した自分になっていきます。

自分の感覚が自分の強力な味方になっていくので、他者の判断はそんなに必要なくなっていきます。

今朝、4:44に起きたことも、

たまたま猫に起こされただけでしょ、偶然だよ〜、

もう1回寝たら、と思考力だけの自分はいうでしょう。

でも、私は、この数字をみて、何かを感じたのです。

とても意味のある何か、それを大事に受け取りました。

思考力だけで生きていたとき、私も不確かでした。

でも感じる力を大事に開発してきたら、不確かさが減っていきました。

かといって思考力も大事なので、思考力と感じる力のタグを組むのが最強な気がします。

ちなみに、感じる力や思考力を使っても、迷ったり、判断できないなというときも、あります。

そのときは、タイミングが絡んでるんだな、と、今のところ、受け取っています(つまり、時がくるまでほおっておく、たくさんほおってるものアリ笑)。

感じる能力の開発には、テキストも講座代金も不要、講師も不要、即、始められます。

親が教えてあげられること

子供の頃に、自分の親から具体的に教えてもらったことで、

親からのその教えが自分の人生でためになった、とか、

自分の人生で活かせてるもの、ありますか?

色々な方に幼少期からの話を聞いてきた私の感想でいうと、

この問いに、YESと答えられる人は、かなり少数派ではないでしょうか。

(多くの人は、今も自分で持て余してる親からの教え、例えば”人に迷惑をかけるな”みたいな方を記憶しています)

自分が親の立場で見回しても、
自分の子供に私が具体的に教えたことで、それが生きてると思えるもの、
ん〜あまり、見当たりません笑。

例えば、お片付け…. 

息子がまだ幼くて親のいうことを素直に受け入れてくれるときに、お片付けの仕方を教えて、そのときはその通りにやっていたようにみえたけど、いざ小学校に入ってみたら、全くできてない、片付けのコツを理解していない、すべてごっちゃに置いてあった汗。

それは、今年18歳になる今も、彼の机やカバンの状態をみる限り、進化していないように思います(彼なりの片付け分類にはなってるようですが)。

これはなぜかというと、私自身がそうだからです笑。

私は片付けの分類分けするのは好きなのですが、全てをすっきり片付けしてないひとなのです汗。

育児の先生たちが言われてると思いますが、

読書をする子になってほしいなら、

本を読みなさいと、直接、子供に言うよりも、

親自身が本を読んでる姿をみせなさい、ということと同じだと思います。

親と子は、子供が巣立つまで、長い時間、同じ空間で過ごします。

その長い時間に、

同じ空間でみてきた親の姿、言動&行動、

親の雰囲気、

親の感情やコミュニケーション表現は、

情景や雰囲気を伴い、リピートされるものなので、

言葉で指示される文章よりも、

子供にとっては自分の中に取り込みやすいのだと思います。

ということで、

こどもたちが人生で親から学んでいくのは、親からの言葉での教えより、

圧倒的に親の暮らし方、生き方、いわゆる ”生き様” の方にあると私は思っています。

子供が親になったとき、
自分が親にされていやだったことは自分の子供にはしないように、

親にされてよかったことはしてあげようと思うだろうし、

親にこれを教えてほしかったなという体験をした場合は、
自分の子供には、それを伝えてあげたいと思うでしょうが、

(この記事を書こうと思ったのは、まさに、この件についてメールのやり取りをしたから)

教えを効果的に浸透させるには、親であるあなた自身が、

その姿をみせているか(つまり、自分はそれを実践してみせてあげられているのか)
確認してみるとよいかもしれません。

わたしみたいに、きちんと片付けしていないのに、片付けなさい!は、

まるで効果がないし笑、

我が家は息子に自分の考えや意見ははっきりと言いなさいというようなことは教えたことはないけれど、

ご飯時などに、私とダンナさんで、こういうことがあってこう思うんだよね、と自分たちの意見をフツーに交換していたら、いつのまにか息子もそれに加わるようになっていたとか、

学んでほしいことは、そのように実践してる姿をみせるほうが、効果があると思います。

簡単にいうと、子供に親がお手本とか成功例を示す、ということになるかもですが、

親の側からみるならば、

自分はあまりできてないことを、子供にできるようになりなさい、は

自分の夢を娘にたくす昭和な?ステージママと同じようなことをしていないかと、ちょっと客観視するとよいかもしれません。

これは、こどものためになるから、といいながら、

自分ができないことを子供に実現させようとしていないか
(自分が片付けがイマイチなので、こどもにはできるようになってほしいと思ったわたしのように汗)、

それは、本当は「自分ができるようになりたいこと」「自分が成し遂げたいこと」ではないか、自問してみるといいかもです。

もし、そうであるなら、まずは親であるあなたがそれに取り組めば、子供もそれができるようになっていく可能性大だと思います。

最後に….. 親と子供は、当然のことながら、同一人物ではありません。

私がもった問題(例えば、片付け)が、子供にとっても克服したい問題であるとは限りません。

子供は子供でなにかテーマをもって、この世にいます。

ですので、親であるあなたがAの問題で苦しんだから、子供もAの問題で苦しむとは限りません。

あなたが子供に教えようと頑張ってること、それは「誰のための」レッスンなのか、

そこを見極めると、

自分の子供がこれができないと悩んだり、苦しんだりすることは、減るのではないかなと思います。

夏は「海」、「南」という私の感覚は、母方の祖母が島に住んでいて夏休みにいつも行っていたからだと思います。
私の息子はどちらかというと「北」に惹かれてるなと思います、どうやらそういう磁場が備わってるようです。

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エネルギー療法をやっています。
体の症状や、心の悩み、それを起こしてるあなたの意識やエネルギー部分に働きかけます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/
8月は、通常、ヒマです笑

文字通りのアンチエイジング

私は毎晩、瞑想しているのですが、最近は時間があれば朝にもするようになりました。

先日、朝の瞑想から覚めたときに

「瞑想状態って 冬眠状態と同じだ」

と気がつきました。

早速、ネットで冬眠状態について調べてみると、

冬眠状態の動物たちは、

低体温や低心拍状態になっていて、それは”代謝を低下させてる”状態だ
ということが書いてありました。

ちなみに冬眠状態については、様々な分野で研究されてるらしく、

例えば、寝たきりの方々などは体を動かせないので筋萎縮が起こり、どんどん弱っていってしまうのですが、

冬眠状態の動物には筋萎縮が起こらず、それは代謝を低下させてる状態だからで、この冬眠のメカニズムを介護や医療の方面に使えないかというようなことが考えられているようです。

瞑想とリンクしてる冬眠の情報は探せませんでしたが、

その数日後に入手して読んだ瞑想の本に(導かれた…)、

瞑想してる状態では、人によるが代謝が16-20%くらい落ちている(医療機関で瞑想中の血液中の酸素濃度を計測した)と書いてありました。

瞑想状態では代謝の低下状態になってるんだ〜、だから冬眠してるようなもんだよね、と勝手に一人で納得しました笑。

私が瞑想を始めるきっかけをつくってくれた方が、

「瞑想してるとどんどん若返るよ〜」と言っていたのは、そういうことだったのね、

と、やっとここで腑に落ちました(その方は上記のような根拠はなく、ご自身の感覚で言っていたと思います)。

ということで私の理解で言うと、瞑想してると

「若返る」のではなく、

「老いていく速度が、瞑想してる時間分(代謝が落ちるので)少しゆっくりになる」です。

いわゆる抗老化タイム、つまり文字通りのアンチエイジングになる、のだと言えると思います。

これまで瞑想いいですよ、とオススメしても、なかなか実践する人はいませんでしたが、
アンチエイジングと聞けば、きっとやる気になるのではなかろうか……!?(今朝、この話を聞いた二人がすぐにやると言ってました笑)

洞窟にこもり瞑想してた僧の過去世(男性だった)があるといわれたことがあります……今世はせまいとこ嫌いだけど(笑)


あなたは、あなたのままでいい

気分が落ち込んでいくとき、なにかの”きっかけ”があると思うんですが、

100%といってもよいくらい、それは”他人のこと”から始まるように思います。

他人からダイレクトに批判された場合、そりゃ、落ち込みます。

でも他人からダイレクトに批判される機会よりも、
自分で自分を批判していくというマゾ的な(汗)落ち込みの方が圧倒的に多いのではないでしょうか …..

例えば、今の時代はSNSというものがあるから、それで目にした他人の活躍や、他人の私生活で充実してる様子、単に他人のフォロワー数とか、いいね!の数が多いとかそのような他者との比較から、落ち込みのループが始まることが多いように思われます。

あの人、友達と楽しそう、わたしにはこういう仲間はいないな….ずーん、とか

あの人、すごく頑張ってる、素敵、えらいな〜、それにひきかえ、わたしは、何も頑張っちゃいないな…..とか

どんどん自分の評価を自分で低くしていくループの始まり(汗)。

これは、何が起きてるかというと、

自分の、自分に対する評価がぐらついている、です。

別の言い方をすると、

自分の、自分への愛が試されてるとき、

自分で自分を信じる気持ちが試されているのです。

今(SNSでみた誰かと比べて、冴えないように思える)、この瞬間の

ありのままのあなたを好きですか?

と問われているのです(自問なのですが)。

ここで、落ち込んでいくとしたら、

いいえ、わたしは、いま、この瞬間のありのままのわたしが好きではないです

と答えてるようなものです。

ですので、こういうときは、しっかりとそこに意識を持って、

いやいや、わたしは、確かに今、人と比べて、このわたしを嫌いになりそうになりましたが(汗)、わたしは、実は、わたしが意外と好きです、

と思ってあげましょう笑。

素敵にみえた他人は、素敵だなと評価するままでいい、

でも、それをみてて落ち込みそうになった自分を嫌いになることはなくて、

私は私も好きです、と思っておくのがいいです。

そうすると、落ち込みループにはまることは減ってきます(ちゃんと自分が好きだと認識していくとループ自体にはまりません)。

前の記事でも書きましたが、

私たちは、自分オリジナルの神のシナリオを歩んでいます。

たとえ、あなたがあまりパッとしない生活をしていようとも、

たとえ、あなたがたくさんの欠点や改善点を抱えていようとも、

たとえ、あなたがしたいことを成し遂げていなくても、

あなたは、ちゃんとその自分オリジナルのシナリオを歩んでいますので、

安心して、そうだ私はこれでいいんだった、と思って、

自分で、その自分をどうぞ信じてあげてください。

ちなみに、私はありのままの私でいいんだ、というとき、

何もやらなくていいんだ、

何も進化しなくていいんだ、という意味ではないです。

私たちの源はエネルギー体なので、否応なしに進化する存在です。

ですので、進化はするんです、でも、

他人のように進化しなくていいし、

他人のようなスピードで進まなくていいのです。

あなたは、あなた独自のペースで、独自の進化をしていく存在。

だから、安心して、あなたのままで、進化していけばいいのです(人生を歩んでいく)。

誰かが素晴らしい生活を手に入れてるようにみえたり、
とても素晴らしいことを成し遂げていようと、
その人もその人で、その人の神のシナリオを
その人のペースで歩んでいるだけなのです。

ですので、
あなたもあなただけの、そのシナリオを信じて、
自分が主人公のそのシナリオを存分に生きてください。

と、いうことで、他人と比較して気分が落ちそうなときは、

あ、私の私への愛が確かめられてるんだ! と気づいて、

わたしはわたしのままでいいんだ、わたしはこのわたしが好きです、

と再認識してみてください。

心地よくてたまらなくなりますよ(笑)。

追記ですが、

わたしは、何もよくできていない自分が好きとは思えないんです、みたいなことをおっしゃる方がいますが、

そういう方であっても、自分のことが好きだと思える、みつけ方があります。

日常の生活の中で、あなたが、ちょっとでもいいから気に入ってるというもの、ありますよね。

10年以上も使ってる愛用のマグカップとか、

着古しだけど、着心地の良くて捨てられないTシャツとか、

この道は、ちょっとひっそりとして好きだな、とかそういう場所なんかありませんか。

そのような人からみたら、どこが好きなの?と言われちゃいそうなもの、

パッと見はさえないけどなんとなく好きとか、そういうものや空間や場所、

それはあなたが「愛着をもってる」ものです。

人の評価や社会的な価値は関係なくて、

あなたが好きなものなのです。

そういう愛着を何かにもてているのなら、

人の評価や社会的な価値がなさそうに自分が思える「あなた自身」にも、

愛着をもてます。

長年つれそってる「あなた」というその人、愛着をもつのに十分な存在です。

夏は冷えたスパークリングに愛着のあるわたしです(注)写真はわたしではありません(苦笑)

カウンセリング講座やります

2つ前の記事でお知らせしたカウンセリングの講座が具体的に決まりましたので、お知らせします。

講座名:CC講座(カスタマイズカウンセリング講座)

講座内容:カウンセリングとは何か?という一般的な見方から始
     まり、相談者特有の悩みの核を理解し、それを解放さ
     せる働きかけまでを解説します。

     *講座という名称ですが、ワークショップ的に
      参加者同士での練習も含まれます      

具体的なプログラム:6回コース

         1) カウンセリングとは何か?

         2) カウンセラーという役割

         3) ヒアリングテクニックと実践

         4) 質問、整理テクニックと実践

         5) カスタマイズカウンセリングの仕組みとHow to 1

                                6) カスタマイズカウンセリングの仕組みとHow to 2

 
  コースプログラムを 2つづつ組み合わせて、1日の集中講座にします:

  1日目は、1) と2) コース

  2日目は  3)と4)コース

     3日目は、5)と6)コースの組み合わせにしますので、

実質的に「3回」で 3日間の講座になります。 

 
  料金: 1日(2コース)につき、11.000円税込

  

  場所:1回目は 加古川総合文化センター 会議室 
     にて行います。   

  

  日程: 1回目 2022年 7月9日(土) 10時〜16時
      お昼休憩あり

     *2回目以降の日時と場所は、皆さんと都合を合わせて事前
      に決めていきます。

  

  募集人数: 5名前後

        先日の記事で参加を決めてくださった方々が
       いますので、この記事で募集するのは、
       1、2名になります。


この講座を受けると起こるかもしれないよいこと:

 ・人の話を聞いて相談にのってあげたり、人の気持ちを軽くしてあげる
  ことができる。
  同時に自分の悩みへの向き合い方も大幅に変わってきて楽になる。

 ・カウンセリングに興味があったり、やりたいと思う気持ちがある人は、    
  そこに導かれているわけで、なんらかの形でそういう仕事につなげてい 
  くことができる。
  悩みの仕組みがわかるのでヒーラーなどのスピリチュアルな仕事にも
  つなげていける(その後、ご要望があればエッセンスやレメディの使
  い方を教えることも考えています)。

 ・参加者の方には、私がホメオパスになるときに大いに学びとなった
 Reflective Journal (自己内省日誌)を定期的に書いてもらいます。    
  Reflective Journalを書くことは、カウンセリングマインドを地道に
  しかし確実に身につけることになるし、同時に内面の自己浄化も     
  行うことになります。Reflective Journal にはフィードバックを送り
  ますので、まるで個人セッションを定期的に受けたような効果もえられ
  ます。
  

 心が動いた方、customerarnica@gmail.com までご連絡ください。
 (氏名、携帯電話番号、志望動機をお書きください) 

ーーーーーーーーーー

  

    

私にとっても新しい一歩。なにがどうなるかわからなくても、ちょっとだけ勇気をもって踏み出せば、いつのまにか自然の流れにのってることになる。

寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/