親が教えてあげられること

子供の頃に、自分の親から具体的に教えてもらったことで、

親からのその教えが自分の人生でためになった、とか、

自分の人生で活かせてるもの、ありますか?

色々な方に幼少期からの話を聞いてきた私の感想でいうと、

この問いに、YESと答えられる人は、かなり少数派ではないでしょうか。

(多くの人は、今も自分で持て余してる親からの教え、例えば”人に迷惑をかけるな”みたいな方を記憶しています)

自分が親の立場で見回しても、
自分の子供に私が具体的に教えたことで、それが生きてると思えるもの、
ん〜あまり、見当たりません笑。

例えば、お片付け…. 

息子がまだ幼くて親のいうことを素直に受け入れてくれるときに、お片付けの仕方を教えて、そのときはその通りにやっていたようにみえたけど、いざ小学校に入ってみたら、全くできてない、片付けのコツを理解していない、すべてごっちゃに置いてあった汗。

それは、今年18歳になる今も、彼の机やカバンの状態をみる限り、進化していないように思います(彼なりの片付け分類にはなってるようですが)。

これはなぜかというと、私自身がそうだからです笑。

私は片付けの分類分けするのは好きなのですが、全てをすっきり片付けしてないひとなのです汗。

育児の先生たちが言われてると思いますが、

読書をする子になってほしいなら、

本を読みなさいと、直接、子供に言うよりも、

親自身が本を読んでる姿をみせなさい、ということと同じだと思います。

親と子は、子供が巣立つまで、長い時間、同じ空間で過ごします。

その長い時間に、

同じ空間でみてきた親の姿、言動&行動、

親の雰囲気、

親の感情やコミュニケーション表現は、

情景や雰囲気を伴い、リピートされるものなので、

言葉で指示される文章よりも、

子供にとっては自分の中に取り込みやすいのだと思います。

ということで、

こどもたちが人生で親から学んでいくのは、親からの言葉での教えより、

圧倒的に親の暮らし方、生き方、いわゆる ”生き様” の方にあると私は思っています。

子供が親になったとき、
自分が親にされていやだったことは自分の子供にはしないように、

親にされてよかったことはしてあげようと思うだろうし、

親にこれを教えてほしかったなという体験をした場合は、
自分の子供には、それを伝えてあげたいと思うでしょうが、

(この記事を書こうと思ったのは、まさに、この件についてメールのやり取りをしたから)

教えを効果的に浸透させるには、親であるあなた自身が、

その姿をみせているか(つまり、自分はそれを実践してみせてあげられているのか)
確認してみるとよいかもしれません。

わたしみたいに、きちんと片付けしていないのに、片付けなさい!は、

まるで効果がないし笑、

我が家は息子に自分の考えや意見ははっきりと言いなさいというようなことは教えたことはないけれど、

ご飯時などに、私とダンナさんで、こういうことがあってこう思うんだよね、と自分たちの意見をフツーに交換していたら、いつのまにか息子もそれに加わるようになっていたとか、

学んでほしいことは、そのように実践してる姿をみせるほうが、効果があると思います。

簡単にいうと、子供に親がお手本とか成功例を示す、ということになるかもですが、

親の側からみるならば、

自分はあまりできてないことを、子供にできるようになりなさい、は

自分の夢を娘にたくす昭和な?ステージママと同じようなことをしていないかと、ちょっと客観視するとよいかもしれません。

これは、こどものためになるから、といいながら、

自分ができないことを子供に実現させようとしていないか
(自分が片付けがイマイチなので、こどもにはできるようになってほしいと思ったわたしのように汗)、

それは、本当は「自分ができるようになりたいこと」「自分が成し遂げたいこと」ではないか、自問してみるといいかもです。

もし、そうであるなら、まずは親であるあなたがそれに取り組めば、子供もそれができるようになっていく可能性大だと思います。

最後に….. 親と子供は、当然のことながら、同一人物ではありません。

私がもった問題(例えば、片付け)が、子供にとっても克服したい問題であるとは限りません。

子供は子供でなにかテーマをもって、この世にいます。

ですので、親であるあなたがAの問題で苦しんだから、子供もAの問題で苦しむとは限りません。

あなたが子供に教えようと頑張ってること、それは「誰のための」レッスンなのか、

そこを見極めると、

自分の子供がこれができないと悩んだり、苦しんだりすることは、減るのではないかなと思います。

夏は「海」、「南」という私の感覚は、母方の祖母が島に住んでいて夏休みにいつも行っていたからだと思います。
私の息子はどちらかというと「北」に惹かれてるなと思います、どうやらそういう磁場が備わってるようです。

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エネルギー療法をやっています。
体の症状や、心の悩み、それを起こしてるあなたの意識やエネルギー部分に働きかけます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/
8月は、通常、ヒマです笑

文字通りのアンチエイジング

私は毎晩、瞑想しているのですが、最近は時間があれば朝にもするようになりました。

先日、朝の瞑想から覚めたときに

「瞑想状態って 冬眠状態と同じだ」

と気がつきました。

早速、ネットで冬眠状態について調べてみると、

冬眠状態の動物たちは、

低体温や低心拍状態になっていて、それは”代謝を低下させてる”状態だ
ということが書いてありました。

ちなみに冬眠状態については、様々な分野で研究されてるらしく、

例えば、寝たきりの方々などは体を動かせないので筋萎縮が起こり、どんどん弱っていってしまうのですが、

冬眠状態の動物には筋萎縮が起こらず、それは代謝を低下させてる状態だからで、この冬眠のメカニズムを介護や医療の方面に使えないかというようなことが考えられているようです。

瞑想とリンクしてる冬眠の情報は探せませんでしたが、

その数日後に入手して読んだ瞑想の本に(導かれた…)、

瞑想してる状態では、人によるが代謝が16-20%くらい落ちている(医療機関で瞑想中の血液中の酸素濃度を計測した)と書いてありました。

瞑想状態では代謝の低下状態になってるんだ〜、だから冬眠してるようなもんだよね、と勝手に一人で納得しました笑。

私が瞑想を始めるきっかけをつくってくれた方が、

「瞑想してるとどんどん若返るよ〜」と言っていたのは、そういうことだったのね、

と、やっとここで腑に落ちました(その方は上記のような根拠はなく、ご自身の感覚で言っていたと思います)。

ということで私の理解で言うと、瞑想してると

「若返る」のではなく、

「老いていく速度が、瞑想してる時間分(代謝が落ちるので)少しゆっくりになる」です。

いわゆる抗老化タイム、つまり文字通りのアンチエイジングになる、のだと言えると思います。

これまで瞑想いいですよ、とオススメしても、なかなか実践する人はいませんでしたが、
アンチエイジングと聞けば、きっとやる気になるのではなかろうか……!?(今朝、この話を聞いた二人がすぐにやると言ってました笑)

洞窟にこもり瞑想してた僧の過去世(男性だった)があるといわれたことがあります……今世はせまいとこ嫌いだけど(笑)


あなたは、あなたのままでいい

気分が落ち込んでいくとき、なにかの”きっかけ”があると思うんですが、

100%といってもよいくらい、それは”他人のこと”から始まるように思います。

他人からダイレクトに批判された場合、そりゃ、落ち込みます。

でも他人からダイレクトに批判される機会よりも、
自分で自分を批判していくというマゾ的な(汗)落ち込みの方が圧倒的に多いのではないでしょうか …..

例えば、今の時代はSNSというものがあるから、それで目にした他人の活躍や、他人の私生活で充実してる様子、単に他人のフォロワー数とか、いいね!の数が多いとかそのような他者との比較から、落ち込みのループが始まることが多いように思われます。

あの人、友達と楽しそう、わたしにはこういう仲間はいないな….ずーん、とか

あの人、すごく頑張ってる、素敵、えらいな〜、それにひきかえ、わたしは、何も頑張っちゃいないな…..とか

どんどん自分の評価を自分で低くしていくループの始まり(汗)。

これは、何が起きてるかというと、

自分の、自分に対する評価がぐらついている、です。

別の言い方をすると、

自分の、自分への愛が試されてるとき、

自分で自分を信じる気持ちが試されているのです。

今(SNSでみた誰かと比べて、冴えないように思える)、この瞬間の

ありのままのあなたを好きですか?

と問われているのです(自問なのですが)。

ここで、落ち込んでいくとしたら、

いいえ、わたしは、いま、この瞬間のありのままのわたしが好きではないです

と答えてるようなものです。

ですので、こういうときは、しっかりとそこに意識を持って、

いやいや、わたしは、確かに今、人と比べて、このわたしを嫌いになりそうになりましたが(汗)、わたしは、実は、わたしが意外と好きです、

と思ってあげましょう笑。

素敵にみえた他人は、素敵だなと評価するままでいい、

でも、それをみてて落ち込みそうになった自分を嫌いになることはなくて、

私は私も好きです、と思っておくのがいいです。

そうすると、落ち込みループにはまることは減ってきます(ちゃんと自分が好きだと認識していくとループ自体にはまりません)。

前の記事でも書きましたが、

私たちは、自分オリジナルの神のシナリオを歩んでいます。

たとえ、あなたがあまりパッとしない生活をしていようとも、

たとえ、あなたがたくさんの欠点や改善点を抱えていようとも、

たとえ、あなたがしたいことを成し遂げていなくても、

あなたは、ちゃんとその自分オリジナルのシナリオを歩んでいますので、

安心して、そうだ私はこれでいいんだった、と思って、

自分で、その自分をどうぞ信じてあげてください。

ちなみに、私はありのままの私でいいんだ、というとき、

何もやらなくていいんだ、

何も進化しなくていいんだ、という意味ではないです。

私たちの源はエネルギー体なので、否応なしに進化する存在です。

ですので、進化はするんです、でも、

他人のように進化しなくていいし、

他人のようなスピードで進まなくていいのです。

あなたは、あなた独自のペースで、独自の進化をしていく存在。

だから、安心して、あなたのままで、進化していけばいいのです(人生を歩んでいく)。

誰かが素晴らしい生活を手に入れてるようにみえたり、
とても素晴らしいことを成し遂げていようと、
その人もその人で、その人の神のシナリオを
その人のペースで歩んでいるだけなのです。

ですので、
あなたもあなただけの、そのシナリオを信じて、
自分が主人公のそのシナリオを存分に生きてください。

と、いうことで、他人と比較して気分が落ちそうなときは、

あ、私の私への愛が確かめられてるんだ! と気づいて、

わたしはわたしのままでいいんだ、わたしはこのわたしが好きです、

と再認識してみてください。

心地よくてたまらなくなりますよ(笑)。

追記ですが、

わたしは、何もよくできていない自分が好きとは思えないんです、みたいなことをおっしゃる方がいますが、

そういう方であっても、自分のことが好きだと思える、みつけ方があります。

日常の生活の中で、あなたが、ちょっとでもいいから気に入ってるというもの、ありますよね。

10年以上も使ってる愛用のマグカップとか、

着古しだけど、着心地の良くて捨てられないTシャツとか、

この道は、ちょっとひっそりとして好きだな、とかそういう場所なんかありませんか。

そのような人からみたら、どこが好きなの?と言われちゃいそうなもの、

パッと見はさえないけどなんとなく好きとか、そういうものや空間や場所、

それはあなたが「愛着をもってる」ものです。

人の評価や社会的な価値は関係なくて、

あなたが好きなものなのです。

そういう愛着を何かにもてているのなら、

人の評価や社会的な価値がなさそうに自分が思える「あなた自身」にも、

愛着をもてます。

長年つれそってる「あなた」というその人、愛着をもつのに十分な存在です。

夏は冷えたスパークリングに愛着のあるわたしです(注)写真はわたしではありません(苦笑)

草の存在

ホメオパシーを学び始めた頃にイギリスの先生から聞いた話です:

ある男性ホメオパスが、南米のある部族が住む地域にしばらく住みにいった。

彼の滞在期間中に、部族の誰かが病いにかかった。

すると部族内のシャーマンがジャングルのようなところに向かい、しばらくすると手に何かの植物を持ち戻ってきた。

その植物をすりおろしてor煎じて(詳細忘れた汗)病にかかった人にとらせた(のちに回復した)。

ホメオパスがシャーマンに、その植物について尋ねると

「ジャングルに入り、病の人と同じエネルギーをだしてる植物を探して持ち帰ったのだ」と答えた……

当時、こういう世界に入ったばかりだったので、私の心はこの話にふるえました笑。

ついでにいうと、バッチフラワーエッセンスをつくったエドワード・バッチも、どの花が何を癒してくれるエネルギーをもっているかわかったそうですし、日本の昔の和漢薬師にもそういう人がいたというのを聞いたことがあります。

さて、私の話ですが、一昨日、庭のいらん草を抜いていて、

その草の特徴に目がとまり、ふと

「あ、これは関節炎によい植物だな」と思いました。

後で、ネットで検索してみると、

その草の効用に案の定「利尿、関節炎、脚気」と書かれていました。

うわ〜、わたしもシャーマンなれるのかな笑……というのは冗談ですが、

私がその植物をみて関節炎に効くと思ったのは、似てるものが似てるものを癒すという原則を知っていたからです。

その草の名前は、イノコヅチ(調べて初めて知りました) 
薬草名:牛膝(ごしつ)です。

↑上からみたところ、どこにでも生えてると思います。秋になるととがった実がたくさんついて、それが服にくっついてくる〜
↑横からみたところ、茎が赤っぽい色です。この写真ではみれませんが、節がまさに関節炎みたいにふくれてたりします
(それで牛膝とよばれる)。

イノコヅチは、関節炎だけでなく、抗アレルギー、抗腫瘍などの作用もあります。

また、イノコステロン、エクジステロンなどの昆虫変態ホルモンがふくまれていて、それは昆虫の幼虫がイノコズチの葉を食べると変態が早まり、葉が食される被害から身を守るためだといわれています。

上記情報コピー元:武田薬品工業  日本家庭薬協会
*関節炎みたいな節の写真は武田薬品のサイトに載ってます。

さらにイノコヅチについて調べると、膝の悪い人にはとても耳寄りな情報がありました。

>膝が痛くてという方におすすめで、含まれるホルモン成分の働きで膝の痛みが和らぎます >膝の痛みをとり、血流を良くし、更に元気にしてくれるイノコヅチ

情報コピー元:飛騨の薬草を学ぶ教養講座

膝が痛いというのをよく見聞きしますが、サプリや健康食品を定期的に買う前に、庭のイノコヅチで試してみてはいかがでしょうか……

イノコヅチが含有するエクジステロンを検索してみると、筋トレやるひとがサプリとして飲んだりしてるみたいです、なっとく〜。

エクジステロン(植物性エクジソン)は、天然のステロイドと呼ばれ
筋骨草と呼ばれる植物(シソ科)や、
ほうれん草(ポパイ!)にも含まれ、、
運動時にとると筋肉増量につながるという情報もでてきました。

スパイスみたいな実もそうですが、植物は置かれた環境で生存しつづけるためになんらかの物質を体内でつくります。

それが昆虫に作用があったり、人間においては効用になったりもします。

雑草というくくりでブチブチ抜いていたけれど汗、1つ1つをみたら、どんな草もそれぞれの特性や能力を備えている存在なんだよな、と改めて思いました。

おまけですが、去年、野生の野ばらのローズヒップ を甘く煮込んで食したら(乾燥させてなかった)、もんのすごい下痢になり、その日のうちに体重が1kg落ちたことがありました大汗。

そのときは、ローズヒップ でしか調べなかったのだけど、

今回、薬草の視点で探してみたら、

野ばら / ローズヒップ = ノイバラ / 偽果

という薬草扱いになっていて、効用は

峻下(強い下剤作用)  となってました。

本当にあれはものすごい浄化でした、
薬草、めちゃくちゃ効くじゃないの(苦笑)!

↑ 膝は痛くないけど、指の1つの関節に問題があるので、イノコヅチの葉のお茶つくってみます。                


               

あなたの身近に、やたらあなたの目につく草があれば、
それはあなたに必要な薬効を持ってる可能性があります(エネルギーの引き寄せ的に)。
調べてみてはいかがでしょうか。

いつも必要なものが必要なときに与えられてる……

カウンセリング講座やります

2つ前の記事でお知らせしたカウンセリングの講座が具体的に決まりましたので、お知らせします。

講座名:CC講座(カスタマイズカウンセリング講座)

講座内容:カウンセリングとは何か?という一般的な見方から始
     まり、相談者特有の悩みの核を理解し、それを解放さ
     せる働きかけまでを解説します。

     *講座という名称ですが、ワークショップ的に
      参加者同士での練習も含まれます      

具体的なプログラム:6回コース

         1) カウンセリングとは何か?

         2) カウンセラーという役割

         3) ヒアリングテクニックと実践

         4) 質問、整理テクニックと実践

         5) カスタマイズカウンセリングの仕組みとHow to 1

                                6) カスタマイズカウンセリングの仕組みとHow to 2

 
  コースプログラムを 2つづつ組み合わせて、1日の集中講座にします:

  1日目は、1) と2) コース

  2日目は  3)と4)コース

     3日目は、5)と6)コースの組み合わせにしますので、

実質的に「3回」で 3日間の講座になります。 

 
  料金: 1日(2コース)につき、11.000円税込

  

  場所:1回目は 加古川総合文化センター 会議室 
     にて行います。   

  

  日程: 1回目 2022年 7月9日(土) 10時〜16時
      お昼休憩あり

     *2回目以降の日時と場所は、皆さんと都合を合わせて事前
      に決めていきます。

  

  募集人数: 5名前後

        先日の記事で参加を決めてくださった方々が
       いますので、この記事で募集するのは、
       1、2名になります。


この講座を受けると起こるかもしれないよいこと:

 ・人の話を聞いて相談にのってあげたり、人の気持ちを軽くしてあげる
  ことができる。
  同時に自分の悩みへの向き合い方も大幅に変わってきて楽になる。

 ・カウンセリングに興味があったり、やりたいと思う気持ちがある人は、    
  そこに導かれているわけで、なんらかの形でそういう仕事につなげてい 
  くことができる。
  悩みの仕組みがわかるのでヒーラーなどのスピリチュアルな仕事にも
  つなげていける(その後、ご要望があればエッセンスやレメディの使
  い方を教えることも考えています)。

 ・参加者の方には、私がホメオパスになるときに大いに学びとなった
 Reflective Journal (自己内省日誌)を定期的に書いてもらいます。    
  Reflective Journalを書くことは、カウンセリングマインドを地道に
  しかし確実に身につけることになるし、同時に内面の自己浄化も     
  行うことになります。Reflective Journal にはフィードバックを送り
  ますので、まるで個人セッションを定期的に受けたような効果もえられ
  ます。
  

 心が動いた方、customerarnica@gmail.com までご連絡ください。
 (氏名、携帯電話番号、志望動機をお書きください) 

ーーーーーーーーーー

  

    

私にとっても新しい一歩。なにがどうなるかわからなくても、ちょっとだけ勇気をもって踏み出せば、いつのまにか自然の流れにのってることになる。

寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

神のシナリオ

誰が言い出した言葉なのか…. 
私たちの人生は「神のシナリオ」で決まっていると言われたりします。

「神のシナリオ」と聞くと、

自分の魂が望む道だとか、

自分の生涯のパートナーとの出会いとか、

自分の才能をいかす仕事に導かれるとか、

そんな人生でのドラマチックな出来事だけを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、

神のシナリオをなめてはいけません汗、
神のシナリオは、細部にいたるまで「全て」なのです。

たまたま昨日、お子さんの視力がよくないというご相談メールを受けたので、そのことを例にあげて書きますと….

「視力が弱い」

これすら、神のシナリオなのです。

視力が弱いと診断されると、親はなんとかして視力を回復させてあげたいと思うでしょう。

もちろん、ゲームやスマホのやりすぎで視力が弱った、姿勢が悪いことで視力が低下した、それらを改善しようと思うことは自然な流れです。

でも、その子が視力が弱いという、そのこと自体、神のシナリオなのです。

どういうことかというと、その子は視力がよくないことで、
その子にとって人生がうまくいくようシナリオが設定されているのです。

一番わかりやすいダイレクトな例は、

視力がよくないことがきっかけとなり、将来、視力をあげることができる新しいメソッド開発や、画期的なレンズを開発する人物になることになっていたとか、です。

間接的な例だと、

視力がよくなくて、そのうちメガネをかけたことで、将来のパートナーと出会えることになっていたり(相手の女性はメガネ男子が大好きで彼にひかれる)、

視力がよくないからと、大学の講義で前に座ったことで、隣に座っていた人生の大親友と出会うことになっていたり、とかです。

表面化しないため認識できない例でいうと、

視力がよくないことで、視力の正確さを求められるスポーツをやらなかったことから、そのスポーツで大怪我することを避けるように実は守られていたり、

視力が弱いことで、細かいことがあまり見えないので気にしなくなり、大事なことだけに集中できる人生になったり、

逆に細部までちゃんと見ようと意識が働いて、細かい気配りができるような人物になったり、とかです。

神のシナリオがなぜそうなっていたか、人間にはその正確な答え合わせをすることはできませんが、

いずれにしろ、そうなるようになっているのです。

つまり、すべてうまくいくようになっている、それが神のシナリオです。

だから、親ができることは、その神のシナリオを

拒絶しない、嫌悪しない、ジャッジしない、ことです。

お子さんの視力が弱いのは「悪いことだ」とか「よくないことが起きてる」「わたしのせいでそうなったのかも」と

ネガティブ評価をしないことをおすすめします。


なんでかわからないけど、

視力が弱いことになっているんだね〜とそのまま受け止めることです。

受け止めた状態で、

視力を回復することができる情報を知ったら、回復に向けて動いてもいいし、
目を悪くする姿勢に注意したり、スマホに対して時間を制限したり悪化しないよう努力したりするのは自由です。

ただ、神のシナリオ自体と戦う必要はないということです。

これは、他のことにも全て当てはまります。

例えば、体が小さいとか、ぽっちゃり体型とか、歯が弱いとか、気が弱いとか、怒りっぽいとか、感情が激しすぎるとか、

いわゆる遺伝的にうけとったものも、全てです。

それら全て、なにかのシナリオのために設定されているのです。

そのシナリオをもとに、人生がうまくいくようになっているのです。

こどもだけでなく、大人ももちろん神のシナリオを生きてますので、

どうぞ、起きてることを拒絶しないで、ただ、受け取ってください。

受け取るというのは、

今、自分が置かれてるつらい状況に甘んじろということではないです汗。

もし、今、つらい状況に置かれてる方がいたら、

あー、これを体験するシナリオになっていたんだね、と、

その状況が「起きてることを受け入れる」ということが、シナリオを受け取るということです。

なんで、これが起きちゃったの!? 嫌だ!とか、

あいつのせいだ!、親のせいでこれが起きた!とか、

起きたことを拒否したり、人のせいにしたり、

起きてることをネガティブ評価しないということです。

これを体験することになっていたんだ、と神のシナリオを受け入れたら、

その後は、自分の好きに「反応すれば」よいのです。

私たちは起きてくることはコントロールできないけれど、

起きたことに対してどう反応するかは自由なのです。

最後に、私、今、肩をいためて、趣味のテニスをお休み中なのですが、

これも当然、神のシナリオでした。

振り返ると、あそこでああなって、こうなったXXXな条件と重なって、痛めること=この期間にテニスをしないことになっていたのだと、勝手に神のシナリオの筋を追っています。

なんでこの期間にテニスをしないことになっていたか?って、その答えがわかるのは、もう少し後になってからだろうな、となんとなく推測しています(すごく良いことが起こる予感!)。

神のシナリオ、完璧ですから笑。

肩を痛めたおかげで、本来ならテニスしてる時間に、お花見できました笑。
この清々しい桜を見て、心地よくなることになっていたんですね〜笑

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神のシナリオを受け入れたら、この世の苦しみは激減のはず。
そしたら、私がやってる療法もあまり必要なくなるでしょう笑。
そうなったら、次は何しよー!? ← きっと次のシナリオがみえてくる笑

シナリオとわかっていても、拒んでしまう方、なぜそうなるか、一緒に解きほぐしてみましょうか…. ご興味のある方は HPのほうへどうぞ:https://arnicahomeo.com/

あなたは何も悪くない。

Aさん、Bさん、X(エックス)さんでゲームをしていました。

まず、BさんとXさんの対戦。

途中でXさんが、Bさんのやり方に、それは不正だー! ズルしてる!とクレームをつけました。

気の弱そうなBさんはそのクレームを受け入れ、Xさんは自分に有利なポイントに変更させました。

Aさんは、Xさんってクレイマー?!とひるみつつ、自分はゲームの観戦者なのでとりあえず黙っていました。

その後、AさんとXさんの対戦になりました。

Xさんは、今度はAさんのやり方を不正だー!と言い出しました。
Aさんは、さっきのBさんとのやりとりをみていたので、自分はひるまず自分のやり方を押し通しました。が、Xさんが3度目のクレームを言ったときには我慢がならず、軽い口論になりました。その後、Xさんは黙りましたが、当然、そのゲームは不穏な空気となりました。

結局、対戦はAさんが勝ったのですが、Aさんはクレームを言われたので、この勝ちが楽しくも嬉しくもありませんでした。

それどころか、Aさんは、その後も気分がモヤモヤとしたままでした。

ゲーム仲間に、その話を愚痴ると、

そういうこともアルアル、誰でも経験するから、みたいな感じでアドバイスされました。

しかし夜になっても、Aさんのモヤモヤはおさまらない。
なぜ自分はこれをさらっと皆みたいに流せないんだろう….Aさんは自分の内側を探ってみることにしました….

まず、Aさんが自分の内側をのぞいて気がついたのは、

こんなにもモヤモヤするのは、
自分が完全に真っ白だとは胸を張っていえないからではないか、ということでした。

Xさんのクレームが、完全なるイチャモンであるならば、ここまで自分をモヤモヤさせないのではないかと思ったのです。

自分はもしかして不正をしたのではないか、という自分への疑いを持ってるということにAさんは気がついたのでした。

対戦のときは、強気でXさんに反論したけれど、Xさんの見方からみると確かに自分はズルしたようにも取れるかもしれない、それがモヤモヤの原因だとわかったのでした。

ゲームは遊びなのに、そこで真剣にクレームするXさんと同じように、自分も勝ちたいという気持ちがものすごく強くてああいうことが両者に起きたのじゃないか、

だから、ゆずらずに強気でXさんに言い返した自分もクレーマーと同じかもしれない….

という感じで、良心の呵責がおきました。

そして、次に、

自分は勝ちたいために、そういうことをしてしまったんだ

自分はそういうずるい人間だったのだ

というような自責の念がでてきて、Aさんはどんどん落ちこんでいきました….チーン。

ーーーーーーーー

さて、このAさんのエピソードと内側への旅が教えてくれることは何でしょうか。

まず1つめは、

Xさんというわかりやすいクレーマーが現れて

Aさんの中にもあった、ずるい部分を鏡のようにみせてくれました。

XさんがBさんにしたような、

自分にとって有利なポイントに変えさせたようなずるい側面を

Aさんも実は持っていた(Xさんほど強くはないにしても)、というのを教えてくれました。

2つめは、

Aさんには、良心がちゃんと健在してるというのを教えてくれました。

モヤモヤしたということは、Aさんの良心がどこかで痛むからで、

ずるいことはよくないとか、そんなずるい自分を受け入れたくない(自分らしくない)という深い指針がある、というのを教えてくれています。

もし良心に蓋をしてたり、良心を麻痺させてる人なら、このエピソードは、
”そんなこともあるさ” くらいで通り過ぎてしまう出来事だからです。

3つめは、

Aさんは、自分のことをいい人だと思い込んでいたかった、自分は良い人だと評価しておきたかったことを教えてくれています。

もし、自分がずるい部分を持ってるとちゃんと認識していたら、こんなにひきずりはしないからです。あ、やっちゃった、自分はそういうところある笑、とすぐに認められなかったから、長くひきずったのです。

心理の分析だけだと、ここで終わりじゃないかなと思いますが、

ここで終わったら、落ち込んだままになりませんかね?!汗。

あー自分はずるかったんだな、とか、

自分をどこかでいいひとだと思い込んでいたんだな、とか、

それに気づいて、その内側の心理を認めたとしても、これで心は晴れるでしょうか。

そういうずるい部分があった自分を認めたことで心地よくなるなら、それでよいのですが、そうじゃなくて落ち込んだままの人の方が多いように思うので、

ここで、違う視点からの捉え方をオススメしたいです。

それはこのようなエピソードを、

こんな人間達が起こした「人」による事象としてみるのではなく、

エネルギーの引き合い(意識がつくりだした現象)としてみる見方です。

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上記の事象は、なぜ起きたかというと……

Aさんが
「自分はずるい人間だ」「自分は不正なことをするところがある」という波動、
そういう潜在意識(深いところに隠れてる意識)を、自分自身が持ってるからなのです。

Aさん本人が「自分はずるいことをしてしまう人間だ」という意識をもってるから、
その意識を反映した波動により X さんが引き寄せられて、具体的な事象として体験したという仕組みなのです。

だから、Aさん、

あなたは何も悪くない。

自分はずるい人間なのだと落ち込まなくていいのです。

Aさんは、Aさんが人生のどこかで持ってしまったその不要な波動、

その意識を、ただ捨てさってしまえばよいのです。

本当に、ただ、それだけのこと、そういう仕組みでその現象が起きたというだけのことなのです。

あなたは何も悪くない、

ただ、そのくっついた不要な波動(乱れた波動)を払い落とすだけなのです。

Aさんが、なぜ、そんな波動を持ってしまったのかって?!

それは例えば、

小さいころ親に「お前はほんとにずるい子だね」ときつい顔で言われて、
えーわたしってずるい子なんだ!と思い込んでしまったからかもしれないし、

学校で先生や友達に「そのやりかたはずるいんじゃない?」みたいに言われて、
「そうなんだ、私はずるい人間なんだ」と衝撃を受けたときからかもしれません。

その波動を身につけてしまった機会は、人生の体験により人様々ですが、
いずれにしろ、あることにより波動が乱れて、真のピュアな自分とは違う不要な波動を持ったままになってるのです。

その不要な波動は、もともとのあなたのものではないので、それを排除するために、

Xさんという人が現れることで、あなたにそれを教えてくれたのです。

だから上記のゲームで起きた出来事は、
Aさんの低い波動を解除するためにおきたエネルギー現象なのです。

ということで、不快な現象、モヤモヤする現象が起きたら、

それはあなたを落ち込ませたり、自責の念や良心の呵責を起こすためではなく、

ただ、あなたにとって本来の自分とは違う波動になってるよ、と教えてくれる現象だということを知ってもらいたいなと思います。

とはいっても、感情を持つ人間ですから笑、最初は自動的に落ち込んだり、モヤモヤしたりしますけどね汗。

ただ、そこで終わらないで、それを使って波動上昇に転換させて欲しいなと願います。

昨日3/26 はいろんな人が岐路に立った日と感じました。                               
その流れでこのお花のアレンジメントもいただきました、私にはお花はもっとも嬉しいプレゼントの1つです。 
       

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不要な波動を捨てるには、イメージワークが効果があります。
重石(不要な意識)をよっこらしょと海に投げ捨て去るイメージとか、
天に放出する光となって返すイメージとか、地球に足の裏から流していくイメージとか、自分がしっくりくるイメージで捨て去れます(1回ですっきりしなかったら何回もやる)。

トラブルに巻き込まれるけど、不要な波動がなにかわからないとか、
不要とわかってるけど、自分では排除するのが難しい方は、エネルギー療法を使って不要な波動の掃除をお手伝いできます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/




自然なリズムで生きる

わたしたちの体は、心臓の規則的な収縮で動いています。

収縮というのは、「ひきしまってちぢまること(辞書より)」で、

ちぢまるには、いったんのびてる状態に戻ってることがセットになりますが、心臓は循環して戻ってきた血液の圧力で毎回ふくらんでいる(のびる)のだそうです。

心臓の血液循環が起きないと私たちが生き延びれないのだとすると、
のびる →  ちぢまる → のびる → ちぢまる という繰り返しのリズムは、
私たちの体の自然なリズムと言えるように思います。

「のびる」は、別の言い方でいうと、

ゆったり、のんびり、リラックス、

「ちぢむ」は、

緊張、集中、頑張るというような言葉で言い換えられると思います。

何がいいたいかというと、

ずっと、ちぢんだ状態だけ(緊張した状態のみ)、

のびた状態だけ(緊張感のない状態のみ)で生きることは、自然のリズムに反していて、

生きづらい状態になってるのではないかなということです。

私はエネルギー療法をやっていて、

心臓に問題がある方(主に心拍数)をみることがたまにありますが、

そういう方々は、まさに上記のどちらかに大きく傾いているのがみられます。

頻脈ぎみの方は、

緊張した状態が長く続きすぎていて、ゆるめている時間が極端に少ない方、

徐脈ぎみの方は、

生活に目標やハリがなく、何かをきっかけにやる気を失ってしまっているというのがみられたりします。

つまり、どちらも自然のリズムからずれて生きづらくなってるわけです。

私は去年から週1ファスティング というのをしていますが、そして12時間ファスティングみたいに一定時間あけて消化機能を休めることが流行ったりもしていますが、

これも同じで、しばらくなにも活動のないゆるんだ状態というのを、たまに消化器官に与えるのも自然なリズムかもしれないなと思います(通常はきちんと睡眠をとっていればその間に消化器官はゆるめられていますが)。

緊張した状態とゆるんだ状態の長さを比べると、

今の世の中では、圧倒的に緊張した状態でいる時間の方が長いのでは?と思いますが、どうでしょうか。

緊張した状態というのが何を指すかというと

わかりやすいのは、仕事や勉強を長時間頑張り続けてる状態とか、
苦手な人たちの中にいる状態とかですが、

これは言い換えると

「社会」にいるときに起こってるのではないかと私は思います。

「社会」にいるから認めてもらいたくて、頑張ったり、何かを続けたりするわけだし、

人間関係でいっても、
友達といたとしても、相手のことを気遣ったり考えたりもするだろうし、
ましてや距離感が微妙な人たちといたら、その気遣いは何倍にもなるし、自分の言動も少し取りまったりor 少し元気よく振る舞ったりして、

そんなに「素」ではいられないと思うのです。

これが、さらに大人数の会社や学校という「社会」で考えたら、毎日行くので慣れているとしても、実際には相当な緊張状態でいるのではないでしょうか。

ならば「社会」にいない状態とは?!

「家」にいるってことかな

「ひとり」でいるってことかな

「社会」とのかかわりからなるべく離れた自分でいるってことかな……

ということで、

1週間に1回とか、できなければ2週間に1回くらいでも、

何も予定がない日や、何もしない日、家にこもる日、
自分をただただゆるめる日、を意識的に持つことは大事なんじゃないかなと思います。

なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに自分がこの状態だったからです笑。

時間があいたら、テニスの予定をいれていて、気づけば毎日外の「社会」の中で動いていた… 

そしたら、案の定、強制停止がやってきて(歯茎が熱をもって腫れた)1日何もしない日をつくらされたのでした。

そこで、やっと、目が覚めて、

あー自然のリズムからずれてたわ!汗、と気がつきました。

たとえ緊張してる対象が好きなことであっても、自然のリズムの方がうわまわるということがわかった日でした。

「社会」から離れて「自然」の中でリラックスはかなりよいかも(注:私の自転車ではありません笑)

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あることをきっかけにやる気がなくなり、生活に全く緊張感やハリがない方は、
エネルギーがブロックされてる状態です。
エネルギー物質をつかってそのブロックを外して、やる気や緊張感を取り戻しませんか。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

パターンを変えるゲーム

例えば、人間関係で問題や悩みを抱えてるとき、

解決に向かえる1つの実践的な方法は、

相手といるときに、それまでとは違うパターンの言動や行動をとってみることです。

なぜなら、悩みや苦しさがずーっと続いていて、解決に向かわないのは、

ずーっと同じパターンの言動や行動を自分がとっているからなのです。

例えば、会社の先輩が苦手で、その人と仕事をしてると体が緊張してしまうという苦しさを抱えているとき、

自分がその人といて、どういう態度をとっているかを、まるで動画にでもとってたつもりで思い浮かべてみてください。

おそらく、毎回同じパターンの言動や行動を起こしてると思います。

例えば、その人が話をしてきてたら、いつも、ただ黙ってうなずいて、ただ時間が過ぎるのをやり過ごしているとか、です。

こういうときは、頭の中の思考も同じ反応しか起こしていなくて、

「ああ、この人ってどうしてこんなに威圧的なんだろう」

「わたしは、こういう人、苦手なんだよね」みたいな見方を膠着させているのです。

ですので、

同じ思考 → 同じ言動&パターン →  その人との関係性はずっと同じ状態

にとどまっているわけで、これをエネルギーでいうと、

そこにエネルギーが流れずブロックをこしらえた状態になっているのです。

そりゃ、本当に相手がとんでもなくひどい人で無理なんです、みたいな現実もあるでしょう苦笑。

でも、相手がひどいからといって自分まで長く苦しむ必要はないので、
この関係性は自分を苦しめてるな、なんとか変えたいなと

気づいたほうの人が(つまり波動が高いほうの人が)

”パターンを変えれば” いいのです。

例えば、いつもただ黙ってうなづいていただけど、

今日は、「はい、はい、と声にだして相槌をうってみよう」とか、

声を出すなんてハードルが高すぎると感じるのなら、

ではせめて、「目をみて思いきりうなづいてみよう」と変えるとか、

もしくはいつもうなづくだけで終わるけど、今日は最後に

「よくわかりました、ありがとうございます」と締めくくるようにしてみようとか、

もっと積極的なパターンで、

「先輩って、いつもすごいですよねと、ちょっとほめてみる」とか、です。

いやいや、先輩が怖すぎて行動にうつすのは無理です、というなら、

思考の反応を変えてみるのがいいです。

いつもの「威圧的な人」と自動的にみる反応をやめて、

「あー、この人も家ではただの女(男)の人なんだよね」と冷静に一人の人間としてみるように変えるとか、

「この人がもし仲の良い友達だったら、あんた、その話し方、怖いよ!って笑ってうまくつっこめるかも」とか、

いつもの自分の思考の反応を変えてみるのです。

そうすると、相手がちょっと違ってみえはじめます。

私はエネルギー療法というのをやってますが、

単純な言い方でいうと、人の問題というのは、エネルギーの流れがとまってるところに起こっています。

同じエネルギーパターンでとどまっていてエネルギーが流れてないよ、というのを教えてくれるために、心や体に痛みや苦しさを感じるようになっているのです。

(そうでないと私たちは気がつけない)

ですので、

もっと楽にいきたいとか、

もっと幸せを感じたいとか、

もっと波動をあげて良い事象を呼び込みたいとか、

そういう場合は、

自分が心地よいと感じていない部分を点検してみて、

そこで同じパターンを繰り返していないか、

同じ思考の反応でものごとをみていないか、をチェックしてみるといいと思います。

別の言い方をすると、

実はすべてのものごとは毎瞬間、あたらしく、起こってる のを、まるで繰り返しのように私たちがそれをみてるだけ、だと思います。

(これを心底腑に落とすのは難しいですが汗)

かくいう私も、今朝、いつもと違う行動をとってみました。

今までなら、少しブロックされた心で送らなかっただろうメールを、ある人に送ってみたのでした。

やっぱり、こうやって1歩すすむと、ふわっとエネルギーが流れて軽くなった感じがします。

そしてこの流れは相手にも影響するだろうなと感じました。

今朝は、そんなことが起こり、なんとなくですが今年は、人とのコミュニケーションの枠を1つ外すときなのかもと感じました。

パターンを変えるというと、抽象的なことに聞こえるかもしれませんが、

この世の人生はゲームみたいなものなので、ゲーム攻略法のように、

これまでの自分とは違うパターンを試してみよ!みたいな軽い気持ちで

面白がってやってみたらどうでしょうか。

実際、パターンを変えると、エネルギーの仕組み上、起こってくることも必ず変わってきますから、それを体験できたとしたら、こんなに面白いゲームはないと思います笑。

フィボナッチ数列に並べられたと思われるステンドグラス(無料写真から拝借しました)
このようなパターンでエネルギーが上昇し流れるのが自然なのだと思います。