自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、
自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、
自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。
「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。
簡単にそれを始めるコツとして、
「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。
家族につい感情的に怒ってしまって、
なんでそんなことするの!
とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、
その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。
「寛容」をオンライン辞書でひくと、
「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」
という文章がでてきます。
罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、
起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、
ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。
→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。
誰かからひどいことをされたときも、
そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、
とてつもないことのように思うけど、
「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。
なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。
これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、
使えるのではないかと思います。
今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、
自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、
寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。
やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、
できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、
完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。
自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、
仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。
あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。
寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。
これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、
ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。
寛容になるというのは、
自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、
他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること
なんじゃないかなと思います。

しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。
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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/