わたしたちの体は、心臓の規則的な収縮で動いています。
収縮というのは、「ひきしまってちぢまること(辞書より)」で、
ちぢまるには、いったんのびてる状態に戻ってることがセットになりますが、心臓は循環して戻ってきた血液の圧力で毎回ふくらんでいる(のびる)のだそうです。
心臓の血液循環が起きないと私たちが生き延びれないのだとすると、
のびる → ちぢまる → のびる → ちぢまる という繰り返しのリズムは、
私たちの体の自然なリズムと言えるように思います。
「のびる」は、別の言い方でいうと、
ゆったり、のんびり、リラックス、
「ちぢむ」は、
緊張、集中、頑張るというような言葉で言い換えられると思います。
何がいいたいかというと、
ずっと、ちぢんだ状態だけ(緊張した状態のみ)、
のびた状態だけ(緊張感のない状態のみ)で生きることは、自然のリズムに反していて、
生きづらい状態になってるのではないかなということです。
私はエネルギー療法をやっていて、
心臓に問題がある方(主に心拍数)をみることがたまにありますが、
そういう方々は、まさに上記のどちらかに大きく傾いているのがみられます。
頻脈ぎみの方は、
緊張した状態が長く続きすぎていて、ゆるめている時間が極端に少ない方、
徐脈ぎみの方は、
生活に目標やハリがなく、何かをきっかけにやる気を失ってしまっているというのがみられたりします。
つまり、どちらも自然のリズムからずれて生きづらくなってるわけです。
私は去年から週1ファスティング というのをしていますが、そして12時間ファスティングみたいに一定時間あけて消化機能を休めることが流行ったりもしていますが、
これも同じで、しばらくなにも活動のないゆるんだ状態というのを、たまに消化器官に与えるのも自然なリズムかもしれないなと思います(通常はきちんと睡眠をとっていればその間に消化器官はゆるめられていますが)。
緊張した状態とゆるんだ状態の長さを比べると、
今の世の中では、圧倒的に緊張した状態でいる時間の方が長いのでは?と思いますが、どうでしょうか。
緊張した状態というのが何を指すかというと
わかりやすいのは、仕事や勉強を長時間頑張り続けてる状態とか、
苦手な人たちの中にいる状態とかですが、
これは言い換えると
「社会」にいるときに起こってるのではないかと私は思います。
「社会」にいるから認めてもらいたくて、頑張ったり、何かを続けたりするわけだし、
人間関係でいっても、
友達といたとしても、相手のことを気遣ったり考えたりもするだろうし、
ましてや距離感が微妙な人たちといたら、その気遣いは何倍にもなるし、自分の言動も少し取りまったりor 少し元気よく振る舞ったりして、
そんなに「素」ではいられないと思うのです。
これが、さらに大人数の会社や学校という「社会」で考えたら、毎日行くので慣れているとしても、実際には相当な緊張状態でいるのではないでしょうか。
ならば「社会」にいない状態とは?!
「家」にいるってことかな
「ひとり」でいるってことかな
「社会」とのかかわりからなるべく離れた自分でいるってことかな……
ということで、
1週間に1回とか、できなければ2週間に1回くらいでも、
何も予定がない日や、何もしない日、家にこもる日、
自分をただただゆるめる日、を意識的に持つことは大事なんじゃないかなと思います。
なぜ、この記事を書いたかというと、
先日まさに自分がこの状態だったからです笑。
時間があいたら、テニスの予定をいれていて、気づけば毎日外の「社会」の中で動いていた…
そしたら、案の定、強制停止がやってきて(歯茎が熱をもって腫れた)1日何もしない日をつくらされたのでした。
そこで、やっと、目が覚めて、
あー自然のリズムからずれてたわ!汗、と気がつきました。
たとえ緊張してる対象が好きなことであっても、自然のリズムの方がうわまわるということがわかった日でした。

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あることをきっかけにやる気がなくなり、生活に全く緊張感やハリがない方は、
エネルギーがブロックされてる状態です。
エネルギー物質をつかってそのブロックを外して、やる気や緊張感を取り戻しませんか。
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