”Challenge” という言葉が降りてきたので、
自分がこれまでの人生でやってきた「チャレンジ」について、今朝、思い巡らせてみました。
ここで書くチャレンジの定義は、
「できるかできないか予想もつかない、むしろできるとはなかなか思えないけれど、
試してみた、思いきってやってみた」ことです。
私はこれまでの人生で、海外にも1人で無防備に住みにいったし、わりと色んなことをやってきた方だとは思うけれど、
上記のチャレンジの定義に当てはまることを思い返してみたら、実はあまりやったことがないということがわかりました。
海外に行ったときは、ただ行きたいという気持ちで動いていただけなので(怖さも何もなかったから思いきりも必要なかった)チャレンジとは呼べないし、
マイナーなカテゴリーに入るホメオパスという仕事を選んだときも、できるかわからないけどやってみようというチャレンジではなく、気がついたらいつのまにかなっていたというただ起きてくる流れに乗ったような出来事だったので、自分の中ではチャレンジではありませんでした。
えー!?ちょっと、まって!ということは、私は人生であまりチャレンジしていないってこと?!と我ながら気づいて、
やれるかやれないかわからないけど、敢えてやってきたことを念入りに調べてみたら、
3つほどでてきました(良かった…..笑)。
1つ目にでてきたのは、テニスの試合にでたことです(まだこれからもでるかもですが)。
小さなコミュニティで何年もテニスをやってきた私でしたが、
少し広い世界に歩みでて自分がどれくらいできるか検討がつかない、ものすごい低レベルかもしれない、大恥かくかもしれない、それでも自分を試してみようと思って(しかもこの年齢で、汗)テニスの試合にでてみたことは、自分の中ではとても大きなチャレンジでした。
思えば、試合くらい緊張することは、私の人生では少ないと思います → つまり、緊張しない、チャレンジしようとしない自分の一面にあらためて気がつきました、笑。
2つ目に思い浮かんだのは、ボイストレーニングを始めたことです。
私は歌を歌うのが下手で、いわゆるコンプレックスでした。
そのコンプレックスに取り組むのはわりとハードル高かったけど、とりあえずやってみようと始めたのは、私にとって正真正銘チャレンジと言えます(現在も継続中、毎回レッスンで緊張して汗かきます)。
こう書いてくると、チャレンジというのは、
できなくて恥をかくかもしれない、失敗して後悔するかもしれない、自分のプライドが傷つくかもしれない、
それでもそういうエゴの痛みをも引き受けて、覚悟してやってみるってことなのかなと思いました。
3つ目に思いついたのは、移住したことです。
東京から今の姫路市の山間部に住みにきたことは、古民家暮らしも初めてなら、いわゆる村の中に入り込むのも初めてのことだし、人間関係やら暮らしやら、どうなるか全くわからないけど、とりあえずやってみようと思った、これもチャレンジだなと思いました。
とはいえ、これは私個人でのチャレンジというより、家族としてのチャレンジだと思います。
ということで、私のこれまでの人生のチャレンジで思いついたのは、上記の3つでした。
このチャレンジの数から自分のことを分析すると、
私は、ある程度予想できることしか手を出さないタイプの人だなと言えます。
予想して失敗しそうだとか、うまくいかなそうなことには、やらないようにしてきた安全圏で生きようとしていた人なのかもしれません。
もちろん、これを別の角度から言い換えるなら、自分が世間でできることがちゃんとわかっていて見通すのがうまいとかいう言い方もできますが笑。
しかし、いっけん、人生がわりとうまくいってきたように思えるとしても、
それは自分の想定内でだけ、安全圏内でやってきたとも言えますね(苦笑)。
家で、学校で、社会で、
何かをするときに助言をされることが多いです:
安全第一に。
先々のために保険を考えといた方がいい。
リスクをいつも考えなさい。
見通しが立ってやろうとしているのか。
もちろん、これらの言葉は、シチュエーションによっては大事かもしれません。
でも、安全第一すぎて、自分が失敗しない、危うい目に合わないことが、人生を生きることではないですよね。
安全でチャレンジしない人生は、違う角度からみるならば、
フルに自分のポテンシャルを発揮する機会を自分に与えていないとも言えるかなと、自分の人生を振り返りながら、思いました。
ということで、チャレンジが私に残ってる1つの課題だろうなと、新春に思いました。

なんとなく感じたのは、チャレンジすることの数を増やすより、
チャレンジすることの規模自体を大きくするほうが私には大事そう……。
2023年、あなたはのチャレンジは、どうですか。