休暇の違う使い方


私のダンナさんですが、その順番逆だよね?! と突っ込みたくなるときがあります。

先日も、煮込みに使った大きな重いお鍋(ル・クルーゼ)をテーブルにうつさないといけないときに、

「(運ぶの)手伝おうか?」と

お鍋を持ってくれたのですが、お鍋を置くスペースを確保せずに先に動いたので、

彼はその鍋を持ったまま、

「これとこれ(お鍋を置きたい場所にあったお皿類)、どけてよ!」と私に頼むことになり、

私がやっていたことの手を止め、テーブルの空きスペースをつくったのでした。

「えっとさ、順番逆だよね、置く場所をまず確認してから、お鍋持とーか」

と彼に言ったと思いますが(いつものことなので言わずに心の中で私が思っただけだったかも笑)、

なんか、このパターンよくあるよなと私は思い、それでその場は終わりました。

そしたら、その翌日、私が洗濯物を干してるときに

あれ?!私も順番逆じゃない?!

と突然、気がついたのでした。

私はTシャツなどの洗濯物を干していくときに、

まずハンガーをとり、それからTシャツを手にとってることに気がついたのです。

(ハンガーにまず干してから、洗濯物のシワをひろげてた)

そのときもハンガーを左手にもったまま、裏返しになってる息子のシャツをひっくり返そうとしてて、あれ?と気がつきました。

ハンガー持って、片手でひっくり返すのはやりにくい….(当たり前)、

ちょっと待って、「これ順番逆だよね!?」と。

洗濯物を先に手にとり、パンッと伸ばしたり、裏返しならひっくり返してから、次にハンガーを手にとれば何のストレスもないわ!

この順番が逆だったことに、今頃、気づくなんて!!!(とても小さいことながら、私には衝撃)

(注)もちろん、こういうことに正解などはありませんから、先にハンガー持とうが、後で持とうがよいのです。ただ、私は逆の順番の方が自分がスッキリすることに、このとき、初めて気がついた苦笑。

昨日、ダンナさんのこと、順番逆でしょう!と指摘したタイミングと合わせてみると、今回このパターンを解消することになっていたのだなと思いました。

近しいダンナさんに指摘していたそのことは、自分も持ってるパターンの1つだったのでした。

この日以降、洗濯物を干すときにマインドフルネスでできるので(ハンガーを先に持つと落ち着かず、あせる感覚がそれまであった)、とても心地がよくなりました。

今は年末年始のお休み中の方が多いと思いますが、

休暇中というのは、いつもの日常より家族と過ごす時間が長いと思います。

家族と長くいるということは、ほっこりしたり、気がゆるんだり、賑やかで楽しかったりもすると思いますが、同時に、家族間での小さな摩擦やイライラをいつもにも増して感じる機会でもあると思います。

いつもは仕事や学校など、家の外の出来事に意識が向いてるけど、ずっと家族でいると、意識は家の内側に向くからです。

普段の日常ではあまり時間がないので、家族間で起きる摩擦や気になるところはなるべくスルーしてると思いますが、もし今回のお休み期間にそういうことに気づいたら、それは不要なパターンを解消する機会だと思うと面白いかもしれません。

不要なパターンやいつのまにか知らずに身につけていたパターンは、それがどんな小さなことでも解消されると、私のように毎日がもっと心地よくなるし、それはつまりネガティブパターンが解消されたということなので波動が少し上がるということでもあります。

イエスが「自分じぶんあいするようにあなたのとなびとあいせよ」といったように、

隣人=近しい人、家族は、自分たちがもってる不要なパターンを最も濃くみせてくれる人たちだと言えます(エネルギー的に最もあなたの近くに引き寄せられたので)。

近しい人たちと長くいる時に浮上してくる不快な出来事は、お互いにとって不要なパターンだよというサインでもあるわけです。

ちなみに、今の年末休みの時点で、私は 2つのパターンを解消しました。

1つは上記の「順番逆だった」ことですが、もう1つは、ダンナさんと初めて行った巨大ホームセンターで起こりました(つまり、そこで揉めた…笑)。

書くととても長い出来事なので、はしょりますが、お互いのコミュニケーションパターン(キャッチボールしようとする人=私と、投げられたボールをよける人=ダンナさん、ボールをよけられたら怒る人=私)に気づきが起きて、それを解消したのでした。

このコミュニケーションパターンは、ダンナさんにはとても大きなブロックとなっていて(幼少期からのパターンだった)、解消はその場ではできず翌日になりましたが、

お互い、その後は、ものすごく軽くなりました。

という感じで、年末年始休暇を、

”この私の近しい人たちは、私が持ってるどんな不要なパターンをみせてくれてるのだろう?! ” と、

そんなクイズのような視点で過ごすのも、なかなか楽しいかもしれません(そうか?!….笑)

優しい目…..ちなみに、うちの裏の山の鹿ではありません笑。

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年末年始に気づいた近しい人との小さな&不要なパターン、

解消の仕方がわからないときは、メール相談できます。

(根深いパターンは、カウンセリングでないと解消は難しいかもです)

ご興味のある方は、こちらへ どうぞ。

寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/