あなたの使命

自分の使命とか、魂の役割が何かを知りたい人は多いと思います。

それらを教えてくれる書籍なども多数存在する時代ですが、

「あなたの使命はこれだよ」と具体的かつ個人的に告げられたわけではないので、不特定多数の人に書かれた文章では腑に落ちない人もいるようです。

自分の使命を、自(みずか)ら知っていく「鍵」になるのは、

「人に頼まれること」にあるように思います。

あなた ”だから” 頼まれること、

あなたは ”〇〇が上手だから” お願いしたい、とあなたに限定して頼まれること、

もしくはまだ頼まれてはいないけど、あなたがしてることで個人的に評価されてること、

これらは、あなたの使命につながっていくサインだと私は思います。

なぜなら、それは、他の人は持っていなくて、

あなた特有に備わった性質だったり、特技だからです。

それは個性であり、いわゆる大いなる創造主から与えられたギフトの現れであり、

それを使って何かをしていくことが、あなたの使命につながることになっていると私は思います。

あなたが好きなこと、したいこと、それらをしていくことは、そのスタートになります。

自分が好きなこと、したいことを追求していくと、それは得意なことにもなるし、”好きこそものの上手なれ” でうまくもできる。

好きを続けていくと、そのエネルギーが広がり(幸せから波動が高くなり)、人とのつながりの輪が大きくなって人の目にもとまるようになり、人に影響を与えたり、人に何かを頼まれたりします。

ということで、人に頼まれ出したら使命への道がよりはっきりとしてきたということになると思います。

実はずーっと使命の道を歩んでいるんですけどね苦笑(好きと感じる段階も含め)、ただ、人に頼まれ出したら、おや、これはもしかしてと自分でも気づきだすのだと思います。

ちなみに、あなたの使命や魂の役割といっても、

この3次元世界での、お嫁さんになるとか、歌手になるとか、お花屋さんになるとか、パイロットになるとかそういう具体的な職業や社会的地位は指してはいません。

そういう社会的な職業や地位の ”体験を通して”、あなたがこの世でなにかを味わい表現することを使命と呼んだりしてると私は解釈しています。

何を味わい表現するかというのは抽象的な言い方になるのですが、
思いきり自分の人生を楽しむことだったり、
自分を何より大切にすることだったり、
自由と平和を生活で実践することだったり、
無償の愛を学ぶことだったり、様々ですが、

これらを煮詰めると、

「愛」をこの世でいろんな形で体験/表現することをやっているのだと思います。

個人の使命/体験を全うすると(思いきりやると)、
その個人の姿勢や表現が他者(社会)に波及して、
全体にも影響を与える=これが社会的使命につながるのだと、
今の時点で私は理解しています。

ーーーー

ここで私の使命への道を話しますと、

数年前に ”こころ” に関することを教えてほしいと頼まれて、

それをいくつかの形式でやってきました(ちょうど、自分でもそういうことできたらいいなと考えていた時期と重なりました)。

そして最近、カウンセリングを教えてほしいと頼まれ、

「次の頼まれごと、きた〜」と客観的に思ったのでした。

いや、正直いうと、2、3年前にも同様のことを頼まれたことがあるのですが、そのときはそれを「頼まれごと」だとわかっていなくて保留にしていました苦笑。

今回、頼まれたことで、なるほどな、と思い、やってみることにしました。

具体的な内容は、これから決めていきますが、カウンセリングを学ぶことにご興味のある方がいたら、個人的にご連絡ください (customerarnica@gmail.com)。

カウンセリングといっても、
私がやってるのは臨床心理学に基づく心理カウンセリングではなく、

ご相談者の悩みを通して、その方のエネルギーがブロックされてるのは何か?(なぜ、これが悩みになっているか)をみていくカウンセリングです。

相談者個人にカスタマイズしたカウンセリングなので、
こころの仕組みややり方がわかれば、どんな部門においても(人事、教育、医療とかセラピーとか)役立てられると思います。

カウンセリングのやり方をマスターされた方で、
その先も学びたい方には、
そのブロックを外すエッセンスや、
しいてはレメディの使い方なども教えていきたいなと考えていますので、
エネルギー波動を整えるお仕事などをされたい方がいたら、
カウンセリングから学ぶと早道です(エッセンスなど道具の使い方から学ぶより)。

カウンセリングをするので、ある程度心の仕組みがわかってる方、つまり自分の心とすでに向き合ったことがある方を対象にします。

使命といってもゴールがあるわけじゃない。自分の歩んでる道を信頼して、その時々、思いきりやるだけ。
それにしても私のテニス好きは、どんな使命とつながっているんだろう…..笑。

できなくて、当たり前

例えばですが、

時々手作りの簡単なお菓子を作ってる人がいたとします。
その人は、できたらそのうち本格的なパティシエレベルのお菓子を作ってみたいと思っていました。

そして少し時間に余裕ができたので、念願の上級レベルのお菓子教室に通うことにしました。

その教室に通いだして、

先生に作り方を教わっているときに

自分は上級レベルのお菓子をつくることができない〜

と自分を評価して落ち込んだりするでしょうか。

つくれない、できなかったから、そこに通いだしたのは当たり前なわけなので、そんなことは思わないのでは、と思います。

(チョコのテンパリングなど1つ1つの技術がうまくできないと四苦八苦したりはするかもですが、そもそも自分はできない人だみたいな自分への総合の評価は下さないだろうという意味です)

これと同じで、もし、人生の中で、これが苦手とか、これが全然できないと思って苦しんでることがあるなら、

それ、できなくて当たり前ですよ

と声をかけたいなと思います。

なぜなら、それにチャレンジするために、あなたはそこにいるのですから。

この世の人生をお菓子教室みたいな「学校」ととらえると、

そのできないこと、苦手なことにチャレンジするために、今、その人生を体験してるのです。

人はできてることには苦しまないし、悩みません。

できてないとわかってるから、苦しんだり、悩みます。

それは、エネルギー波動でいうと、そのことに対してマイナス波動だったのでプラス波動に転換して波動の乱れを中和するために、引き寄せられた事象なのです。

だから、今、できないのは全くの当たり前、なんです。

できてたら、引き寄せないから汗。

例えば、私でいうと、私は病や心を扱う仕事をしていますが、

プライベート生活では、テニスに熱中して取り組んでいます。

これは何をしてるかというのを、上記の話に沿って書くと、

私にとっては、心の問題を転換させるのはわりとできることなのです(私に心の問題がないというわけではなく、心の問題の答えを解くことがわりとできる)、

しかし、私は「体を実際に使って」プレイを少しづつ変化させたり、改善したりすること、

勝ち負けを味わう中での人間関係は、上手にできないことなのです。

だから、そのできないことにチャレンジ中、もがいたりしながら学び中なのです。

このところ

「自分はできてない」

という自分への評価で苦しんでる方のご相談がシンクロで起きてるので、

この記事を書いてみました…

が、書きながら、私も全く同じことテニスで感じてたわ、とわかりました(私にもシンクロしてた笑)。

そう、できないから、それにチャレンジしてる最中なので、

どうぞ安心して、チャレンジしてください。

自分がOOをできないと感じてるとき、他の人をみると、

他の人はOOができてるようにみえてしまうものだけど、

その人は別のところでXXにチャレンジ中なのです。

だから、どんな人も人生で何かにチャレンジ中、

あなただけが苦しんでるわけではないのでしょげないでください。

そして、今、できなくてもがいてることは、

最終的に上手にできるようになる可能性がとても高いのですが、
もしそこまでできるようにならなくても、それはそれでOKなのです。

できる、できない、は、この物理次元社会の抽象的な評価です。

マイナス波動で残ってるのは何かというと、

できるorできないじゃなくて、

やり残してる=その波動を十分に体験していない (これまでその体験を避けてきた、逃げてきた)ということなのです。

ですので、大事なのは、

自分がそれにチャレンジした!

自分がやれるだけやってみた!

と体験する、ただそれだけのことです。

さー、だから結果は怖がらずに、チャレンジしよー!

(とテニスをする自分にも声かけてます笑)

いろんな色や味、匂い、音、風景を楽しむように、
体や感覚をつかって私たちは人生を楽しんでるのでしょう……

あなたは何も悪くない。

Aさん、Bさん、X(エックス)さんでゲームをしていました。

まず、BさんとXさんの対戦。

途中でXさんが、Bさんのやり方に、それは不正だー! ズルしてる!とクレームをつけました。

気の弱そうなBさんはそのクレームを受け入れ、Xさんは自分に有利なポイントに変更させました。

Aさんは、Xさんってクレイマー?!とひるみつつ、自分はゲームの観戦者なのでとりあえず黙っていました。

その後、AさんとXさんの対戦になりました。

Xさんは、今度はAさんのやり方を不正だー!と言い出しました。
Aさんは、さっきのBさんとのやりとりをみていたので、自分はひるまず自分のやり方を押し通しました。が、Xさんが3度目のクレームを言ったときには我慢がならず、軽い口論になりました。その後、Xさんは黙りましたが、当然、そのゲームは不穏な空気となりました。

結局、対戦はAさんが勝ったのですが、Aさんはクレームを言われたので、この勝ちが楽しくも嬉しくもありませんでした。

それどころか、Aさんは、その後も気分がモヤモヤとしたままでした。

ゲーム仲間に、その話を愚痴ると、

そういうこともアルアル、誰でも経験するから、みたいな感じでアドバイスされました。

しかし夜になっても、Aさんのモヤモヤはおさまらない。
なぜ自分はこれをさらっと皆みたいに流せないんだろう….Aさんは自分の内側を探ってみることにしました….

まず、Aさんが自分の内側をのぞいて気がついたのは、

こんなにもモヤモヤするのは、
自分が完全に真っ白だとは胸を張っていえないからではないか、ということでした。

Xさんのクレームが、完全なるイチャモンであるならば、ここまで自分をモヤモヤさせないのではないかと思ったのです。

自分はもしかして不正をしたのではないか、という自分への疑いを持ってるということにAさんは気がついたのでした。

対戦のときは、強気でXさんに反論したけれど、Xさんの見方からみると確かに自分はズルしたようにも取れるかもしれない、それがモヤモヤの原因だとわかったのでした。

ゲームは遊びなのに、そこで真剣にクレームするXさんと同じように、自分も勝ちたいという気持ちがものすごく強くてああいうことが両者に起きたのじゃないか、

だから、ゆずらずに強気でXさんに言い返した自分もクレーマーと同じかもしれない….

という感じで、良心の呵責がおきました。

そして、次に、

自分は勝ちたいために、そういうことをしてしまったんだ

自分はそういうずるい人間だったのだ

というような自責の念がでてきて、Aさんはどんどん落ちこんでいきました….チーン。

ーーーーーーーー

さて、このAさんのエピソードと内側への旅が教えてくれることは何でしょうか。

まず1つめは、

Xさんというわかりやすいクレーマーが現れて

Aさんの中にもあった、ずるい部分を鏡のようにみせてくれました。

XさんがBさんにしたような、

自分にとって有利なポイントに変えさせたようなずるい側面を

Aさんも実は持っていた(Xさんほど強くはないにしても)、というのを教えてくれました。

2つめは、

Aさんには、良心がちゃんと健在してるというのを教えてくれました。

モヤモヤしたということは、Aさんの良心がどこかで痛むからで、

ずるいことはよくないとか、そんなずるい自分を受け入れたくない(自分らしくない)という深い指針がある、というのを教えてくれています。

もし良心に蓋をしてたり、良心を麻痺させてる人なら、このエピソードは、
”そんなこともあるさ” くらいで通り過ぎてしまう出来事だからです。

3つめは、

Aさんは、自分のことをいい人だと思い込んでいたかった、自分は良い人だと評価しておきたかったことを教えてくれています。

もし、自分がずるい部分を持ってるとちゃんと認識していたら、こんなにひきずりはしないからです。あ、やっちゃった、自分はそういうところある笑、とすぐに認められなかったから、長くひきずったのです。

心理の分析だけだと、ここで終わりじゃないかなと思いますが、

ここで終わったら、落ち込んだままになりませんかね?!汗。

あー自分はずるかったんだな、とか、

自分をどこかでいいひとだと思い込んでいたんだな、とか、

それに気づいて、その内側の心理を認めたとしても、これで心は晴れるでしょうか。

そういうずるい部分があった自分を認めたことで心地よくなるなら、それでよいのですが、そうじゃなくて落ち込んだままの人の方が多いように思うので、

ここで、違う視点からの捉え方をオススメしたいです。

それはこのようなエピソードを、

こんな人間達が起こした「人」による事象としてみるのではなく、

エネルギーの引き合い(意識がつくりだした現象)としてみる見方です。

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上記の事象は、なぜ起きたかというと……

Aさんが
「自分はずるい人間だ」「自分は不正なことをするところがある」という波動、
そういう潜在意識(深いところに隠れてる意識)を、自分自身が持ってるからなのです。

Aさん本人が「自分はずるいことをしてしまう人間だ」という意識をもってるから、
その意識を反映した波動により X さんが引き寄せられて、具体的な事象として体験したという仕組みなのです。

だから、Aさん、

あなたは何も悪くない。

自分はずるい人間なのだと落ち込まなくていいのです。

Aさんは、Aさんが人生のどこかで持ってしまったその不要な波動、

その意識を、ただ捨てさってしまえばよいのです。

本当に、ただ、それだけのこと、そういう仕組みでその現象が起きたというだけのことなのです。

あなたは何も悪くない、

ただ、そのくっついた不要な波動(乱れた波動)を払い落とすだけなのです。

Aさんが、なぜ、そんな波動を持ってしまったのかって?!

それは例えば、

小さいころ親に「お前はほんとにずるい子だね」ときつい顔で言われて、
えーわたしってずるい子なんだ!と思い込んでしまったからかもしれないし、

学校で先生や友達に「そのやりかたはずるいんじゃない?」みたいに言われて、
「そうなんだ、私はずるい人間なんだ」と衝撃を受けたときからかもしれません。

その波動を身につけてしまった機会は、人生の体験により人様々ですが、
いずれにしろ、あることにより波動が乱れて、真のピュアな自分とは違う不要な波動を持ったままになってるのです。

その不要な波動は、もともとのあなたのものではないので、それを排除するために、

Xさんという人が現れることで、あなたにそれを教えてくれたのです。

だから上記のゲームで起きた出来事は、
Aさんの低い波動を解除するためにおきたエネルギー現象なのです。

ということで、不快な現象、モヤモヤする現象が起きたら、

それはあなたを落ち込ませたり、自責の念や良心の呵責を起こすためではなく、

ただ、あなたにとって本来の自分とは違う波動になってるよ、と教えてくれる現象だということを知ってもらいたいなと思います。

とはいっても、感情を持つ人間ですから笑、最初は自動的に落ち込んだり、モヤモヤしたりしますけどね汗。

ただ、そこで終わらないで、それを使って波動上昇に転換させて欲しいなと願います。

昨日3/26 はいろんな人が岐路に立った日と感じました。                               
その流れでこのお花のアレンジメントもいただきました、私にはお花はもっとも嬉しいプレゼントの1つです。 
       

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不要な波動を捨てるには、イメージワークが効果があります。
重石(不要な意識)をよっこらしょと海に投げ捨て去るイメージとか、
天に放出する光となって返すイメージとか、地球に足の裏から流していくイメージとか、自分がしっくりくるイメージで捨て去れます(1回ですっきりしなかったら何回もやる)。

トラブルに巻き込まれるけど、不要な波動がなにかわからないとか、
不要とわかってるけど、自分では排除するのが難しい方は、エネルギー療法を使って不要な波動の掃除をお手伝いできます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/




自然なリズムで生きる

わたしたちの体は、心臓の規則的な収縮で動いています。

収縮というのは、「ひきしまってちぢまること(辞書より)」で、

ちぢまるには、いったんのびてる状態に戻ってることがセットになりますが、心臓は循環して戻ってきた血液の圧力で毎回ふくらんでいる(のびる)のだそうです。

心臓の血液循環が起きないと私たちが生き延びれないのだとすると、
のびる →  ちぢまる → のびる → ちぢまる という繰り返しのリズムは、
私たちの体の自然なリズムと言えるように思います。

「のびる」は、別の言い方でいうと、

ゆったり、のんびり、リラックス、

「ちぢむ」は、

緊張、集中、頑張るというような言葉で言い換えられると思います。

何がいいたいかというと、

ずっと、ちぢんだ状態だけ(緊張した状態のみ)、

のびた状態だけ(緊張感のない状態のみ)で生きることは、自然のリズムに反していて、

生きづらい状態になってるのではないかなということです。

私はエネルギー療法をやっていて、

心臓に問題がある方(主に心拍数)をみることがたまにありますが、

そういう方々は、まさに上記のどちらかに大きく傾いているのがみられます。

頻脈ぎみの方は、

緊張した状態が長く続きすぎていて、ゆるめている時間が極端に少ない方、

徐脈ぎみの方は、

生活に目標やハリがなく、何かをきっかけにやる気を失ってしまっているというのがみられたりします。

つまり、どちらも自然のリズムからずれて生きづらくなってるわけです。

私は去年から週1ファスティング というのをしていますが、そして12時間ファスティングみたいに一定時間あけて消化機能を休めることが流行ったりもしていますが、

これも同じで、しばらくなにも活動のないゆるんだ状態というのを、たまに消化器官に与えるのも自然なリズムかもしれないなと思います(通常はきちんと睡眠をとっていればその間に消化器官はゆるめられていますが)。

緊張した状態とゆるんだ状態の長さを比べると、

今の世の中では、圧倒的に緊張した状態でいる時間の方が長いのでは?と思いますが、どうでしょうか。

緊張した状態というのが何を指すかというと

わかりやすいのは、仕事や勉強を長時間頑張り続けてる状態とか、
苦手な人たちの中にいる状態とかですが、

これは言い換えると

「社会」にいるときに起こってるのではないかと私は思います。

「社会」にいるから認めてもらいたくて、頑張ったり、何かを続けたりするわけだし、

人間関係でいっても、
友達といたとしても、相手のことを気遣ったり考えたりもするだろうし、
ましてや距離感が微妙な人たちといたら、その気遣いは何倍にもなるし、自分の言動も少し取りまったりor 少し元気よく振る舞ったりして、

そんなに「素」ではいられないと思うのです。

これが、さらに大人数の会社や学校という「社会」で考えたら、毎日行くので慣れているとしても、実際には相当な緊張状態でいるのではないでしょうか。

ならば「社会」にいない状態とは?!

「家」にいるってことかな

「ひとり」でいるってことかな

「社会」とのかかわりからなるべく離れた自分でいるってことかな……

ということで、

1週間に1回とか、できなければ2週間に1回くらいでも、

何も予定がない日や、何もしない日、家にこもる日、
自分をただただゆるめる日、を意識的に持つことは大事なんじゃないかなと思います。

なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに自分がこの状態だったからです笑。

時間があいたら、テニスの予定をいれていて、気づけば毎日外の「社会」の中で動いていた… 

そしたら、案の定、強制停止がやってきて(歯茎が熱をもって腫れた)1日何もしない日をつくらされたのでした。

そこで、やっと、目が覚めて、

あー自然のリズムからずれてたわ!汗、と気がつきました。

たとえ緊張してる対象が好きなことであっても、自然のリズムの方がうわまわるということがわかった日でした。

「社会」から離れて「自然」の中でリラックスはかなりよいかも(注:私の自転車ではありません笑)

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あることをきっかけにやる気がなくなり、生活に全く緊張感やハリがない方は、
エネルギーがブロックされてる状態です。
エネルギー物質をつかってそのブロックを外して、やる気や緊張感を取り戻しませんか。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

パターンを変えるゲーム

例えば、人間関係で問題や悩みを抱えてるとき、

解決に向かえる1つの実践的な方法は、

相手といるときに、それまでとは違うパターンの言動や行動をとってみることです。

なぜなら、悩みや苦しさがずーっと続いていて、解決に向かわないのは、

ずーっと同じパターンの言動や行動を自分がとっているからなのです。

例えば、会社の先輩が苦手で、その人と仕事をしてると体が緊張してしまうという苦しさを抱えているとき、

自分がその人といて、どういう態度をとっているかを、まるで動画にでもとってたつもりで思い浮かべてみてください。

おそらく、毎回同じパターンの言動や行動を起こしてると思います。

例えば、その人が話をしてきてたら、いつも、ただ黙ってうなずいて、ただ時間が過ぎるのをやり過ごしているとか、です。

こういうときは、頭の中の思考も同じ反応しか起こしていなくて、

「ああ、この人ってどうしてこんなに威圧的なんだろう」

「わたしは、こういう人、苦手なんだよね」みたいな見方を膠着させているのです。

ですので、

同じ思考 → 同じ言動&パターン →  その人との関係性はずっと同じ状態

にとどまっているわけで、これをエネルギーでいうと、

そこにエネルギーが流れずブロックをこしらえた状態になっているのです。

そりゃ、本当に相手がとんでもなくひどい人で無理なんです、みたいな現実もあるでしょう苦笑。

でも、相手がひどいからといって自分まで長く苦しむ必要はないので、
この関係性は自分を苦しめてるな、なんとか変えたいなと

気づいたほうの人が(つまり波動が高いほうの人が)

”パターンを変えれば” いいのです。

例えば、いつもただ黙ってうなづいていただけど、

今日は、「はい、はい、と声にだして相槌をうってみよう」とか、

声を出すなんてハードルが高すぎると感じるのなら、

ではせめて、「目をみて思いきりうなづいてみよう」と変えるとか、

もしくはいつもうなづくだけで終わるけど、今日は最後に

「よくわかりました、ありがとうございます」と締めくくるようにしてみようとか、

もっと積極的なパターンで、

「先輩って、いつもすごいですよねと、ちょっとほめてみる」とか、です。

いやいや、先輩が怖すぎて行動にうつすのは無理です、というなら、

思考の反応を変えてみるのがいいです。

いつもの「威圧的な人」と自動的にみる反応をやめて、

「あー、この人も家ではただの女(男)の人なんだよね」と冷静に一人の人間としてみるように変えるとか、

「この人がもし仲の良い友達だったら、あんた、その話し方、怖いよ!って笑ってうまくつっこめるかも」とか、

いつもの自分の思考の反応を変えてみるのです。

そうすると、相手がちょっと違ってみえはじめます。

私はエネルギー療法というのをやってますが、

単純な言い方でいうと、人の問題というのは、エネルギーの流れがとまってるところに起こっています。

同じエネルギーパターンでとどまっていてエネルギーが流れてないよ、というのを教えてくれるために、心や体に痛みや苦しさを感じるようになっているのです。

(そうでないと私たちは気がつけない)

ですので、

もっと楽にいきたいとか、

もっと幸せを感じたいとか、

もっと波動をあげて良い事象を呼び込みたいとか、

そういう場合は、

自分が心地よいと感じていない部分を点検してみて、

そこで同じパターンを繰り返していないか、

同じ思考の反応でものごとをみていないか、をチェックしてみるといいと思います。

別の言い方をすると、

実はすべてのものごとは毎瞬間、あたらしく、起こってる のを、まるで繰り返しのように私たちがそれをみてるだけ、だと思います。

(これを心底腑に落とすのは難しいですが汗)

かくいう私も、今朝、いつもと違う行動をとってみました。

今までなら、少しブロックされた心で送らなかっただろうメールを、ある人に送ってみたのでした。

やっぱり、こうやって1歩すすむと、ふわっとエネルギーが流れて軽くなった感じがします。

そしてこの流れは相手にも影響するだろうなと感じました。

今朝は、そんなことが起こり、なんとなくですが今年は、人とのコミュニケーションの枠を1つ外すときなのかもと感じました。

パターンを変えるというと、抽象的なことに聞こえるかもしれませんが、

この世の人生はゲームみたいなものなので、ゲーム攻略法のように、

これまでの自分とは違うパターンを試してみよ!みたいな軽い気持ちで

面白がってやってみたらどうでしょうか。

実際、パターンを変えると、エネルギーの仕組み上、起こってくることも必ず変わってきますから、それを体験できたとしたら、こんなに面白いゲームはないと思います笑。

フィボナッチ数列に並べられたと思われるステンドグラス(無料写真から拝借しました)
このようなパターンでエネルギーが上昇し流れるのが自然なのだと思います。

感情から意識へ

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします(礼)。

今朝、小さなお子さんを子育て中の方から、

「ほぼ愚痴のような相談」とご自身で表現されているメールを頂きました。

愚痴の内容を簡単に書くと、

ご自身がしたい仕事や活動がたくさんあって、次々とその用事がやってくる。

楽しいからと、それらを優先してると、

家事等が疎かになり、ご主人と家庭内で険悪になる

みたいなことでした。

いや〜、そういうこと、よくありますよね苦笑。

この女性はご自身のしたいことが活動や仕事ですが、

そうでなくて単なる趣味や遊びであっても、自分個人がしたいことと、

家事など生活でこなさなければいけない事(食べるための仕事も含め)との兼ね合いが難しいと感じることは、誰しも経験があるのではないでしょうか。

このようなお悩みに対するアドバイスは、いろいろな方面からできると思いますが、

今回このメールを読んでて降りてきたインスピレーションにしたがって、以下のようにお伝えしようと思いました。

ポイントは: ”感情から意識状態に移行しましょう” です。

ご自身の言葉で「愚痴のような相談」と書かれていたように、

この方は起きてる現象に「愚痴」が出てきています。

「愚痴」というのは、嫌だな〜みたいに自分が心地よくないときに、でてくるものです。

この心地がよくない状態というのは、「感情の状態で止まってる」から起きます。

感情というのは、煮詰めると(?)、快か不快か(心地よいか心地よくないか)です。

怒りや悔しさや寂しさなどを感じてるなら不快で、

喜びや嬉しさ、満足感などなら快です。

具体的にこの方の例でいうなら、

家事をこなせてなくて責められてる状況は嫌だなとか、

自分がしたいことはしたいし家事もこなしたいのに、体力や時間が足りなくて、両立できなくて苦しいとか、

もうちょっとダンナが手伝ってくれたらいいのに、なんでやってくれないんだろう!と小さな怒りがあるとか、そういう不快な感情の中に留まってるということです。

この不快な感情の状態で止まってるから心地がよくなくて、それが愚痴となってでてきてるのです。

ちなみに愚痴がでるのは悪いことでもなんでもなくて、

自動的に誰でも持つと思います、もちろん私も笑。

ただ、そこで止まってるから苦しい状態になってるので、そこから離れたらいいのです。

自分の不快な感情に気がついたら(愚痴がでるなら)、

次のステップとして「意識(気づき)」へ移ればよいのです。

「感情に同化した状態から、意識状態に移行する」と良いのです。

ご相談の例でいうと、

愚痴がでた → 自分が持ってる不快な感情に気づく(感情に気がついてるとき、すでに意識状態にいます、気づいてるときはもはや感情と同化していないので)

感情に気づいたら、その意識をさらに進めて、

”この状況は何を私に教えてくれてるかな〜” 

”この体験で私が気がつかないといけないことは何だろう”

とか

”今の心地よくない状態を心地よくするには、どうしたらいいんだろう”

みたいに、意識状態で「気づきを得ていく」のが次のステップです。

これは何をしてるかというと、

感情と一体化した自分(エゴ)は横に置いておいて、

上の次元でモノをみる意識の状態になる(観察者、魂の視点に立つ)というのをやっています。

人の苦しみは、エゴと同化してるときに起きますので、そこを離れて上の次元で

体験をみていくということです。

この意識状態で起こる「気づき」は、人それぞれの波動をあげていくときに必要なもので、

それらの気づきで、波動が調整されたり、過去生で未完了にしてきたカルマが解消されたりしていきます。

そもそも目の前に起きてる不快と思える体験や現象は、

その人にそのような必要な気づきを起こすために起きてるのです。

ということで、愚痴があがってきたら、そこで持ってる自分の感情に気がついて、

次の意識状態へ移行して気づきを得たならば、

全ての不快な出来事や感情は、自分の波動をあげるチャンスであったのだと

ありがたく感じられます。

さあ、ご相談者の方は、どんな気づきを得られるでしょうね…..
(この方にはレメディを処方していますので、レメディが気づきのヘルプしてくれると思います)

ーーーーーー

私個人も、このご相談者の方と同じ愚痴を持ったことが過去にあります。

そのときの ”この状況は何を私に教えてくれてるかな〜” に対する私の気づきは2つありました。

1つは、自分がしたいことと家庭の両立は難しいとどこかで私は思ってたんだな、

だから、このような状況を引き寄せたんだな、でした。

この思いが形成されたのは、私の母が自分のしたいことより家庭のことを優先してた人で(昔のお母さんは大概こういう生き方だったのでしょう)、私はそれが嫌だな〜と思っていたことがあったのです。

なぜ嫌だったかというと家事をしてる母は全然楽しそうじゃなかったから(常に顔をしかめていました汗)。

だから、それをみながら、母親業だけでなく自分の人生も楽しむことが大事という価値観を私は持っていて、

しかし、実際、家事と自分がしたいことの両立の成功例を身近でみたことがないので、自分も母みたいにどちらかを選ばねばならないのでは?!、両立は難しいのだという思い込みを体験してたというわけです。

この思い込みに気がついた後、私はこのようなときにどうしてるかというと、自分らしい(自分が心地よい)家事と自分のしたいことの割合をなんとなく把握しています。

子供が大きくなった昨今は、家事 3 : 自分がしたいこと7  くらいです笑。

(子供が小さいときは違う比率だった)

ですから、今、家事にあまり手をかけてないけど、このくらいが私らしくて、私が笑顔でいられるから、これでいいなと思ってます(心地よい状態を自分でみつけたということ)。

当時のもう1つの気づきは、ダンナさんのことでした。

したいことと生活でやるべきことの両立で”不快”を体験していたのは、私だけでなくダンナさんもそうだった、ということに気がついたのでした。

彼の仕事はどちらかというと食べるためにやっているので(仕事での楽しみがゼロではないですが)、彼も自分や家族の暮らしのために、自分のしたいことを存分にやっていないんだということに思い至りました。

この気づきを得たことで、私がその当時思ったのは、彼がしたいことがはっきりしたら、そのときは今の私に彼がしてくれてるみたいに応援しよう、ということでした。

私の家事が手抜きでも彼が文句いわなかったように、彼の稼ぎが少なくてもそれで満足しようとか笑、

私が自分のしたいことをするのに助けとなるお金を稼いでくれたから、もし彼がしたいことがはっきりして私がフルで働かないといけなくなっても喜んで何でもやろうとか、

あとは、そもそも、私がしたいことをできる時間を持つことや環境を整えてもらってることに感謝をすることを忘れてたな、とか、そんなことにも気がついたのでした。

というように、このような気づきを得ることができたら、もう不快な感情とは一体化しておらず(不快な感情は消え去ってる)、

自分らしいやり方を前向きに模索していたり、

相手を思いやったりして暖かい気持ちで心地よくなります。

最後に、

”これは私に何を教えてくれてるかな〜” という意識状態になっても、

「私は何にも気がつけないんですが」という質問をいただくことがありますが(以下、何回か過去記事に書いてますので繰り返しになります)、

そういうときは、

「この体験で何に気がつけばよいかどうか教えてください」とあなたの高次元の存在にお願いしてみてください。

そうすると、必ず、ふっと気がつくことが降りてきます(人によって時差があります笑、でも必ず起こります)ので、どうぞ体験してみたらいかがでしょうか。

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↑ 年始に自分ルーツをみつめる旅をしてきました。キリスト教信者ではないけれど、小さい頃にこういうものを自然にみてきた環境は私に大きく影響してるなと改めて感じました。というより、ここを選んで生まれてきたのだろうなとも思いました。

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自分では、感情を離れて意識に持っていくのが難しすぎると思う方、

コンサルテーションを通して、その作業を一緒に進めることができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

恋愛分析

人の大きな悩みの1つに恋愛があると思います。

思考では制御できない現象で、

ワクワクする素敵な体験でもあるけど、

いったんうまくいかないと、心をここまで苦しくできるのかとおののくような(笑)現象にもなります。

恋愛もいろんな角度からみることができると思いますが、

まずは脳内物質でみていくと(精神科医:樺沢紫苑さんの著書あり)

ドーパミン的恋愛とオキシトシン的恋愛にわけられるそうです。

>「ドーパミン的恋愛」とは、盛り上がる、情熱的な恋愛

>「オキシトシン的恋愛」とは、そこにいるだけで幸せ、という恒常的な愛情

簡単に私の言葉で書かせてもらうと、

ときめいて恋におちてずっと一緒にいたくて夫婦になった(ここまでドーパミン的)、

子供もできたり生活していくうちにお互いに色んな面がみえはじめ、

人としては嫌いじゃないけど、お互いにときめかない状態(これがオキシトシン的)

ということだと思います。

恋愛によってでるドーパミンは、2-3年で失われるそうですから、

世の中の夫婦の多くは、こんな感じではないでしょうかね(我が家も例外ではありません笑)。

中にはずーっとドーパミンをだして恋愛に永続夢中な人もいますが、

それはそれなりの刺激が続いてるからだと思われます。

相手を定期的に取り替えてるとか、決してかなわない恋だとか、どちらかが片思いの状態だとか、

もしくはある種の障害があるために完全にオキシトシン的=安心状態にならない=つまり執着や依存状態ともいえるかもです(ツインレイのケースもありますが)。

というように脳内物質からみるならば、

ときめきが薄れたよくある夫婦関係も、

実はみたされた安心感のある愛情関係に移行してる、と言えるかなと思います。

他の見方でいうと、ギリシャ哲学で分類される「愛」の様相の見方があります。

エロスeros

フィリアphilia

ストルゲーstorge

アガペーagape

と4つの種類があるのですが、エロスはおなじみな言葉ですよね。

その言葉通り、エロスは上記でいうとドーパミン的でいわゆる燃え上がる恋愛で、

性的な関係につながる愛です。

フィリアは、好きな友人や他者に対してもつ愛のことを指します。

日本だと友愛という言葉がこれに当たると思います。

好きな友人のために一肌ぬごう!なんて感覚もフィリアだと思います。

ストルゲーは肉親/血縁に向けられる愛です。親子や兄弟、親戚に対する愛です。

エロスやフィリアは、その人を好きな間だけ起こる「愛」といえるかなと思います。

だから、永続的とは限らず、その人が嫌いになったら、終わる愛です。


ストルゲーは肉親に対する愛なので、

憎しみあう親子であってもきれない縁があるので(憎しみは愛の裏返しなので)

ほぼ永続的と言える愛と思います。



つまりストルゲーは対象人物がどういう状態であれ、持ちつづける愛で、

私の言葉でいいかえると 「つながり」「きずな」に対する愛だと思います。

アガペーは、聖書にもでてくるので、上記2つの言葉よりは聞き慣れてるかもしれませんが、

無償の愛 神の愛 を指します。

いっさい条件のない愛。

慈愛という日本語もこれを指すかもしれません。

この4つの「愛」の種類には

優先順位というのはなく、ただ4つの様相を示してるだけですが、

精神の進歩度合いでいくと、もしくは歳を重ねて成長していくとしたら、

やはりエロスから始まって、最後のアガペーを体験するように人生をたどっているのではないかと思われます。

エロスの愛はうつろいやすく、

幸せと別れを繰り返すループになることは、恋愛を体験してきたひとはわかってるし、
もちろん、それを体験しつづけるのもまた人生の醍醐味でしょうが、

それを超えた心からの安心や永続的な愛を求めていくのも、また自然な心のように思います。

(と書きつつ、素敵な人がいてときめいたら、やっぱ嬉しいですけどね笑)

心や精神世界の視点で恋愛をみるならば、

人が恋愛に落ちる相手というのは、

自分に持っていないものを、その誰かが持ってるからだと思います。

美しい人や、かっこいいと思う人がすきなのは、

その美やかっこよさを自分が持っていないとどこかで感じてるから。

お金をもってるひとや、権力をもってたり、有名な人がすきなのは、

その強さや成功、知名度を自分が持ってないとどこかで思ってるから。

なぜなら、恋愛というのは、究極には 1つになりたくて起こる現象だからです。

体を1つにすることもそうだし、

自分にないものを相手に補ってもらって、1つの完璧なものになりたいという心の現れだからです。

(1つになった先には「創造」がある、セックスで子をつくるのも創造)

ということで恋愛を覚めた視点でみるならば、

そんな感じで自分に足りないものや、

自分が欲しいものを相手に求める現象ということになります、チーン(なんか寂しい?…汗)。

エネルギーという観点で言うならば、

恋愛というのは、エネルギー上昇していくために(高次元のエネルギー体となるのに)通る過程の1つだと思います。

恋愛対象の相手とエネルギー的にひきあって、

そのひきあったときに起きるエネルギー現象を使ってお互いに波動をあげていく、

そのレッスンをしてると言えるんじゃないかと思います。

原子が、他の原子とひきあって、

不足や過多になってる電子をお互いに放出したり or 受け取ったりして

イオンを帯びて安定しようとする動きと同じではないか、と思います。

最後に、この記事を書きながら、私の場合はなんだっけ?

ダンナさんと恋におちたときに、

私が持っていなくて、私が欲しかったもので彼が持っていたものは?と考えてみたら….

私は、基本的に草食系男子が好みだったのですが、

ダンナさんにであったのがパリの図書館で(ツボですね、こりゃ)、

彼は眼鏡をかけてて、一人で本を読んでた(これもツボですね笑)、

そして親しくなって個人的に話をしたら、文化教養度がめちゃくちゃ高い!と思ったのを思い出しました(理系の人なのに、文学やクラシック音楽、美術など多方面で詳しかった)。

そっか〜、私は自分に足りないと思ってた文化教養度を、彼といることで補っていたんだな〜とわかりました (念のため、私が持ってなくて彼が持っていたものは、これだけではありませんが)。

結末としては、結婚して、特に今の田舎に住むようになったら、

ダンナさんは草食系からクマのような人になりましたけどね涙&オキシトシン笑。

ということで、恋愛の悩みを持ってる方は多いですが、

違う視点で恋愛をみると、それは悩みではなくなるかもしれません。

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それでも恋愛で苦しくてたまらない方、その恋愛であなたになにが起こってるか、
一緒に解き明かしていくことができます。

コンサルテーションだけでなく、レメディやエッセンスを使って、

あなたのその恋愛で停滞したエネルギーを解放することができるかもしれません。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ: https://arnicahomeo.com/

HSPだとしたら

HSPと言われる人をどう思いますか?

というご質問をいただいたので、記事にしたいと思います(ネタありがとうございます、礼)。

HSPは、かなり普及してる言葉だと思うので説明不要かもしれませんが、

Highly Sensitive Person の略語で、

簡単にいうと「超敏感な人」のことを指します。

エレイン・N・アーロンというアメリカ人女性心理学者が、25年ほど前にこのタイプの人のことを本に書き、

共感を持つ人が多かったため、徐々に世界で認知されていったワードです。

HSPは後天的に形成された性格というより、もともと持って生まれた性質のことを指しています。

HSPの代表的な特質としては、

音や光や匂いなど環境からの刺激に超敏感である とか

他人の気分や雰囲気に非常に大きく左右される とか

変化や起きる出来事で、神経が他の人よりもたかぶる

というような反応があげられます。

HSPをどう思いますか?と尋ねられたのは、ご質問者ご自身が、

自分もそのような気がするということらしく、もしそうなら、

そのことをどう考えていけばいいのかを知りたかったようでした。

どう思うか?ということに対しては、

私個人としては「特に何も思いません」です。

これは、

下世話な例でいうと、

”陰キャ” とか ”陽キャ” みたいなもので

(余談ですが、これらは昔は”根クラ”、”根アカ”と呼ばれてた笑)

そういうカテゴリーを設けるなら、確かにそこに入る人はいるよね、と思うくらいです。

実際、クライアントさんでも、私はHSPだと思います、と自分からおっしゃる方に何名もお目にかかったことあります。

中には、HSPというカテゴリーがあったことで救われた気分になった方もいます。

生きづらいのは自分のせいじゃなかったんだ、そういう性質だったからなんだ と安心したとか、

そういう超敏感な人が自分以外にも一定数以上いるとわかって (15-20%という統計あり)、

自分だけじゃなかったんだ!という孤独感の払拭にもなったようです。

このような人の性質や性格の分類分けにはいろんなカテゴリーやジャンルがありますが、

それに自分を当てはめるというのは、何をしてるかというと

自己認識

なんだと私は思います。

自分はこういうところあるよね、とか、

自分という人間は、文章にしてみればそういう表現で形容できる人間だよね、

みたいな自分を客観的に認識する1つの手段だと思います。

だから、もし自分がHSPだなと思ったら、それは自己認識した段階といえると思います。

ここから、ちょっと自分のことを例に書きたいと思いますが、

今回この記事を書こうと思ったので、ネット上にあるHSPセルフチェック(テスト)というのを

3つほどやってみました。

そしたら、2つのテストでは、私はギリギリHSPの範囲であるというのと、HSP中度であるという結果がでました。

3つめのテストでは、「あなたはHSPではないようです」という結果になりました。

もし、このセルフチェックを30年前にやっていたとしたら、

私は完全に高度なHSPと認定されたと思います。

私は、エネルギー療法というのをやってるだけあって、いわゆるエネルギーにとても敏感です。

だから、HSP気質の人の特徴である

音や匂いや光にももちろん敏感ですし、

カフェインや暴力的な描写などにも弱いし、

人が放つエネルギー → つまりは気分や雰囲気、不快な思いなどを察知する能力も高いと思います。

ですから、生まれ持った気質は完全にHSPだと思います。

とはいえ、30年前なら高度なHSPと認定されたであろう私が、

今はそうでないとか、中度や低度の判定がでたのは、

HSPと診断される幾つかの基準は、もともとの性質や気質だけといいきれないものがあるからで、

それらの点を、私は今までの人生で生きやすいように変えてきた、と言えると思います。

私が変えてきた点は、例えば、以下のようなものです(セルフチェック項目よりコピーさせてもらいました):

ーミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている

ー短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう

ー仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる

ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

このような自分を追い込んだり、つらい気持ちになったりする意識は、

モノの見方や考え方などを変えることで、変化させることができると思います。

別の言い方をすると、これは一種のエネルギーブロックがおきてる現象ではないかと私は思うからです(そのブロックがなくなれば解消する可能性が大きい)。

例をあげると、

ミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている

→ 過去にミスをしたり、物を忘れた体験があり、そこで恐怖や不安をもってしまったので

そこに今もひっかかってる

今は、そのようなブロックは私にはないので、

ただ現実的にミスや忘れ物をしないよう事前に自分で対処するだけです。

(精神的な不安は恐れはなくて、物理的なチェックをするのみ)

もちろん、それでもミスや忘れ物は起こり得ますが、それに対して、必要以上に自分を責めたり、恐れたりすることはありません。

事前にできることはしてたけど、ミスや忘れ物がおきたら、

あー、これを忘れるようになっていたんだな、とそれが起きたことを受け入れるみたいな感じです。

もしくは、その忘れものが重大なことであった場合は、

これを忘れたことは、私に何を教えてくれてるんだろう?というような見方をして、

そこで何かに気がついたら、次回からそれをしないようにするだけです。

ですから、そのようなことで神経をすり減らしたり、考えすぎで苦しくなったりすることはありません(影響を受けすぎない)。

他の例もあげると、

ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

これも、確かに神経はたかぶりやすくなりますが、

フォーカスすべきは、今、現在、目の前で起きてることだけ、という意識を持ってるので、

今、できることだけに集中して、それ以外は「今は」考えないようにしています。

そうすると、いっぺんに複数のことを考えてテンパることはなくなり、

物事が多数起きてようが、1つのことが起きてようが、要はやることは1つのみなので、

集中して落ち着いて

物事をすすめることができるようになってきたわけです。

もともとの敏感すぎる気質についていえば、

例えば私は仕事でこれを生かしてるな〜と思います。

HSPというような敏感な気質は、いわゆる感度が人よりよいわけで、

神様からの才能のプレゼントともいえますから、それを活かす方向に考えていればよいと思います。

(HSPを困った性質ととらえる考え方をしないことが私のおすすめ)

その敏感さで気づいてあげれることがまわりの人の癒しにもなるし、

植物や動物のことをよく感知してあげられるから、そういうところで生かしたり

環境への変化にいち早く気づくことができたりするから、それを社会へ発信することもできるだろうし、

またその感度の高い感性を、絵やら詩やら小説やら漫画、音楽など芸術でいかすこともできると思います。

ーーーーー

ということで、HSPについて私の考えをまとめますと、

HSPという自己認識した段階を過ぎたら、

HSPだから私は人とは違う、とか、

私はHSPだから無理、みたいな「特別意識」で、

他の人との垣根や壁をつくらないことが大事ではないかなと私は思います。

HSPでなくて、逆に人の気持ちや感情を感じることができなくて苦しんでる人もいたりします。

ですから、自分だけが苦しい、自分だけが生きづらい、そう思わないで、

その難点を工作みたいにあれこれ工夫したり、生かす方向にいって、それすらも楽しんで体験してしまおうと思えばよいのでは、と思います。

どんなジャンルのこともそうですが、カテゴリーという分類を

自分と他者をわける分離の方向に使わないで、

カテゴリーでの違いを知った上で、

あえてそれぞれが統合されていく方向に使っていけるといいなと思います。

↑ 先日の夕方、家からみた虹、山と山をつないで大きな橋が架かっていました。


虹は7つの色が同時にみれるから美しくて貴重だなと思います。

7つの色は異なっているようだけど拡大するとグラデーションで切れ目なくつながっています。
人間も性質や容姿でかなり違ってるようにみえるけど、その違いは虹みたいなグラデーションの現れで、実際に人は中身をあけてみたらそんなに違いはないだろうなと思っています。

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HSPの人のような生きづらさを抱えているかた、

過去にため込んできたエネルギーブロックを外して、

少しだけ楽に生きてみませんか。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/