先日、妹と小旅行に出かける機会がありました。
私たちは電話で近況を連絡し合うような姉妹?性質?ではないし、妹は関東に住んでることもありたまにしか会わないので、今回のような小旅行となれば、積もり積もった話がでてきて観光などほぼ眼中になく「ただ話しまくる旅」になります笑。
妹は、子どもの頃にやりたくて親に頼んだけれど叶わなかったピアノを、1、2年前から習い始めたのですが、旅行中の彼女の話はもっぱらそのことでした。
彼女は子どもの頃にオルガン(近所の人が譲ってくれた)を習わなくても弾けていたし、歌もとても上手だったので、もともと音楽の才能があるんだろうなと私は思ってます。
だからなのか、大人のイチからの習い事といっても、想像以上に真剣に突き詰めているようです。
練習曲を弾くためのテクニック以上のこと、例えば根本的な体の運び方を学ぶためにある本を読んで、自分のこれまでの姿勢や力の入れ方がおかしかったと気づいたとか、音が響くというのはこういうことだみたいな話までしていて、彼女のプライベートの時間のほとんどがピアノのために使われているのもわかりました。
そんな感じでお互い話しまくって、あっという間に時間が過ぎて、妹と別れ、私は車で帰途についたのですが、
妹から聞いた話を運転しながら無意識に反芻していたら、とても重い感覚を感じました。
正確にいうと、旅行中も彼女の熱い話を聞いてる途中からすでに、なんだか重たいな、苦しい感じがするなと思っていたのですが、はっきりそう認識したのは、一人になった帰り道の車の中でした。
大人になってそんなに夢中になれるものに出会うなんて、とても素敵な話で、しかもやりたかったことを叶えた喜ばしい話なのに、なんだろう、この重い感覚は?!
妹の情熱に圧されたのかな?!
自問してみましたが、自分が感じる重さが「何か」わからなかったので、この件は、そのまま忘れて、私もまた自分の日常に戻っていきました。
そうしていたら、昨日、ふっと私が重さを感じた理由がわかったので記事にしてみます。
私が感じた重さは、
ピアノという習い事を妹が自分と ”アタッチ(attach) させてる” と感じたから、でした。
アタッチとは、何かと何かをくっつけることで、
人が何か(モノや人)に強くこだわったり、
執着したとき、
両者にエネルギーコードが形成されることがあるのですが、そのコードのついた関係が私には重く感じられたのだと思いました。
わかりやすい言葉でいうならば、ピアノが彼女にとっての「執着」になったと感じたからだったのです。
「何か」を自分とアタッチさせると、人はその「何か」と ”自由な” 関係ではなくなります。
自分に何かとつながる ”ヒモ” が物理的にくっついてると想像すると、
自由自在に、軽やかに動けなくなるとイメージできるのでは、と思います。
アタッチしてる/されてる関係は、人間関係でみるとわかりやすいです。
彼が大好きでたまらない、
彼なしでは私の生活は成り立たない、彼がいなくなったら私の人生はおしまい、
みたいに表現できる関係が、それです。
私から一生離れないでね、私を幸せにするといったじゃない、みたいなのも、
アタッチしてる関係です。
母子間でもこれはみれます。
この子が私の全てですとか、この子が成功することが私の望みです、みたいなのもアタッチしてる関係です。
自由な関係とは、
彼が大好きだけど、でももし彼が私から離れたとしても、まあ、なんとかなるでしょ、他の男もいるしね…、みたいな関係で、
あなたが好きで結婚したけど、気がついたらもうウン十年も一緒に過ごしてるね、みたいなのも自由な関係だと思います。
これはモノとの関係も同じで、
お金がないと暮らしていけない、はお金とアタッチされてる関係で、
お金があるほうがいい、でも、まあ、お金がなくなっても、なんとかやれるでしょ、自給自足でもいいし、みたいに思えるのは、お金と自由な関係と言えます。
モノだけでなく、名誉だったり、地位だったり、評価といった抽象的なものへのアタッチも同じです。
アタッチという視点で、自分の人間関係やモノとの関係が自由な関係かどうか点検してみたら、
エネルギー療法という仕事も以前は”自分の”ライフワークと考えていてアタッチしかけていたけど汗、今は、いつやめてもいいな〜と思ってるし、
モノもお金も、なくてもまあ、なんとかなるでしょと思えてる、と思いました。
大好きな趣味のテニスは、正直、以前はアタッチしてたかもと思うのですが(真剣すぎた)、
今年の春に肩の腱をケガして、その時、もしかして今後テニスできなくなるかもと思ったことをきっかけに、目が少し覚めて?!今はほどほどにと思えてるので、以前よりかなり自由な関係でいられてるかも、と思いました。
家族のことは大好きですが、それぞれが自由に生きていくことを望んでいるし、それぞれ自由にやってくれるだろうと思えてるので、家族とも自由な関係かなと思えました。
結局、そうやって点検していくと、もっとも私がアタッチしてるのは「猫」だと思いました。
猫がいなきゃ、だめという感覚ではないですが、
猫がいつかいなくなるときが来たら(魂は死なないとわかっていても)耐えられるのだろうか…とは思ってます汗。
しかし、アタッチメントコードをつけると、つけた自分だけでなく、つけられた猫も軽やかにいられないので、意識して自由な関係でいよう、と思いました。
最後に、
この記事のネタにさせてもらった妹ですが(ごめん!)、彼女はそういうのにちゃんと気づく人なので、そのうち、「うっわー、このピアノとの関係は重いっ」と自分で気づくと思うので、アタッチしてるかもよ、ということは、今のところ、伝えていません。

ーーーーーーーー
アタッチしてる、コードをつないだ関係を持ってると気づいた方、
そのコードを切りたい場合は、
ハサミやナイフでカットするイメージを使って、コードを断ち切ることができます。
まずは、自分がそのコードは不要だ、もっと軽やかに生きていこうと意識することから始めるとよいです。