怒りと恨み

一昨日、バッチフラワー講座をしたときに頂いた質問と、ある方からいただいたメールの内容が似通っていてシンクロしたので、

これはフォーカスしたいなと思い、記事にします。

バッチフラワーエッセンスの

Holly ホリー は、怒りや嫉妬に使うエッセンス

Willowウィローは、被害者意識の怒りや恨みに使うエッセンス です。

講座で出たご質問は、「怒り」に使うとき、どちらのエッセンスか?ということでした。

「怒り」 と 「恨み」/「被害者意識の怒り」 をどう区別するかってことになると思います。

数式のように書くならば:

怒り = オンリー怒りだけの状態 (怒りという感情が単に起こっただけ)。

被害者意識の怒りや恨み = 怒り + 自分のジャッジ がくっついた状態

です。

具体例で書くと(頂いたメール内容の一部を拝借します)、

子供がおもちゃ売り場でミニカーを欲しいと泣いてせがむ

 →  買いたくないのに買ってしまったことでイライラして怒る

ここまでなら、「オンリー怒りだけの状態」です。

起こった出来事に、感情的に反応しただけです。

でも、その後に、

→ この子がしつこく泣いて聞き分けがないせいだ

というようなことを付け加えるのが、

「怒り + 自分のジャッジ がくっついた状態」です。

プラスでくっついてくるジャッジが、

この子のせいだと思うと、恨みになっていくし、

この子にいつもこんな感じで苦しめられてると思うなら、

それは被害者意識の怒りになっていくのです。

怒り は自動的に起こるものなので、そこだけで終わっていたら、それはすぐに流れます。

でもそこに自分のジャッジをつけ加えるので、恨みや被害者意識になって、エネルギーにブロックが起きるのです。

上記のバッチフラワーの解説に戻ると、

ホリー というのは怒りを出してるだけなので、メンタルの状態でいうとまだ健全で(とはいえ怒りを持つのは何かのせいにしてるから、ですが、ここではまだ固定化されてない)

ウィローの方は、怒ったあとに相手のせいだと思ったり、相手のせいで私は辛い目に遭うというジャッジを下し続けた結果、ブロックを作ってしまってる少し深い状態と言えます。

以上、怒りの例であげましたが、これはどんな感情においても同じです。

悲しみという感情でも、例えば

愛していたペットが亡くなってしまって悲しい というのは、

悲しみがただ起きた状態。

でもそこに、

私があのとき病院に連れていってあげてたら とか

私がもっと健康的な食べ物をあげていたら みたいに後悔のジャッジを付け加えると

それは罪悪感や自責の念などに変わり、エネルギーブロックを起こします。

また人によっては、このようなペットの死を過去の出来事とヒモづけて

私が何かを愛すると、それはいつも手からすり抜けていく

みたいな信念体系を作り出す人もいます。

このような信念体系は、日々起こる出来事の定義づけのもとになっていくので、そこでできていくブロックも半端ありません(汗)。

と書いてきましたが、上記のような感情に自分のジャッジをプラスしない人の方が実際には少なくて、

ほとんどの人はいつもジャッジをつけて、感情を長引かせてしまうのです。

ということで、今後、感情が起きたら、自分のジャッジをプラスして感情を保存しようとしていないか観察してみるのはどうでしょう(笑)。

あ、やっぱり、この記事の内容は大事だったな〜 →  ジャッジ?!(笑)

質問してくださった方、メールくださった方、ありがとうございました(礼)。

↑  涼しくなってきたせいか、スコッチはカゴネコ?になってます。このまま、持ち運びたくなる。

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感情にジャッジを加えるのがやめられない方、ジャッジによる強固な信念体系を作り出してしまった方、レメディを使ってそのブロックを外すお手伝いをします。

詳しくはHPの方へ:https://arnicahomeo.com/

1つ前の時代のモンでは?!

私が子供の頃、母がコトあるごとに私に言い聞かせてたのは、

「  あきちゃん(と母は私を呼んでた)、

女は 愛嬌(あいきょう)よ 

という言葉でした。

ふざけた口調でも、断定的な口調でもなく、これこそが大事なのよ、みたいに説得するような口調でこれを言うのでした。

こどもの私はそれを聞くたびに、

なんてバカなことをこの人は言ってるんだろう!

と思ってました。

この人は、なんてくだらないことを私に教えるんだろう!

と思ってました(苦笑)。

そして、その母の教えにはうなづきもせず、ただ毎回黙っていたと記憶しています。

この教えに対する反目から、

私はぶっきらぼうな愛嬌のない女性になったのかもしれません(汗&苦笑)、

もしくは母が幼い私にこの文言を繰り返していたのは、もともと私が、もっと愛嬌があれば愛されるのにと思わせる愛想のない娘だったからかもしれません(大汗)。

母のパーソナリティでいうと、彼女は上に姉が3人いて、上の人たちに可愛がられるのが日々を楽に円滑に過ごすコツだと学んだのかもしれなくて、

実際、母はどんなコミュニティに入っても、いつも姉さん風の人と仲良くなって、その人に可愛がられるような人間関係を作っていました。

それにしても、こういう親からの教えというのは、親個人の生い立ちや性質だけでなく、

「時代」を大きく反映してるな〜と思います。

私の母が生きた時代というのは、女性の社会進出はまだまだ少なく、女が学(がく)を積むと嫁にいけなくなると言われていた時代、

専業主婦が大部分で、女は男に仕え、男性に愛され大事にされてこそナンボみたいな時代の流れがあったと思います。

だから、私の母も、あなたも愛嬌のある愛される女性になるのが一番よ、みたいなことを教えたかったのかもしれません。

私のダンナさんの話もだすならば、彼は子供の頃から、漫画みたいな絵を描くのが好きで(実家でみせてもらった)かなりクリエイティブな発想の子だったと思うのですが、

彼の両親は幼少期の彼のそういう才能を十分知りながらも、漫画みたいなものを描いても生活できないからと、進路を決めるときにエンジニアの道に進むことを強く勧め、そして彼はその道に進みました。

もちろん、両親の希望通りに彼は食べることで困りはしませんでした、食べていける職業だったから。

でも、彼は自分が生まれもった才能を存分に発揮するということにずーっと苦しむことにもなったわけです。

ダンナさんの両親が彼に勧めた進路も、「時代」の影響を受けた考えだな〜と思います。

親の考えには、彼らが生きた「時代」の中で、彼らが生きていくのにこれがよいだろうと思った選択が反映されています。

何が言いたいかというと、この流れは実は今も綿々と続いてるということを自覚するのがよいのでは、ということです。

たとえ、若い世代のパパ&ママであっても、

自分がこれまで生きてきた時代から受けた影響の教えを、

子ども達に押し付けていないか自問自答するとよいのでは、と思うのです。

もちろん、私も(苦笑)。

今、子どもに教えようとしてるルールや価値観は、

自分の(1つ古い)時代のモンではないか!?、って、

1回考えてみるのはどうかなと思うのでした。

その価値観やルールは、本当に自分が心から大事だと思ってることなのか、

その子が幸せになるためのものなのか、

はたまた、それは自分の親や時代から刷り込まれただけの考えではないのか、

まずは大人自身も点検してみるといいのではと思いました(今朝、この内容がインスピレーション で降りてきた)。

最後に…..

母から愛嬌について言われた上記のエピソードをダンナさんに話したら、

「確かに愛嬌ナイネ(→私)、愛嬌あるほうがこっちは嬉シイヨ!」

と言われました。

あ、やっぱり、私、笑顔足りなかった?!(大汗)。

愛嬌こそが大事である、とはやはり思わないけど、

笑顔でいることは大事ですな〜(反省)!

↑ にゃんこ達の寝てる姿をみてると自然に笑顔になるのですが、ね。猫達には愛嬌のある私です。
人間に対して愛嬌がないのかも(汗)。

自由な選択だった

私には、年に一度、一緒に旅行することにしてる高校のときからの大親友がいます。

彼女は病院で介護の仕事に就いているのですが、その病院で少し前にコロナのクラスター感染が起きました(汗)。

彼女が働いていた病棟に感染者がいたため、彼女はホテルで2週間の隔離生活をするはめになったのです。(自宅待機という選択肢もあったけど、一緒に暮らす彼女の娘さんが看護師のため、感染のリスクがないようホテル待機を選択した)。

滞在したホテルの1フロアに病院の同僚らが待機してるのは察しがつくけど、万が一の感染を防ぐためにコンタクトしちゃいけないので会話もなし、部屋の外でドアが開いたりする音が聞こえるのみ&朝それぞれの部屋の前にだされたゴミをみてあー誰かいるねと思うだけ、というなかなか不気味なシチュエーションだったそうです…..

2週間の間、食糧の買い出しだけ外にでていいらしいのですが(待機中に2回PCR検査して陰性だった)、それ以外はビジネスホテルの狭い部屋で、誰と話をすることもなく、ひとりきり(汗)。

私が電話したときは、うつになりかけてたかも、と苦笑してました。

私がそういう隔離生活を送ると想像すると….

わーい、2週間、料理、掃除、洗濯しなくていい、ひゃっほー!

ワイン買い込んで、読書三昧、動画三昧、運動不足ならヨガして、瞑想も誰にも邪魔されずたくさんできる〜って、喜んじゃいそうですが(苦笑)、

あ、猫たちに会えないのが寂しいかも(汗)、

なんて思ったけど、

実際に自分がそういうせまい部屋に隔離されたら、おそらく、あれして、これして、などというやる気自体がなくなっていくのかもしれません。

ホテル隔離の最終日、最後の検査をうけて陰性かどうかの結果待ちのとき、

いよいよ明日帰宅できるとなって彼女がまず思ったのは、

栄養失調気味だから、自分が食べたい美味しいものを作ろう!

ということでした。

ずっと外で作られたものを食べてきたのだから、なによりもまず、そこを思うだろうと思います。

よく考えたら、

自分で食べたいものを決めて、

材料を選んで買って、

それを自分で作って食べる。

毎日の料理作りとは、

なんと自由なことをさせてもらっていたんだ! と、私も彼女の言葉を聞きながら、

気づきました。

家族のための料理を作っていると、だんだん義務みたいに感じて、うんざりすることもあるのですが、

料理って全て自由な選択から成り立ってるんですよね。

自由に食べる品を決めてよくて、

自由に材料を選んでよくて、

作り方も自分の好きなようにできる、

そして好きに盛り付けて、

好きな食べ方ができる(手でつまんだり、かぶりついたり、

フォークとナイフで食べたり、5秒でたいらげたり、おしゃべりしながら食べたり)。

料理&食べるって自由選択の結晶だったんだ!って改めて思いました。

そんなこといったら、全て人生は自由選択でできてるんですけどね。

自由だったというのは、不自由な状態にならないとなかなか気づけないものです。

コロナは困ることも深刻な問題も多いけれど、こんな感じで不自由さを強制的に教えてくれることで、

これまで当たり前だったことがどんなに自由で幸せだったかも教えてくれてるな〜と思った出来事でした。

しかしコロナのおかげで、彼女との例年の旅行計画はキャンセルとなりました。

それもまたこれまで当たり前にできてたことができなくなって、友達と旅行できてたことがどれだけありがたかったんだと気づくことになってます….。

暑くなってくると、猫たちは猫ベッドでなく床に寝そべります。一番涼しいんでしょうね。
好きな場所でいつでも寝そべることができる、自由だ〜!

行動にうつすまでの速度

行動が早い人と、遅い人の差ってなんだろう、と思ったことあるでしょうか。

エネルギー療法をやってるものからいうと、これは、

その人のエネルギーの流れにつまりがあるか、ないか

だと思っています。

ある講座を開催したときに、

この方とこの方(過去のクライアントさんで今も繋がってる方)は、

この講座を受けるのがいいだろうな〜と

思い浮かべた方々がいました。

しかし残念なことに、想定したこの2名からお申し込みはありませんでした。

別のある方に限っては、その講座はその方には必要だろうと思ったので、直接お声かけをしました。

しかし、その方は辞退されました(日時の都合の問題でなく)。

一方、フタをあけたら、その講座は特に受けなくても大丈夫でしょう(メンタル的に)、

と思う方々が申し込んでくれてました。

ここで私の講座が魅力的でないからという問題は横に置いておいて(汗、苦笑)、

このような例は、他のシーンでも同じかもな〜と思います。

良い状態で暮らしてる人は、さらに良くなるようにさっさと動き、

停滞してる状態で暮らしてる人は、停滞してるまま動きが起こりにくい。

停滞してる人は、エネルギーの流れに滞りがある、つまりエネルギーブロックも多いと言えるし、

頭で考えすぎるから動けない、つまり自分の心とつながってない、直感を信じてないという言い方もできるかと思います。

電気信号でいうなら、電気が弱い or 伝わるのに中継箇所が多すぎる、もしくは電気信号が最後の「行動」スイッチまで到達できない(汗)のかもしれません。

久しぶりに会った人で、家族内での出来事や年齢の変化はあるけど、本人にほとんど変化がない人って、いますよね(外側の環境だけでなく、心の変化も含め)。

数年前に聞いた愚痴と全く同じ愚痴を話してる人とか(汗)。

一方、環境を変えてたり、趣味でもなんでも新しいことを始めてたりする人がいる。

そういう人は会うと軽やかな感じがします。

変化が多いということは、それだけたくさんの経験をしてるということで、

経験が多ければそこで新しいなにかを学んだり、問題を乗り越えたりして、

人としての成長&進化の機会も多くなるのだろうと思います。

注)転職を繰り返す、ということとは違います。
また生活環境がずっと同じでも、内面で日々学びをしてる人もいるので全ての人に
上記の例があてはまるわけでもないです。

そういえば自分は行動までの速度が遅いな〜とか、ここ数年あまり自分に変化がない、と思ったら、

とりあえず頭で考えすぎないで、まずは目の前に流れてきたことに動いてみると、エネルギーのつまりを自分で外していくことができます。

↑ ハーバリウムというのをいただきました。青いエリンジュームや霞草が浮かんでいます。
みるだけで、ひんやり感、涼しさ、そして静けさまで感じさせてくれます。

足りてるほう

先日、あるクライアントさんから頂いた経過連絡のメールに、こんなことが書いてありました:

「ふと鏡を見ると、自分の良いところが見えるようになってきた」

これを読んで、私の心にふわっと1つの花が開いたような感覚になりました。

大きな転換点がこの方に起こったことを表すからです。

エネルギーでいうとネガティブ波動がポジティブ波動に転換された、

別の言い方をすると、1つのエネルギーブロックが外れたことを表します。

コップに入ったお水を、

もうこれだけしかないとみるか、

まだこんなにあるとみるか、という有名な例えと全く同じですが、

目の前の事象は、ただそういうコトが、ただそうあるだけなのに(コップに水が入ってるだけ)、

見る側の感覚で、それがネガティブな事象になったり、ポジティブな事象になり、

その分かれ道は、その人にどういう人生がやってくるかと関わっています。

エネルギー的にいうと、ポジティブな事柄をひきよせるか、ネガティブな事柄を引き寄せるか、です。

クライアントさんの話に戻りますと、その方はそれまでご自分の顔を鏡でみるときに、良くないところを挙げていた=つまり、足りないところばかりをみていたのに、

今は、良いところが見えるようになってきた、のです。

ご自分の顔はそれほど変わらないはずなのに(汗)。

同じ経過報告メールの中には、ダイエットしてるわけでもないのに痩せ始めていることも書かれていて、

さらに綺麗になるようもっと笑おう、ということまで書かれていました。

これらの経過報告から、ポジティブ側に波動が変わってると評価できるので、

エネルギー療法(ホメオパシー)でかかわってるものとして、とても嬉しくなりました。

ところで、このメールから数日後、知り合いの年配の男性と話す機会があったのですが、

その男性は、その日、私がしたあることを、珍しく褒めてくれたのでした(汗)。

珍しく、と書いたのは、その男性は、コップの水はもうこれだけしかない、と思う典型的なタイプの人で、

それがあまりにも露骨だったときがあったので、

私は「足りないところばっかりみてるから、幸せを感じにくいでしょうね、なんだか、かわいそうですね」と

ヒジョーに余計な一言を放っていたことがあったのでした(大汗、反省)。

ところが、その日はその人らしい足りない部分への批判がなく、褒め言葉がでてきたので、

えー、どうしたんですか、珍しく(!)褒めてくれるんですね!

と、またヒジョーに余計な一言を放った私に(冷汗)、その男性は、こう答えました:

「いや、なんかね、足りるほうをみるようにしてみようかなと思って、ね」

OMG ! (オーマイガッ)

シンクロ?! 皆の波動があがってる?! うわーい!

やっぱ、

それはもっとこうしなよ、って言われるより、

そうしてくれるのいいね、ありがとう、と、言われた方が素直に嬉しいなと、

セラピスト目線でなくて、一個人として感じました。

そして、私こそが全然気づけていなかったその人の心の柔軟さに感動して、

XXさんこそ、ほんとに素晴らしい人ですよね、と、素直に褒め言葉を口にできたのでした。

この2つのエピソードをセラピスト 目線でまとめるならば、

このお2人のポジティブ波動変換は、一過性ではなくて根幹からの強さがあると思います。

最初からポジティブ、または何でもかんでもポジティブさえ選べばよい、というのは、

片方の価値観だけを受け入れていて、もう片方のネガティブ面を見ないようにしてるor 良くないとジャッジしてる、もしくは未知のものとして体験していない状態です。

純粋無垢な子どものポジティブさと同じようなもの。

でも、ネガティブな体験をしてきたゆえに、

ネガティブな視点をいつのまにか導入してしまい、その選択で起こることも体験してきた、

つまり、両面を味わったあとで、ポジティブ変換になっていくというのは、

ネガティブな視点もあるということを十分知りつつ、

自分はポジティブな見方を選んでいくという選択をしだした、ということ。

この選択は、

ネガティブな選択に対しても共感をもてているものなので、

厚みのある寛容な意識の現れだと思います。

一朝一夕ではたどり着けない境地、だから、そこに到達されたことがわかって、

お花がふわっと咲いたように私は感じたのかもしれません。

(私個人がその境地に達してるかは置いときましょう、苦笑&汗)

再度見に行けました、ハスの花たち。これ ↑ は、葉のしたの影で開花してた一輪の蓮。
それぞれの環境で、それぞれのタイミングで、それぞれが花開く。人の人生のようです。
これはピンクが濃い種類の蓮の花。開花がすすんで、ハスの実も多くできてました。

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ポジティブにみれたらよいとわかってるけど、どうしてもネガティブで物事を捉えてしまう方。

レメディという高次のエネルギーの助けを借りて、その捉え方を転換させてみませんか。

ご興味のある方はHPのほうへどうぞ:https://arnicahomeo.com/

知ってるか知らないか

昨日、暑い中、家の前庭に座り込んで、伸びてきた雑草を文字通り1本づつ手で抜いていたダンナさんに、

誰か男の人が話しかけているのが聞こえてきました(私は、そこの前に建ってる”離れ”でオンラインの仕事が始まるのを待っていたところ)。

どこの国の人?、いつから住んでるの?などと、質問を立て続けに浴びせかけられているところからすると、近所の人でなく、通りがかりの人のようです。

知らん人:「おとうさん(とダンナさんに呼び掛けてた)は、草、そうやって抜いてくの?」

ダンナ:「ウン、そう(と日本語で答えてる)」

知らん人:「除草剤は使わない?」

ダンナ:「使わない、アレでしょ、◯ウンドアップ?!」

知らん人「うん、◯ウンドアップ」

ダンナ「アレ、ガンになるから使ワナイ」

知らん人「ガンになんの!?』

ダンナ「そう、あれ、ガンになるから、フランス禁止」

知らん人「フランス禁止なの?!」

ダンナ「あれ、売ってるの日本だけ」

知らん人「えー、日本だけ?!」

って、おいおい(汗)、何のレクチャーしてんだ(苦笑)….

と障子開けて見てみたら、地面に座り込んで草抜いてるダンナさんに話しかけてたのは、

ロン毛金髪で頭にタオルをまいた30代くらいの作業着の男性でした… 誰?!(笑)

そこで、アナタは、誰?!と今度はダンナさんに質問されたその男性は、

自分は隣町に住んでクズ鉄などを回収してるXXといいます、また、来ますわ!

といって軽トラに乗って去っていきました。

あー回収業者の人だったのね(苦笑)。

◯ウンドアップは、発癌の可能性ありで多くの国で販売禁止、フランスでも去年販売禁止になったのに、この間まわってきた回覧板にJAのチラシが入っていて、

◯ウンドアップ「JA推奨」と印字があったのをみてダンナさんは腹を立てていたのでした。

だから、レクチャー(?)したかったのかも(汗)。

ここら近隣のホームセンターでも◯ウンドアップは、いまだに 堂々と目立つ場所に並べて売られていますので、

さっきの金髪男性みたいに、健康リスクがある可能性を知らないで、草を殺す効果がある方だけをみて使ってる人は結構多いのかもしれません。

そういう情報は、自分で調べないとでてきませんからね(汗)。

他国では健康&環境リスクから販売禁止となってるのを知ったあとでも、これは便利だからと使おうと思う人はいるのかな?!

しかしながら雑草をすっきりさせるというのは、現実問題とても大変です。

こんな広さの庭でも、砂利を敷いてるのに雑草は伸びてきて、ひーひーいうし、これでよしと思えるくらい雑草なしで綺麗になったこと正直一度もないです(苦笑)。

だから、大きな畑や田んぼの畔、スポーツ用のグランドなど広い場所だと除草剤を使わないとやっていけないのかもしれません。

ただ安全な除草剤がないかと調べると、最近は火山灰や塩をつかった安全な除草剤も販売されてるようです。

こういう代替品が生態系にどういう影響を与えるのかも今の時点でわかりませんが、

◯ウンドアップみたいにズバリ「毒」をまくものではないので、

できることなら、環境そして自分たちの体にも負担をかけない製品を選択していけたらと思います。

そういう我が家では、除草剤代わりにダンナさんに草を抜かせて彼の体に負担かけてる!?いや健康にしてる、と思っておこー(汗)。

玄関あけたらフェリックスがご飯をねだります…
その向こうに抜いてもすぐに生えてくる雑草の茂みがみえます(汗)    

喜べない贈り物 続編

一つ前の記事と関連した内容になりますが、実は私も「喜べない贈り物」をもらっていた時期があります。

贈り主は義理の母でした。

義理の母は、なにか機会があれば贈り物をくれる人でした(既に他界してます)。

私の両親は誕生日ですらめったに贈り物をしない人達だったので(変人?!、苦笑)、私にとって贈り物をもらうということはとても嬉しかったのに、

義理の母からの贈り物は、

開けて “びっくり” → 正直いうと ”がっくり” な品物ばかりでした….

例えば、私が着ていた服は、無地もしくは柄でもせいぜい水玉やストライプ、花模様なのに、

ヒョウ柄の服をくれたり(汗)。

バンビ柄くらいなら着れそうですけど、なんで私にヒョウ!?みたいな(苦笑)。

私は 当時からカゴバッグ愛用者だったのですが、その私に

パンクロッカー?調のデザインの黒のテカテカ光るビニール製のバッグをくれたり(汗)、

アクセサリーも小ぶりなものしかつけてない私に、

動けばジャラジャラと音が鳴る大ぶりの複数のパーツが組み合わせてあるブレスレットをくれたり(汗)….etc.

今は、振り返ってわかるんです、

あれらの贈り物は、彼女から私への(無意識ながらの)こういうメッセージだったんだなって↓

「Akiko(私の名)、もっとはじけなさい!!!」(苦笑&泣ける)

あー、ヒョウ柄と黒いビニールバッグもって、ブレスレットジャラジャラ言わせてパツキンに染めて、義理の母に会いにいっとけばよかった!(笑)

でも当時の私は、そんなことに気づけるキャパはなく、

彼女からの贈り物を開封しては、彼女の息子であるダンナさんに、

「みてよ、これ! なんで、私にこれ選ぶかな?!」と文句言って騒いでました。

ダンナさんは自分の母に文句言われるのも嫌だけど、

プレゼントのチョイスの悪さにもうんざりしたような顔をして

「もう、わかった、それ、捨てといて!」

みたいな応答をしていました。

私は文句をいいつつも、贈られたものをすぐに捨てられなくて(贈り物をもらうことは嬉しかったので)、しばらく保管してから一度も使わないまま処分してました(結局、汗)。

かたや、私も誕生日やクリスマスに義理の母に贈り物をするようになりました。

最初は何をあげたらよいのかわからなかったけど、

直接尋ねて、紫&モーブ&ピンク系統の色が好きとわかったので、

そういう色の品を選んで贈るようにしました。

そして機会があれば、私が好きな色は白だよ、と伝えたり、

私は自然派なものに興味がある、というアピールも忘れませんでした(苦笑)。

そんなんで 3, 4年くらい経ったとき、

私からの贈り物をその場で開封した義理の母が

少し目を潤ませながら興奮を抑えた声で

「Akiko、私ね、この色が大好きなのよ!」

と告白するように言ってきました。

「知ってるよ、だからあなたに選んだんだよ」

内心、今頃気がついたんかーい!?とツッコミながら、そう答えました。

(そのときの品の色が彼女のドンピシャ好きな色だったのでしょう)

それから、彼女が私に贈ってくるものが変わっていきました。

それまでくれたことのない生成りの麻の生地の雑貨 とか、白を貴重にしたもの、自然派の珍しい石鹸やエッセンシャルオイルなどをくれるようになったのです。

これ、過去に実際にくれたもの、今でもとってあります ↓

義理の母は、両親が妹の方を溺愛していて(2人姉妹)、

愛情だけでなく物質的にも、妹と差をつけられて育った人らしいです(→ 本人談)。

義理の母は、自分勝手に好きなように生きるタイプ、

妹は、親のいい子になることでコントロールされてしまったタイプの人です。

彼女たちの両親は、姉=義理の母の目の前で、妹の方を可愛がるのをみせつけることで、

”いい子になってくれればお前も可愛がるよ” という条件を示していたのかもしれません。

彼らは全く従順でなかった義理の母をなんとか自分たちの範疇におさめたかったのでしょう。

贈り物をするのが好きな理由が「相手を喜ばせたいため」だとしたら、

義理の母が贈り物好きなのは、

両親を本当は喜ばせたかったという代償行為なのかもしれません。

自分が思うままに好きなように生きることを残念ながら喜んでくれる親じゃなかった、

だから喜ばせることはできなかった、

そんな思いを、贈り物をして人を喜ばせることで癒していたのかもしれません。

あー、それにしても、

あの開封した瞬間に「げっ!!」と毎回思った

義理の母からのクセの強い贈り物たちとの思い出が懐かしい〜(笑)

↑ 彼女が好きだった系の色たち(ネイルの画像でみつけました)、この系統の色をみると瞬間的に義理の母を思い出します。

野鳥の親子

先日の朝、スコッチ(猫)が巣立ったばかりと思われる野鳥のヒナをくわえてきました(汗)。

すぐに保護して、猫に再度捕まえられないよう少し離れた裏山で解放しようとしたのですが、この小鳥はなぜか逃げようとしません。

これまで猫に捕まえられてきた小鳥たちは、外で解放するや否や、一目散に逃げ飛んでいくのですが、

この小鳥はまったく逃げようとしません ↓ (左にうつってるの私の頭です)

逃げるどころか、私の手のひらに座ったままで、うとうとと目を閉じて寝そうになってます(苦笑)。

飛び立てるまで成長していなかったヒナなんでしょうか、しかし全く怯える気配も警戒心もありません。

とりあえずしばらく休ませようと、巣にみたててタオルでつくった入れ物にいれても出てきてしまいます。

人の指とか手に乗せてるほうが体温があるからなのか?安心するようでした。

手のり文鳥のように指に乗せてもそのままじっとしていて、指に乗せたまま私が移動しても飛び立ちません、きゅーん、可愛い。

こちら息子の手 ↓  誰の手にのせてもうとうと寝ながら、チチッと時々思い出したように鳴きます(この写真は目を閉じてるところ)。

仕事があったので、ずーっと指にのっけておくわけにもいかず、
スーパーのマイバスケットを使って枝を差し込み、簡易のつかまり枝をつくりました ↓

枝が太すぎてつかまれないようなので、軍手の綿のひっかかりを利用しました…..
この開放感のある枝にのっても、飛んでもいかず、半分眠りながら、時々チチッと規則的に鳴いております。

仕事の間、猫に襲われないように別のカゴでフタをしていたのですが、仕事が終わって見にいくと、なんと親鳥が近くまで来ていました。

親が清らかな声で鳴いたあとに、この子がチチッと鳴くというやりとりを何度も何度も繰り返していて、この子もやっと枝から移動していました。

朝にスコッチがこの子を連れてきて、この親鳥が現れるまで 5, 6時間経過していたと思いますが、ちゃんと探しにきた親鳥、すごい〜!!

何の鳥かわからなかったのですが、親鳥の様相からみるとホオジロという鳥のようです。

親鳥は人間がいると近寄ってこないので、このつかまり枝のマイバスケットごと、少し離れた場所に置いて様子をみました。できることなら親鳥の元に帰ってほしい(祈)。

親鳥は一生懸命に鳴いて子をはげますのですが、この子はなかなか飛ぼうとしません。

すると親鳥はどこかへ飛んでいって、餌(虫)をつかまえてきて、この子にあげました。


すると ↓ 地上から、 Aの位置(隣のお宅の屋根の上)まで羽ばたけました。やった!

親鳥は、その後も近くの電線にとまって、こっちにおいでというように鳴いてるのだけど、子はなかなかAの位置から動かず(汗)、そしたらまた親はどこかから虫を運んできて食べさせます。

そこでやっとBの位置まで飛びました。

そしてまた親が鳴いてはげまして、動かない子に虫を2回くらい運んできて、なんとかCの位置まで飛びました。

AからCまでいくのに、数十分かかったと思います。

この子はまだ飛べない子なんだろうな、と思いつつ、このままだと今晩この子はどうなるんだろうと心配になった頃、やっと屋根のてっぺんで親子合流しました ↓

左が親で、右が子です。

どうなるの…とみつめる私、

そのとき、まるで、イチニノサンッ と声をかけたかのように、

二羽でいっせいに空に飛び立ちました。

あの子、思ったよりもずっと高く飛べたんです(涙)!

すぐに追いかけましたが、どこに飛んで行ったのかわかりませんでした。

スコッチが連れてきたくらいだから巣はそんなに遠くないと思うので、巣に帰ったのかもしれませんが、いずれにしろ親と一緒に移動できたのでよかったです。

あとで調べると、ホオジロは生まれて2週間もたたないうちに巣立ちはするのだけど、その後1ヶ月ほどは親に餌をもらいながら成鳥になっていくそうです。

だとすると、あの子は普通のヒナより早い時期に空を飛ぶことになってしまったのかもですが、でもちゃんと飛べたのだから、すごい潜在能力です。

あの親子で飛び立ったシーンを思い出すと、今でも胸が熱くなります。

親鳥は少しづつステップアップさせて、食べさせて&励まして、

小鳥もちょっとづつ踏み出して、生まれて初めてあんなに高く飛んだのでしょう。

あの子がもっと自由に飛べるようになったら、我が家まで飛んできてまた私の指に止まってほしいな〜(夢)。

いろんな植物

今は、山椒の新芽の季節ですが、

こちらは山椒の木の皮です↓

この皮で何をするかというと…..

食べるんです(!)。

ご近所の方が、山椒の木の皮を剥いで、水に数日さらした上記のものをくださいました。

木の皮を食べる!?サバイバー!?と思いましたが、

ネットで検索すると、この皮は幻の珍味?!などといわれてるらしく、地域によっては佃煮にして昔から食べられているようです。

山椒の木ですから、しびれます、辛(から)いです。

まさにその通りに、この皮は 辛皮(からか or からかわ)と呼ばれてるそうです。

私はテニスメイトからもらった干し大根と合わせて佃煮にしてみました ↓

細い昆布みたいにみえるのが辛皮です。

味も食感も昆布みたいな感じなのですが、しばらくしたら舌がじんじんと痺れてきます。
5分以上は痺れてる…..しかしクセになりそうな痺れ具合(苦笑)。

酒飲みのアテ(=おつまみ)です、これは(汗)。

ビールでつまむと舌の痺れのせいかビールが無味になったので(苦笑)、白ワインか辛口の日本酒が合うように思います。

佃煮にしない場合は、お魚を煮付けるときに皮をきざんで入れると、魚の臭みがなくなってほどよい山椒の風味がつきました。

こちらは、楠(くすのき)の木 ↓ 姫路のあるお寺の敷地で伐採されたクスノキをツテでもらいました。

割って薪(まき)にしていくのですが、割ると中からものすごーくよい香りがしてきます。

クスノキから取れる成分:樟脳(しょうのう)は防虫剤として使われるので有名ですが、

木自体から発せられるこの香りは、商品化されてる樟脳とは違って、

ずーっと吸い続けていたくなるような清らかな匂いで、吸い込んでると浄化されていくような感じがしました ↓

玄関の土間に割ったばかりの薪を1本置いていたら、消臭剤&芳香剤の役目をしてくれました。

樟脳という成分は、カンフルとかカンファーと呼ばれますが、ホメオパシーのレメディにもCamphora(カンフォラ) があります。

Camphora のレメディは、全てのレメディ(何千種類とあります)の効用を打ち消す効果(アンチドートといいます)を持つというある意味すごいレメディです。

他のレメディの効果を打ち消すだけでなく、麻薬や薬の害の影響をとる作用もあったりするのですが、割った木の内側から発せられる匂いを嗅いで、なんとなくその意味がわかったような気がしました。

こちらは、見るたびにはっとする綺麗なレモン色のミムラス ↓ (下側の花です、レモン色を綺麗にうつせていませんが….)

バッチフラワーレメディをご存知の方は、ミムラスという名を聞くとバッチフラワーに入ってる!と連想するだろうと思います。

イギリス人のエドワード・バッチは、現代医療の医師でしたが、細菌学者としても有名で腸内細菌を使ってたくさんの病を治した人でもあり、ホメオパシー医として働いていた経歴もあります。

人の病を治すことに生涯をかけてきたバッチは、

最後に究極の癒しのツールとして、花のエネルギーを使ったフラワーレメディ38種を発見&作成しました。

彼がまだ若いときに癌であと数ヶ月しか生きられないと宣告されたことがあったのですが、そのとき彼の死に対する「恐れや不安」をなくしてくれたのが、この黄色いミムラスの花のエネルギーだったと言われています(結局癌からは生き延びた)。

今、このミムラスの鉢を玄関前に置いているのですが、出たり入ったりするときに毎回自然にこのレモン色を目にしています。

緊急事態宣言も延長となり、なんとなく落ち着かない日々に、不安を癒してくれるミムラスの鉢を買ってきたのも意味があるな〜と思います。

バッチという人は、個人で診療所を構えてから治療費をいっさいとらず、レメディ代金すら請求せずに(つまり経費を自己負担してた)、全て無料で人を癒していました(亡くなったとき、彼は無一文、生きていけてたのは周りの人がそんな彼をいつも助けていたからです)。

彼が自ら作り上げたレメディ38種も、もっと多くの人に広めるためにとイギリスの薬局に譲りました。

そんな利他精神で作成されたフラワーレメディは、気軽にセルフケアで使えるだけでなく、病の元となる感情を癒してくれる本当に素晴らしい製品です。

コロナ時代に必要なものだと思うので、そのうち講座などでご紹介できたらいいなと思っています。

心のstudy group 追記

昨日メンバーを募集しました 「心のstudy group」 ですが

平日ご希望の方がいましたので、平日の集いも追加します:

平日グループは、

第一木曜日 10時〜13時 で行います。

オンラインでZoomを使ったグループ会議になります。
PCまたはスマホでできますが、Zoomは受ける側は何も設定する必要がありません。
運営側から送られてくるメールにあるリンクをクリックするだけなので、参加はとても簡単です。

初回は 5/7 木 になります。

期間:2ヶ月毎の開催で1年間
   *5月 7月 9月 11月 1月 3月の6回開催予定
   *各月第1木曜日 初回は 5/7(木)です。

その他の条件は、昨日の記事内容と同じです。

↓ ウォーキングしていたら、近所の方にわらびと竹の子をもらいました。

炊き込みご飯ができました、ありがたや〜