光を湛(たた)える

今日は大雨により警報がでています。雨のせいか、ふと、ネタが降りてきたので笑、blog記事を書くことにしました。

私は、一時期、あるアメリカ人女性(ヒーラー、アセンションリーダー)が発信するInstaやYoutubeメッセージを頻繁に聞きにいっていたことがありました。

その女性のメッセージは、とても慈愛に満ちているけど、フラットで、情報もわかりやすく(ガイドからのチャネリングで教えてくれていた)多くのことを学ばせてもらいました。

彼女があるとき、自分のお母さんの話をしていたのですが、

彼女が精神世界の仕事をするようになったのは、小さい頃からのお母さんからの影響だそうですが(お母さんもサイキック能力があった)、

娘である彼女からみても、お母さんは今まで出会った人のなかでもずばぬけて賢く慈愛に満ちていて、さらには「全てがわかっている人だ」とも表現していました。

いわゆる覚醒してる人なんだろうなだと、その言い方から私は推測したのですが、

そのお母さんは、今、人生で何をしてるかというと、ヒーラーでもメッセンジャーでも書籍の執筆やセミナーなどをしてるわけでもなく、

アメリカの大型スーパーで、いち従業員として働いているとのことでした。

雑多なスーパーで買い物客や他の従業員と普通に混じって仕事をし、

全てをわかりつつ、

彼女のいるその場所に静かに光を輝かせながら、毎日を過ごしているのだそうです。

それがお母さんが選んだ生き方なのだそうです。

彼女のお母さんの生き方は、私の心に深く響きましたが、それで過去のある出来事を思い出しました。

今から十数年前、私は、緑が多くて、大小幾つか池のある公園の近くに住んでいました(東京の西部)。

ある日、玄関の外にでたら、雨が降ってましたが、門の手前のコンクリート部分に、ヒキガエルがちょこん、といました(ウシガエルだったかも?とにかく大きかった)。

私が近づいても、飛んだり逃げたりしなくて、どうやら弱っているようにみえました。

死んでいく前なのかも、と思わせました。

何かの理由で公園と方向を間違えて、我が家の方にまでやってきたのかもしれないと思いました。

でも自力で動いて公園の方に戻ることはできなさそうな感じだったのと、コンクリートの上で死ぬのは嫌だろうなという気持ちがでてきて(そこで死んでもらうのも困るし汗)、

家に戻って、ビニール手袋をしてレインコートを着て、そのカエルを公園に連れて行こうと思いました。

手袋ごしとはいえ、正直、触るの怖かったのですが、大丈夫だからね〜みたいに声をかけながら、

そのカエルを両手でそっと包みこんで、持ち上げました。

カエルは、全く動かず、されるがままでいてくれました。

おびえたり、恐怖も感じてない、それどころか静寂さを感じました。

とてもとても静かで、本当に静かで、その静かさがあまりにも尊くて、なぜか両手に持ったまま涙がでてきました。

私を信頼してくれてると思ったのもありますし、

両手にずっしりと重さのあるそのカエルの命がとても気高いものに感じられました。

カエルを両手のひらから、、万が一飛び出さない様にスーパーの袋にそっといれて、自転車のかごにのせて、ゆっくりと漕ぎながら、公園に着きました。

公園について、柵で囲われた湧水のある小さな池で、人が入ってこなさそうな茂みに、両手でそっとカエルをおろしました。

カエルは、目を一度まばたきさせながらも、変わらずとてもとても静かでした。

帰り道、その静かな尊い命を思い出すと、涙が流れてきて止まりませんでした。

あのカエルのこと、時々ふっと思い出すのですが、なぜ自分に涙がでてくるのかわかりませんでした。

でも、冒頭のヒーラーのお母さんが、スーパーで静かに自分の光をたたえて、まわりにその光をあてながら暮らしてるのを聞いたときに、あのカエルも、それだったんだなとわかりました。

だから、あんなに尊く感じたし、あんなに私の心に響いたんだなと思いました。

昨今、精神世界の話がわりと普及していて、魂の目的という言葉がつかわれますが、

魂の目的というのは、そんな感じで、この世で光を湛(たた)えながら暮らすということなんだろうと私は思っています。

社会で、成功したり失敗したり、なにかを成し遂げたり、何も成し遂げなくても、

つまり、この世の社会で、物質的な次元で何をするかは、魂には全然関係がなくて、

魂の目的は、ただそれぞれの魂の光をこの世で輝かせることなんだろうと私は理解しています。

そして、光を湛える状態というのは、「静寂」なんだろうとも思っています。

雨の季節になると、あの大きな、でもとてもとても静かだったカエルを思い出します。

我が家の裏庭では、この季節は、私のメダカ鉢を水場として集まってくるトノサマガエルやウシガエルたちがよく鳴いてます汗。

↑ 先日、光をたたえる存在が裏山に出現か!?と思ったら、裏山に隠れている夕陽が木々の隙間から光っていただけでした苦笑。

愛って?

先日行った腸内細菌レメディプログラムのシェア会で、

ある参加者の方が「最近、愛とは?、愛するとは何だろう?」と考え出したんです、というようなことを話してくださいました。

ちょうど、第三チャクラから、次の第4チャクラに行く段階で、ハートチャクラに関連する思いが上がってきたので、エネルギーがちゃんと順番に満たされてきてるのが素晴らしいなと思いました。

日常の生活の中で、お友達や家族で「愛とは」みたいな話題を出すのは気恥ずかしいだろうと思いますが、シェア会でしたので他の皆さんにも、どういう定義をお持ちかなど聞いてみましたが、

それぞれの方がおっしゃることにすでに愛を感じるというか、愛というのはそれについて考えるだけで、

すでに「愛の感覚」がくるんだなと思ったりして、心和(なご)む時間になりました。

そのシェア会では、私自身が思ってる愛とは何か?を話していなかったので、

今朝、記事にしてみようと思いました(記事ネタみつかってラッキー笑)。

私が、現時点で思う「愛」というのは、

わたしたちは、実は1つのおんなじもの 

なんだと思い出すことが「愛」なんだろうなと思ってます。

その定義でいうと「愛する」というのは、

1つのおんなじものに近づくために行うことが、愛する、ことだと思ってます。

具体的に言うと、

この人、ひどーい、なんでこんなことするの?私ならこんなことしないのに!みたいなときに →

この人はひどい人で「私とは」違う! と考えていたことを、

ひどいと思ってたけどXXXがXXXだから、この人はそうしてたんだと、その人を理解したり、

そうせざるをえなかったその人の状況や性格やまたは過去まで考えることで、

そうしてしまうよね、と共感してあげたり、

またはなんでそれをしたのかは全然自分はわからないけど、ま、しょうがないかとただゆるしてあげたりして、

ひどい人 VS その人とは違う私 

とつくりあげていた両者の垣根を低くしたり&とっぱらったりして、

いや〜どっちも同じヒトでした笑、

みたいなところに持っていくのを、「愛する」だと思っています。

ちなみに、彼氏のことが大好きとか、旦那さんが好きとか、

あの俳優さんの大ファンだとか、

母のことを尊敬してます、XXちゃんという友達が好き、みたいなのは、

すでにその存在を受け入れていて、別存在とみてる垣根がないわけなので、

すでにそれは「愛している」と言えると思っています。

それでいうと、私は我が家のニャンコたちをすごく愛してる!笑。

別の言葉でいうと、

自分と何かの間に垣根をつくって、別存在にしたてあげてる、

その垣根や区別をなくしていくことが愛するということなんだろうなと、私は思ってます。

もちろん、そういう「愛する」という定義をもちながらも、

日常暮らしてると、私たちが1つのおんなじものだとすぐ忘れるんですよね笑。

私でいうならば、旦那さんが使ったものをしまわないで、次から次へと散らかしていく。

オーイこれ片付けてっ!!と突っ込んでちょっとした喧嘩になるとき、

片付ける私 VS  散らかす旦那さん というハードな垣根をすぐにこしらえています汗。

もめてからやっと、あら、また私はお互いを別のものだと分けてたわ、と気がついて、

よーく状況を点検してみたら、私がいつも座ってるリビングのテーブルの上にも私が読みかけの本を数冊出しっぱなし、ペンもメモ書きもいくつか散らばってる汗。

あちゃ、ひとのことは言えない、私もすぐに片付けないところがあって、すぐに片付けるのめんどくさいな〜と過ごしてるから、

そのイヤな部分を目の前で拡大表現してくれてる、すぐには片付けないし延々とほおっておくダンナさんのことみて、イライラしてたんだな〜と理解して、

そしてしょうがないな〜と、旦那さんと自分のだらしなさを受け入れて、同じだわ、私たち と

ほっこりする(しないですぐに片付けたいところだが汗)。

こうやって日常「愛する」を連続実践しているところです笑。

究極をいえば、愛するって、「認める」ってことでもあるんだろうなと、今朝インスピレーションがきました。

ヒトでも、動物でも、虫でも花でも、ゴミでもお金でも、現象でも、ただ在るなと認める、

そこにジャッジがなくて(ジャッジが自分と他者を分けるので)ただ在るなと認める、それが

愛するということでもあるよな、と思ったりしました。

おそらくですが、覚醒したりしたら、

なんでもかんでも全ての存在するものが、「愛」だったんだとわかるのだろうなと思っています。

それこそ、邪悪な心から犯罪から、優しさから奉仕まで、全てのものが「愛」だったと知るんだろうな、そんな予測をしますが(何かを良い、悪いと決めて分けてるのは自分なので)、

今の時点ではそれは頭でしかわかっておりません笑。

日本では「愛」という言葉はあまり馴染みがないかもですが、

自分が定義する「愛」ってなんだろうと考えてみるの、意外と面白いかもしれません。

↑ 私が夕方、裏庭に座ると、猫たちもそこにやってきて一緒にくつろぐ。
夕方に一体感を感じる=愛し合うわたしたちです笑。

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どうしても憎んでしまう人がいて、その人と自分の間の垣根が高すぎる場合、

それはあなたが悪いのではなくて、あなたのエネルギーがなにかの原因でブロックされてるからです。

そのブロックをこわして(まさにあなたとその人の間にブロック塀みたいなものができてる苦笑)、

垣根を低くしてみませんか。

風通しがよくなって、愛を感じることができるかも。

カウンセリングやエネルギーを変える物質をつかって、そのブロック塀くずしのお手伝いができるかもしれません。

ご興味がある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

メディアと自分

気がつけば、4月はBlog記事を1つも更新していなかった(汗)。

Instagram を始めて小出しに自分の中のものをアウトプットしてることで、

Blog記事を書くという衝動が少なくなってるのかもしれません(?!)。

ところで誰でも、フォローしてるSNSやブックマークに入れてるブログなどあると思うのですが、

私はお気に入りにしていたものでも、発信者が自分のとても好きな人や尊敬する人であっても、

それを見たり読んだりしたときに、

自分の中からコメント(つまり批判)がでてくる回数が増えたら、

フォローやブックマークを外すようにしています。

批判のようなコメントがでてくるということは、

その発信内容と、自分の周波数が合わない(または合わなくなってきた)ということだと思うからです。

以前、ある海外在住の日本人の方が書いてる人気のBLOGを読んでいたことがあります。

日本人の常識からしたらナンデー?!と思うような海外生活で起こる日常の出来事を、

辛辣に面白おかしく書いてる記事でした。

ほぼ毎日更新されるので、まるでルーティンのように読んでいたわけですが、

ある日、その記事を読むと毎回自分の中にコメントが湧き上がってくるのに気がつきました。

「そこを我慢してるから、こういう出来事が起きてるんだけどな….」とか、

「ネタとして書いてるんだろうけど、この出来事の締めくくりがなんか腑に落ちないな」とかです。

つまり、ブログ記事を読むことで自分の中にノイズをつくりだしてるなと気がついたのです。

簡単に言うなら、私はあまり気分がよくなっていないな、と思ったのです。

それで、そのブログのフォローをやめました。

メディアに限らず、身の回りの物や服でもなんでもそうですが、

不満を感じていたり、コメントが浮かぶもの=つまり自分の周波数にノイズを起こしてると感じるものがあったら、

とりあえず、そのノイズから自分を遠ざけるのがよいのでは、と思います。

別の角度からみると、

自分のお気に入りやフォローのメディアのチョイスは、

自分の周波数の状態を表していると言えるかもしれません。

自分が選ぶものは、自分と合ったものだからです。

もし批判したり、けなしながらも、フォローしつづけている特定のメディアがあったら、

自分も実は同じ周波数帯にいるということかもです。

惹かれるもの、ここち がよいと思うものも、自分の成長に伴って、徐々に進化(変化)してるはず。

だから、メディアのチョイスも、時々見直そうとちょうど今朝思いました。

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近所の神社で朝陽をみる、心洗われる〜
↑ 神社の池、ノイズがないと飛行機雲までクリアに写ってる〜

特定のメディアをみて、

批判やコメントと共に「強い感情」がわきあがってくる場合は、

自分の中にもともとあったノイズが拡大されてるということ=エネルギーのブロックがある
ということなので、その場合は、それに気がついて解消するのがお勧めです。

自分はブロックがあるだろうけど、それが何かわからないという方は、

それを外すお手伝いができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

2021:新年おめでとうございます

私の住むところでは、雪の大晦日〜新年を迎えました。

といっても大晦日の夕方には、雪は大方溶けていましたが。

いろんな意味で特別だった2020年が過ぎ、その流れのまま2021年が始まりました。

今年もどんどん新しい時代に向かっていくのだろうな〜と思います。

古いいらないモノ(自分たちを幸せにしないもの)がどんどんなくなっていくんじゃないかなと思います。

社会的なレベルでも、個人的なレベルでも。

なにが起こるかはお楽しみで今年も過ごしていこうと思います。

以下、我が家の年越し〜新年の様子です:

今年のおせちは、姫路のル・シャボテのフレンチおせちにしました↓:

自分じゃつくれないものばかり!一応おせちとして購入したので元日の朝に食べる予定でしたが大晦日に↑これを目にしてしまったものだから、食べたくてたまらなくなり(笑)、年越しのごちそうとしていただいてしまった(笑)。

↑ だんなさんのアメリカの上司からクリスマスに送られてきたヴーヴクリコ(シャンパン)と!この組み合わせがかなってありがたや〜

結局、大晦日に予定していた「年越し天ぷらそば」は元日の夜に作って食べました(苦笑)。
時節や縁起の意味がなくなったのが新しい時代らしい…..?!

ちなみに上記の写真にみえますようにオマール入りピロシキだの、トリュフのしこまれたフォアグラ、鴨のコンフィなど、お品が肉肉(にくにく)しくリッチでしたので、和(わ)な胃袋をもつ私は少量で大満足となり….(苦笑)、結局元旦にもお雑煮と残ったフレンチおせちを美味しくいただくことができました。

↑ 2020年からダンナさんが「のんびり農業部」という命名で「週末だけしか」畑をいじらない無農薬の野菜づくりをご近所の仲良しさんとまさに”のんびりと”始め、その成果の野菜でつくったお雑煮(もちが写ってない汗)。お餅もそのご近所さんと年末に石臼でついたもの。この中で自家製でないのは、餅米と味噌。いつのまにか自給率あがってきたぞ〜。

↑ 元日は例年通り、村の山にある小さな神社にお参り。今年もこの時間に神社いたのは我が家だけ。
厳(おごそ)かです。

↑ 神社がある山からの眺め。


↑ 私の住む村がふもとにみえます(我が家は山にさえぎられてみえない)。
残雪のせいか太陽光線のせいかエル・グレコの作品なみに写真の陰影のエッジがきいてます、そういう年になるのかもな〜(謎)。

2021年も、ワクワクしながら、たのしく、しぶとく生き抜こうっと。

あなたのところの Wildlife

「わたしの住むところのWildlife (野生動物)だよ〜」と、

旦那さんの同僚のアメリカ人女性が写真を送ってくれたんですが、

それらの写真があまりにも可愛いのでBlog記事にて紹介します。

こんな動物たちの写真はネットで探せば幾らでもみつかると思いますが、

知ってる誰かが、実際に目の前で写した写真というのはリアルさがあって、

これらの動物たちをとても身近に感じます(網戸越しなどで写されてるのでそんなにクリアでない写真もあり)。:

↓ Deer 鹿です。鹿なら私の家の周りにもたくさんいますが(苦笑)、鹿を見かけるのは夜か早朝。自宅の庭にこうやって明るいときに集ってるのをみると、まるでこちらの方が鹿の生息地に入り込んだような気になります。

↓ A small bear and her cubs 小さなクマとこぐまたち….と彼女は書いてますが、これ小さいクマなんですかね?!(汗)。親クマのツヤがきれいでナデナデしたくなります。


日本ならこんなに民家近くにクマが出現したら大騒ぎになり、捕獲されるか射殺となりそうですが、さすがアメリカ、森林の規模が違うのかな〜?と思ってネットで検索してたら、やはりアメリカでも熊が民家近くに出現するようになって射殺されるということが近年頻繁に起こっているようでした。
(民家にクマたちが寄ってきたというより、クマ達の生息圏に民家が入り込んできた?!)

↓ Racoons アライグマ。 木の家は、フクロウのために作ったのに、なぜかアライグマ親子が住み着いてしまったそうです。親子5匹が人間みたいに一軒の家に住んでるようで、なんだか可笑しい!
上記のクマの親子もそうだけど、動物が親子で生きてるのをみると、とてもなごみます。

↓ Fox きつね。夜に火を焚いてたら、すぐそこまで寄ってきていたそうです。
仲間にいれてよ、みたいな表情にみえます。相当、人に慣れてるのかもしれません。

この写真を送ってきた彼女はニュージャージー州に住んでいます。

ニュージャージー州ってどこだっけ?!(アメリカの州、全く頭に入ってません、大汗)と地図をみてみたら、ニューヨークと隣接してる州です。

マンハッタンまで車でいける通勤圏なのに、この自然!?

しかしニュージャージー州は、アメリカ全州の中で人口密度ナンバー1なんだそうです。

それなのにこんな野生動物たちを育む森林もあるんですね〜、おまけに東側にはジャージーショアーと呼ばれる長い海岸線もあり、ビーチも素敵だそうです。

人口密度が高いのは、大都市まで通勤圏でもあるのに自然も豊かなので、人が住みたがるからかもしれません。もしくは、森林や海岸におされて住宅となる土地が少ないから?!

ということで野生動物たちの写真から、アメリカのよく知らない州のことまで思いを馳せることができてちょっとした旅行気分を味わいました。

コロナウイルスで、海外旅行にいけなくなったのは残念だなと思っていたけど、
こうやって他の土地や生き物に思いをはせるだけでも結構楽しいものですね(→ コスト&移動疲れゼロ、苦笑)。

草むしり効用

草むしりの、「むしる」はつかんで引き抜くという意味だそう。

関西の方では、「草ひき」と言います。

少し前ですが、草むしりするぞー!と意気込んでやったところ(いつもはダンナさんにさせてる笑)、

家の前側に伸びた草だけなのに、延べ3時間もかかりました……!

草むしりは、ヒジョーにしんどいので、できたらやらないで済ませたいものですが(汗)、

ちゃんと向き合って草むしりしてみると、雑草がなくなって見た目や気分がすっきりする以外にも非常にありがたい機会なのだとわかります。


*その1

アーシングできる。

Earthing というのは、体にたまった電気(電磁波)を地面に触れることで地中に流す方法です(電気製品のアース線と同じことを自分の体でする)。

また地面(土)に触ることで地球のエネルギーとつながるという効用もあります。

草むしりすると、足と手から両方アーシングできるということになります。
(理想をいうなら裸足で、手にも軍手をはめないことですが)

畑をやってるのと同じ効果です。

森にでかけていかなくても、家周りを綺麗にしながらアーシングもできる、一石二鳥。


*その2

頭(こうべ)を垂れる機会になる。

地面に座り込んで、草をみながら、引き抜く、むしる。

草をむしるためには、どうしても頭を下に向ける姿勢になります。

このように頭を下げる機会というのは、

大人になると、そして歳をとればとるほどなくなっていきます。

これ、大事だな〜と思いました(→ 私にとって特に、汗)。

知らない間に態度がでかくなってる、知らない間に謙虚さがなくなってる、
草むしりでは思い切り頭を下げることができます。

エネルギー的にいっても、頭のほうに淀んでる思考まみれのエネルギーを振り落とすことができます。

更にいうなら、地球にこの土地にいさせてもらってありがとうねという意識をもつと、よりエネルギーの流れがスムーズになると思います。

*その3

雑念の掃除になる。

これは以前参加したあるワークショップで体験したことです。

ワークショップ会場が神社だったので、プログラムに神社の早朝お掃除奉公が組み込まれていて、その一環で草むしりを終えた後に非常にリアルに感じたのですが、

雑草抜きをしてると、同時に心の雑念抜きが行われるのでした。

雑草を抜いてると、その単純作業に並行して頭に雑念が湧いてきます。
しかし雑草を抜き終わったあと、雑念も同時になくなっていて頭がすっきりしてたのです。

雑草という言葉にかけて「雑念」とかきましたが、必要のない無駄な考え事のことです。

必要なもの(残す植物)と不要なもの(雑草)を体で取捨選択してる行為が、

思考にも並行して起こったのだと思います。

まめに草むしりしようとはなかなか思えないのですが(汗)、雑草が目につきだしたら、

それは自分の雑念も増えたサインだと思って、草むしりしようと思いました。

↑  この1輪車4、5杯分の雑草でした、どんだけ雑草+雑念ためこんでたんだ〜(大汗)
しかし、この記事書いて、前庭をみまわしたら、またごっそり雑草生えてました…..ひー。

知ってるか知らないか

昨日、暑い中、家の前庭に座り込んで、伸びてきた雑草を文字通り1本づつ手で抜いていたダンナさんに、

誰か男の人が話しかけているのが聞こえてきました(私は、そこの前に建ってる”離れ”でオンラインの仕事が始まるのを待っていたところ)。

どこの国の人?、いつから住んでるの?などと、質問を立て続けに浴びせかけられているところからすると、近所の人でなく、通りがかりの人のようです。

知らん人:「おとうさん(とダンナさんに呼び掛けてた)は、草、そうやって抜いてくの?」

ダンナ:「ウン、そう(と日本語で答えてる)」

知らん人:「除草剤は使わない?」

ダンナ:「使わない、アレでしょ、◯ウンドアップ?!」

知らん人「うん、◯ウンドアップ」

ダンナ「アレ、ガンになるから使ワナイ」

知らん人「ガンになんの!?』

ダンナ「そう、あれ、ガンになるから、フランス禁止」

知らん人「フランス禁止なの?!」

ダンナ「あれ、売ってるの日本だけ」

知らん人「えー、日本だけ?!」

って、おいおい(汗)、何のレクチャーしてんだ(苦笑)….

と障子開けて見てみたら、地面に座り込んで草抜いてるダンナさんに話しかけてたのは、

ロン毛金髪で頭にタオルをまいた30代くらいの作業着の男性でした… 誰?!(笑)

そこで、アナタは、誰?!と今度はダンナさんに質問されたその男性は、

自分は隣町に住んでクズ鉄などを回収してるXXといいます、また、来ますわ!

といって軽トラに乗って去っていきました。

あー回収業者の人だったのね(苦笑)。

◯ウンドアップは、発癌の可能性ありで多くの国で販売禁止、フランスでも去年販売禁止になったのに、この間まわってきた回覧板にJAのチラシが入っていて、

◯ウンドアップ「JA推奨」と印字があったのをみてダンナさんは腹を立てていたのでした。

だから、レクチャー(?)したかったのかも(汗)。

ここら近隣のホームセンターでも◯ウンドアップは、いまだに 堂々と目立つ場所に並べて売られていますので、

さっきの金髪男性みたいに、健康リスクがある可能性を知らないで、草を殺す効果がある方だけをみて使ってる人は結構多いのかもしれません。

そういう情報は、自分で調べないとでてきませんからね(汗)。

他国では健康&環境リスクから販売禁止となってるのを知ったあとでも、これは便利だからと使おうと思う人はいるのかな?!

しかしながら雑草をすっきりさせるというのは、現実問題とても大変です。

こんな広さの庭でも、砂利を敷いてるのに雑草は伸びてきて、ひーひーいうし、これでよしと思えるくらい雑草なしで綺麗になったこと正直一度もないです(苦笑)。

だから、大きな畑や田んぼの畔、スポーツ用のグランドなど広い場所だと除草剤を使わないとやっていけないのかもしれません。

ただ安全な除草剤がないかと調べると、最近は火山灰や塩をつかった安全な除草剤も販売されてるようです。

こういう代替品が生態系にどういう影響を与えるのかも今の時点でわかりませんが、

◯ウンドアップみたいにズバリ「毒」をまくものではないので、

できることなら、環境そして自分たちの体にも負担をかけない製品を選択していけたらと思います。

そういう我が家では、除草剤代わりにダンナさんに草を抜かせて彼の体に負担かけてる!?いや健康にしてる、と思っておこー(汗)。

玄関あけたらフェリックスがご飯をねだります…
その向こうに抜いてもすぐに生えてくる雑草の茂みがみえます(汗)    

今年も手作り番茶

私の住む地域では、GWが明けたらお茶の新芽を摘める時期です。

今年はコロナ自粛により時間があるので、私も茶摘みから参加しました。

茶摘みといっても、新芽のでてる枝をハサミで切り落とし、家に持ち帰って一番茶といわれる新芽の部分だけをちぎっていきます。

枝だけ切り落とすのは、茶摘みの体勢がつらいのと、摘んでる間に山ヒルが(汗)つかないようにという理由だけではなく、そうしておくと来年も新芽の部分だけ綺麗に枝が伸びて摘みやすいからだそうです(これ、あくまで教えてくれたご近所のSさんのやり方です、苦笑)。

↓  裏山の小さなお茶の木に新芽だけが伸びてる様子。

新芽だけを摘み取ったところ ↓

大きな鍋で炒ってるところ ↓  炒っては少し乾かし、さらに炒るを3〜4回くらい繰り返します。
鍋の熱であつくなってくるので、ビールを飲みながら、のんびりと(笑)。

いったん家に持ち帰り、1,2日干してから、仕上げに一度フライパンで炒って瓶詰めしました↓
お茶を炒る香りがたまりません〜

こんな感じにホームメイド番茶ができあがりました ↓

自家製番茶がなぜこんなに美味しいか説明できないのですが、つい、あともう1杯と飲みたくなる味なのです。

美味しい緑茶のような味ですが、なにかが違う….ネットでみると一番茶(新芽)にはテアニンという旨味成分が凝縮されてるからと書いてますので、それが美味しさの理由なのかもしれません。

そこら中の山に、昔、皆が自家用に植えたお茶の木がありますが(多分日本全国の山が同じだと思いますが)、今はごくわずかな人しかお茶摘みしないので、文字通りオーガニックのワイルドな新芽が毎年たっくさん余っている(涙)。

でもこれからコロナ自粛で花や野菜作りに人が向かい始めたように、自家製お茶づくりに向かう人も増えるんじゃないかな〜(?!)。

5月いろいろ

COVID-19の影響で特別な5月となってますが、人間社会から自然に目を向けるとのどかな5月も見えてきます。

シジュウカラのヒナ達は知らぬ間に旅立っていました ↓
巣は苔(こけ)と鹿の毛!でつくられています。

ものすごーく 鮮やかな空と木々の緑(写真補正なし)↓
地球環境が綺麗になってることを目でみて実感。

この時期に咲いてる花で一番心惹かれるのが、コガクウツギ(小額空木)↓ 見た目のとおりアジサイ科アジサイ属です。山の斜面の少し木の影になる涼しげな場所に可憐に咲いています。

かなり暑くなってきたのでジョギングからウォーキングに変更。
ウォーキングのお供をしてくれる柴犬(メス、近所の友人夫婦の犬)、↓ 
今は水路から田んぼに水を入れる時期です。

冬の間、田んぼは泥だけなのに、どうやって春の田んぼにメダカ が いるのか以前は謎でしたが、
川で冬を越した親メダカ は、この水路を通って田んぼに流れ込んでるのだとわかりました。

すでに水が入った田んぼ ↓  柴犬はモグラを一生懸命探してるようです。

木の削りカスをそのうち肥料になるだろうと撒いてる場所があるのですが、感触が心地よいからか?よくここで寝そべってる&お腹おっぴろげのミヌ(汗)↓ 

東屋(あずまや、洗濯物干しの屋根兼用)の柱に設置されたキャットツリーに登ってるスコッチ。
スコッチはいつも高いところを目指してます(?) ↓

顔つきがすっかり変わってきたフェリックス ↓ 
去勢手術とダニ駆除に連れて行きたいのですが、まだ触らせてくれません(苦笑)。

先日から短縮営業でテニスコートを使えるようにしてくれた施設があるので、1ヶ月以上ぶりにテニスにいきました。テニスではウォーキングとは違った汗がでてきて老廃物が一気に流れた感あり。

自粛で家にいるのもかなり好きですが、こういう日常が戻ってくるのも正直嬉しいなと思います。

↓ テニスメイトからの自家製の差し入れ苺、見た目も形もきれいで甘い!
こんなに上手にしかも人にあげれるほどたくさんの量を作れるのがすごい〜

私の住む地域は、GWには大勢の人が行楽に訪れる地域。
でも今年は自粛の影響でほぼ観光客はいませんでした。
一方でGWにびっくりするくらい混んでいたのが地元のホームセンター(ホームセンターだけは複数ある、苦笑)、多くの人が野菜や花の苗を買い求めていました。

今の時期、人が密になるのは避けるのが賢明なのでしょうが、
これから畑や花壇が野菜や花で密になっていくのは、なんだか嬉しいなと思いました。

春、真っ只中ということもお忘れなく

毎日毎日、ニュースからだけでなく、SNS上での話題、または近しい人との話題からもコロナウイルス関連のことばかりが耳に入ってきます。

ウイルス自体の話、感染者数の話、休校措置、自粛がいつまでだろうとか、

コロナの影響でウチでは何が起こってるかとか、

はたまたGWで旅行にでかける人たちに向けた問題提起や、

アフターコロナに備えるには?! といった対策まで夥(おびただ)しい話題、

でも根っこは全てコロナ騒ぎから来てます。

リアルなことはコロナだけ!みたいな感覚になって、他のニュースや他の出来事にあまり関心が向きにくいような状況になっているのではないでしょうか(汗)….ハイ、私もです。

しかし、今、生きてるこの世界、他にもいろんなことが同時に起きてます。

自分で自分の頭の中をコロナ一色に染めないで、

他の色あいもたくさんあることに気がついて、

コロナに圧倒されてる脳や思考を整えておくと、

今後も長く続いていくかもしれない状況とうまくやっていけるかもしれません。

本来なら、今はとても快適な季節で、例年ならどこかにお出かけしたくなる、

春真っ只中なんですよね〜

そんなわけで、我が家のコロナ以外のリアルな話題を1つ記事にしてみます。

クルミの木に据え付けた鳥の巣箱がありました。

設置して2年ですが、まわりに木も多いので、わざわざこの巣は使われないだろうと諦めていたら、

シジュウカラが巣をつくっておりました。中には7羽の雛たちが(!)。

巣箱として使われ出したことにどうやって気がついたかというと ↓ これです(汗)

ある日、ミヌが突然木登りしておりました ↓ ヒナたちが鳴いてる音が聞こえたようです(冷汗)

どうでもいいですけど、お腹がたぷたぶです、ミヌさん…..(苦笑)。

すぐさま、猫たちが登らないように、できる策をほどこしました。

シジュウカラはつがいでせっせと小さな青虫たちをヒナに運んできています ↓

枝にGoPro をくくりつけて旦那さんが撮影しましたが、親のシジュウカラは数分おきにしか現れないので全体を短めにつなげて編集してます。

それでも心がソワソワしてると、じっくりとみていられない動画かもです(汗)。

虫をくわえた親鳥が巣箱に入るまでに、何度も何度もまわりを見渡して危険がないかを毎回確認するのがなかなか感動的です。

ざーっという音は下を流れてる川の音、他にも鳥のさえずりがたくさん聞こえます。

30分の撮影時間の中、通った車は、最初の方に写ってる軽トラだけ(苦笑)、ノドかです…..。