できなくて、当たり前

例えばですが、

時々手作りの簡単なお菓子を作ってる人がいたとします。
その人は、できたらそのうち本格的なパティシエレベルのお菓子を作ってみたいと思っていました。

そして少し時間に余裕ができたので、念願の上級レベルのお菓子教室に通うことにしました。

その教室に通いだして、

先生に作り方を教わっているときに

自分は上級レベルのお菓子をつくることができない〜

と自分を評価して落ち込んだりするでしょうか。

つくれない、できなかったから、そこに通いだしたのは当たり前なわけなので、そんなことは思わないのでは、と思います。

(チョコのテンパリングなど1つ1つの技術がうまくできないと四苦八苦したりはするかもですが、そもそも自分はできない人だみたいな自分への総合の評価は下さないだろうという意味です)

これと同じで、もし、人生の中で、これが苦手とか、これが全然できないと思って苦しんでることがあるなら、

それ、できなくて当たり前ですよ

と声をかけたいなと思います。

なぜなら、それにチャレンジするために、あなたはそこにいるのですから。

この世の人生をお菓子教室みたいな「学校」ととらえると、

そのできないこと、苦手なことにチャレンジするために、今、その人生を体験してるのです。

人はできてることには苦しまないし、悩みません。

できてないとわかってるから、苦しんだり、悩みます。

それは、エネルギー波動でいうと、そのことに対してマイナス波動だったのでプラス波動に転換して波動の乱れを中和するために、引き寄せられた事象なのです。

だから、今、できないのは全くの当たり前、なんです。

できてたら、引き寄せないから汗。

例えば、私でいうと、私は病や心を扱う仕事をしていますが、

プライベート生活では、テニスに熱中して取り組んでいます。

これは何をしてるかというのを、上記の話に沿って書くと、

私にとっては、心の問題を転換させるのはわりとできることなのです(私に心の問題がないというわけではなく、心の問題の答えを解くことがわりとできる)、

しかし、私は「体を実際に使って」プレイを少しづつ変化させたり、改善したりすること、

勝ち負けを味わう中での人間関係は、上手にできないことなのです。

だから、そのできないことにチャレンジ中、もがいたりしながら学び中なのです。

このところ

「自分はできてない」

という自分への評価で苦しんでる方のご相談がシンクロで起きてるので、

この記事を書いてみました…

が、書きながら、私も全く同じことテニスで感じてたわ、とわかりました(私にもシンクロしてた笑)。

そう、できないから、それにチャレンジしてる最中なので、

どうぞ安心して、チャレンジしてください。

自分がOOをできないと感じてるとき、他の人をみると、

他の人はOOができてるようにみえてしまうものだけど、

その人は別のところでXXにチャレンジ中なのです。

だから、どんな人も人生で何かにチャレンジ中、

あなただけが苦しんでるわけではないのでしょげないでください。

そして、今、できなくてもがいてることは、

最終的に上手にできるようになる可能性がとても高いのですが、
もしそこまでできるようにならなくても、それはそれでOKなのです。

できる、できない、は、この物理次元社会の抽象的な評価です。

マイナス波動で残ってるのは何かというと、

できるorできないじゃなくて、

やり残してる=その波動を十分に体験していない (これまでその体験を避けてきた、逃げてきた)ということなのです。

ですので、大事なのは、

自分がそれにチャレンジした!

自分がやれるだけやってみた!

と体験する、ただそれだけのことです。

さー、だから結果は怖がらずに、チャレンジしよー!

(とテニスをする自分にも声かけてます笑)

いろんな色や味、匂い、音、風景を楽しむように、
体や感覚をつかって私たちは人生を楽しんでるのでしょう……

自然なリズムで生きる

わたしたちの体は、心臓の規則的な収縮で動いています。

収縮というのは、「ひきしまってちぢまること(辞書より)」で、

ちぢまるには、いったんのびてる状態に戻ってることがセットになりますが、心臓は循環して戻ってきた血液の圧力で毎回ふくらんでいる(のびる)のだそうです。

心臓の血液循環が起きないと私たちが生き延びれないのだとすると、
のびる →  ちぢまる → のびる → ちぢまる という繰り返しのリズムは、
私たちの体の自然なリズムと言えるように思います。

「のびる」は、別の言い方でいうと、

ゆったり、のんびり、リラックス、

「ちぢむ」は、

緊張、集中、頑張るというような言葉で言い換えられると思います。

何がいいたいかというと、

ずっと、ちぢんだ状態だけ(緊張した状態のみ)、

のびた状態だけ(緊張感のない状態のみ)で生きることは、自然のリズムに反していて、

生きづらい状態になってるのではないかなということです。

私はエネルギー療法をやっていて、

心臓に問題がある方(主に心拍数)をみることがたまにありますが、

そういう方々は、まさに上記のどちらかに大きく傾いているのがみられます。

頻脈ぎみの方は、

緊張した状態が長く続きすぎていて、ゆるめている時間が極端に少ない方、

徐脈ぎみの方は、

生活に目標やハリがなく、何かをきっかけにやる気を失ってしまっているというのがみられたりします。

つまり、どちらも自然のリズムからずれて生きづらくなってるわけです。

私は去年から週1ファスティング というのをしていますが、そして12時間ファスティングみたいに一定時間あけて消化機能を休めることが流行ったりもしていますが、

これも同じで、しばらくなにも活動のないゆるんだ状態というのを、たまに消化器官に与えるのも自然なリズムかもしれないなと思います(通常はきちんと睡眠をとっていればその間に消化器官はゆるめられていますが)。

緊張した状態とゆるんだ状態の長さを比べると、

今の世の中では、圧倒的に緊張した状態でいる時間の方が長いのでは?と思いますが、どうでしょうか。

緊張した状態というのが何を指すかというと

わかりやすいのは、仕事や勉強を長時間頑張り続けてる状態とか、
苦手な人たちの中にいる状態とかですが、

これは言い換えると

「社会」にいるときに起こってるのではないかと私は思います。

「社会」にいるから認めてもらいたくて、頑張ったり、何かを続けたりするわけだし、

人間関係でいっても、
友達といたとしても、相手のことを気遣ったり考えたりもするだろうし、
ましてや距離感が微妙な人たちといたら、その気遣いは何倍にもなるし、自分の言動も少し取りまったりor 少し元気よく振る舞ったりして、

そんなに「素」ではいられないと思うのです。

これが、さらに大人数の会社や学校という「社会」で考えたら、毎日行くので慣れているとしても、実際には相当な緊張状態でいるのではないでしょうか。

ならば「社会」にいない状態とは?!

「家」にいるってことかな

「ひとり」でいるってことかな

「社会」とのかかわりからなるべく離れた自分でいるってことかな……

ということで、

1週間に1回とか、できなければ2週間に1回くらいでも、

何も予定がない日や、何もしない日、家にこもる日、
自分をただただゆるめる日、を意識的に持つことは大事なんじゃないかなと思います。

なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに自分がこの状態だったからです笑。

時間があいたら、テニスの予定をいれていて、気づけば毎日外の「社会」の中で動いていた… 

そしたら、案の定、強制停止がやってきて(歯茎が熱をもって腫れた)1日何もしない日をつくらされたのでした。

そこで、やっと、目が覚めて、

あー自然のリズムからずれてたわ!汗、と気がつきました。

たとえ緊張してる対象が好きなことであっても、自然のリズムの方がうわまわるということがわかった日でした。

「社会」から離れて「自然」の中でリラックスはかなりよいかも(注:私の自転車ではありません笑)

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あることをきっかけにやる気がなくなり、生活に全く緊張感やハリがない方は、
エネルギーがブロックされてる状態です。
エネルギー物質をつかってそのブロックを外して、やる気や緊張感を取り戻しませんか。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

追いかけられる夢をみたら

コンサルテーションで、よくみる夢についてお尋ねしますが、

「追いかけられてる」夢をみたことがある人は、わりと多いと思います。

ついでにいうなら、乗り物に「乗り遅れる」夢をみてる人もわりといます。

これらの夢は、その人の潜在意識にある不安や恐怖、プレッシャーを表してると言われますが、

このジャンルの夢を多くの人がみるということは、

個人ベースだけでなく集合意識の一部を表してるという言い方ができると思います。

追いかけられてる夢や、乗り遅れる夢を、個人ベースでなく集合意識からみると、

追いかけられてる場所は、

家の周りだったり、街角だったり、廃墟だったり、どこかの建物の屋上など様々ですが、

これは自分の周りの「社会」を表していると思います(その人が所属してると感じてる「社会」のメタファー)。

乗り遅れてしまった乗り物は、

その社会の中の「階層」や「到達点」にいくための移動手段や方法を表していると思います。

つまり、これらの夢をみるとき、その人個人は、

自分が認識してる社会的な価値観に追いかけられていたり、

社会で求められてるレベルに自分は乗り遅れてる(そのレベルに達していない)、という劣等感の意識を持ってることを教えてくれてるのですが、

集合意識でこれをみると、

追いかけられてる意識は、

(この社会では)これくらいできないといけない

(この社会では)こうしないといけない

という見えない圧力を受けてることを表し、

乗り遅れる意識は、

(この社会では)いつも精進していかねば遅れをとる

(この社会では)苦しくても頑張り続けて成長しつづけなければならない

というような社会の中で個人の怠惰を取り締まられてるような意識を表してると思います。

今の世の中をみると、数十年前に主流だった、勉強をちゃんとしていい大学にいって、いい会社に入り、いい家に住む、みたいな価値観はかなり廃(すた)れてきてると思います。

そのような誰か(大企業とか一部の層ですかね汗)が得するけど個人は苦しむ価値観のマインドコントロールから外れて、各個人がそれぞれに好きなことをしながら生きていくというのがかなり普及し認められてきてると思います。

生き方から嗜好まで、全てが多様化(個別化)してきてる時代と思います。

でも、上記の夢に現れるような

自分が属してる社会(コミュニティ)で生きるには、

周りの水準から外れると生きづらいからとりあえず合わせる、とか

いつも努力しつづけることが素晴らしい みたいな

見えない圧力というかマインドコントロールは、

まだまだ外れていないのかもしれません。

なぜなら、

周りと協調するのは大事なことだと思われてるし、

自分が属してる社会から外れると孤立するという恐怖は人間にはとてもつらいことだし、

努力して成長していくことは素晴らしいことだという認識をくつがえすのはなかなか難しいからです。

もちろん、これらの価値観が悪いということではなくて、

自分がその価値観を選択して、そうしたいのなら、それは問題ないのです。

XXXねばならない、という義務感はいらない、その縛りが個人の意識を苦しめてるということだけです。

追いかけられてる夢をみるひと、乗り遅れる夢をみるひとは、

すごく頑張ってるひとたちです。

真面目で、努力家で、上昇志向もあって、なんでも一生懸命なひとたちです。

でも、もしこのような夢をみたら、
自分は社会のために、まわりのために、評価のために頑張っていたんだな、と気がついて、その頑張りすぎをゆるめるといいと思います。

周りに合わせて、努力して常に成長して、あー楽しい!って思えるなら、それでいいと思います(だとしたら、こういう夢はみないけど)。

どうせ頑張るなら、そのエネルギーは自分がしたいことを楽しんで頑張るほうに使えばいいのではと思います。

あと、このような夢をみたときに、もう1つ言えることは、

努力していて苦しいとき、それはできてないことにフォーカスしてるからです。

なにかをできるようになりたいと強く思ってる、それは何かができてないという意識の裏返しなのです。

だから、苦しい。

そういうときは、できてないことを認識して苦しむより、今、できてることを認識するほうがよいです。

今、自分ができてることをみていくと、それができてることに感謝を感じる、
そうやって自分ができてるという感覚をもち感謝をもつと、エネルギーの流れが変わってきます。

するとエネルギーの仕組み的に自分に心地よいものが流れてくるようになり、苦しんで努力しなくても幸せな自分になっていきます。

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かくいう私ですが、なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに夢をみたのでした(今やってる企画のパワーストーンレメディをとったからなんですが)。

レメディをとった初日の夢が、

家の中で追いかけられそうになる夢(あ、追いかけられるなと感じてるとこで目が覚めた)、

翌日の夢は、

都心にいて終電を逃した、でも構内にたくさんの人が残ってるから、そこの私鉄の人が臨時の列車をだしてくれることになって、何がなんでもそれに乗ろうと思ってる夢でした。

これらの夢のおかげで気がつきました。

あー、私、頑張りすぎてるね、一生懸命になりすぎてるなと笑。

なにを頑張っていたかというと… 趣味のテニスです。

フォーム改善にものすごい必死になっていたのでした。

去年末から、テニス環境を変え、スクールにいき、新しいコミュニティにも入って、そこでものすごく上手な人たちを目の当たりにして、

ああいうふうになりたい!

あのひとたちにそのうち勝ってみたい! みたいな動機をもっていたのでした。

私は技術を向上させたり、少しづつできるようになっていくのが好きなタイプなんですが、

それを初めは確かに楽しんでいたはずなんです。

ところが、気がつけばいつのまにか、自分のできないところばかりをみて、できる人と比べて落ち込んでいたのでした大汗。

このような夢をみたのは、私は、10? 20?年ぶりくらいなんです (記憶が汗)。

上記のような典型的な夢を2日続けてみて、あー、そうだよね、私、そういう意識をまだ持っていたんだよね、そしてこれは皆を苦しめてる集合意識だよね、と気がついたのでした。

私が長いこと、この夢をみていなかったのは、あるとき、あることに気がついて頑張るのをやめたからでした。

あることというのは、

なんでそんなに何かを頑張っていたかというと、それで自分が気持ちよくなるため →

これができた自分 これをやりとげた自分 と認めて気持ちよくなるため → 気持ちよくなるというのは、それで幸せを感じたいため なんだと気がついて、

え?!幸せのために今、苦しむ? そりゃ、本末転倒、

だったら、今、すぐに幸せを!と思ったのでした。

具体的には、自分がしたいことじゃなかったらあんまり頑張らなくていいや、

好きなことだけ、やりたいなと思うことだけを頑張ってやろうと決めたのでした。

テニス、好きでやってます、楽しくて、だったのに、違うコミュニティに入ったら、

そこで乗り遅れないようにしようとか、そこのレベルに持っていかねばといつのまにか頑張っていたわけです。

あーしんど汗。

ということで、夢をみたら、つきものが落ちたようにラクになって、

そもそも、この年齢で3、4時間練習できる自分の体に感謝、
長くはないテニス歴でこれだけ打ててる自分の身体能力に感謝、
新しいコミュニティに入れたことに感謝、
もっとうまくなろうと思わせてくれた人々に出会えたことに感謝、
できないところを調べたら教えてくれるテニスYoutuberたちに感謝、
テニスを楽しめる自分のマインドに感謝、
時間できたらテニスにでかけていく私を温かい目でみてくれる家族に感謝、
趣味を楽しめるという自分の今の人生に感謝….と感謝する項目がつきなくなりました笑

いや〜、ほんと、とっくに幸せでした、わたし苦笑。

体の症状も1つのサインなら、夢も1つのサイン、解読できると自分の深いところとコンタクトできたということになります。解読はクイズより面白い〜


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繰り返し同じ夢を見る方は、夢からのサインの重要度が高くなってるということになります(アラームが鳴ってる状態)。
自分で夢の解読が難しい場合は、一緒にそのサインを読み解くお手伝いができます。

詳しくは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/


パターンを変えるゲーム

例えば、人間関係で問題や悩みを抱えてるとき、

解決に向かえる1つの実践的な方法は、

相手といるときに、それまでとは違うパターンの言動や行動をとってみることです。

なぜなら、悩みや苦しさがずーっと続いていて、解決に向かわないのは、

ずーっと同じパターンの言動や行動を自分がとっているからなのです。

例えば、会社の先輩が苦手で、その人と仕事をしてると体が緊張してしまうという苦しさを抱えているとき、

自分がその人といて、どういう態度をとっているかを、まるで動画にでもとってたつもりで思い浮かべてみてください。

おそらく、毎回同じパターンの言動や行動を起こしてると思います。

例えば、その人が話をしてきてたら、いつも、ただ黙ってうなずいて、ただ時間が過ぎるのをやり過ごしているとか、です。

こういうときは、頭の中の思考も同じ反応しか起こしていなくて、

「ああ、この人ってどうしてこんなに威圧的なんだろう」

「わたしは、こういう人、苦手なんだよね」みたいな見方を膠着させているのです。

ですので、

同じ思考 → 同じ言動&パターン →  その人との関係性はずっと同じ状態

にとどまっているわけで、これをエネルギーでいうと、

そこにエネルギーが流れずブロックをこしらえた状態になっているのです。

そりゃ、本当に相手がとんでもなくひどい人で無理なんです、みたいな現実もあるでしょう苦笑。

でも、相手がひどいからといって自分まで長く苦しむ必要はないので、
この関係性は自分を苦しめてるな、なんとか変えたいなと

気づいたほうの人が(つまり波動が高いほうの人が)

”パターンを変えれば” いいのです。

例えば、いつもただ黙ってうなづいていただけど、

今日は、「はい、はい、と声にだして相槌をうってみよう」とか、

声を出すなんてハードルが高すぎると感じるのなら、

ではせめて、「目をみて思いきりうなづいてみよう」と変えるとか、

もしくはいつもうなづくだけで終わるけど、今日は最後に

「よくわかりました、ありがとうございます」と締めくくるようにしてみようとか、

もっと積極的なパターンで、

「先輩って、いつもすごいですよねと、ちょっとほめてみる」とか、です。

いやいや、先輩が怖すぎて行動にうつすのは無理です、というなら、

思考の反応を変えてみるのがいいです。

いつもの「威圧的な人」と自動的にみる反応をやめて、

「あー、この人も家ではただの女(男)の人なんだよね」と冷静に一人の人間としてみるように変えるとか、

「この人がもし仲の良い友達だったら、あんた、その話し方、怖いよ!って笑ってうまくつっこめるかも」とか、

いつもの自分の思考の反応を変えてみるのです。

そうすると、相手がちょっと違ってみえはじめます。

私はエネルギー療法というのをやってますが、

単純な言い方でいうと、人の問題というのは、エネルギーの流れがとまってるところに起こっています。

同じエネルギーパターンでとどまっていてエネルギーが流れてないよ、というのを教えてくれるために、心や体に痛みや苦しさを感じるようになっているのです。

(そうでないと私たちは気がつけない)

ですので、

もっと楽にいきたいとか、

もっと幸せを感じたいとか、

もっと波動をあげて良い事象を呼び込みたいとか、

そういう場合は、

自分が心地よいと感じていない部分を点検してみて、

そこで同じパターンを繰り返していないか、

同じ思考の反応でものごとをみていないか、をチェックしてみるといいと思います。

別の言い方をすると、

実はすべてのものごとは毎瞬間、あたらしく、起こってる のを、まるで繰り返しのように私たちがそれをみてるだけ、だと思います。

(これを心底腑に落とすのは難しいですが汗)

かくいう私も、今朝、いつもと違う行動をとってみました。

今までなら、少しブロックされた心で送らなかっただろうメールを、ある人に送ってみたのでした。

やっぱり、こうやって1歩すすむと、ふわっとエネルギーが流れて軽くなった感じがします。

そしてこの流れは相手にも影響するだろうなと感じました。

今朝は、そんなことが起こり、なんとなくですが今年は、人とのコミュニケーションの枠を1つ外すときなのかもと感じました。

パターンを変えるというと、抽象的なことに聞こえるかもしれませんが、

この世の人生はゲームみたいなものなので、ゲーム攻略法のように、

これまでの自分とは違うパターンを試してみよ!みたいな軽い気持ちで

面白がってやってみたらどうでしょうか。

実際、パターンを変えると、エネルギーの仕組み上、起こってくることも必ず変わってきますから、それを体験できたとしたら、こんなに面白いゲームはないと思います笑。

フィボナッチ数列に並べられたと思われるステンドグラス(無料写真から拝借しました)
このようなパターンでエネルギーが上昇し流れるのが自然なのだと思います。

いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。

感情から意識へ

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします(礼)。

今朝、小さなお子さんを子育て中の方から、

「ほぼ愚痴のような相談」とご自身で表現されているメールを頂きました。

愚痴の内容を簡単に書くと、

ご自身がしたい仕事や活動がたくさんあって、次々とその用事がやってくる。

楽しいからと、それらを優先してると、

家事等が疎かになり、ご主人と家庭内で険悪になる

みたいなことでした。

いや〜、そういうこと、よくありますよね苦笑。

この女性はご自身のしたいことが活動や仕事ですが、

そうでなくて単なる趣味や遊びであっても、自分個人がしたいことと、

家事など生活でこなさなければいけない事(食べるための仕事も含め)との兼ね合いが難しいと感じることは、誰しも経験があるのではないでしょうか。

このようなお悩みに対するアドバイスは、いろいろな方面からできると思いますが、

今回このメールを読んでて降りてきたインスピレーションにしたがって、以下のようにお伝えしようと思いました。

ポイントは: ”感情から意識状態に移行しましょう” です。

ご自身の言葉で「愚痴のような相談」と書かれていたように、

この方は起きてる現象に「愚痴」が出てきています。

「愚痴」というのは、嫌だな〜みたいに自分が心地よくないときに、でてくるものです。

この心地がよくない状態というのは、「感情の状態で止まってる」から起きます。

感情というのは、煮詰めると(?)、快か不快か(心地よいか心地よくないか)です。

怒りや悔しさや寂しさなどを感じてるなら不快で、

喜びや嬉しさ、満足感などなら快です。

具体的にこの方の例でいうなら、

家事をこなせてなくて責められてる状況は嫌だなとか、

自分がしたいことはしたいし家事もこなしたいのに、体力や時間が足りなくて、両立できなくて苦しいとか、

もうちょっとダンナが手伝ってくれたらいいのに、なんでやってくれないんだろう!と小さな怒りがあるとか、そういう不快な感情の中に留まってるということです。

この不快な感情の状態で止まってるから心地がよくなくて、それが愚痴となってでてきてるのです。

ちなみに愚痴がでるのは悪いことでもなんでもなくて、

自動的に誰でも持つと思います、もちろん私も笑。

ただ、そこで止まってるから苦しい状態になってるので、そこから離れたらいいのです。

自分の不快な感情に気がついたら(愚痴がでるなら)、

次のステップとして「意識(気づき)」へ移ればよいのです。

「感情に同化した状態から、意識状態に移行する」と良いのです。

ご相談の例でいうと、

愚痴がでた → 自分が持ってる不快な感情に気づく(感情に気がついてるとき、すでに意識状態にいます、気づいてるときはもはや感情と同化していないので)

感情に気づいたら、その意識をさらに進めて、

”この状況は何を私に教えてくれてるかな〜” 

”この体験で私が気がつかないといけないことは何だろう”

とか

”今の心地よくない状態を心地よくするには、どうしたらいいんだろう”

みたいに、意識状態で「気づきを得ていく」のが次のステップです。

これは何をしてるかというと、

感情と一体化した自分(エゴ)は横に置いておいて、

上の次元でモノをみる意識の状態になる(観察者、魂の視点に立つ)というのをやっています。

人の苦しみは、エゴと同化してるときに起きますので、そこを離れて上の次元で

体験をみていくということです。

この意識状態で起こる「気づき」は、人それぞれの波動をあげていくときに必要なもので、

それらの気づきで、波動が調整されたり、過去生で未完了にしてきたカルマが解消されたりしていきます。

そもそも目の前に起きてる不快と思える体験や現象は、

その人にそのような必要な気づきを起こすために起きてるのです。

ということで、愚痴があがってきたら、そこで持ってる自分の感情に気がついて、

次の意識状態へ移行して気づきを得たならば、

全ての不快な出来事や感情は、自分の波動をあげるチャンスであったのだと

ありがたく感じられます。

さあ、ご相談者の方は、どんな気づきを得られるでしょうね…..
(この方にはレメディを処方していますので、レメディが気づきのヘルプしてくれると思います)

ーーーーーー

私個人も、このご相談者の方と同じ愚痴を持ったことが過去にあります。

そのときの ”この状況は何を私に教えてくれてるかな〜” に対する私の気づきは2つありました。

1つは、自分がしたいことと家庭の両立は難しいとどこかで私は思ってたんだな、

だから、このような状況を引き寄せたんだな、でした。

この思いが形成されたのは、私の母が自分のしたいことより家庭のことを優先してた人で(昔のお母さんは大概こういう生き方だったのでしょう)、私はそれが嫌だな〜と思っていたことがあったのです。

なぜ嫌だったかというと家事をしてる母は全然楽しそうじゃなかったから(常に顔をしかめていました汗)。

だから、それをみながら、母親業だけでなく自分の人生も楽しむことが大事という価値観を私は持っていて、

しかし、実際、家事と自分がしたいことの両立の成功例を身近でみたことがないので、自分も母みたいにどちらかを選ばねばならないのでは?!、両立は難しいのだという思い込みを体験してたというわけです。

この思い込みに気がついた後、私はこのようなときにどうしてるかというと、自分らしい(自分が心地よい)家事と自分のしたいことの割合をなんとなく把握しています。

子供が大きくなった昨今は、家事 3 : 自分がしたいこと7  くらいです笑。

(子供が小さいときは違う比率だった)

ですから、今、家事にあまり手をかけてないけど、このくらいが私らしくて、私が笑顔でいられるから、これでいいなと思ってます(心地よい状態を自分でみつけたということ)。

当時のもう1つの気づきは、ダンナさんのことでした。

したいことと生活でやるべきことの両立で”不快”を体験していたのは、私だけでなくダンナさんもそうだった、ということに気がついたのでした。

彼の仕事はどちらかというと食べるためにやっているので(仕事での楽しみがゼロではないですが)、彼も自分や家族の暮らしのために、自分のしたいことを存分にやっていないんだということに思い至りました。

この気づきを得たことで、私がその当時思ったのは、彼がしたいことがはっきりしたら、そのときは今の私に彼がしてくれてるみたいに応援しよう、ということでした。

私の家事が手抜きでも彼が文句いわなかったように、彼の稼ぎが少なくてもそれで満足しようとか笑、

私が自分のしたいことをするのに助けとなるお金を稼いでくれたから、もし彼がしたいことがはっきりして私がフルで働かないといけなくなっても喜んで何でもやろうとか、

あとは、そもそも、私がしたいことをできる時間を持つことや環境を整えてもらってることに感謝をすることを忘れてたな、とか、そんなことにも気がついたのでした。

というように、このような気づきを得ることができたら、もう不快な感情とは一体化しておらず(不快な感情は消え去ってる)、

自分らしいやり方を前向きに模索していたり、

相手を思いやったりして暖かい気持ちで心地よくなります。

最後に、

”これは私に何を教えてくれてるかな〜” という意識状態になっても、

「私は何にも気がつけないんですが」という質問をいただくことがありますが(以下、何回か過去記事に書いてますので繰り返しになります)、

そういうときは、

「この体験で何に気がつけばよいかどうか教えてください」とあなたの高次元の存在にお願いしてみてください。

そうすると、必ず、ふっと気がつくことが降りてきます(人によって時差があります笑、でも必ず起こります)ので、どうぞ体験してみたらいかがでしょうか。

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↑ 年始に自分ルーツをみつめる旅をしてきました。キリスト教信者ではないけれど、小さい頃にこういうものを自然にみてきた環境は私に大きく影響してるなと改めて感じました。というより、ここを選んで生まれてきたのだろうなとも思いました。

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自分では、感情を離れて意識に持っていくのが難しすぎると思う方、

コンサルテーションを通して、その作業を一緒に進めることができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

恋愛分析

人の大きな悩みの1つに恋愛があると思います。

思考では制御できない現象で、

ワクワクする素敵な体験でもあるけど、

いったんうまくいかないと、心をここまで苦しくできるのかとおののくような(笑)現象にもなります。

恋愛もいろんな角度からみることができると思いますが、

まずは脳内物質でみていくと(精神科医:樺沢紫苑さんの著書あり)

ドーパミン的恋愛とオキシトシン的恋愛にわけられるそうです。

>「ドーパミン的恋愛」とは、盛り上がる、情熱的な恋愛

>「オキシトシン的恋愛」とは、そこにいるだけで幸せ、という恒常的な愛情

簡単に私の言葉で書かせてもらうと、

ときめいて恋におちてずっと一緒にいたくて夫婦になった(ここまでドーパミン的)、

子供もできたり生活していくうちにお互いに色んな面がみえはじめ、

人としては嫌いじゃないけど、お互いにときめかない状態(これがオキシトシン的)

ということだと思います。

恋愛によってでるドーパミンは、2-3年で失われるそうですから、

世の中の夫婦の多くは、こんな感じではないでしょうかね(我が家も例外ではありません笑)。

中にはずーっとドーパミンをだして恋愛に永続夢中な人もいますが、

それはそれなりの刺激が続いてるからだと思われます。

相手を定期的に取り替えてるとか、決してかなわない恋だとか、どちらかが片思いの状態だとか、

もしくはある種の障害があるために完全にオキシトシン的=安心状態にならない=つまり執着や依存状態ともいえるかもです(ツインレイのケースもありますが)。

というように脳内物質からみるならば、

ときめきが薄れたよくある夫婦関係も、

実はみたされた安心感のある愛情関係に移行してる、と言えるかなと思います。

他の見方でいうと、ギリシャ哲学で分類される「愛」の様相の見方があります。

エロスeros

フィリアphilia

ストルゲーstorge

アガペーagape

と4つの種類があるのですが、エロスはおなじみな言葉ですよね。

その言葉通り、エロスは上記でいうとドーパミン的でいわゆる燃え上がる恋愛で、

性的な関係につながる愛です。

フィリアは、好きな友人や他者に対してもつ愛のことを指します。

日本だと友愛という言葉がこれに当たると思います。

好きな友人のために一肌ぬごう!なんて感覚もフィリアだと思います。

ストルゲーは肉親/血縁に向けられる愛です。親子や兄弟、親戚に対する愛です。

エロスやフィリアは、その人を好きな間だけ起こる「愛」といえるかなと思います。

だから、永続的とは限らず、その人が嫌いになったら、終わる愛です。


ストルゲーは肉親に対する愛なので、

憎しみあう親子であってもきれない縁があるので(憎しみは愛の裏返しなので)

ほぼ永続的と言える愛と思います。



つまりストルゲーは対象人物がどういう状態であれ、持ちつづける愛で、

私の言葉でいいかえると 「つながり」「きずな」に対する愛だと思います。

アガペーは、聖書にもでてくるので、上記2つの言葉よりは聞き慣れてるかもしれませんが、

無償の愛 神の愛 を指します。

いっさい条件のない愛。

慈愛という日本語もこれを指すかもしれません。

この4つの「愛」の種類には

優先順位というのはなく、ただ4つの様相を示してるだけですが、

精神の進歩度合いでいくと、もしくは歳を重ねて成長していくとしたら、

やはりエロスから始まって、最後のアガペーを体験するように人生をたどっているのではないかと思われます。

エロスの愛はうつろいやすく、

幸せと別れを繰り返すループになることは、恋愛を体験してきたひとはわかってるし、
もちろん、それを体験しつづけるのもまた人生の醍醐味でしょうが、

それを超えた心からの安心や永続的な愛を求めていくのも、また自然な心のように思います。

(と書きつつ、素敵な人がいてときめいたら、やっぱ嬉しいですけどね笑)

心や精神世界の視点で恋愛をみるならば、

人が恋愛に落ちる相手というのは、

自分に持っていないものを、その誰かが持ってるからだと思います。

美しい人や、かっこいいと思う人がすきなのは、

その美やかっこよさを自分が持っていないとどこかで感じてるから。

お金をもってるひとや、権力をもってたり、有名な人がすきなのは、

その強さや成功、知名度を自分が持ってないとどこかで思ってるから。

なぜなら、恋愛というのは、究極には 1つになりたくて起こる現象だからです。

体を1つにすることもそうだし、

自分にないものを相手に補ってもらって、1つの完璧なものになりたいという心の現れだからです。

(1つになった先には「創造」がある、セックスで子をつくるのも創造)

ということで恋愛を覚めた視点でみるならば、

そんな感じで自分に足りないものや、

自分が欲しいものを相手に求める現象ということになります、チーン(なんか寂しい?…汗)。

エネルギーという観点で言うならば、

恋愛というのは、エネルギー上昇していくために(高次元のエネルギー体となるのに)通る過程の1つだと思います。

恋愛対象の相手とエネルギー的にひきあって、

そのひきあったときに起きるエネルギー現象を使ってお互いに波動をあげていく、

そのレッスンをしてると言えるんじゃないかと思います。

原子が、他の原子とひきあって、

不足や過多になってる電子をお互いに放出したり or 受け取ったりして

イオンを帯びて安定しようとする動きと同じではないか、と思います。

最後に、この記事を書きながら、私の場合はなんだっけ?

ダンナさんと恋におちたときに、

私が持っていなくて、私が欲しかったもので彼が持っていたものは?と考えてみたら….

私は、基本的に草食系男子が好みだったのですが、

ダンナさんにであったのがパリの図書館で(ツボですね、こりゃ)、

彼は眼鏡をかけてて、一人で本を読んでた(これもツボですね笑)、

そして親しくなって個人的に話をしたら、文化教養度がめちゃくちゃ高い!と思ったのを思い出しました(理系の人なのに、文学やクラシック音楽、美術など多方面で詳しかった)。

そっか〜、私は自分に足りないと思ってた文化教養度を、彼といることで補っていたんだな〜とわかりました (念のため、私が持ってなくて彼が持っていたものは、これだけではありませんが)。

結末としては、結婚して、特に今の田舎に住むようになったら、

ダンナさんは草食系からクマのような人になりましたけどね涙&オキシトシン笑。

ということで、恋愛の悩みを持ってる方は多いですが、

違う視点で恋愛をみると、それは悩みではなくなるかもしれません。

ーーーーーーーーー

それでも恋愛で苦しくてたまらない方、その恋愛であなたになにが起こってるか、
一緒に解き明かしていくことができます。

コンサルテーションだけでなく、レメディやエッセンスを使って、

あなたのその恋愛で停滞したエネルギーを解放することができるかもしれません。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ: https://arnicahomeo.com/

体験するためにいます

夏頃にコンサルテーションを受けた方で、そのときに困っていた心の問題は静まったけれど、

最近は、別の問題のループにはまってるということでメールをいただきました(ご本人の許可をいただいて記事にしています)。

その問題と共にみられる体の症状は、右手の甲の肌の問題(肌が荒れてる)です。

手というのは、体の中でも最も様々な行為ができる部位で、その手を使って、

自分が何かしたり、相手に何かしてあげたりするために使います。

手の甲は、内側というより外側に向けてる部位なので、

この女性の症状は、

外側=他者に対して何かするときに問題があるよ、というのを教えてくれています。

この方は、その部位が ”荒れてる” と表現されていますので、

他者に対して起こしているご自身の行為が荒れている(穏やかでない心)を教えてくれてると思います。

彼女のループにはまってる問題の相手はご主人で、お二人は仕事を一緒にしています。

具体的な問題は:

“(仕事をしていく中で)ある程度(奥さんが)失敗も予測できて、

(失敗になると思うからそうしないほうがよいよと夫に)助言したにも関わらず、

(夫が)それをせずに、結果失敗に終わることがあると、

ムカつき、イラつき、(夫を)許せない気持ちが出てきます ”

というものです。

手の甲の問題は、これと関連してるように思えます。

それにしても、このような問題、夫婦や母子間にアルアルではないでしょうか〜苦笑。

奥さまご自身が学んで習得したことを失敗しないようにご主人に伝えたのに、

その助言を聞きいれないだけでなく、案の定、失敗してる….. しかも1回だけじゃない汗

もうっ! だから!言ったでしょっ!!

と、なりますよね苦笑。

このような日常の心がささくれだつ(笑)問題を、どう考えていくかの答えは、

人それぞれなので正解などありませんが、

私がメールでお答えしたのは、一文で書くとこれでした ↓

相手の人生の体験の機会を奪わないでおく

ーーーー

この世は、”失敗しない”ことがすごく大事なわけではないと思うんです。

うまくいきたい、成功したいというのがベースにあるにしても、

全てのことに対するモチベーションって「これ、やってみたいな」という

ただ、そんな気持ちじゃないかなと思うんです。

人って、やってみてどうなるか、を体験したいのだと思うのです。

もっというと、私たちはただ体験するためにこの世に来てるのだと、私は思っています。

この奥様ご自身が、過去に何かを体験したから(彼女にとって)それは失敗する、という結果を得たわけで、

だから、その彼女の体験をご主人様にシェアして助言はしたとしても、

それでも敢えて実行するご主人様を、

あ〜体験をしたいんだな、と見守っていると心は穏やかでいれるかもしれません。

ジェットコースターに乗ったことがない人が、乗った体験のある人から、

「あの頂上で止まってシンとしてから突然落ちる時が怖いんだよ」といくら口で教えてもらっても、

自分が乗らない限り、それを体験できないのと同じようことかもです。

ご主人が1回の失敗で懲りないのは、

腑に落ちないと学ばないタイプで、まだ、彼の腑に落ちてないのかもしれませんが、

別の見方をするならば、

奥様からみると、それは ”失敗” にみえるのだけど、

ご主人からすると それは ”失敗”ではなくて、

”なにかにチャレンジしてる行程中” 、うまくいくかやってみてる途上ではないかなと私は思います。

ご主人は、奥様が体験したのとは違う結果を導き出そうとしてるのかもしれません。

ーーーーー

さらに、この事象は、他の角度からも分析することができます。

奥様は、失敗しないように、と転ばぬ先の杖をご主人に差し出していて、

その杖を使ってくれないので、イライラしています。

手の甲の症状が右側ですが、右に症状がでてるときは「与える」問題があるときです。

ですから奥様は(助言や手を出すのを)与えすぎてるかも、と言えます。

だとすると、なぜ、与えすぎているか….. です。

私が、自分自身やクライアントさんたちを通してみてきたところでいうと、

他者に情報や、助言や、実際の助けなどを与えすぎてるとき、

その人は自分のことをないがしろにしています。

自分自身を見ることや、自分自身についてすることから逃げて、

他者のことに一生懸命注目してるのです。

他者のことには口を出しやすい、他者のことは見えやすいから。

一方で、自分自身が中心になって何か体験するのを避けてるか、怖がってるのです。

ということで、

ご主人やお子さんをはじめ、

ご家族やご友人などに、

手や口を出して不快な摩擦が起きてる場合は、

自分が手や口を出しすぎていないかセルフチェックしてみるといいかなと思います。

そして、自分自身は「これ、やってみたいな」という自分の体験をおざなりにしていないか、

自問してみるといいかもしれません。

「これ、やってみたいな」ということって何だろう?と自分に問うて、

ぱっと浮かんできたこと、それが何であれ、

それをやっていたら、他者のミスや他者の行動にそんなに注目していられないので、

自分と他者の距離のバランスがとれていくと思います。

最近、私が体験したかったのは洗面所のタイル貼り笑 ↑
洗面所の漆喰の壁に飛びはねた水汚れが目立ってきて、ただ塗り直すんじゃなくて、気分があがるのはなにかな〜と考えました。

昨今は”タイルシート”という商品があって、陶器のタイルがシート状で貼れるのです、ありがたや。
問題は、漆喰壁にはそのシールがくっつかないこと汗。

旦那さんも、仲良しの大工さんも、薄いベニヤを貼るとかしないとくっつかないよと助言くれたけど、どうしてもそういうのなしで貼れるかやってみたかった…..笑。

いろいろ検索して&考えて、結局、壁に薄い膜をつくれる商品をホームセンターで購入して、それからタイルシートを貼ったら、ばっちりくっつき貼れました! やっぱ、どうなるかなって体験してるときが、私も一番楽しいです笑

HSPだとしたら

HSPと言われる人をどう思いますか?

というご質問をいただいたので、記事にしたいと思います(ネタありがとうございます、礼)。

HSPは、かなり普及してる言葉だと思うので説明不要かもしれませんが、

Highly Sensitive Person の略語で、

簡単にいうと「超敏感な人」のことを指します。

エレイン・N・アーロンというアメリカ人女性心理学者が、25年ほど前にこのタイプの人のことを本に書き、

共感を持つ人が多かったため、徐々に世界で認知されていったワードです。

HSPは後天的に形成された性格というより、もともと持って生まれた性質のことを指しています。

HSPの代表的な特質としては、

音や光や匂いなど環境からの刺激に超敏感である とか

他人の気分や雰囲気に非常に大きく左右される とか

変化や起きる出来事で、神経が他の人よりもたかぶる

というような反応があげられます。

HSPをどう思いますか?と尋ねられたのは、ご質問者ご自身が、

自分もそのような気がするということらしく、もしそうなら、

そのことをどう考えていけばいいのかを知りたかったようでした。

どう思うか?ということに対しては、

私個人としては「特に何も思いません」です。

これは、

下世話な例でいうと、

”陰キャ” とか ”陽キャ” みたいなもので

(余談ですが、これらは昔は”根クラ”、”根アカ”と呼ばれてた笑)

そういうカテゴリーを設けるなら、確かにそこに入る人はいるよね、と思うくらいです。

実際、クライアントさんでも、私はHSPだと思います、と自分からおっしゃる方に何名もお目にかかったことあります。

中には、HSPというカテゴリーがあったことで救われた気分になった方もいます。

生きづらいのは自分のせいじゃなかったんだ、そういう性質だったからなんだ と安心したとか、

そういう超敏感な人が自分以外にも一定数以上いるとわかって (15-20%という統計あり)、

自分だけじゃなかったんだ!という孤独感の払拭にもなったようです。

このような人の性質や性格の分類分けにはいろんなカテゴリーやジャンルがありますが、

それに自分を当てはめるというのは、何をしてるかというと

自己認識

なんだと私は思います。

自分はこういうところあるよね、とか、

自分という人間は、文章にしてみればそういう表現で形容できる人間だよね、

みたいな自分を客観的に認識する1つの手段だと思います。

だから、もし自分がHSPだなと思ったら、それは自己認識した段階といえると思います。

ここから、ちょっと自分のことを例に書きたいと思いますが、

今回この記事を書こうと思ったので、ネット上にあるHSPセルフチェック(テスト)というのを

3つほどやってみました。

そしたら、2つのテストでは、私はギリギリHSPの範囲であるというのと、HSP中度であるという結果がでました。

3つめのテストでは、「あなたはHSPではないようです」という結果になりました。

もし、このセルフチェックを30年前にやっていたとしたら、

私は完全に高度なHSPと認定されたと思います。

私は、エネルギー療法というのをやってるだけあって、いわゆるエネルギーにとても敏感です。

だから、HSP気質の人の特徴である

音や匂いや光にももちろん敏感ですし、

カフェインや暴力的な描写などにも弱いし、

人が放つエネルギー → つまりは気分や雰囲気、不快な思いなどを察知する能力も高いと思います。

ですから、生まれ持った気質は完全にHSPだと思います。

とはいえ、30年前なら高度なHSPと認定されたであろう私が、

今はそうでないとか、中度や低度の判定がでたのは、

HSPと診断される幾つかの基準は、もともとの性質や気質だけといいきれないものがあるからで、

それらの点を、私は今までの人生で生きやすいように変えてきた、と言えると思います。

私が変えてきた点は、例えば、以下のようなものです(セルフチェック項目よりコピーさせてもらいました):

ーミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている

ー短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう

ー仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる

ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

このような自分を追い込んだり、つらい気持ちになったりする意識は、

モノの見方や考え方などを変えることで、変化させることができると思います。

別の言い方をすると、これは一種のエネルギーブロックがおきてる現象ではないかと私は思うからです(そのブロックがなくなれば解消する可能性が大きい)。

例をあげると、

ミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている

→ 過去にミスをしたり、物を忘れた体験があり、そこで恐怖や不安をもってしまったので

そこに今もひっかかってる

今は、そのようなブロックは私にはないので、

ただ現実的にミスや忘れ物をしないよう事前に自分で対処するだけです。

(精神的な不安は恐れはなくて、物理的なチェックをするのみ)

もちろん、それでもミスや忘れ物は起こり得ますが、それに対して、必要以上に自分を責めたり、恐れたりすることはありません。

事前にできることはしてたけど、ミスや忘れ物がおきたら、

あー、これを忘れるようになっていたんだな、とそれが起きたことを受け入れるみたいな感じです。

もしくは、その忘れものが重大なことであった場合は、

これを忘れたことは、私に何を教えてくれてるんだろう?というような見方をして、

そこで何かに気がついたら、次回からそれをしないようにするだけです。

ですから、そのようなことで神経をすり減らしたり、考えすぎで苦しくなったりすることはありません(影響を受けすぎない)。

他の例もあげると、

ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

これも、確かに神経はたかぶりやすくなりますが、

フォーカスすべきは、今、現在、目の前で起きてることだけ、という意識を持ってるので、

今、できることだけに集中して、それ以外は「今は」考えないようにしています。

そうすると、いっぺんに複数のことを考えてテンパることはなくなり、

物事が多数起きてようが、1つのことが起きてようが、要はやることは1つのみなので、

集中して落ち着いて

物事をすすめることができるようになってきたわけです。

もともとの敏感すぎる気質についていえば、

例えば私は仕事でこれを生かしてるな〜と思います。

HSPというような敏感な気質は、いわゆる感度が人よりよいわけで、

神様からの才能のプレゼントともいえますから、それを活かす方向に考えていればよいと思います。

(HSPを困った性質ととらえる考え方をしないことが私のおすすめ)

その敏感さで気づいてあげれることがまわりの人の癒しにもなるし、

植物や動物のことをよく感知してあげられるから、そういうところで生かしたり

環境への変化にいち早く気づくことができたりするから、それを社会へ発信することもできるだろうし、

またその感度の高い感性を、絵やら詩やら小説やら漫画、音楽など芸術でいかすこともできると思います。

ーーーーー

ということで、HSPについて私の考えをまとめますと、

HSPという自己認識した段階を過ぎたら、

HSPだから私は人とは違う、とか、

私はHSPだから無理、みたいな「特別意識」で、

他の人との垣根や壁をつくらないことが大事ではないかなと私は思います。

HSPでなくて、逆に人の気持ちや感情を感じることができなくて苦しんでる人もいたりします。

ですから、自分だけが苦しい、自分だけが生きづらい、そう思わないで、

その難点を工作みたいにあれこれ工夫したり、生かす方向にいって、それすらも楽しんで体験してしまおうと思えばよいのでは、と思います。

どんなジャンルのこともそうですが、カテゴリーという分類を

自分と他者をわける分離の方向に使わないで、

カテゴリーでの違いを知った上で、

あえてそれぞれが統合されていく方向に使っていけるといいなと思います。

↑ 先日の夕方、家からみた虹、山と山をつないで大きな橋が架かっていました。


虹は7つの色が同時にみれるから美しくて貴重だなと思います。

7つの色は異なっているようだけど拡大するとグラデーションで切れ目なくつながっています。
人間も性質や容姿でかなり違ってるようにみえるけど、その違いは虹みたいなグラデーションの現れで、実際に人は中身をあけてみたらそんなに違いはないだろうなと思っています。

ーーーーーーーーーーーー

HSPの人のような生きづらさを抱えているかた、

過去にため込んできたエネルギーブロックを外して、

少しだけ楽に生きてみませんか。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

異なる意見を合わせるとき

メールでご相談をいただきまして、そしてそれはわりとよく頂くご相談なので、この機会に記事にしてみようと思います。

内容を簡単に書くと、

ご相談をしてくださった女性は、子供や家族の日常の健康維持のためにホメオパシー療法を使いたい

ご主人は、それを快く思っていない、むしろ使ってほしくない

いくら話し合っても平行線、どうしたらよいでしょうか、です。

こういう問題が浮上してきたとき、

対象が「ホメオパシー療法」というマイナーな(笑)療法なので、

それがそもそもどうなのか?という

対象物にフォーカスをしていくと、解決にはつながりにくいと私は思います。

対象物にフォーカスをすると、

それは怪しいとか(苦笑)、エビデンスがなんちゃら、とか、

かたや、これは健康にいいんだとか、免疫力があがるとか、

どっちが正しいか間違ってるかという結論の出ない論争になるからです。

もし、夫婦で意見が合わない対象が、

子供の学校をどこにするか? とか、

どこの地域で家を買うか? とか、

親の介護はどうするか?

みたいな、大きな人生の選択だとしたら、

夫婦で意見が違うときはどうしますか?

これと同じような問題が起きてるとみるとよいのでは、と私は思います。

対象が

ホメオパシー療法であろうと、

家を買う町をどこにするか、であろうと、

複数の人間の意見が異なっているときに、

どのようにしていけばお互いが気持ちよく理解しあって、納得がいく選択ができるか、というレッスンに対面してるのだと思います。

ここから、あくまで私個人の考え方というかやり方ですけど、

そういうとき、いつもお互いの「ツボ」があるなと思っています。

ご相談の例でいうと、

ご主人にはご主人の反対意見のツボがあるのです。

メールから読み取ると、私が思うご主人のツボは、

ホメオパシーはいいのか悪いのか実際よくわからない、

でも嫌だなと思うのは、それを良いと思い込んでる奥さんの頑(かたくな)さで、

それは別の言葉でいうと、それを信じすぎてる感じがして違和感を感じるということだと思います。

いわゆる宗教に入って洗脳されてるような不気味さを感じるのだと思います。

これを心の言葉でいうならば、

そっちを頼りにしてるけど、俺の考えは信頼していないし、俺を頼りにもしてないよな、

というような寂しい気持ちもあるのでは、と思います。

私はそのホメオパシー療法をやっていますが笑、このご主人の気持ちはとてもよくわかります。

だって、もし、ご主人がセミナーかなにかである人に感化を受けてきて、これをやったら人生が好転するよ、とかいいだして、なにか特定のことを真剣にやり出したら、

うわ、大丈夫?!って思いますよね?

それと同じだと思います。

ちなみに、奥さんの方も同じで、奥さんがそれを使いたいと思うツボ(もしくは医療をなるべく使いたくないというツボ)があると思いますので、

それをちゃんと自分で把握しておくのが大事と思います。

ということで、私は、意見が違う人となにかを決めていかないとならないときは、

反対してる相手が一番恐れてることは何か?

反対してる相手が最も嫌がってることは何か?

を知るのが、もっとも早い解決法だと思っています。

誰かが何かに反対!というとき、

隅から隅まで全て真っ黒に反対!と思ってることは少なくて、

ある数点のみの部分が、真っ黒で反対!で、

残りの部分は、意外とグレーか白で、そこまで反対では、なかったりすることがほとんどなのです。

ですので、真っ黒な部分=ツボ をまずは知ることが、解決の糸口になると思います。

頂いたご相談の例に戻ると、

ご主人がもっとも嫌だと思ってることを、具体的に話してもらって、

それをまずは理解して共感する。

例えば、私の推測のように、ご主人が奥さんの狂信的なところを嫌だと感じてるなら、

「そうか、なるほど、それはわかるわ、確かに不気味だよね、そうだよね〜 心配するのもわかるわ」

「でも大丈夫だよ、そこまで狂信的じゃないけど、そうみえるなら理性的でいるように注意するね。そして、今後はあなたの意見をまず聞くようにするね」

という感じで、相手の最も嫌だと思う部分に対する理解や妥協案を示すと、

相手のツボはおされてゆるむ、と思います。

ここで相手はどう感じるかをそこで再度聞くのもよいと思います。

そしたら、次に、自分のツボもそこでいれるといいと思います。

「なにか重大な症状とかはちゃんと医療にかかるけど、

でもできたら日常のケアは、ホメオパシーを使っていこうと思うんだ。

使ってみて効果を感じるし、あと、私は、あまり薬という化学的に合成された物質を体に入れたくないんだ」

みたいな自分のツボを知らせて、相手に私はそこが大事だと思ってるんだ、とわかってもらえるといいなと思います。

人は、できたら、わかりあいたい

それはどんな人も同じだと思います。

そのためには、まずは、自分の方から先に相手をわかってあげるのが大事

→ かといって、そんな寛容な人間になれないかもしれません(わたしもなれない笑)。

そんなとき

相手を全部わかってあげなくてもいいし

相手を全て受け入れなくてもいい…..

相手のツボだけ、わかってあげて、そこだけ受け入れるなら、

できるんじゃないでしょうか。

面白いのは、そのお互いのツボが通ったとき、心が通い合ったように感じるのです。

それはとっても心地よい体験です、お試しあれ。

お互いの心が一部でも通いあったときは、雲の隙間から光が差し込むような感じ。希望がもてます〜

ーーーーーーーーーーーーー

いつも誰かとぶつかってしまう、

誰かともめたらいつもあきらめてしまう

それが自分の人生の大きな問題だと思ってる方、

それはあるエネルギーパターンを身につけてしまってるから、のことが多いです。

コンサルテーションで、それが何か一緒にみていくことができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/