異なる意見を合わせるとき

メールでご相談をいただきまして、そしてそれはわりとよく頂くご相談なので、この機会に記事にしてみようと思います。

内容を簡単に書くと、

ご相談をしてくださった女性は、子供や家族の日常の健康維持のためにホメオパシー療法を使いたい

ご主人は、それを快く思っていない、むしろ使ってほしくない

いくら話し合っても平行線、どうしたらよいでしょうか、です。

こういう問題が浮上してきたとき、

対象が「ホメオパシー療法」というマイナーな(笑)療法なので、

それがそもそもどうなのか?という

対象物にフォーカスをしていくと、解決にはつながりにくいと私は思います。

対象物にフォーカスをすると、

それは怪しいとか(苦笑)、エビデンスがなんちゃら、とか、

かたや、これは健康にいいんだとか、免疫力があがるとか、

どっちが正しいか間違ってるかという結論の出ない論争になるからです。

もし、夫婦で意見が合わない対象が、

子供の学校をどこにするか? とか、

どこの地域で家を買うか? とか、

親の介護はどうするか?

みたいな、大きな人生の選択だとしたら、

夫婦で意見が違うときはどうしますか?

これと同じような問題が起きてるとみるとよいのでは、と私は思います。

対象が

ホメオパシー療法であろうと、

家を買う町をどこにするか、であろうと、

複数の人間の意見が異なっているときに、

どのようにしていけばお互いが気持ちよく理解しあって、納得がいく選択ができるか、というレッスンに対面してるのだと思います。

ここから、あくまで私個人の考え方というかやり方ですけど、

そういうとき、いつもお互いの「ツボ」があるなと思っています。

ご相談の例でいうと、

ご主人にはご主人の反対意見のツボがあるのです。

メールから読み取ると、私が思うご主人のツボは、

ホメオパシーはいいのか悪いのか実際よくわからない、

でも嫌だなと思うのは、それを良いと思い込んでる奥さんの頑(かたくな)さで、

それは別の言葉でいうと、それを信じすぎてる感じがして違和感を感じるということだと思います。

いわゆる宗教に入って洗脳されてるような不気味さを感じるのだと思います。

これを心の言葉でいうならば、

そっちを頼りにしてるけど、俺の考えは信頼していないし、俺を頼りにもしてないよな、

というような寂しい気持ちもあるのでは、と思います。

私はそのホメオパシー療法をやっていますが笑、このご主人の気持ちはとてもよくわかります。

だって、もし、ご主人がセミナーかなにかである人に感化を受けてきて、これをやったら人生が好転するよ、とかいいだして、なにか特定のことを真剣にやり出したら、

うわ、大丈夫?!って思いますよね?

それと同じだと思います。

ちなみに、奥さんの方も同じで、奥さんがそれを使いたいと思うツボ(もしくは医療をなるべく使いたくないというツボ)があると思いますので、

それをちゃんと自分で把握しておくのが大事と思います。

ということで、私は、意見が違う人となにかを決めていかないとならないときは、

反対してる相手が一番恐れてることは何か?

反対してる相手が最も嫌がってることは何か?

を知るのが、もっとも早い解決法だと思っています。

誰かが何かに反対!というとき、

隅から隅まで全て真っ黒に反対!と思ってることは少なくて、

ある数点のみの部分が、真っ黒で反対!で、

残りの部分は、意外とグレーか白で、そこまで反対では、なかったりすることがほとんどなのです。

ですので、真っ黒な部分=ツボ をまずは知ることが、解決の糸口になると思います。

頂いたご相談の例に戻ると、

ご主人がもっとも嫌だと思ってることを、具体的に話してもらって、

それをまずは理解して共感する。

例えば、私の推測のように、ご主人が奥さんの狂信的なところを嫌だと感じてるなら、

「そうか、なるほど、それはわかるわ、確かに不気味だよね、そうだよね〜 心配するのもわかるわ」

「でも大丈夫だよ、そこまで狂信的じゃないけど、そうみえるなら理性的でいるように注意するね。そして、今後はあなたの意見をまず聞くようにするね」

という感じで、相手の最も嫌だと思う部分に対する理解や妥協案を示すと、

相手のツボはおされてゆるむ、と思います。

ここで相手はどう感じるかをそこで再度聞くのもよいと思います。

そしたら、次に、自分のツボもそこでいれるといいと思います。

「なにか重大な症状とかはちゃんと医療にかかるけど、

でもできたら日常のケアは、ホメオパシーを使っていこうと思うんだ。

使ってみて効果を感じるし、あと、私は、あまり薬という化学的に合成された物質を体に入れたくないんだ」

みたいな自分のツボを知らせて、相手に私はそこが大事だと思ってるんだ、とわかってもらえるといいなと思います。

人は、できたら、わかりあいたい

それはどんな人も同じだと思います。

そのためには、まずは、自分の方から先に相手をわかってあげるのが大事

→ かといって、そんな寛容な人間になれないかもしれません(わたしもなれない笑)。

そんなとき

相手を全部わかってあげなくてもいいし

相手を全て受け入れなくてもいい…..

相手のツボだけ、わかってあげて、そこだけ受け入れるなら、

できるんじゃないでしょうか。

面白いのは、そのお互いのツボが通ったとき、心が通い合ったように感じるのです。

それはとっても心地よい体験です、お試しあれ。

お互いの心が一部でも通いあったときは、雲の隙間から光が差し込むような感じ。希望がもてます〜

ーーーーーーーーーーーーー

いつも誰かとぶつかってしまう、

誰かともめたらいつもあきらめてしまう

それが自分の人生の大きな問題だと思ってる方、

それはあるエネルギーパターンを身につけてしまってるから、のことが多いです。

コンサルテーションで、それが何か一緒にみていくことができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

いちどきにひとつのことだけ

今年、腸内細菌レメディプログラムというのに取り組んでいるのですが(ご興味のある方は、こちらの記事へ)、

今月は第7チャクラを開く効果のあるレメディをとったせいなのか、

こんなメッセージがインスピレーションで降りてきました。

いちどきにひとつのことだけをする

です。

一行三昧(いちぎょうざんまい)という言葉はまさにそれを表してると思いますが、

マインドフルネスとか、いまここにいる、とかも同じ意味と思います。

ということで、いちどきにひとつのことしかしない、を意識して毎日過ごし始めてるのですが、

ヒジョーにびっくりします。

わたし、こんなにいちどきにたくさんのことやってたの!?

自分でもあきれるぐらいのマルチタスカーでした笑。

例えば、

コーヒーを片手に持ってテーブルに運びながら、その途中で目についたキャットフードの袋を別の手でちょいっと元の場所に戻すとか、

歯磨きしながら、洗面台の汚れに目がいって、スポンジで少しこすったり、または鏡のくもりに気がついてタオルでふいたり(歯ブラシを口にくわえたまま!)、

本を読んでる途中で、ふと気になってスマホをいじってるとか、ふとお腹すいたとお菓子をさがしにいってつまみながら本読みはじめるとか etc…

ほとんど全てがこんな感じで日常を過ごしているのです。

そんな私が、いちどきにひとつのことをやっていくには、段階があるなと思いました。

まず最初の段階は、

行動として、ひとつのことしかしない

です。

行動を1つに絞ることから、始めてます。

上の例でいうと、コーヒーをテーブルに運ぶなら、まずは運ぶことを完了する。

キャットフードの袋が目に入って気になっても、コーヒーをまずは置く、そして置いたら次は袋を片付ける、みたいな感じです。

そうやって段々と、いちどきにひとつのことしかしなくなってきたら(それでもまだ複数やってたりしますが笑)、

行動だけでなく、その目の前のことにしか「意識を向けない」を、

次の段階としてやっています。

目の前で起こってること以外の思考をしないようにする、という感じです。

ご飯をたべながら、あとでしないといけないことを頭の中で想定してるときや、

ふと過去の出来事が浮かんであれやこれやと思っても、

それらのことを思考するのをいったんストップして、

ご飯をたべることだけに意識をもっていくような練習です。

とはいえ、これが、もう、とにかく、なかなかできません……

このようなブログ記事を書いてるときは、記事の内容に思考自体がいっていますので、

わりとできます。

でも、ご飯を食べるとか、洗濯物を干すとか、車の運転をしてるようなとき、

つまり体の動きがメインでなにかをしてるとき(特にその行動が慣れているもののとき)、

ふっと思考はどこかをさまようんですよね笑。

そして目の前のことから意識が離れてることに気がつきます。

あれ、また離れてた、ってこの繰り返し笑。

とにかくすごい頻度です大汗。

それにしても、いちどきにひとつのことしかしなくなったら、

行動がとても丁寧になるなぁ、 と思います。

つまり、自分にしたらいつもよりゆっくりなペースになってるなと思うのですが、

でも、それでこなしてる日常の仕事量に変化はありません。

マルチタスクしてたから、ひとつのことしかしないと効率が悪いのかと思いきや、

それは全くないどころか、

逆にもっと物事はうまくまわってるように感じます。

ひとつ、ひとつの物事を完了した感覚が伴うからなのかもしれません。

いちどきにひとつのことだけやる

いちどきにひとつのことだけに意識を向ける

これは、自分を新しい境地に連れていってくれる習慣だと思います。

つづけよっと!

茶道とはまさにそれ!ですね。

思考の数々を可視化できるなら

今朝、

「ネガティブに推理し続ける思考を止めらない」

というようなお悩みについて話していたせいか、

午後に久しぶりに庭の草むしりをしていたら、

「その思考が止められない状態というのは、つまりこういう感じだよね」

と生い茂った雑草がみせてくれてました ↓

これはヘクソカズラ(すごいネーミング汗)という植物ですが、つる性で、少し紫がかった茎が何重にもあちこちに巻きついていて、なにがなんだかわからない状態でした。

もし思考がこの植物のツルのように育っていくのが目に見えるなら、

それでもわたしたちは、その育っていく思考を止めないでしょうか!?汗

何度も何度も同じことについてああかもしれない、いやこうかもしれないと推理したり、

何度も何度も嫌な体験を蒸し返して思い出したり、

何度も何度も心配なことを予想してどうなるだろうと思考する…..

思考して思い浮かべるということは、その事象にエネルギーを与えてるということになりますから、

まさに頭の中で育てているわけです笑、みえないけど。

もし、思考してるときに出てくる言葉の数々が、

雲のような黒い文字として発生していき、頭の周りに浮かんでいくとしたら、

ほとんどの人の頭部は、真っ黒な雲で覆われて、顔や頭が判別できないかもしれません汗。

人によっては、全身真っ黒な文字の雲に覆われて存在がみえなくなってる人もいるかも笑。

でもそうやって可視化できたり、植物のように物質として思考が育っていくなら、

私たちは思考を途中で止めることができるのではないでしょうか。

思考がツルのようにグルグル自分に巻きついてきたら、うっとおしくってしようがないから、

私が午後の草むしりでしたように、つるを束で思い切りひっぱってブチッ!って切ったり、

園芸はさみでジョキッ!!と切り落とし、すべてのツルを払い落としてスッキリしたくなると思います。

そして、あーすっきりした、なんで伸び放題にしてたんだろう、って苦笑するのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、わたしたちの思考は外からはみえないし、

自分でもその量を客観視することができない。

だから、思考の数々がいかに自分を縛りつけているかみれないし、

同じ思考にどんどんエネルギーを与えて日々育ててることにもなかなか気づけないのかもしれません。

もちろん、わたしも常に思考しています。

気になることがあったときなど、ずーっと考えていたりもします。

ただ、その思考をツルのようにぐるぐる絡ませたり、何重にも大きく育ててしまう

ようなことはかなり少なくなってきたかもしれません。

考えてもなんの成果もでないどころか、自分を苦しませる思考については、

神にまかせた!(流れにまかせる)

と、自分でかかえこまないようにしたり、

瞑想して思考を洗い流したり(思考はわくけど、どんどん流していって留めない)、

例えばテニスに集中することで、思考しない時間をつくって、思考回路を完全に切り替えるとか、

そんなのが、グルグル巻きの思考に陥らないわたしの方法かもしれません。

そして、今日体験した草むしりも1つの方法として使えるなと思いました。

なにか気になることを思考しだして、

それがツルを巻いたようにグルグルしてきたら(思考するのを止められなくなったら)、

そこでぶちっと引っこ抜いて、その思考が育つのを終わりにする、ってイメージです。

その引っこ抜いたツルは、丸めて土に返してあげるイメージがよいかも笑。

グルグル巻きを利用して緑のリースにしてみた。                           
止まらない思考もリースにできたら、素敵?!                             

ーーーーーーーーーーーーー

私がみてきた思考が止められない人たちの大きな原因の1つは、

自分が全て考えていかねばならない

と思ってることです。

自分が全てをなんとかしないといけないと思ってるから、

とことん考えるしかなくて、

だから延々と思考が手放せないのです。

だから思考を手放すには、

この世界の流れをつくっている創造主がいることに気がつき、

考えても自分ではどうしようもできないこと(先の不安とか、他人の心の中や、過去の出来事など)は、

そちらに任せておこう

その流れを信頼しよう

と思えていけるようになるのが鍵かなと思います。

そうなるには、

静かな一人の時間をもってみるとか、

自然の中に身をおく時間を長くもつとか、

瞑想をやってみるとか、

思考でなく感性を研ぎ澄ます方に時間をつかってみるのがお勧めです。

(左脳を休めて、右脳を使う)

そうすると、思考が静まって、その奥の深淵な世界を体験できていき、

全て自分でやらなくてもいいんだ、というのがわかってくると思います。

ーーーーーーー

どうしても思考から離れられない人には、

高次元の力をかりたエッセンスやレメディなどを使う方法もあります。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

メディアと自分

気がつけば、4月はBlog記事を1つも更新していなかった(汗)。

Instagram を始めて小出しに自分の中のものをアウトプットしてることで、

Blog記事を書くという衝動が少なくなってるのかもしれません(?!)。

ところで誰でも、フォローしてるSNSやブックマークに入れてるブログなどあると思うのですが、

私はお気に入りにしていたものでも、発信者が自分のとても好きな人や尊敬する人であっても、

それを見たり読んだりしたときに、

自分の中からコメント(つまり批判)がでてくる回数が増えたら、

フォローやブックマークを外すようにしています。

批判のようなコメントがでてくるということは、

その発信内容と、自分の周波数が合わない(または合わなくなってきた)ということだと思うからです。

以前、ある海外在住の日本人の方が書いてる人気のBLOGを読んでいたことがあります。

日本人の常識からしたらナンデー?!と思うような海外生活で起こる日常の出来事を、

辛辣に面白おかしく書いてる記事でした。

ほぼ毎日更新されるので、まるでルーティンのように読んでいたわけですが、

ある日、その記事を読むと毎回自分の中にコメントが湧き上がってくるのに気がつきました。

「そこを我慢してるから、こういう出来事が起きてるんだけどな….」とか、

「ネタとして書いてるんだろうけど、この出来事の締めくくりがなんか腑に落ちないな」とかです。

つまり、ブログ記事を読むことで自分の中にノイズをつくりだしてるなと気がついたのです。

簡単に言うなら、私はあまり気分がよくなっていないな、と思ったのです。

それで、そのブログのフォローをやめました。

メディアに限らず、身の回りの物や服でもなんでもそうですが、

不満を感じていたり、コメントが浮かぶもの=つまり自分の周波数にノイズを起こしてると感じるものがあったら、

とりあえず、そのノイズから自分を遠ざけるのがよいのでは、と思います。

別の角度からみると、

自分のお気に入りやフォローのメディアのチョイスは、

自分の周波数の状態を表していると言えるかもしれません。

自分が選ぶものは、自分と合ったものだからです。

もし批判したり、けなしながらも、フォローしつづけている特定のメディアがあったら、

自分も実は同じ周波数帯にいるということかもです。

惹かれるもの、ここち がよいと思うものも、自分の成長に伴って、徐々に進化(変化)してるはず。

だから、メディアのチョイスも、時々見直そうとちょうど今朝思いました。

ーーーーーーーーー

近所の神社で朝陽をみる、心洗われる〜
↑ 神社の池、ノイズがないと飛行機雲までクリアに写ってる〜

特定のメディアをみて、

批判やコメントと共に「強い感情」がわきあがってくる場合は、

自分の中にもともとあったノイズが拡大されてるということ=エネルギーのブロックがある
ということなので、その場合は、それに気がついて解消するのがお勧めです。

自分はブロックがあるだろうけど、それが何かわからないという方は、

それを外すお手伝いができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

ミソジニー逆バージョン

昨日、とても大きな気づきがあったので記事にします。

昨夜、家族で口喧嘩になりました。

食事中に、息子とダンナさんはよく歴史上の戦争や国家戦略等についての話題を出すのですが、

そういうとき私は門外漢扱いとなります(実際そうなんですが)。

時々話題が他のことにうつったときに、私がそこに関連する精神世界の話題や、医療にまつわる裏話なんかをすると、

2人はちょっとあきれたような顔でお互いに示し合わす感じです(あ〜あ、何、空想みたいなこといってるの?!みたいな)、

昨夜もそれがみられ、しかも薄ら笑いしていたので、

私はそこで思いきり怒ったのです。

自分たちの話題は現実的で科学的で確実だけど、女性の話題って世間で通用しないよね、頭大丈夫?!みたいに(汗)思ってるよね!?

それって、森喜朗(呼び捨て汗)みたいなミソジニーだから!

みたいな感じでまくしたてました。

しかし、それをわかってもらって話し合いにもっていこうとしてもなかなか話はまとまらず、

非常にいやーな感じで終わりました(ダンナさんは、その後、ふて寝した、汗)。

少し時間が経って、なんでこれが起きてるのかな〜?と

思いを巡らせていたら(目の前で起こることは自分の内側の反映なので)、

なんと!私の中にも、同様の意識があることにはっきり気がついたのでした。

私は、どこか深いところで

男の人って表面的なことしか理解してないよね とか

男の人の心の進歩は遅れてるな とか

戦争を引き起こしてるのは男たちなんだから、ほんとにもう! とか

そんな意識をもっていたのでした。

ダンナさんや息子や知ってる男性たちに対してダイレクトにそう思ってるわけではないのですが、

でも深い意識のどこかで、

「男たち全体」にそういう思いを持っていたことに気がついたのでした。

ミソジニー逆バージョンです(汗)。

ちなみにミソジニー(女性軽視、蔑視)の逆は、ミサンドリー(男性憎悪、嫌悪)というそうです。

短い言葉でいうなら、あ〜男はしょうもない、女性の方が実はなんでもわかってる、みたいな意識です。

その自分が持っていた意識に気づいたら、

腰が抜けたような、つきものがとれたみたいな感覚になりました。

そして早速、まだ起きていた息子に謝りにいきました。

ごめんね、ママも同じ感覚もってたよ、と。

そして、さらに思いました、これはおそらく多くの女性がもつ集合意識なんだろうなと。

女性って、例えば父親やダンナさんや上司など男性に上から言われることがあっても、

心のどこかで、

あ〜あ、男の人ってどうしようもないよね〜

と思ってるところないでしょうか。

男性に蔑視されてるようで、実はその奥で女性も男性のこと、そんなふうに 評価してるのでは

ないのかなと思うのです。

そして、この一見外側では見えにくい女性から男性への上から目線ってどこから来るのかな?と考えてみたら、

女性ってもとは皆が母だから、かもなと思ったのです。

どんな人間もつまりどんな男性も母から生まれてきてます。

そして母として男の子を育てる過程で、

もう男なんだからしっかりしなさい、とか

あーあ、もうだらしない、とか、そんな上から目線の感覚を歴代の母たちは

もっていたのではないのかなと。

それが歴史的に重なっていって集合意識で女性に備わっているのではと思い至ったのでした。

実際、夫婦関係でも、

ダンナさんになにか言われて黙って聞いてるその裏で、

多くの奥サマ達が、

あー、もっと尊敬できるような男になれないのかな、とか、

もっとしっかりしてくれたらな、とか

もっと器の大きな男になれないのかな、とか

もっと社会で成功する男になってよね、とか

そんな母親のような感覚でご主人のことをみてたりしませんかね(汗)。

そのような女性の無意識的な男性への裁き(息子のような感覚で)を、

男性はどこかで感じるから、その反応として社会は男性優位になっていったのでは?!

そんなことまで思いを巡らせてしまいました。

女性&男性蔑視は、どちらが卵かニワトリなのかはわかりませんが、

そんな感じで、実はお互いがそれぞれを下にみる気持ちを持っていたのかもしれません。

本来なら男性と女性は、お互いの違いを尊重して協力することでうまくいき、違うからこそ惹かれあい愛し合う存在なのに…..

と、話が広がりましたが、

いずれにしろ、私も森氏のことなど批評してる立場ではなかったのでした(苦笑)。

ということで、今朝は起きてすぐに、ダンナさんのところに行き(先に起きてた)、
上記の説明をして、ごめんね、と謝りました。

そして女性を代表して(?)、

世の中の「男たち」にも、これまで、ごめんなさい、です。

これからは、フラットな意識でお互いを補完する同胞として心を通わせていきたいなと思いました。

あ、↑ この言い方固いな(苦笑)

書き直しますと、

たった今、この場から、性がどちらであろうと、お互いの違いを尊重して、そしてその違いに愛をもって接していきたいなと心の底から思いました。

↑ イメージ画像です(私とダンナさんではありません、笑)

あなたの大事な家族なら

1つ前の森氏に関しての記事の後記になります。

あの記事を書いたとき、まだ一側面しか報道されていませんでしたが、

その後、他の側面の情報を読んだり(オリンピックに関する仕事については森氏は無報酬でやってきたのだそうです)、森氏の謝罪会見を見たりして感じたことがあったので書きます。

彼の謝罪会見をみて、

「あ〜、この人は全然ブレていないんだな」と思いました。

本当に心から女性を蔑視してるか、については実際はどうなのかな?と私は疑問に思いました。

森氏が最も大事にしてること&自分の役割だと思ってることは、

「自分たち(所属政党)が決めたことをつつがなく進行する」

だと思いました。

そういうわけで議論して進行をさまたげる女性や、わずらわしい質問をしてくる記者を制するのだと私には見えました。

女性だから、記者だから、というくくりというより、自分たちが決めたことを邪魔してくる人を除外したい思考なのだと思いました。

しかし、森氏が彼の役割をつつがなく遂行して、それで何が起こるかといえば、

当の国民は、え?、そんなこと誰が望んだっけ?みたいなことになってるのが現実ではないかなと思います。

彼がつつがなく遂行したいのは、いろんな団体の利害を守るためのもので、国民の希望や幸せがあまり反映されていないから、だと思うのです。

なにかを政治的に決断するときに、A団体の利害とB側の利害、C団体の利害etc.をどう折衷させるかがメインになってるからかなと思われます。

国を自分の大事な家族に例えてみたら、もっと違う選択になるのでは、といつも思います。

7人家族だとしましょう。

2021年、家族でオールスターの野球観戦にいくのを楽しみにしてました。

チケット予約したり、ホテルもとったし、旅程もばっちり。

でも直前でおじいちゃんとおばあちゃんが感染症で床にふせってる。

お母さんは看病で疲弊してる。

そんなときに、残りの4人家族で、さあ、野球観戦に行くぞ!とお父さんは決めるでしょうか。

もし観戦日を変更できるなら、手数料をはらってでも変更して、家族が元気になって全員で行こうとお父さんは決めませんかね。

例えば、お母さんはガーデニングが趣味です。
草むしりが大変なのであるときから除草剤を使い始めました。

すると、そのあたりからお母さんは具合が悪くなりはじめました。
お母さんはなんとなく、その除草剤のせいではないかとお父さんに話しました。

そしたら、お父さんは科学的な因果関係は証明できないから、これは引き続き使用してもいいんじゃないとは言わないでしょう。

それはすぐに捨てなさい、そしてもしお嬢さんもガーデニングをやってるなら、それは使わないようにアドバイスするでしょう。

もし近所の人もそれを使ってると知ったなら、警告するだろうし、なんならメーカーに電話するかもしれません。

さらに例えると、住んでる家が古くなって大幅なリフォームしようという案がでたら、家族で話すでしょう。

お母さんの要望がたくさんあって話が長くなりそうだとしても、「母さんは話が長いから」といって、リフォームの話し合いのメンバーからお母さんを外しはしないでしょう。

「話、長いな〜」と思いながらも、お母さんの要望について聞き取るでしょう。

もし長男が自分の要望を述べたら、「お前は、混ぜっ返すから黙っとけ」なんて、彼の発言を途中で止めないでしょう。

もし、お父さんが1人で「ワシが思った通りに決めればそれでいい!」と、
リフォーム会社と予算を話し合って両者で全てを決めてサクサクっと完成までこぎつけたとして、

その家に入居した家族の皆は何を感じるでしょう。

これ、誰のための家?!

わたしたち、こんな家望んだっけ?!

森喜朗氏だけでなく、今、私たちが変えていきたいのは、

そんな誰のために行われてるかわからない政治だなと、会見をみてつくづく思いました。

国のことを決めていくとき、まるで自分の家族のことを決めるように、皆が幸せで社会が平和になるようなことを選んでいく、そんな政治家を望んでいこう、

そう強く思いました。

様々な意見や要望を聞きながら、皆が幸せで平和になるように、決断し遂行していく、そんな仕事である政治。母性(幸せ、平和になるように)と父性(決断、遂行)がうまく統合されていくこと、願います。

ーーーーーーーーーーーーーー

その人の性格性質、体質を大きく左右すると言われてるあなたの腸内細菌叢。
腸内細菌のバランスを整える腸内細菌レメディプログラムを実施します。

まだ若干空きがありますので、ご興味のある方はこちらの記事をご覧ください〜。

#M氏は引退してください、について思う

今日は仕事が入ってなくて、とある本を読み込む日と決めていましたが、
半分ほど読んだところで、寝てましたzzz(苦笑)。

ぼんやりした頭を目覚めさせるために、ネットニュースを何気なくみてみたら、東京五輪組織委員長の森氏のトンデモ発言の記事が目に入ってきました。

ツイッターでは、”森氏は引退してください”というハッシュタグがトレンドになっており、それも読みにいきました。

この一連の報道等を読んで、

1人の単なる女性としてまず思ったのは、

「まだ、こんな昭和の怪物がおったか〜!老害の典型だ!(怒)」でした。

そして、こんな人を五輪組織委員会の会長という現役職に据えてたのは、選挙権をもつ他ならぬ自分でもあることにも当惑しました(どうやってこの人選ばれたんだっけ?!…汗)。

ただ、このような事件や出来事をみるときに、
森氏個人を軽蔑&敵視したり老害視(汗)していると、

正しい自分たち VS 間違ってる輩 という分断が起きてしまいます。

そのような分断が起きることが、様々な戦いの元ですから、私たちが求めてるのは究極何かを忘れないようにしたいと、自戒もこめて思いました。

私たち皆が求めてるのは「平和」のはずですよね。

私たちが憎むのは、森氏が持っているような時代の遺物の「差別意識」であって、
森氏個人ではないことは忘れないように、と思いました。

こういうイヤーな出来事が起きたとき、私たちにまず、できることは、

もう、このような差別意識はいらない!
このような差別意識にはNo!

とはっきり意識を持つことだと思います。

どうせ大きな組織だから変わらないでしょとか、
ニュースで叩かれてもまた裏で続くんでしょ、とかあきらめないで、

もうそういうことを許していかない!
許さない、Noだ!

とはっきりと意識を持つこと、

それが集合意識を変えていく力になりますから、それをちゃんと持つようにしたいです。

(逆の言い方でいうと、そういうときに、どうせXXXだから、と許してきたから、このような不要な差別意識が長続きしてきた)

たとえ、公で反対発言できなくても、抗議の電話をしなくても、デモ活動に参加できなくても、
そういうものはもう望んでいないんだとはっきりと自分の意識をもつこと、これがとても大事だと思います。

もちろん、その意識をちゃんと発言したり、行動したりすることはさらに大事ですが。

でも何も表立って動けなくても、意識をはっきり持つことで、公で活動するくらい大きな流れを起こすことが、実は私たちにはできるのです(祈りの力と同じ)。

ですので、私も、
もうこんな差別意識はいらない!
権力を個人の得のために使う政治家もNo!

とはっきりと意識しました(鼻息っ)。

この話題から派生して、ロンブー淳さんの聖火ランナー辞退のYoutubeまでみることに(苦笑):

TwitterやらYoutubeやらメディアの多様化のおかげで、社会で起きてる出来事に透明性がどんどんでてきて、いいな〜と思います。

今はアセンションの時代ですから、今回のような出来事は、新しい時代に向かう途中の古い膿み出しのような出来事という見方もできるかもしれません。

ティーンエージャーの幸せ

私には180cmを超えるデカい高校生の息子がおりまして、登下校時に峠を超えて10kmほど離れてる隣町のバス停まで車で送迎しています。

少し前のことですが、夕方、車でいつものように迎えにいくと、車に乗った途端、彼は崩れ落ちるように後部座席に座り込み、

「疲れた….」

とつぶやきました。

”お疲れ〜” と声をかけましたが、ぎちぎちのスケジュールの高校生活に加え、家ではネット&ゲームする時間もたっぷりなので(汗)そりゃ疲れるだろうね(体力の問題か)と思っただけでした。

しかし、次の日も迎えにいくと

「疲れた….」

と後部座席にすぐにも横たわりそうな様子で顔色もそんなによくありません。

しばらく無言で運転したあと「なにかあったの?」と声をかけると、

友達関係で悩んでるようでした。

かなり悩んでるところ悪いけど、母が問題を簡単にまとめるなら、

”人の気持ちを優先しすぎて疲れてる” でした(苦笑)。

しかしこういうとき、そんなに気にしないでいいんじゃない、と言ったとしても、

それはこちらの感覚で、彼の感覚をそんなに簡単に切り替えることはできません。

軽い悩みならほおっておきたいところですが、かなり消耗しているようでしたので、

ちょっとヘルプするのがよいかなと思い、私ができることとして2つ提案してみました:

① (母と子という立場だと難しいので、そこから離れて)
  時間をちゃんととってカウンセリングをする

② エネルギーが乱れてるから、対応できるエッセンスかレメディを処方する

そしたら「じゃ②で」と答えました。

これまでなら断る母からのこのような提案を受け入れたから、よほど、疲れて(悩んで?)いたのでしょう….. (汗)。

早速、とあるエッセンスを選んであげて、その夜からとってもらうことにしました。

エッセンスというのは、自分の体験上&クライアントさんの反応からみて、かなり速攻性があります。

エッセンスを取り出した翌日:

迎えの車にて

母「今日はどうだった?」

息子「普通だった」….. 会話以上 (汗)

母の推測:まーまーよかった or 今日は特に悩まなかった

2日目:

お迎えのとき、彼、笑顔でした。

よって何も問わず(苦笑)。

そして家について、家の中にて :

息子「あー、なんか幸せだな〜

こうやって車で迎えにきてもらったり、

帰ってきたらご飯が作ってあってそれを食べることができるってさ〜 幸せだね」

母「!!!」(心の中:エッセンスめっちゃ効いてる!!?)

母「そっか、よかったね〜、幸せで〜」会話以上(汗)。

中年〜老年期に入り、なんでもないことが幸せだと感じることあると思うのですが、

思春期の男子が、日々の当たり前のことを幸せに感じることができたとは。

これいい〜!この解決法いい〜(笑)

エネルギーを変えることができるエッセンスをとったからといって、

友達とのつきあい方のHow toを学べるわけじゃない、

彼のもってる自分を苦しめてしまう他人軸の思考法がすぐに改善されたわけでもない。

でも、苦しい出来事へのフォーカスからふっと離れて、

実はずっとそこにあった当たり前なことが幸せだと気づけた。

このとてつもなくわかりやすい&早い反応は、まだ若くてエネルギーブロックが少ないからかもしれませんが、

大人もこうなったら、そんなに日々悩んだり苦しんだりしなくていいよなと思います。

彼の友達とのコミュニケーションの問題は、彼が追々、これからの人生の中で学んでいくでしょう。

だから、その学びはちゃんと自分で習得して体験していったらよいと思います。

でも、そんな渦中であっても、ふっと気づけばいつもそこにいろんな幸せがあるってこと、

そこに気づく体験ができたこと良かったな〜と思いました。

私が処方したエッセンスの小瓶は、結局10日ほど自主的にとっていましたが、

その後はそれを必要と思わなくなったようで、とらなくなりました(つまりほったらかし….オイ!)。

とりあえず、その後、彼はそんなに疲れてはいないようです(苦笑)。

↑ 息子の日々の癒し:スコッチ 脚の指がなぜかパーに開いてる(謎)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

幸せになるのも自分の意識次第。

実は、当たり前の中に幸せいっぱい。

けれど、どうしても幸せと感じられない方、

レメディやエッセンスで、あなたのエネルギー波動を変えてみるお手伝いができるかもしれません。

ご興味のあるかたは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

人智を超えてワクワクと

エネルギー療法にかかっていただくとき、

まずはコンサルテーションという対話形式のやりとりをさせていただくのですが、

このコンサルテーションが終わった段階で、

すでに 気づき や 変化 を体験する方がいます。

エネルギー療法の効果を出すエッセンスやレメディを取っていないのに、です。

なぜそういうことが起こるのかというと、

それはわたしのコンサルテーションが優れてるわけではなく(苦笑)、

レメディやエッセンスというエネルギー的に働きかける物質と同じ作用を、

ご自分の「意識」でも起こせるという現れなのです。

そしてコンサルテーションだけでこれらの現象が起こる人というのは、

比較的エネルギーブロックが少ない方だったり 、

エネルギーの流れがわりと良い方(メンタルのクリアリングが進んでる方)だと

私は理解しています。

つい先日コンサルテーションを受けてくださった方も、レメディやエッセンスを取る前に、

以下のような気づきを得たと教えてくださいました:

「今まで物事を考えたとき、

何か思う → もしこれが他人でこのシチュエーションだったら?

→ それはないわ…

といった感じで先回りしてフタをしていたことに気付いた」

のだそうです。

なにかしようとするときに、

もし自分が相手だったらどうするか/どう思うか?という自問をして、

自分ならそれは迷惑だわ、困るわみたいな自答を得たら、

その行動や言動自体を起こさないで済ませていた、というご自分のパターンに気がついたのでした。

簡単な言葉でいうなら、いつも頭の中でシュミレーションして物事に向き合っていたと言えるかもしれません。

このようなパターンは悪いというわけではなく、

事前にシュミレーションすることで無駄に自分が傷つくのを避ける自分への配慮だったとも言えますし、

いつも相手の立場でものを考えることで、相手を思いやっていたという見方もできます。

ただ、このパターンで暮らしていると、とても狭い世界で生きることになります。

なぜなら、自分の想像の範囲以上のことが起こりにくくなるからです。
(波動的な引き寄せから)

全く別の言葉でいうならば、

他人のキャパを見限ってるという言い方もできますし、

さらにいうと、

神さまという創造の源が起こすことに限界があるとあなどってる(汗)とも言えます。

なにより全て自分の想像&推測範囲でしか物事が起きないなら、

あまりワクワクしませんよね?!(苦笑)。

ということで、

自分がこうしたいなと感じたときは、その気持ちに沿って素直に行動して

対象となる相手がどう反応するか、

全体の物事がどう動くかは、

天におまかせして、ただこちらはワクワク❤️しているのがよいとわたしは思います。

人智を超えたものが、この世には無数にある〜

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ワクワクしたいけど、ああしたらこうなるし、どうせ無理とか、

でもそれはこうでああで…..と理由をつけてワクワクしないようにしてる方(汗)、

それは何かしら心にブロックをかけてしまってるからです。

そのブロックとはなにか自分で見つけにくい方は、

コンサルテーションでそれを一緒に探るお手伝いができるかもしれません。

ご興味のある方はHPをご覧ください:https://arnicahomeo.com/

爪をかむのは

小さなお子さんを持つママからメールをいただきました。

お子さんが爪をかむ癖があり

「私の態度のせいだろうか…」と気になります

とのことでした。

爪をかむのは子供だけでなくティーンエージャーや大人でもいるので、わりとありふれた癖かもしれませんが、

その行為をみかけると、なんとなく不健全に感じてしまう方がほとんどではないでしょうか。

爪を噛んでるのは愛情が足りないからだ、と世間でまことしやかに言われてきたという風潮もあるかもしれません。

身体症状をメタフィジックな分析で解説してるリズ・ブルボーによると、

爪を噛むという症状は:

「日常生活の細かな面において自分が守られていないと感じていて、ひそかに心の中で苦しんでる」

という感情を表しているそうです。

爪を噛む癖は、

「自分を守ってくれる人はいない」

「自分を助けてくれる人はいない」

「自分1人ですべてをやらなければならない」

というような思い込みをもってるときに現れる症状という言い方もできます。

私がみてきたケースから言えることも同様で、

爪を噛むクセがある子は、

家庭内で「親」から自分を守ってもらえないと感じてる子に多いように思いました。

その子たちの代弁をするなら、

「パパor ママは自分の味方じゃない」と思ってるようでした。

なぜ、彼らがそう思ってるのかというと、

親が自分に厳しくあたるから(小言が多い、注意ばかりされる)です(汗)。

親御さんたちは、お子さんたちをなんとか自分が考える良い方向に一生懸命導こうとしてるのですが、

子供たちはそういう親の言動から、

あ〜パパやママは、自分の味方じゃないんだ….

と捉えてるわけです。

そりゃ、まあ、自分のやることに賛成&支持してくれなくて、

そうじゃない!こうじゃない!と言ってくる人のことを、

自分の「味方」とは思えませんよね(汗)。

親心(おやごころ)子知らず、ですかね?!

いやいや、これは、こどもの心親知らず(苦笑)。

かくいう私の息子も、ある一時期、爪を噛んでたことありましたっけ(反省)。

話を戻しますと、

私は、このところ、爪を噛むクセというのを、以下のように捉えています。

子供たちにとっては、爪をかむという行為は、自分の心のケアを自分でしてる状態、

つまり ” セルフケア” なのです。

大人がストレスがあるときに、スイーツを食べにいったり、買い物して気を紛らわしたり、お友達とお茶したり、飲みに行ったり、パチンコ行ったりカラオケ行ったりetc.するように、

こどもたちも爪を噛むことで自分の心のバランスをとろうとしています。

子供たちは大人みたいに、外側(買い物とかスイーツとか)の物質を使う術を知らない&できないから、

自分の体をつかってそれをしてるのです。

だから、うわ〜、すごいね、ちゃんとセルフケアしてるんだねと思ってみてあげる。

そして、このセルフケアのサインに親御さんが気がついたのなら、

親御さんは自分を責めたり、子供の癖を責めたりしないで(どちらも責めるような悪いことはしてないので)、

小さな体で必死にセルフケアをして自分を守ってる子の自浄能力のすごさをまずは認めてあげて、

その次に、では自分はどうやったらこの子の味方になってあげれるかなと考える方向で対応してもらえたらと願います。

そういう親御さんは、ご自分が小さいころ、同じように自分の親に本当は”味方”になって欲しかった体験を持っていたります。

ですので、それを思い出したら、どうしたらいいかがわかってくるかなと思います。

爪を噛むクセに対してレメディやエッセンスを出して、

その子の親に対する思い込み(この人たちは自分の味方じゃない)のエネルギーを変えることもできなくはないですが、

このようなセルフケアのサインをみつけたことは、お子さんにとってだけでなく、

ご自分(親)の生き方や考え方を

もっと楽なものに変えていくためのサイン=ギフトでもあるので、

それをちゃんと自分で受け取ってみようと動き出すのをお勧めしたいです。

↑ 身体症状のメタフィジックな見方を先駆的に教えてくれたルイーズ・ヘイのサイトから
秋らしい画像を拝借。
こんなに安心していられたら爪はもう噛まなくてよいにゃ〜

ーーーーーーーーーーーーーー

お子さんのサインをみて、ちゃんと対応を変えてみた、でもうまくいかないという場合は、

ご自身の中のもう少し深いところにエネルギーブロックがあるかもしれません。

1人でそれを探るのが難しい場合は、エネルギー療法でそのお手伝いができるかもしれません。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/