思考の数々を可視化できるなら

今朝、

「ネガティブに推理し続ける思考を止めらない」

というようなお悩みについて話していたせいか、

午後に久しぶりに庭の草むしりをしていたら、

「その思考が止められない状態というのは、つまりこういう感じだよね」

と生い茂った雑草がみせてくれてました ↓

これはヘクソカズラ(すごいネーミング汗)という植物ですが、つる性で、少し紫がかった茎が何重にもあちこちに巻きついていて、なにがなんだかわからない状態でした。

もし思考がこの植物のツルのように育っていくのが目に見えるなら、

それでもわたしたちは、その育っていく思考を止めないでしょうか!?汗

何度も何度も同じことについてああかもしれない、いやこうかもしれないと推理したり、

何度も何度も嫌な体験を蒸し返して思い出したり、

何度も何度も心配なことを予想してどうなるだろうと思考する…..

思考して思い浮かべるということは、その事象にエネルギーを与えてるということになりますから、

まさに頭の中で育てているわけです笑、みえないけど。

もし、思考してるときに出てくる言葉の数々が、

雲のような黒い文字として発生していき、頭の周りに浮かんでいくとしたら、

ほとんどの人の頭部は、真っ黒な雲で覆われて、顔や頭が判別できないかもしれません汗。

人によっては、全身真っ黒な文字の雲に覆われて存在がみえなくなってる人もいるかも笑。

でもそうやって可視化できたり、植物のように物質として思考が育っていくなら、

私たちは思考を途中で止めることができるのではないでしょうか。

思考がツルのようにグルグル自分に巻きついてきたら、うっとおしくってしようがないから、

私が午後の草むしりでしたように、つるを束で思い切りひっぱってブチッ!って切ったり、

園芸はさみでジョキッ!!と切り落とし、すべてのツルを払い落としてスッキリしたくなると思います。

そして、あーすっきりした、なんで伸び放題にしてたんだろう、って苦笑するのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、わたしたちの思考は外からはみえないし、

自分でもその量を客観視することができない。

だから、思考の数々がいかに自分を縛りつけているかみれないし、

同じ思考にどんどんエネルギーを与えて日々育ててることにもなかなか気づけないのかもしれません。

もちろん、わたしも常に思考しています。

気になることがあったときなど、ずーっと考えていたりもします。

ただ、その思考をツルのようにぐるぐる絡ませたり、何重にも大きく育ててしまう

ようなことはかなり少なくなってきたかもしれません。

考えてもなんの成果もでないどころか、自分を苦しませる思考については、

神にまかせた!(流れにまかせる)

と、自分でかかえこまないようにしたり、

瞑想して思考を洗い流したり(思考はわくけど、どんどん流していって留めない)、

例えばテニスに集中することで、思考しない時間をつくって、思考回路を完全に切り替えるとか、

そんなのが、グルグル巻きの思考に陥らないわたしの方法かもしれません。

そして、今日体験した草むしりも1つの方法として使えるなと思いました。

なにか気になることを思考しだして、

それがツルを巻いたようにグルグルしてきたら(思考するのを止められなくなったら)、

そこでぶちっと引っこ抜いて、その思考が育つのを終わりにする、ってイメージです。

その引っこ抜いたツルは、丸めて土に返してあげるイメージがよいかも笑。

グルグル巻きを利用して緑のリースにしてみた。                           
止まらない思考もリースにできたら、素敵?!                             

ーーーーーーーーーーーーー

私がみてきた思考が止められない人たちの大きな原因の1つは、

自分が全て考えていかねばならない

と思ってることです。

自分が全てをなんとかしないといけないと思ってるから、

とことん考えるしかなくて、

だから延々と思考が手放せないのです。

だから思考を手放すには、

この世界の流れをつくっている創造主がいることに気がつき、

考えても自分ではどうしようもできないこと(先の不安とか、他人の心の中や、過去の出来事など)は、

そちらに任せておこう

その流れを信頼しよう

と思えていけるようになるのが鍵かなと思います。

そうなるには、

静かな一人の時間をもってみるとか、

自然の中に身をおく時間を長くもつとか、

瞑想をやってみるとか、

思考でなく感性を研ぎ澄ます方に時間をつかってみるのがお勧めです。

(左脳を休めて、右脳を使う)

そうすると、思考が静まって、その奥の深淵な世界を体験できていき、

全て自分でやらなくてもいいんだ、というのがわかってくると思います。

ーーーーーーー

どうしても思考から離れられない人には、

高次元の力をかりたエッセンスやレメディなどを使う方法もあります。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

SHOHEI OHTANI 効果

2,3ヶ月前のことですが、高校生の息子が、模試だか何かの試験(記憶曖昧、笑)で、

「英語のリスニングテストが校内順位で2位だったよ〜」とご機嫌で教えてくれたことがありました。

彼の父(私の夫)は外国人なので、そりゃそうでしょ、と当然に思う人もいるかもしれませんが、

彼の父はフランス人なので英語を話すわけではなく(仕事は英語でしてますが)、

家庭内で英語を話すことなど全くありませんから、私には非常に意外な結果で、

ええ! そりゃすごいね!!と単に驚いたのでした。

そもそも、息子がリスニングの勉強などしてるところなど1度もみたこともないので、

「一体、どうやって、リスニング能力つけたの?」と質問してみたところ、

あのね、と少し笑いながら教えてくれました。

大谷翔平選手がメジャーで活躍するようになってから、しょっちゅう現地の人がつくった英語版「SHOHEI OHTANI 切り抜きYoutube」をみてるそうなんです。

そうすると、自然とネイティブアメリカンイングリッシュを毎日聴くことになるわけで、

いつのまにかリスニング能力が身についてきたそうです、苦笑。

(もちろん全部聞き取れるわけではなく、リスニングテスト用の典型的な文章みたいなのが聴けるくらいにはなったってことなんでしょう)

SHOHEI OHTANI 効果は、野球だけの世界に限らなかった!!

この彼の秘訣を聞いてから、どれどれ、と私もOHTANI選手の活躍をYoutubeでのぞいてみるようになったのですが、

あるとき、いつのまにか彼の活躍してるYoutubeを楽しみにみてる自分がいるということに気がつきました。

私はテニスが趣味なので、スポーツの試合をみるとしたら、ほぼテニスしかみません。

ですから、野球自体に興味はないのです…..が、OHTANI選手の活躍Youtubeはなぜかその後も自分でみにいってました……なぜ?!と思って分析してみたら、

映像内で聞こえてくるアメリカ人のほめ称え方が私のツボなんだということがわかりました。

アメリカ人のアナウンサーや解説者やYoutuber が、

OHTANI選手を形容する言葉の使い方や態度に触れてるのが、

私を心地よくするので、またみにいこうとなるのでした。

日本でももちろん大谷選手をほめ称えてる映像やニュースはたくさんあるのですが、

日本で褒めてる姿勢をみてると、

解説者が上から褒めるか(まるで親が子供を褒めるような、テクニックを抜き出してそこを褒める)、

突然、「神」のようにあがめて、自分たちとは別格とするような扱い方が多いように

私には思えるのですが、そういうのはあまり心地よく感じないのでした。

アメリカ人たちがつくってるYoutubeをみると、

ほめるボキャブラリーがとにかく多彩で、そのせいか褒め称え方に個性が感じられて、

そこに心が伴ってるのも伝わってきます。

しかも褒め称えるときの立ち位置は、

相手を下におくのでも、上におくのでもなくて、

同列で同等に感じるのです。

ほめる相手に対して、斜(しゃ)に構えていなくて、ハートがオープンな褒めたたえ方だなと思います。

例えばある動画では、

野球の有名なOBの解説者の方が(60か70くらいの人、私には全く誰かわからない笑)、スタジオに来てくれたOHTANI選手に、

「I love you, I really love you!」なんて言葉をかけていて、

きゅーんとしました。ご自身もキャリアを築いてきて有名でプライドもあるだろう男性が、

20代で日本からきて活躍したての選手に、

君はこれがうまいね、とか上から言うんじゃなくて、

I love you なんてストレートに言えちゃうところ♡

OHTANI選手について話す他球団選手のインタビューをみても、

「OHTANIと同じ時期に野球というスポーツができてることが本当にラッキーで、誇りです」

みたいな言葉でほめたたえていて、

ただテクニックや結果をすごいと言ってるんじゃなくて、

ほめる相手と自分とのつながりに感謝してる目線を持ってるところが、

素敵だな〜と思いましたし、それをインタビューでさらっと答えることができるその人(有名な選手のようでした)、

そしてその人の思考を培ったアメリカもまたスケール的にすごいなと思いました。

他の有名そうな野球解説者(この人も誰だか全くわからない、笑)のYoutubeでは、

OHTANIが40号ホームランを打ったときの自分や球場にいる人の気持ちを代弁していたのですが、

「こんな現象をみるのは初めてだ、

皆がOHTANIを応援していて、それは球場にいるときだけでなく、

OHTANIが道を歩いてるときにも皆が彼を応援してるんだ、

自分たちのひいきにしてる球団を超えて、皆がOHTANIがうまくプレイしてほしいと応援してる、

この状態は(皆がすごい試合をみて、皆がなにかを一緒に応援してる状態)、

It’s really cool !! 」と表現してました。

こんな表現をできるひとたち、つまりはそういう精神を持ってる懐(ふところ)の広いアメリカ、

OHTANI選手のおかげで、アメリカの素晴らしさを再発見した私です。

そして、このような映像を多くの人がみてることで(どれも再生回数がすごいので)、

このような人の称え方、人と人とのつながりを称える精神は世界に伝播していくだろうなと思って、毎回暖かい気持ちにもなるのでした。

SHOHEI OHTANI効果、絶大です!

*過去にも大谷選手のことを記事にしてたの思い出しました。
大谷選手に関するのは最初のパラグラフだけですが、ご興味があれば、どうぞ → 目標実現ツール

大谷選手は、Angelsエンジェルス に所属する「天使」ですな笑。

楽しむことでは….

私が人生で最も大切にしていることは、

楽しんで生きる

でした。

でも、それが大きく覆されそうになっているこの頃です苦笑。

少し前のことですが、読んでいた漫画の中に、

なにをしても痩せなかったのに『月曜断食』(関口智さん著)を実践したら

本当に痩せたというエピソードが載っていました。

断食は、少し前からファスティングという言葉で一般化&普及していて、

普及とともに、もともとの水分のみを取る断食から変化して、

XX時間ファスティングとか、1日1食ダイエット(2食をファスティング)などとやり方も様々になっているようです。

ちなみに、私も去年1泊2日の泊まりがけでファスティングを体験してみたのですが、そのときは食べないと1日の楽しみってこんなに減るんだ〜という感想を持ちました(体重はその間は減ったけど、すぐに戻った)。

今回、「月曜断食」という言葉を聞いて、なんだか妙に惹かれたので、

ダンナさんも誘って早速はじめてみました(自分はご飯を食べないのに彼の分をつくりたくないので笑)。

我が家はいろんな事情で月曜の断食は都合が悪いので、ファスティングを「土曜」に設定しました。

今の時点で、4回やってみましたが、完全に水だけではなくて、野菜ジュースの代わりに夏野菜のトマトやきゅうり、スイカをほんの少し食べるという夏バテ防止策を入れた我が家風のやり方にしています。

ファスティング自体は、思ったよりつらくないです。

食べたくてたまらないという気持ちも思ったほど起きません(夏野菜やシソジュースを飲んでるからかも汗)。そして夜に長く起きてるとなにかつまみたくなるから、さっさと寝たりします笑。

体重は今のところ、あまり減っていません汗。

大きな変化を感じるのは、意外にも「意識」です。

まず、食べない日に、少しだけいただく夏野菜を心底ありがたいと感じて、

ほんの数口のものに全神経&感覚を注いで味わえるし、

それが体に起こしてる作用にもはっきりと気がつきます(食べるもので体を動かしてくれてるんだな〜と)。

それは、旦那さんも同じ感想です。

しかし週1ファスティングをやったことで得た私の一番の気づきは、

食べることは、楽しむことではなかったんだ

ということでした。

食べるということは、動物を筆頭に、卵にしろ、野菜/植物にしろ、木の実や種にしろ、

他の生命をいただいて、私の生命をつながせてもらっていることなんだと深いところから理解したのでした。

他の生き物からの生命が自分を生かしてるのに、食べることを「楽しもう」なんてどうしてこれまで思えていたんだろう!?と、そこに気がついて愕然としました。

他の生命をいただくことは(はっきりいうと殺してるわけで)、

楽しいことや喜ぶことではなくて、

それをいただけてることを、ただ感謝するしかないことだとわかったのです。

昔の日本で、いただきますと手を合わせ、黙って静かに食べて、ごちそうさまと締めくくることとか、

キリスト教などで、食事の前にお祈りをして、食事を静かにいただき、食後も祈りを捧げることは、

そのためだったんだ!とやっと理解したのでした(何十年も生きてきて、いま、その地点汗)。

私が小さい頃の実家の食卓で、黙々と食べて、あっという間に食事が終わる、それがいやで、

なんでもっと楽しく生きないの?!と思ってた私、

そして海外にでたときに食事を長時間かけて楽しむ彼らをみて、これが生きるってことだよね、と思った私。

それが、今、ひっくり返って、皆で会話することは楽しむけど、

他の命をいただいてるのは楽しむことではなかったんだなと、やっと区別がついた感じです。

これに気付いてからでも、食事を美味しくいただいていますが(ファスティング してない日)、

以前とは違う心持ちになってます(この心持ちを宗教の言葉でいうと、祝福とか感謝っていうのかもしれません)。

同時に、これまで大好きだったお酒を飲むことにも欲がなくなってきていて、夏というのにビールを1缶飲むのがせいいっぱいになってきてます(→ それでも飲んでるヤツ汗)。

雑音が多いと、大事な聞きたい声が聞きとれないように、

食べ物にしても物にしても、多すぎるときにはよく見えないものが、

少なくすることでみえてくるんですね。

そしてこれまで成果なしの万年ダイエットしてきてるダンナさんですが、

この週1ファスティング が彼にも大きな変化を起こすような気がしています……

我が家の夏の清涼飲料水シソジュース、私は青しそで作るほうがさっぱりしてて好きです。
煮出したあと、大きめの茶こしでぎゅっとしぼります。         
写真は青しそに数枚の赤シソの葉をまぜてつくったもの、ピンクレモネードみたいな色になります。
シソが育ってくれて、それを摘ませてもらってこのジュースが作られ、
それを夏の暑さ対策に私の体にいただけることもありがたい….        
      

ーーーーーーーーーーー

あなたのエネルギーの在り方を調整するエネルギー療法をやっています。

使うのは、レメディやエッセンスという物質です。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

光を湛(たた)える

今日は大雨により警報がでています。雨のせいか、ふと、ネタが降りてきたので笑、blog記事を書くことにしました。

私は、一時期、あるアメリカ人女性(ヒーラー、アセンションリーダー)が発信するInstaやYoutubeメッセージを頻繁に聞きにいっていたことがありました。

その女性のメッセージは、とても慈愛に満ちているけど、フラットで、情報もわかりやすく(ガイドからのチャネリングで教えてくれていた)多くのことを学ばせてもらいました。

彼女があるとき、自分のお母さんの話をしていたのですが、

彼女が精神世界の仕事をするようになったのは、小さい頃からのお母さんからの影響だそうですが(お母さんもサイキック能力があった)、

娘である彼女からみても、お母さんは今まで出会った人のなかでもずばぬけて賢く慈愛に満ちていて、さらには「全てがわかっている人だ」とも表現していました。

いわゆる覚醒してる人なんだろうなだと、その言い方から私は推測したのですが、

そのお母さんは、今、人生で何をしてるかというと、ヒーラーでもメッセンジャーでも書籍の執筆やセミナーなどをしてるわけでもなく、

アメリカの大型スーパーで、いち従業員として働いているとのことでした。

雑多なスーパーで買い物客や他の従業員と普通に混じって仕事をし、

全てをわかりつつ、

彼女のいるその場所に静かに光を輝かせながら、毎日を過ごしているのだそうです。

それがお母さんが選んだ生き方なのだそうです。

彼女のお母さんの生き方は、私の心に深く響きましたが、それで過去のある出来事を思い出しました。

今から十数年前、私は、緑が多くて、大小幾つか池のある公園の近くに住んでいました(東京の西部)。

ある日、玄関の外にでたら、雨が降ってましたが、門の手前のコンクリート部分に、ヒキガエルがちょこん、といました(ウシガエルだったかも?とにかく大きかった)。

私が近づいても、飛んだり逃げたりしなくて、どうやら弱っているようにみえました。

死んでいく前なのかも、と思わせました。

何かの理由で公園と方向を間違えて、我が家の方にまでやってきたのかもしれないと思いました。

でも自力で動いて公園の方に戻ることはできなさそうな感じだったのと、コンクリートの上で死ぬのは嫌だろうなという気持ちがでてきて(そこで死んでもらうのも困るし汗)、

家に戻って、ビニール手袋をしてレインコートを着て、そのカエルを公園に連れて行こうと思いました。

手袋ごしとはいえ、正直、触るの怖かったのですが、大丈夫だからね〜みたいに声をかけながら、

そのカエルを両手でそっと包みこんで、持ち上げました。

カエルは、全く動かず、されるがままでいてくれました。

おびえたり、恐怖も感じてない、それどころか静寂さを感じました。

とてもとても静かで、本当に静かで、その静かさがあまりにも尊くて、なぜか両手に持ったまま涙がでてきました。

私を信頼してくれてると思ったのもありますし、

両手にずっしりと重さのあるそのカエルの命がとても気高いものに感じられました。

カエルを両手のひらから、、万が一飛び出さない様にスーパーの袋にそっといれて、自転車のかごにのせて、ゆっくりと漕ぎながら、公園に着きました。

公園について、柵で囲われた湧水のある小さな池で、人が入ってこなさそうな茂みに、両手でそっとカエルをおろしました。

カエルは、目を一度まばたきさせながらも、変わらずとてもとても静かでした。

帰り道、その静かな尊い命を思い出すと、涙が流れてきて止まりませんでした。

あのカエルのこと、時々ふっと思い出すのですが、なぜ自分に涙がでてくるのかわかりませんでした。

でも、冒頭のヒーラーのお母さんが、スーパーで静かに自分の光をたたえて、まわりにその光をあてながら暮らしてるのを聞いたときに、あのカエルも、それだったんだなとわかりました。

だから、あんなに尊く感じたし、あんなに私の心に響いたんだなと思いました。

昨今、精神世界の話がわりと普及していて、魂の目的という言葉がつかわれますが、

魂の目的というのは、そんな感じで、この世で光を湛(たた)えながら暮らすということなんだろうと私は思っています。

社会で、成功したり失敗したり、なにかを成し遂げたり、何も成し遂げなくても、

つまり、この世の社会で、物質的な次元で何をするかは、魂には全然関係がなくて、

魂の目的は、ただそれぞれの魂の光をこの世で輝かせることなんだろうと私は理解しています。

そして、光を湛える状態というのは、「静寂」なんだろうとも思っています。

雨の季節になると、あの大きな、でもとてもとても静かだったカエルを思い出します。

我が家の裏庭では、この季節は、私のメダカ鉢を水場として集まってくるトノサマガエルやウシガエルたちがよく鳴いてます汗。

↑ 先日、光をたたえる存在が裏山に出現か!?と思ったら、裏山に隠れている夕陽が木々の隙間から光っていただけでした苦笑。

ミソジニー逆バージョン

昨日、とても大きな気づきがあったので記事にします。

昨夜、家族で口喧嘩になりました。

食事中に、息子とダンナさんはよく歴史上の戦争や国家戦略等についての話題を出すのですが、

そういうとき私は門外漢扱いとなります(実際そうなんですが)。

時々話題が他のことにうつったときに、私がそこに関連する精神世界の話題や、医療にまつわる裏話なんかをすると、

2人はちょっとあきれたような顔でお互いに示し合わす感じです(あ〜あ、何、空想みたいなこといってるの?!みたいな)、

昨夜もそれがみられ、しかも薄ら笑いしていたので、

私はそこで思いきり怒ったのです。

自分たちの話題は現実的で科学的で確実だけど、女性の話題って世間で通用しないよね、頭大丈夫?!みたいに(汗)思ってるよね!?

それって、森喜朗(呼び捨て汗)みたいなミソジニーだから!

みたいな感じでまくしたてました。

しかし、それをわかってもらって話し合いにもっていこうとしてもなかなか話はまとまらず、

非常にいやーな感じで終わりました(ダンナさんは、その後、ふて寝した、汗)。

少し時間が経って、なんでこれが起きてるのかな〜?と

思いを巡らせていたら(目の前で起こることは自分の内側の反映なので)、

なんと!私の中にも、同様の意識があることにはっきり気がついたのでした。

私は、どこか深いところで

男の人って表面的なことしか理解してないよね とか

男の人の心の進歩は遅れてるな とか

戦争を引き起こしてるのは男たちなんだから、ほんとにもう! とか

そんな意識をもっていたのでした。

ダンナさんや息子や知ってる男性たちに対してダイレクトにそう思ってるわけではないのですが、

でも深い意識のどこかで、

「男たち全体」にそういう思いを持っていたことに気がついたのでした。

ミソジニー逆バージョンです(汗)。

ちなみにミソジニー(女性軽視、蔑視)の逆は、ミサンドリー(男性憎悪、嫌悪)というそうです。

短い言葉でいうなら、あ〜男はしょうもない、女性の方が実はなんでもわかってる、みたいな意識です。

その自分が持っていた意識に気づいたら、

腰が抜けたような、つきものがとれたみたいな感覚になりました。

そして早速、まだ起きていた息子に謝りにいきました。

ごめんね、ママも同じ感覚もってたよ、と。

そして、さらに思いました、これはおそらく多くの女性がもつ集合意識なんだろうなと。

女性って、例えば父親やダンナさんや上司など男性に上から言われることがあっても、

心のどこかで、

あ〜あ、男の人ってどうしようもないよね〜

と思ってるところないでしょうか。

男性に蔑視されてるようで、実はその奥で女性も男性のこと、そんなふうに 評価してるのでは

ないのかなと思うのです。

そして、この一見外側では見えにくい女性から男性への上から目線ってどこから来るのかな?と考えてみたら、

女性ってもとは皆が母だから、かもなと思ったのです。

どんな人間もつまりどんな男性も母から生まれてきてます。

そして母として男の子を育てる過程で、

もう男なんだからしっかりしなさい、とか

あーあ、もうだらしない、とか、そんな上から目線の感覚を歴代の母たちは

もっていたのではないのかなと。

それが歴史的に重なっていって集合意識で女性に備わっているのではと思い至ったのでした。

実際、夫婦関係でも、

ダンナさんになにか言われて黙って聞いてるその裏で、

多くの奥サマ達が、

あー、もっと尊敬できるような男になれないのかな、とか、

もっとしっかりしてくれたらな、とか

もっと器の大きな男になれないのかな、とか

もっと社会で成功する男になってよね、とか

そんな母親のような感覚でご主人のことをみてたりしませんかね(汗)。

そのような女性の無意識的な男性への裁き(息子のような感覚で)を、

男性はどこかで感じるから、その反応として社会は男性優位になっていったのでは?!

そんなことまで思いを巡らせてしまいました。

女性&男性蔑視は、どちらが卵かニワトリなのかはわかりませんが、

そんな感じで、実はお互いがそれぞれを下にみる気持ちを持っていたのかもしれません。

本来なら男性と女性は、お互いの違いを尊重して協力することでうまくいき、違うからこそ惹かれあい愛し合う存在なのに…..

と、話が広がりましたが、

いずれにしろ、私も森氏のことなど批評してる立場ではなかったのでした(苦笑)。

ということで、今朝は起きてすぐに、ダンナさんのところに行き(先に起きてた)、
上記の説明をして、ごめんね、と謝りました。

そして女性を代表して(?)、

世の中の「男たち」にも、これまで、ごめんなさい、です。

これからは、フラットな意識でお互いを補完する同胞として心を通わせていきたいなと思いました。

あ、↑ この言い方固いな(苦笑)

書き直しますと、

たった今、この場から、性がどちらであろうと、お互いの違いを尊重して、そしてその違いに愛をもって接していきたいなと心の底から思いました。

↑ イメージ画像です(私とダンナさんではありません、笑)

ルーツを知る

少し前から新しいことを始めようと準備してるのですが、その過程で

「自分のルーツを認識して土台をしっかりと」というインスピレーションが降りてきました。

それで自分のルーツを知るために私が何をしたかというと….

アカシックレコードAkashic Records

のリーディングをしてもらいました。

アカシックレコードとは、

「地球上の生命の意識体験のすべてが記録されている記憶の貯蔵庫」です(By ゲリーボーネル)。

大雑把にわかりやすい言い方をするならば、

地球に生まれたすべての人のすべての過去世体験が記憶されてるクラウドコンピューターと

思うといいかもしれません。

アカシックレコードにはなんと2億600万年前〜西暦6732年(つまり未来も)までの記録が貯蔵されてると言われています(ゲリーさんによると)。

私が知りたいと思った自分のルーツは、

親とか祖先のことや、住んでる国の歴史ではなくて、

自分の魂の歴史=すべての過去世でした。

多くの人は、これまで数百回輪廻転生してるそうですが、私も自分がそのくらい生まれ変わってきてるのだと認識しています。

でも、今、この地球に、またも生かされてるので、

その数百回の輪廻転生を経てきたルーツ=過去世を知りたくなったというわけです。

現在アカシックレコードを読み取ることができる人はとてもとても多くて、そういう時代なんだな〜と思います。

ということで多くの人の中から、自分にピン!と来る人を探していたら、海外のある女性の方が通訳付きでリーディングしてくれるという情報に行き着きましたので、早速申し込みました。

(ご興味のある方のために書きますが….かなり高額です、冷汗)

リーディングは1時間でオンライン。

他人のものと間違わないで、正しく私のアカシックレコードを読んでもらうには、この世で法的に記載されてる氏名を伝える必要があるのだそうです(役所仕事か?!笑)。

そんな感じで、リーディングが始まりましたが、

やはり私は何百回も転生してきた魂だそうで、その中でも今世と最も関連してる記録にアクセスしてもらうと、

「あなたは Temple Priest だった」、

日本語でいうと「神官」だったと云われました。

そして、その私の過去世の記録にアクセスしてるときに

「おお!」という表情をして

「ものすごーく威厳のある姿がみえて、そのエネルギーを感じます」とジェスチャー付きで、その感じが伝わってくるように説明されました。

きょとん….(→ 威厳とはほど遠い影のうすい現在のわたし、苦笑)。

神官だったというのは、以前にもアトランティス の過去世でそれだったといわれたことがあって、オラクルカードでもよく出てきてたので、やっぱそっか、という感じでしたが、

威厳があったというのは、正直びっくりしました。

その過去世のときは未来を見通す力もあったので、王や女王のような指導者たちに進言することもしていたそうです。

↑ これを聞いてその場で私の頭に浮かんだのが….じゃ、なんで今世はあんな庶民の家を選んで生まれたんだ?!でした(笑)。

しかし、この自問への答えは、セッション後に「それが今世の1つの目的でもあるんだ〜」と妙に納得してすっきりしました。

他には、

「こどものときに親元を離れて、特別なスピリチュアルの教育を受けるための特殊な学校に行っています」

と言われ、

なぬ?!子供のときに山寺のようなとこにつらい修行に1人でだされたわけ?!みたいな寂しいイメージを持ったら、その私の感覚を感じたのか、リーディングしてくれた女性が笑いながら、

「いや、その世界では、こどもでそういう教育を受けることはむしろ栄誉なこと、光栄なこととして認識されていたんですよ」

とフォローしてくれました。

(後日に、レムリアのクリスタルシティスクールのことを知って、そこのことか?!と思ったけど、もうセッション終わってるので残念ながら確認できません)

他には、なぜ私がエネルギー療法に導かれてるかというのを教えてもらったのですが、

「植物を使ってヒーリングをする人たちとは違って、あなたは当時から、”エネルギー”や”意識”というものを取り扱っていた」

といわれました。

なるほど、そっかー、だから、私は気がつくと、エネルギーを扱うものにばかりひかれるわけなんだ〜と、これはルーツがわかって、非常にすっきりしました。

そしてもちろん他の色んな過去世もあるけど、総括していうならば、

私の魂は、アセンション トラベラー 

と呼べて、

人が意識を上昇させる時代にそれを助けるために転生しつづけてきてるのだそうです。

私は、その人の魂の高い方の目的に気がつかせることが得意というかお役目のようなことを言われました。

なんか、↑ すごいことしてるように思いますが(汗)、

確かに、コンサルテーションのときにクライアントさんに、

それがあなたのお役目でしょうとか、それがテーマでしょう、とか勝手に口から出てくるときがあって(汗)、

そういうのは、過去世と関係してたのかもなと思うと妙に納得してしまった私でした。

このリーディングをしてくださった女性は、こちらが知りたいことにだけ答えてくださって(それがアカシックを読むルールなのかもしれませんが)、

これをあなたはやり残してますよとか、これが前世でできてないとかいう心がへこむことは(?)、

伝えられませんでした(敢えて尋ねませんでしたし)。

ただ、こういうことを大事にしなさいみたいなことを教えてくれましたけど、それ、すでに知ってた(苦笑)。でも、改めて気に留めていよう、と思いました。

というわけで、アカシックレコードリーディングは、

時間枠を超えた壮大な旅をしたような体験となりましたが(高価なアトラクションに乗ったようなもの、汗)、

あーやっぱり過去世と今はつながってるのね、そうやって今の自分がいるんだとわかって、

ものすごーいながーい根っこが自分に生えたようで、土台がしっかりできたようにも感じます。

とはいっても、過去世すらも大いなる源からみれば、

魂の長い”夢”または”幻影”であるというのはわかってるので、

過去世にこだわりすぎないで、「今」を大事に生きればよいなとも思いました。

ただ、現世に疲れたときは、時間枠を超えて壮大な流れの中の自分の魂の物語を覗くことで、

今世をありがたく生きるのもありかもしれません。

↑ 現世からちょっとだけ抜け出すイメージ(?!)

冴えない日

わたしの心が晴れない日がありました。

気分が冴えなくて、傷ついたような沈んだ気分の日でした。

前日は、心が浮き立ってなにもかも順調で明るく楽しい日だったのに(苦笑)。

気分が冴えない理由を探るならば、自分の中の弱さ(プライドとも言える)が

傷ついたからだとわかっています。

そしてそれが何を私に教えてくれてるのかもわかっていて、

それで私はどうするのか、ということまでわかっています。

大きな心の問題が起きたわけではなくて、だから泣くようなことでも、

怒るようなことでもない、ただ、ほんのちょっと気分が落ちるようなことがあったのでした。

冴えない気分のまま空をみあげると、空もすっきりしない様相でした。

雲が薄〜くたちこめて、明るさがどこにもなくて、雲の輪郭がわからず面白みがない、

雨が降りだしそうな暗さでもない、どよーんとした空。

わたしの心をみせられてるような空でした。

あ〜、心と同じように、空もいつも明るく冴えてるとは限らない、いつも美しい空とは限らないよな。

でも、再び、また明るいスカッとする空や、美しい雲のパターンをみれることもわかってる。

そうやって、全てが流れ、事象が起こり続けてるとわかってるけど、

それでも、わたしは心の平安を求めてる。

一時的にじゃなくて、ずっとずーっと心が安らかだったら、

もしくはずーっと心が明るいままだったらよいのに、とどこかで望んでいる。

そんなことを思いながら寝る前に瞑想していたら、こんなインスピレショーンをもらいました ↓

「ほんとうのわたしたちは、

気象現象を見上げる側じゃなくて、

気象現象を見下ろす天空の方だよ」

あら、すみません、そうでした(汗)。

ほんとうの私たちは、

さまざまな気象現象が起こるその「真下」で生きてる存在じゃなくて、

気象現象の影響をいっさい受けない

そのはるかかなたの揺るがない「天空」の方でした。

天空は、

そこで雲が増えようと、雷が鳴ろうと、豪雨になろうと、

太陽が休みなく照りつけようと、なんの影響もうけない。

それらの気象現象の移りゆくさまを、ただ眺める存在。

私たち「人間」は、気象現象の起こる空間で、その影響の下でいきていて、

空模様と同じように、変化しつづける落ち着かない心模様を抱えて生きている。

そんな変化し続ける毎日の心の動きに疲れるな〜と思ったら、

ほんとうの自分は、永遠に平安な「天空」の方なんだと思い出すと、

心の動きを達観できるかもしれません。

↑ 達観したせいか(?)、今日はすっきり雲一つない秋晴れです。

ーーーーーーーーー

もっと楽に生きていきたいな〜と思う方へ

エネルギー療法コンサルテーション、

心のスタディコンサルテーションというのをやっています。

心の乱れを、レメディやエッセンスなどのヘルプで整えていくことができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:

ARNICA エネルギー療法

みんなのお母さん

昨日の夕方、家族で出かけてたら車の中で、非常に久しぶりの大口論になりました(汗)。

わたしとダンナさんがそれぞれ怒ってぶつかった、ブチギレた?!

怒りがおさまってから、ダンナさんに

「今週テニスが足りなかったんじゃない〜?(→ 私の怒りエネルギー噴出の場、苦笑)」

と言われたりしたけれど、

なんであんなに怒ったのかな〜と自分を分析してみたら、こんな感じでした:

前夜、息子が熱く語る話(私にはヒジョーに興味が薄い各国の武器開発の話)を聞いてあげた。

出かける少し前に、今熱中してるインドの賢者の本を1人で静かに「離れ」で読んでたら、

ダンナさんがやってきて、彼が午前に体験したことを熱く語り出し、

おまけに「後でみるから」と断ったのにそのとき撮影した動画までみせられ、

あげくに話が終わったら、その場で彼はぐーぐー昼寝を始めたため、

私の読書集中がとぎれて、結局、母屋で家事をした。

その後、家族で出かけた車の中で、行先について私が意見を言ったら、

それを聞きいれてくれなかったので、私は怒りが噴出したのでした。

”私はあななたちの話を聞いてあげたよね?!私の意見も聞いてくれていいでしょ!”

が怒りの元でした。

これって、ママ達の夫婦喧嘩の元とよく似ています。

日中、子供の気持ちをたくさん受け止めて、子供目線で話を聞いてあげて、

やっと帰宅したパパに、今度は自分の話を聞いてもらおうとすると、パパは全然聞いてくれない。

そこで怒り噴出みたいな(苦笑)。

年配の夫婦だって同じような喧嘩が多いかもです。

妻は夫の話を聞いてあげたり、食事や生活の要望を聞きいれてあげてるのに、

妻の話をほぼ聞けない夫。そしてだんだん口を聞かなくなる夫婦みたいな(苦笑)。

女性性(じょせいせい)というのは、

受容するという特徴がありますから、

女の人は自然と他者の話を聞いてあげたり、受け入れる という役割になるのだと思います。

特に「母」となると、母性が強くでますので、自分が属する家族全員の受け止め役に自然となってしまうのかもしれません。

ん?!、それなら「母」って、誰が受け止めてくれるの?

母の母かしら?!

実際、自分にお母さんがいると、実家にいって愚痴ったり話を聞いてもらってる人も多いかもしれません。

でも、そういうお母さんがいない母たちは、どうなるんだ?!

全国のそういうたくさんのお母さんを受け止める役は誰?!

なんて考えていたら、こんなインスピレーション が降りてきました↓

「みんなのお母さん、それはマザーアース」

Mother Earth : つまり地球です。

地球は、母なる星、なんて表現もされますし、

地球も意識をもっている惑星で、地球は女性性の星とも言われています。

例えば、地球はフランス語でいうと La Terre :ちゃんと女性名詞になってます。

このインスピレーション が降りてきて、

わ〜、わたしは、お母さんの上で暮らしてるんだ

って思ったら、ものすごく安らかな暖かい気持ちになりました。

地球:マザーアースは、

そこに住む子供(私たち)に、

食べ物を慈悲深く与えてくれて

(土に植えたら野菜や果物ができ、動物や海で魚も育ててくれてる)、

そこに住む子供たちが喧嘩(戦争)しても、

そこに住む子供たちが、ママをたたいたり傷つけても(環境汚染、環境破壊)、

その美しい自然の中で、子供たちを育(はぐく)んでくれています。

たまに、怒るけど?!(台風とか自然災害)。

ということで、誰にも受け止めてもらえてないなと思ったら、

マザーアースに受け止めてもらってることを思い出すのはどうでしょうか。

母が当たり前の存在じゃないように、

地球も当たり前の存在じゃない、

だから感謝を忘れないようにしたいな、地球という母の上で暮らせているありがたさをいつも感じていたいなと、

今回の出来事からつくづく思いました。

地球というみんなのお母さんとつながれる瞑想、おすすめです:

なんでも導きのサイン

今朝6時前、息子をバス停まで送っていく途中で信号待ちになり、

フロントガラス越しに流れていく雲をみていたら、浮かんできたのが:

インスタ始めよう

でした。

きっかけは、数日前にお会いしたころあい自然楽校の佑里子さんに、

「Blogは、私を知ってる 人が読みにくるもの、

もっと多くの人に知ってもらうには インスタとか がいいですよ」

みたいなことを教えてもらったから。

ころあいさんは、インスタを始めてから、問合せの数が目に見えて増えたそうです。

このときは、へ〜そうか〜、そうだよね、と思っていただけです。

なぜなら、まだこの時点で「自分の思い込み」の方が、

「導きのサイン」よりも強かったので。

私は、Facebook や Twitter や Instagramなどは、

不特定多数に向けて情報発信したい人や、

キラキラした生活をしてる人が活用するSNS

だという思い込みを持っていたのです(汗)。

わたしは個人的にひっそり(?)してたいタイプで、

生活も、ものすごーく地味なんで(苦笑)、

SNS始めても、自然 か 猫 しかあげるもんがない、つまりキラキラした生活も情報もないから、そういうものと自分は関係ないと思い込んでいました。

この化石のような古い思い込みは、いつからもってたんだろう〜って苦笑しながら考えたら、

Facebookが普及しはじめたときのイメージかもと思いました。

当時は、どこそこでランチしたとか、

こんな素敵なもの購入しましたとか、こんなに友人たちと楽しんでますよ、

みたいな投稿しかみたことなくて、

うわ〜自分とは無縁の世界だっ!て思ったの覚えてます(汗)。

一応、わたしも個人事業しているので、Facebookを活用しようかと考えてアカウントをとってはみたものの、

仕事でお会いするクライアントさんとVサインした写真は撮るような業種じゃないし(苦笑)、
そもそもわたしのプライベート生活には華(ハナ)がない……と再確認し、

SNSとわたしはそぐわない、という「思い込みをつくった」のでした。

しかし、今朝、あの瞬間、あ〜佑里子さんから告げられた言葉は、まさにサインなんだ!、と気づいて、

即実行することにしました。

「ふっとやってきて、あなたの気をひくものはサインですから受け止めましょう」なんて人様に言ってるわりには、自分にブロックかかってた(笑)!

猫、山、空しか、うつってない地味なインスタも、全然アリだし!

そんなんで、思い込みがカチッと外れました。

折しも、わたしはこれから、新しい活動をしようと考えているところなので(そのうちお知らせします)、

まさにこれは絶好のタイミングでした。

↑ こうやって文章にしてみたら、とても小さな、しかし相当にくだらない思い込みでしたね〜

でも、誰しもこんなの持ってるんじゃないでしょうかね。

私にはそれムリ  とか

ガラじゃないとか

なんとなく手をださないでおこう とか

それら 1回点検してみたら いいかもです。

てなわけで、ジミーなインスタ開設してみました:https://www.instagram.com/arnica.pe/?hl=ja

これから、いろんなインスタみにいってフォローしていこっと♡ワクワク♡

沖縄じゃないです苦笑、山陰海岸ジオパークの一部。
やっぱ、海はいい!

1つ前の時代のモンでは?!

私が子供の頃、母がコトあるごとに私に言い聞かせてたのは、

「  あきちゃん(と母は私を呼んでた)、

女は 愛嬌(あいきょう)よ 

という言葉でした。

ふざけた口調でも、断定的な口調でもなく、これこそが大事なのよ、みたいに説得するような口調でこれを言うのでした。

こどもの私はそれを聞くたびに、

なんてバカなことをこの人は言ってるんだろう!

と思ってました。

この人は、なんてくだらないことを私に教えるんだろう!

と思ってました(苦笑)。

そして、その母の教えにはうなづきもせず、ただ毎回黙っていたと記憶しています。

この教えに対する反目から、

私はぶっきらぼうな愛嬌のない女性になったのかもしれません(汗&苦笑)、

もしくは母が幼い私にこの文言を繰り返していたのは、もともと私が、もっと愛嬌があれば愛されるのにと思わせる愛想のない娘だったからかもしれません(大汗)。

母のパーソナリティでいうと、彼女は上に姉が3人いて、上の人たちに可愛がられるのが日々を楽に円滑に過ごすコツだと学んだのかもしれなくて、

実際、母はどんなコミュニティに入っても、いつも姉さん風の人と仲良くなって、その人に可愛がられるような人間関係を作っていました。

それにしても、こういう親からの教えというのは、親個人の生い立ちや性質だけでなく、

「時代」を大きく反映してるな〜と思います。

私の母が生きた時代というのは、女性の社会進出はまだまだ少なく、女が学(がく)を積むと嫁にいけなくなると言われていた時代、

専業主婦が大部分で、女は男に仕え、男性に愛され大事にされてこそナンボみたいな時代の流れがあったと思います。

だから、私の母も、あなたも愛嬌のある愛される女性になるのが一番よ、みたいなことを教えたかったのかもしれません。

私のダンナさんの話もだすならば、彼は子供の頃から、漫画みたいな絵を描くのが好きで(実家でみせてもらった)かなりクリエイティブな発想の子だったと思うのですが、

彼の両親は幼少期の彼のそういう才能を十分知りながらも、漫画みたいなものを描いても生活できないからと、進路を決めるときにエンジニアの道に進むことを強く勧め、そして彼はその道に進みました。

もちろん、両親の希望通りに彼は食べることで困りはしませんでした、食べていける職業だったから。

でも、彼は自分が生まれもった才能を存分に発揮するということにずーっと苦しむことにもなったわけです。

ダンナさんの両親が彼に勧めた進路も、「時代」の影響を受けた考えだな〜と思います。

親の考えには、彼らが生きた「時代」の中で、彼らが生きていくのにこれがよいだろうと思った選択が反映されています。

何が言いたいかというと、この流れは実は今も綿々と続いてるということを自覚するのがよいのでは、ということです。

たとえ、若い世代のパパ&ママであっても、

自分がこれまで生きてきた時代から受けた影響の教えを、

子ども達に押し付けていないか自問自答するとよいのでは、と思うのです。

もちろん、私も(苦笑)。

今、子どもに教えようとしてるルールや価値観は、

自分の(1つ古い)時代のモンではないか!?、って、

1回考えてみるのはどうかなと思うのでした。

その価値観やルールは、本当に自分が心から大事だと思ってることなのか、

その子が幸せになるためのものなのか、

はたまた、それは自分の親や時代から刷り込まれただけの考えではないのか、

まずは大人自身も点検してみるといいのではと思いました(今朝、この内容がインスピレーション で降りてきた)。

最後に…..

母から愛嬌について言われた上記のエピソードをダンナさんに話したら、

「確かに愛嬌ナイネ(→私)、愛嬌あるほうがこっちは嬉シイヨ!」

と言われました。

あ、やっぱり、私、笑顔足りなかった?!(大汗)。

愛嬌こそが大事である、とはやはり思わないけど、

笑顔でいることは大事ですな〜(反省)!

↑ にゃんこ達の寝てる姿をみてると自然に笑顔になるのですが、ね。猫達には愛嬌のある私です。
人間に対して愛嬌がないのかも(汗)。