challenge してますか

”Challenge” という言葉が降りてきたので、

自分がこれまでの人生でやってきた「チャレンジ」について、今朝、思い巡らせてみました。

ここで書くチャレンジの定義は、

「できるかできないか予想もつかない、むしろできるとはなかなか思えないけれど、

試してみた、思いきってやってみた」ことです。

私はこれまでの人生で、海外にも1人で無防備に住みにいったし、わりと色んなことをやってきた方だとは思うけれど、

上記のチャレンジの定義に当てはまることを思い返してみたら、実はあまりやったことがないということがわかりました。

海外に行ったときは、ただ行きたいという気持ちで動いていただけなので(怖さも何もなかったから思いきりも必要なかった)チャレンジとは呼べないし、

マイナーなカテゴリーに入るホメオパスという仕事を選んだときも、できるかわからないけどやってみようというチャレンジではなく、気がついたらいつのまにかなっていたというただ起きてくる流れに乗ったような出来事だったので、自分の中ではチャレンジではありませんでした。

えー!?ちょっと、まって!ということは、私は人生であまりチャレンジしていないってこと?!と我ながら気づいて、

やれるかやれないかわからないけど、敢えてやってきたことを念入りに調べてみたら、

3つほどでてきました(良かった…..笑)。

1つ目にでてきたのは、テニスの試合にでたことです(まだこれからもでるかもですが)。

小さなコミュニティで何年もテニスをやってきた私でしたが、
少し広い世界に歩みでて自分がどれくらいできるか検討がつかない、ものすごい低レベルかもしれない、大恥かくかもしれない、それでも自分を試してみようと思って(しかもこの年齢で、汗)テニスの試合にでてみたことは、自分の中ではとても大きなチャレンジでした。

思えば、試合くらい緊張することは、私の人生では少ないと思います → つまり、緊張しない、チャレンジしようとしない自分の一面にあらためて気がつきました、笑。

2つ目に思い浮かんだのは、ボイストレーニングを始めたことです。

私は歌を歌うのが下手で、いわゆるコンプレックスでした。
そのコンプレックスに取り組むのはわりとハードル高かったけど、とりあえずやってみようと始めたのは、私にとって正真正銘チャレンジと言えます(現在も継続中、毎回レッスンで緊張して汗かきます)。

こう書いてくると、チャレンジというのは、

できなくて恥をかくかもしれない、失敗して後悔するかもしれない、自分のプライドが傷つくかもしれない、

それでもそういうエゴの痛みをも引き受けて、覚悟してやってみるってことなのかなと思いました。

3つ目に思いついたのは、移住したことです。

東京から今の姫路市の山間部に住みにきたことは、古民家暮らしも初めてなら、いわゆる村の中に入り込むのも初めてのことだし、人間関係やら暮らしやら、どうなるか全くわからないけど、とりあえずやってみようと思った、これもチャレンジだなと思いました。

とはいえ、これは私個人でのチャレンジというより、家族としてのチャレンジだと思います。

ということで、私のこれまでの人生のチャレンジで思いついたのは、上記の3つでした。

このチャレンジの数から自分のことを分析すると、

私は、ある程度予想できることしか手を出さないタイプの人だなと言えます。

予想して失敗しそうだとか、うまくいかなそうなことには、やらないようにしてきた安全圏で生きようとしていた人なのかもしれません。

もちろん、これを別の角度から言い換えるなら、自分が世間でできることがちゃんとわかっていて見通すのがうまいとかいう言い方もできますが笑。

しかし、いっけん、人生がわりとうまくいってきたように思えるとしても、

それは自分の想定内でだけ、安全圏内でやってきたとも言えますね(苦笑)。

家で、学校で、社会で、

何かをするときに助言をされることが多いです:

安全第一に。

先々のために保険を考えといた方がいい。

リスクをいつも考えなさい。

見通しが立ってやろうとしているのか。

もちろん、これらの言葉は、シチュエーションによっては大事かもしれません。

でも、安全第一すぎて、自分が失敗しない、危うい目に合わないことが、人生を生きることではないですよね。

安全でチャレンジしない人生は、違う角度からみるならば、

フルに自分のポテンシャルを発揮する機会を自分に与えていないとも言えるかなと、自分の人生を振り返りながら、思いました。

ということで、チャレンジが私に残ってる1つの課題だろうなと、新春に思いました。

なんとなく感じたのは、チャレンジすることの数を増やすより、
チャレンジすることの規模自体を大きくするほうが私には大事そう……。

2023年、あなたはのチャレンジは、どうですか。

休暇の違う使い方


私のダンナさんですが、その順番逆だよね?! と突っ込みたくなるときがあります。

先日も、煮込みに使った大きな重いお鍋(ル・クルーゼ)をテーブルにうつさないといけないときに、

「(運ぶの)手伝おうか?」と

お鍋を持ってくれたのですが、お鍋を置くスペースを確保せずに先に動いたので、

彼はその鍋を持ったまま、

「これとこれ(お鍋を置きたい場所にあったお皿類)、どけてよ!」と私に頼むことになり、

私がやっていたことの手を止め、テーブルの空きスペースをつくったのでした。

「えっとさ、順番逆だよね、置く場所をまず確認してから、お鍋持とーか」

と彼に言ったと思いますが(いつものことなので言わずに心の中で私が思っただけだったかも笑)、

なんか、このパターンよくあるよなと私は思い、それでその場は終わりました。

そしたら、その翌日、私が洗濯物を干してるときに

あれ?!私も順番逆じゃない?!

と突然、気がついたのでした。

私はTシャツなどの洗濯物を干していくときに、

まずハンガーをとり、それからTシャツを手にとってることに気がついたのです。

(ハンガーにまず干してから、洗濯物のシワをひろげてた)

そのときもハンガーを左手にもったまま、裏返しになってる息子のシャツをひっくり返そうとしてて、あれ?と気がつきました。

ハンガー持って、片手でひっくり返すのはやりにくい….(当たり前)、

ちょっと待って、「これ順番逆だよね!?」と。

洗濯物を先に手にとり、パンッと伸ばしたり、裏返しならひっくり返してから、次にハンガーを手にとれば何のストレスもないわ!

この順番が逆だったことに、今頃、気づくなんて!!!(とても小さいことながら、私には衝撃)

(注)もちろん、こういうことに正解などはありませんから、先にハンガー持とうが、後で持とうがよいのです。ただ、私は逆の順番の方が自分がスッキリすることに、このとき、初めて気がついた苦笑。

昨日、ダンナさんのこと、順番逆でしょう!と指摘したタイミングと合わせてみると、今回このパターンを解消することになっていたのだなと思いました。

近しいダンナさんに指摘していたそのことは、自分も持ってるパターンの1つだったのでした。

この日以降、洗濯物を干すときにマインドフルネスでできるので(ハンガーを先に持つと落ち着かず、あせる感覚がそれまであった)、とても心地がよくなりました。

今は年末年始のお休み中の方が多いと思いますが、

休暇中というのは、いつもの日常より家族と過ごす時間が長いと思います。

家族と長くいるということは、ほっこりしたり、気がゆるんだり、賑やかで楽しかったりもすると思いますが、同時に、家族間での小さな摩擦やイライラをいつもにも増して感じる機会でもあると思います。

いつもは仕事や学校など、家の外の出来事に意識が向いてるけど、ずっと家族でいると、意識は家の内側に向くからです。

普段の日常ではあまり時間がないので、家族間で起きる摩擦や気になるところはなるべくスルーしてると思いますが、もし今回のお休み期間にそういうことに気づいたら、それは不要なパターンを解消する機会だと思うと面白いかもしれません。

不要なパターンやいつのまにか知らずに身につけていたパターンは、それがどんな小さなことでも解消されると、私のように毎日がもっと心地よくなるし、それはつまりネガティブパターンが解消されたということなので波動が少し上がるということでもあります。

イエスが「自分じぶんあいするようにあなたのとなびとあいせよ」といったように、

隣人=近しい人、家族は、自分たちがもってる不要なパターンを最も濃くみせてくれる人たちだと言えます(エネルギー的に最もあなたの近くに引き寄せられたので)。

近しい人たちと長くいる時に浮上してくる不快な出来事は、お互いにとって不要なパターンだよというサインでもあるわけです。

ちなみに、今の年末休みの時点で、私は 2つのパターンを解消しました。

1つは上記の「順番逆だった」ことですが、もう1つは、ダンナさんと初めて行った巨大ホームセンターで起こりました(つまり、そこで揉めた…笑)。

書くととても長い出来事なので、はしょりますが、お互いのコミュニケーションパターン(キャッチボールしようとする人=私と、投げられたボールをよける人=ダンナさん、ボールをよけられたら怒る人=私)に気づきが起きて、それを解消したのでした。

このコミュニケーションパターンは、ダンナさんにはとても大きなブロックとなっていて(幼少期からのパターンだった)、解消はその場ではできず翌日になりましたが、

お互い、その後は、ものすごく軽くなりました。

という感じで、年末年始休暇を、

”この私の近しい人たちは、私が持ってるどんな不要なパターンをみせてくれてるのだろう?! ” と、

そんなクイズのような視点で過ごすのも、なかなか楽しいかもしれません(そうか?!….笑)

優しい目…..ちなみに、うちの裏の山の鹿ではありません笑。

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年末年始に気づいた近しい人との小さな&不要なパターン、

解消の仕方がわからないときは、メール相談できます。

(根深いパターンは、カウンセリングでないと解消は難しいかもです)

ご興味のある方は、こちらへ どうぞ。

自由な関係

先日、妹と小旅行に出かける機会がありました。

私たちは電話で近況を連絡し合うような姉妹?性質?ではないし、妹は関東に住んでることもありたまにしか会わないので、今回のような小旅行となれば、積もり積もった話がでてきて観光などほぼ眼中になく「ただ話しまくる旅」になります笑。

妹は、子どもの頃にやりたくて親に頼んだけれど叶わなかったピアノを、1、2年前から習い始めたのですが、旅行中の彼女の話はもっぱらそのことでした。

彼女は子どもの頃にオルガン(近所の人が譲ってくれた)を習わなくても弾けていたし、歌もとても上手だったので、もともと音楽の才能があるんだろうなと私は思ってます。

だからなのか、大人のイチからの習い事といっても、想像以上に真剣に突き詰めているようです。

練習曲を弾くためのテクニック以上のこと、例えば根本的な体の運び方を学ぶためにある本を読んで、自分のこれまでの姿勢や力の入れ方がおかしかったと気づいたとか、音が響くというのはこういうことだみたいな話までしていて、彼女のプライベートの時間のほとんどがピアノのために使われているのもわかりました。

そんな感じでお互い話しまくって、あっという間に時間が過ぎて、妹と別れ、私は車で帰途についたのですが、

妹から聞いた話を運転しながら無意識に反芻していたら、とても重い感覚を感じました。

正確にいうと、旅行中も彼女の熱い話を聞いてる途中からすでに、なんだか重たいな、苦しい感じがするなと思っていたのですが、はっきりそう認識したのは、一人になった帰り道の車の中でした。

大人になってそんなに夢中になれるものに出会うなんて、とても素敵な話で、しかもやりたかったことを叶えた喜ばしい話なのに、なんだろう、この重い感覚は?!

妹の情熱に圧されたのかな?!

自問してみましたが、自分が感じる重さが「何か」わからなかったので、この件は、そのまま忘れて、私もまた自分の日常に戻っていきました。

そうしていたら、昨日、ふっと私が重さを感じた理由がわかったので記事にしてみます。

私が感じた重さは、

ピアノという習い事を妹が自分と ”アタッチ(attach) させてる” と感じたから、でした。

アタッチとは、何かと何かをくっつけることで、

人が何か(モノや人)に強くこだわったり、

執着したとき、

両者にエネルギーコードが形成されることがあるのですが、そのコードのついた関係が私には重く感じられたのだと思いました。

わかりやすい言葉でいうならば、ピアノが彼女にとっての「執着」になったと感じたからだったのです。

「何か」を自分とアタッチさせると、人はその「何か」と ”自由な” 関係ではなくなります。

自分に何かとつながる ”ヒモ”  が物理的にくっついてると想像すると、

自由自在に、軽やかに動けなくなるとイメージできるのでは、と思います。

アタッチしてる/されてる関係は、人間関係でみるとわかりやすいです。

彼が大好きでたまらない、

彼なしでは私の生活は成り立たない、彼がいなくなったら私の人生はおしまい、

みたいに表現できる関係が、それです。

私から一生離れないでね、私を幸せにするといったじゃない、みたいなのも、

アタッチしてる関係です。

母子間でもこれはみれます。

この子が私の全てですとか、この子が成功することが私の望みです、みたいなのもアタッチしてる関係です。

自由な関係とは、

彼が大好きだけど、でももし彼が私から離れたとしても、まあ、なんとかなるでしょ、他の男もいるしね…、みたいな関係で、

あなたが好きで結婚したけど、気がついたらもうウン十年も一緒に過ごしてるね、みたいなのも自由な関係だと思います。

これはモノとの関係も同じで、

お金がないと暮らしていけない、はお金とアタッチされてる関係で、

お金があるほうがいい、でも、まあ、お金がなくなっても、なんとかやれるでしょ、自給自足でもいいし、みたいに思えるのは、お金と自由な関係と言えます。

モノだけでなく、名誉だったり、地位だったり、評価といった抽象的なものへのアタッチも同じです。

アタッチという視点で、自分の人間関係やモノとの関係が自由な関係かどうか点検してみたら、

エネルギー療法という仕事も以前は”自分の”ライフワークと考えていてアタッチしかけていたけど汗、今は、いつやめてもいいな〜と思ってるし、

モノもお金も、なくてもまあ、なんとかなるでしょと思えてる、と思いました。

大好きな趣味のテニスは、正直、以前はアタッチしてたかもと思うのですが(真剣すぎた)、

今年の春に肩の腱をケガして、その時、もしかして今後テニスできなくなるかもと思ったことをきっかけに、目が少し覚めて?!今はほどほどにと思えてるので、以前よりかなり自由な関係でいられてるかも、と思いました。

家族のことは大好きですが、それぞれが自由に生きていくことを望んでいるし、それぞれ自由にやってくれるだろうと思えてるので、家族とも自由な関係かなと思えました。

結局、そうやって点検していくと、もっとも私がアタッチしてるのは「猫」だと思いました。

猫がいなきゃ、だめという感覚ではないですが、

猫がいつかいなくなるときが来たら(魂は死なないとわかっていても)耐えられるのだろうか…とは思ってます汗。

しかし、アタッチメントコードをつけると、つけた自分だけでなく、つけられた猫も軽やかにいられないので、意識して自由な関係でいよう、と思いました。

最後に、

この記事のネタにさせてもらった妹ですが(ごめん!)、彼女はそういうのにちゃんと気づく人なので、そのうち、「うっわー、このピアノとの関係は重いっ」と自分で気づくと思うので、アタッチしてるかもよ、ということは、今のところ、伝えていません。

ちょうど紅葉の季節に旅行できました。

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アタッチしてる、コードをつないだ関係を持ってると気づいた方、

そのコードを切りたい場合は、

ハサミやナイフでカットするイメージを使って、コードを断ち切ることができます。

まずは、自分がそのコードは不要だ、もっと軽やかに生きていこうと意識することから始めるとよいです。

色んなこと、楽しんでいい

今朝、瞑想しててふと降りてきた見方ですが、

何か1つのことだけに全てをかける

という生き方は、1つ前の時代で終わったのかもしれないと思いました。

確かに、このところのクライアントさんたちのお話を聞いていても、

例えばある方がビジネスに秀でた才能を持っていても、それだけに集中して人生を展開していこうとは思ってはいない、そういう傾向が全体的にみえます。

そのビジネスの才能は、ご両親から譲り受けているわけですが、幼少期の体験で、親がそれに集中するあまり、家族の生活が大事にされず、子供だったご自身が寂しい思いや不足感を味わったことにより、1つのことだけで燃え尽きる生き方を選びたくないという学びが、そうさせてるように思います。

自分個人の道だけでなく、家族やプライベートでも充実した人生を選んでいく、というのが今の時代の全体的な傾向としてあるように私は思います。

アイドルは落ち目になるまで結婚しないと思っていた時代が終わり、絶頂期に結婚し家族や子供たちとの生活も大事にした木村拓哉さんがそうであるように(これが一番わかりやすい先駆者の例だと浮かんだ笑)、

テニスのバーティ(豪州の女性プレーヤー)が世界ランキング1位のときに、しかも25歳の若さで早々に引退し、別のことを始めたいと会見したように、

今の&これからの時代は、なにか1つのことだけに人生を捧げる時代ではなく、色んなことを体験したり、自分だけが何かをやり尽くして自分だけが幸せで終わらず、周りの人との関係も調和させていく、そんな時代なのではないかと思いました。

これを精神世界の言葉でいうならば、今世に、複数のことを体験するような魂のプランを持ってきてる人が多い、といえるかもしれません(転生最後の方はそうなる)。

その視点で、自分のことをみると、私もエネルギー療法という仕事についてはライフワークという感覚をもっていて大事にしてるけれど、

同時にプライベートでやってるテニスも、やりたい気持ちがなかなか減らなくて、いつまで勝ち負けのゲームやっとんねん!と時々、自分を突っ込んだりしてたけど笑、これも、私が体験したいプランの1つなんだろうなと思いました。

また自分個人のしたいことだけでなく、家族での生活も同じくらい大事にしたい、という思いも持っています。

一言でいうと、どれも楽しみたい、ということになりますが、
この記事を書きながら、自分も含め、こういう時代なんだよな、と改めて思いました。

18歳になった私の息子も、メインで学びたい専門を既に決めてますが、同時に副業でやりたいこともすでにあり(すでに「副業」というカテゴリーに入れてる笑)、さらにもう1つお金を稼ぐためにチャレンジしたいと思ってることもあるそうです。

以前は、息子のそういう話を聞くと、
1つに絞れないの?!エネルギー分散するよ….とか、
でも、まあ、そのうち、何かに絞られるかも、とか、
いや、どこかでそれらが1つにつながるときが来るかもね、

みたいに思ってましたが、
今朝のインスピレーションで降りてきた見方でみると、
彼はすでにそういう時代の子なんだよな、とわかりました。

私たちの肉体を生かしてるエネルギーが体のまわりにあるのですが、
それらのエネルギーは7つのチャクラ (出入口みたいなもの)を通して流れていて、その7つに人生を通して取り組むテーマがそれぞれあります。

それらのテーマをクリアしていくと、心身のエネルギーバランスがよく、
現実の人生自体にもバランスがとれていくわけで、
つまりは、上記に書いたような、人生のいろんなカテゴリーでもバランスのとれた、自分の充実だけではなく、まわりの人も充実する幸せな人生になるのだと思います。

ということで、

何か1つだけにかけなくてもいい(かけるのもよし)、

これ、やりたいなとか、楽しいなと感じること、

その自分の感覚に素直に従って色んな体験をするのがよいと思います。

虹の7色は、7チャクラ の色を表しています。

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7つのチャクラのテーマを学んでみたい方に、

腸内細菌レメディプログラム

というのを提供しています。

それぞれのチャクラに対応したレメディを取りながら学ぶので、
同時にそれぞれのテーマで自分が抱えてる問題(ブロック)についても
みていくことができます。

7、8ヶ月かかりますが、1通り終えると、以前とは違う自分になってると思います。

ご興味のある方は、上記のプログラム名をクリックしてみてください〜

虫刺されの処置

夏でなく秋の今頃に、このネタで恐縮です…..笑。

今朝早く、外にでて空をみていたら、台風前で湿度が高いせいなのか、思いのほか、

蚊がおりまして、足と腕など5箇所も刺されました。

蚊に刺されたときに、痒みも最小限で、刺された跡も最小限で済むと私が思っている処置を書きます(今朝もこれで、痒み等あっという間に過ぎた)。

①刺された箇所に、石鹸をつけて洗い流す

 (蚊が刺すときに出すと言われてる痒みの元の ”蚊の唾液” を洗い流す)

②流した後に、刺された場所に 塩 を摺(す)り込む

 (きゅうりの塩揉みみたいに、塩を塗り込むと水分がでます、この塩に対する反応を利用して、皮膚の少し奥にはいってる蚊の唾液を、外に出します)

しばらくしたら、塩をはらって(もしくは洗い流して)終了です。

その後は、私は、ビワの葉エキス をちょんちょんと塗ったりしますが、そこはご家庭で愛用してるものを使うといいと思います(そういうものを使わなくても痒みは残りません)。

この処置は、刺されたらすぐにやるのがオススメです(肌がヒスタミンを出す前、外出先で石鹸がないときは水で流すだけでもよし)。

ブヨなど、痒みが強くでる虫の場合は、塩を2、3度すり込むのがよいです。

山ヒルにも使えます、汗(私は自然豊かなところに住んでます)。

ヒルの場合も、塩を何度かすりこみます。

ヒルの場合は、痒みはやはり多少残りますが、

石鹸洗い流し → 塩すりこみ をしたときと、しないときの痒みは、雲泥の差です。

痒みの元を残したまま、外用薬を何度も何度も上から塗布するのは、あまり意味がないな〜と長年蚊に刺されながら?生きてきて、実感しております。

これは、心の問題も同じで、心の闇部分(怒りや悲しみ)を中に閉じ込めたまま、

外から、私は私を愛してます、とか、私は最高の自分になります、のようなアファメーションを何十回、何百回繰り返しても、なかなか芯から癒されていかないのも、そういうことだと思います。

心の刺された跡も、蚊に刺された跡みたいに、ちゃんと自分の目でみれると、もっと浄化が楽だろうな〜と思います。

コスモスが目立ってきました。台風すぎたら、秋ですかね。

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心のうちに閉じ込めた怒りや悲しみを、コンサルテーションという会話の中で取り出して、それを自分の中から洗い流すこと、やってみませんか。

詳しくは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

文字通りのアンチエイジング

私は毎晩、瞑想しているのですが、最近は時間があれば朝にもするようになりました。

先日、朝の瞑想から覚めたときに

「瞑想状態って 冬眠状態と同じだ」

と気がつきました。

早速、ネットで冬眠状態について調べてみると、

冬眠状態の動物たちは、

低体温や低心拍状態になっていて、それは”代謝を低下させてる”状態だ
ということが書いてありました。

ちなみに冬眠状態については、様々な分野で研究されてるらしく、

例えば、寝たきりの方々などは体を動かせないので筋萎縮が起こり、どんどん弱っていってしまうのですが、

冬眠状態の動物には筋萎縮が起こらず、それは代謝を低下させてる状態だからで、この冬眠のメカニズムを介護や医療の方面に使えないかというようなことが考えられているようです。

瞑想とリンクしてる冬眠の情報は探せませんでしたが、

その数日後に入手して読んだ瞑想の本に(導かれた…)、

瞑想してる状態では、人によるが代謝が16-20%くらい落ちている(医療機関で瞑想中の血液中の酸素濃度を計測した)と書いてありました。

瞑想状態では代謝の低下状態になってるんだ〜、だから冬眠してるようなもんだよね、と勝手に一人で納得しました笑。

私が瞑想を始めるきっかけをつくってくれた方が、

「瞑想してるとどんどん若返るよ〜」と言っていたのは、そういうことだったのね、

と、やっとここで腑に落ちました(その方は上記のような根拠はなく、ご自身の感覚で言っていたと思います)。

ということで私の理解で言うと、瞑想してると

「若返る」のではなく、

「老いていく速度が、瞑想してる時間分(代謝が落ちるので)少しゆっくりになる」です。

いわゆる抗老化タイム、つまり文字通りのアンチエイジングになる、のだと言えると思います。

これまで瞑想いいですよ、とオススメしても、なかなか実践する人はいませんでしたが、
アンチエイジングと聞けば、きっとやる気になるのではなかろうか……!?(今朝、この話を聞いた二人がすぐにやると言ってました笑)

洞窟にこもり瞑想してた僧の過去世(男性だった)があるといわれたことがあります……今世はせまいとこ嫌いだけど(笑)


いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。

思考の数々を可視化できるなら

今朝、

「ネガティブに推理し続ける思考を止めらない」

というようなお悩みについて話していたせいか、

午後に久しぶりに庭の草むしりをしていたら、

「その思考が止められない状態というのは、つまりこういう感じだよね」

と生い茂った雑草がみせてくれてました ↓

これはヘクソカズラ(すごいネーミング汗)という植物ですが、つる性で、少し紫がかった茎が何重にもあちこちに巻きついていて、なにがなんだかわからない状態でした。

もし思考がこの植物のツルのように育っていくのが目に見えるなら、

それでもわたしたちは、その育っていく思考を止めないでしょうか!?汗

何度も何度も同じことについてああかもしれない、いやこうかもしれないと推理したり、

何度も何度も嫌な体験を蒸し返して思い出したり、

何度も何度も心配なことを予想してどうなるだろうと思考する…..

思考して思い浮かべるということは、その事象にエネルギーを与えてるということになりますから、

まさに頭の中で育てているわけです笑、みえないけど。

もし、思考してるときに出てくる言葉の数々が、

雲のような黒い文字として発生していき、頭の周りに浮かんでいくとしたら、

ほとんどの人の頭部は、真っ黒な雲で覆われて、顔や頭が判別できないかもしれません汗。

人によっては、全身真っ黒な文字の雲に覆われて存在がみえなくなってる人もいるかも笑。

でもそうやって可視化できたり、植物のように物質として思考が育っていくなら、

私たちは思考を途中で止めることができるのではないでしょうか。

思考がツルのようにグルグル自分に巻きついてきたら、うっとおしくってしようがないから、

私が午後の草むしりでしたように、つるを束で思い切りひっぱってブチッ!って切ったり、

園芸はさみでジョキッ!!と切り落とし、すべてのツルを払い落としてスッキリしたくなると思います。

そして、あーすっきりした、なんで伸び放題にしてたんだろう、って苦笑するのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、わたしたちの思考は外からはみえないし、

自分でもその量を客観視することができない。

だから、思考の数々がいかに自分を縛りつけているかみれないし、

同じ思考にどんどんエネルギーを与えて日々育ててることにもなかなか気づけないのかもしれません。

もちろん、わたしも常に思考しています。

気になることがあったときなど、ずーっと考えていたりもします。

ただ、その思考をツルのようにぐるぐる絡ませたり、何重にも大きく育ててしまう

ようなことはかなり少なくなってきたかもしれません。

考えてもなんの成果もでないどころか、自分を苦しませる思考については、

神にまかせた!(流れにまかせる)

と、自分でかかえこまないようにしたり、

瞑想して思考を洗い流したり(思考はわくけど、どんどん流していって留めない)、

例えばテニスに集中することで、思考しない時間をつくって、思考回路を完全に切り替えるとか、

そんなのが、グルグル巻きの思考に陥らないわたしの方法かもしれません。

そして、今日体験した草むしりも1つの方法として使えるなと思いました。

なにか気になることを思考しだして、

それがツルを巻いたようにグルグルしてきたら(思考するのを止められなくなったら)、

そこでぶちっと引っこ抜いて、その思考が育つのを終わりにする、ってイメージです。

その引っこ抜いたツルは、丸めて土に返してあげるイメージがよいかも笑。

グルグル巻きを利用して緑のリースにしてみた。                           
止まらない思考もリースにできたら、素敵?!                             

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私がみてきた思考が止められない人たちの大きな原因の1つは、

自分が全て考えていかねばならない

と思ってることです。

自分が全てをなんとかしないといけないと思ってるから、

とことん考えるしかなくて、

だから延々と思考が手放せないのです。

だから思考を手放すには、

この世界の流れをつくっている創造主がいることに気がつき、

考えても自分ではどうしようもできないこと(先の不安とか、他人の心の中や、過去の出来事など)は、

そちらに任せておこう

その流れを信頼しよう

と思えていけるようになるのが鍵かなと思います。

そうなるには、

静かな一人の時間をもってみるとか、

自然の中に身をおく時間を長くもつとか、

瞑想をやってみるとか、

思考でなく感性を研ぎ澄ます方に時間をつかってみるのがお勧めです。

(左脳を休めて、右脳を使う)

そうすると、思考が静まって、その奥の深淵な世界を体験できていき、

全て自分でやらなくてもいいんだ、というのがわかってくると思います。

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どうしても思考から離れられない人には、

高次元の力をかりたエッセンスやレメディなどを使う方法もあります。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

SHOHEI OHTANI 効果

2,3ヶ月前のことですが、高校生の息子が、模試だか何かの試験(記憶曖昧、笑)で、

「英語のリスニングテストが校内順位で2位だったよ〜」とご機嫌で教えてくれたことがありました。

彼の父(私の夫)は外国人なので、そりゃそうでしょ、と当然に思う人もいるかもしれませんが、

彼の父はフランス人なので英語を話すわけではなく(仕事は英語でしてますが)、

家庭内で英語を話すことなど全くありませんから、私には非常に意外な結果で、

ええ! そりゃすごいね!!と単に驚いたのでした。

そもそも、息子がリスニングの勉強などしてるところなど1度もみたこともないので、

「一体、どうやって、リスニング能力つけたの?」と質問してみたところ、

あのね、と少し笑いながら教えてくれました。

大谷翔平選手がメジャーで活躍するようになってから、しょっちゅう現地の人がつくった英語版「SHOHEI OHTANI 切り抜きYoutube」をみてるそうなんです。

そうすると、自然とネイティブアメリカンイングリッシュを毎日聴くことになるわけで、

いつのまにかリスニング能力が身についてきたそうです、苦笑。

(もちろん全部聞き取れるわけではなく、リスニングテスト用の典型的な文章みたいなのが聴けるくらいにはなったってことなんでしょう)

SHOHEI OHTANI 効果は、野球だけの世界に限らなかった!!

この彼の秘訣を聞いてから、どれどれ、と私もOHTANI選手の活躍をYoutubeでのぞいてみるようになったのですが、

あるとき、いつのまにか彼の活躍してるYoutubeを楽しみにみてる自分がいるということに気がつきました。

私はテニスが趣味なので、スポーツの試合をみるとしたら、ほぼテニスしかみません。

ですから、野球自体に興味はないのです…..が、OHTANI選手の活躍Youtubeはなぜかその後も自分でみにいってました……なぜ?!と思って分析してみたら、

映像内で聞こえてくるアメリカ人のほめ称え方が私のツボなんだということがわかりました。

アメリカ人のアナウンサーや解説者やYoutuber が、

OHTANI選手を形容する言葉の使い方や態度に触れてるのが、

私を心地よくするので、またみにいこうとなるのでした。

日本でももちろん大谷選手をほめ称えてる映像やニュースはたくさんあるのですが、

日本で褒めてる姿勢をみてると、

解説者が上から褒めるか(まるで親が子供を褒めるような、テクニックを抜き出してそこを褒める)、

突然、「神」のようにあがめて、自分たちとは別格とするような扱い方が多いように

私には思えるのですが、そういうのはあまり心地よく感じないのでした。

アメリカ人たちがつくってるYoutubeをみると、

ほめるボキャブラリーがとにかく多彩で、そのせいか褒め称え方に個性が感じられて、

そこに心が伴ってるのも伝わってきます。

しかも褒め称えるときの立ち位置は、

相手を下におくのでも、上におくのでもなくて、

同列で同等に感じるのです。

ほめる相手に対して、斜(しゃ)に構えていなくて、ハートがオープンな褒めたたえ方だなと思います。

例えばある動画では、

野球の有名なOBの解説者の方が(60か70くらいの人、私には全く誰かわからない笑)、スタジオに来てくれたOHTANI選手に、

「I love you, I really love you!」なんて言葉をかけていて、

きゅーんとしました。ご自身もキャリアを築いてきて有名でプライドもあるだろう男性が、

20代で日本からきて活躍したての選手に、

君はこれがうまいね、とか上から言うんじゃなくて、

I love you なんてストレートに言えちゃうところ♡

OHTANI選手について話す他球団選手のインタビューをみても、

「OHTANIと同じ時期に野球というスポーツができてることが本当にラッキーで、誇りです」

みたいな言葉でほめたたえていて、

ただテクニックや結果をすごいと言ってるんじゃなくて、

ほめる相手と自分とのつながりに感謝してる目線を持ってるところが、

素敵だな〜と思いましたし、それをインタビューでさらっと答えることができるその人(有名な選手のようでした)、

そしてその人の思考を培ったアメリカもまたスケール的にすごいなと思いました。

他の有名そうな野球解説者(この人も誰だか全くわからない、笑)のYoutubeでは、

OHTANIが40号ホームランを打ったときの自分や球場にいる人の気持ちを代弁していたのですが、

「こんな現象をみるのは初めてだ、

皆がOHTANIを応援していて、それは球場にいるときだけでなく、

OHTANIが道を歩いてるときにも皆が彼を応援してるんだ、

自分たちのひいきにしてる球団を超えて、皆がOHTANIがうまくプレイしてほしいと応援してる、

この状態は(皆がすごい試合をみて、皆がなにかを一緒に応援してる状態)、

It’s really cool !! 」と表現してました。

こんな表現をできるひとたち、つまりはそういう精神を持ってる懐(ふところ)の広いアメリカ、

OHTANI選手のおかげで、アメリカの素晴らしさを再発見した私です。

そして、このような映像を多くの人がみてることで(どれも再生回数がすごいので)、

このような人の称え方、人と人とのつながりを称える精神は世界に伝播していくだろうなと思って、毎回暖かい気持ちにもなるのでした。

SHOHEI OHTANI効果、絶大です!

*過去にも大谷選手のことを記事にしてたの思い出しました。
大谷選手に関するのは最初のパラグラフだけですが、ご興味があれば、どうぞ → 目標実現ツール

大谷選手は、Angelsエンジェルス に所属する「天使」ですな笑。

楽しむことでは….

私が人生で最も大切にしていることは、

楽しんで生きる

でした。

でも、それが大きく覆されそうになっているこの頃です苦笑。

少し前のことですが、読んでいた漫画の中に、

なにをしても痩せなかったのに『月曜断食』(関口智さん著)を実践したら

本当に痩せたというエピソードが載っていました。

断食は、少し前からファスティングという言葉で一般化&普及していて、

普及とともに、もともとの水分のみを取る断食から変化して、

XX時間ファスティングとか、1日1食ダイエット(2食をファスティング)などとやり方も様々になっているようです。

ちなみに、私も去年1泊2日の泊まりがけでファスティングを体験してみたのですが、そのときは食べないと1日の楽しみってこんなに減るんだ〜という感想を持ちました(体重はその間は減ったけど、すぐに戻った)。

今回、「月曜断食」という言葉を聞いて、なんだか妙に惹かれたので、

ダンナさんも誘って早速はじめてみました(自分はご飯を食べないのに彼の分をつくりたくないので笑)。

我が家はいろんな事情で月曜の断食は都合が悪いので、ファスティングを「土曜」に設定しました。

今の時点で、4回やってみましたが、完全に水だけではなくて、野菜ジュースの代わりに夏野菜のトマトやきゅうり、スイカをほんの少し食べるという夏バテ防止策を入れた我が家風のやり方にしています。

ファスティング自体は、思ったよりつらくないです。

食べたくてたまらないという気持ちも思ったほど起きません(夏野菜やシソジュースを飲んでるからかも汗)。そして夜に長く起きてるとなにかつまみたくなるから、さっさと寝たりします笑。

体重は今のところ、あまり減っていません汗。

大きな変化を感じるのは、意外にも「意識」です。

まず、食べない日に、少しだけいただく夏野菜を心底ありがたいと感じて、

ほんの数口のものに全神経&感覚を注いで味わえるし、

それが体に起こしてる作用にもはっきりと気がつきます(食べるもので体を動かしてくれてるんだな〜と)。

それは、旦那さんも同じ感想です。

しかし週1ファスティングをやったことで得た私の一番の気づきは、

食べることは、楽しむことではなかったんだ

ということでした。

食べるということは、動物を筆頭に、卵にしろ、野菜/植物にしろ、木の実や種にしろ、

他の生命をいただいて、私の生命をつながせてもらっていることなんだと深いところから理解したのでした。

他の生き物からの生命が自分を生かしてるのに、食べることを「楽しもう」なんてどうしてこれまで思えていたんだろう!?と、そこに気がついて愕然としました。

他の生命をいただくことは(はっきりいうと殺してるわけで)、

楽しいことや喜ぶことではなくて、

それをいただけてることを、ただ感謝するしかないことだとわかったのです。

昔の日本で、いただきますと手を合わせ、黙って静かに食べて、ごちそうさまと締めくくることとか、

キリスト教などで、食事の前にお祈りをして、食事を静かにいただき、食後も祈りを捧げることは、

そのためだったんだ!とやっと理解したのでした(何十年も生きてきて、いま、その地点汗)。

私が小さい頃の実家の食卓で、黙々と食べて、あっという間に食事が終わる、それがいやで、

なんでもっと楽しく生きないの?!と思ってた私、

そして海外にでたときに食事を長時間かけて楽しむ彼らをみて、これが生きるってことだよね、と思った私。

それが、今、ひっくり返って、皆で会話することは楽しむけど、

他の命をいただいてるのは楽しむことではなかったんだなと、やっと区別がついた感じです。

これに気付いてからでも、食事を美味しくいただいていますが(ファスティング してない日)、

以前とは違う心持ちになってます(この心持ちを宗教の言葉でいうと、祝福とか感謝っていうのかもしれません)。

同時に、これまで大好きだったお酒を飲むことにも欲がなくなってきていて、夏というのにビールを1缶飲むのがせいいっぱいになってきてます(→ それでも飲んでるヤツ汗)。

雑音が多いと、大事な聞きたい声が聞きとれないように、

食べ物にしても物にしても、多すぎるときにはよく見えないものが、

少なくすることでみえてくるんですね。

そしてこれまで成果なしの万年ダイエットしてきてるダンナさんですが、

この週1ファスティング が彼にも大きな変化を起こすような気がしています……

我が家の夏の清涼飲料水シソジュース、私は青しそで作るほうがさっぱりしてて好きです。
煮出したあと、大きめの茶こしでぎゅっとしぼります。         
写真は青しそに数枚の赤シソの葉をまぜてつくったもの、ピンクレモネードみたいな色になります。
シソが育ってくれて、それを摘ませてもらってこのジュースが作られ、
それを夏の暑さ対策に私の体にいただけることもありがたい….        
      

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あなたのエネルギーの在り方を調整するエネルギー療法をやっています。

使うのは、レメディやエッセンスという物質です。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/