ミソジニー逆バージョン

昨日、とても大きな気づきがあったので記事にします。

昨夜、家族で口喧嘩になりました。

食事中に、息子とダンナさんはよく歴史上の戦争や国家戦略等についての話題を出すのですが、

そういうとき私は門外漢扱いとなります(実際そうなんですが)。

時々話題が他のことにうつったときに、私がそこに関連する精神世界の話題や、医療にまつわる裏話なんかをすると、

2人はちょっとあきれたような顔でお互いに示し合わす感じです(あ〜あ、何、空想みたいなこといってるの?!みたいな)、

昨夜もそれがみられ、しかも薄ら笑いしていたので、

私はそこで思いきり怒ったのです。

自分たちの話題は現実的で科学的で確実だけど、女性の話題って世間で通用しないよね、頭大丈夫?!みたいに(汗)思ってるよね!?

それって、森喜朗(呼び捨て汗)みたいなミソジニーだから!

みたいな感じでまくしたてました。

しかし、それをわかってもらって話し合いにもっていこうとしてもなかなか話はまとまらず、

非常にいやーな感じで終わりました(ダンナさんは、その後、ふて寝した、汗)。

少し時間が経って、なんでこれが起きてるのかな〜?と

思いを巡らせていたら(目の前で起こることは自分の内側の反映なので)、

なんと!私の中にも、同様の意識があることにはっきり気がついたのでした。

私は、どこか深いところで

男の人って表面的なことしか理解してないよね とか

男の人の心の進歩は遅れてるな とか

戦争を引き起こしてるのは男たちなんだから、ほんとにもう! とか

そんな意識をもっていたのでした。

ダンナさんや息子や知ってる男性たちに対してダイレクトにそう思ってるわけではないのですが、

でも深い意識のどこかで、

「男たち全体」にそういう思いを持っていたことに気がついたのでした。

ミソジニー逆バージョンです(汗)。

ちなみにミソジニー(女性軽視、蔑視)の逆は、ミサンドリー(男性憎悪、嫌悪)というそうです。

短い言葉でいうなら、あ〜男はしょうもない、女性の方が実はなんでもわかってる、みたいな意識です。

その自分が持っていた意識に気づいたら、

腰が抜けたような、つきものがとれたみたいな感覚になりました。

そして早速、まだ起きていた息子に謝りにいきました。

ごめんね、ママも同じ感覚もってたよ、と。

そして、さらに思いました、これはおそらく多くの女性がもつ集合意識なんだろうなと。

女性って、例えば父親やダンナさんや上司など男性に上から言われることがあっても、

心のどこかで、

あ〜あ、男の人ってどうしようもないよね〜

と思ってるところないでしょうか。

男性に蔑視されてるようで、実はその奥で女性も男性のこと、そんなふうに 評価してるのでは

ないのかなと思うのです。

そして、この一見外側では見えにくい女性から男性への上から目線ってどこから来るのかな?と考えてみたら、

女性ってもとは皆が母だから、かもなと思ったのです。

どんな人間もつまりどんな男性も母から生まれてきてます。

そして母として男の子を育てる過程で、

もう男なんだからしっかりしなさい、とか

あーあ、もうだらしない、とか、そんな上から目線の感覚を歴代の母たちは

もっていたのではないのかなと。

それが歴史的に重なっていって集合意識で女性に備わっているのではと思い至ったのでした。

実際、夫婦関係でも、

ダンナさんになにか言われて黙って聞いてるその裏で、

多くの奥サマ達が、

あー、もっと尊敬できるような男になれないのかな、とか、

もっとしっかりしてくれたらな、とか

もっと器の大きな男になれないのかな、とか

もっと社会で成功する男になってよね、とか

そんな母親のような感覚でご主人のことをみてたりしませんかね(汗)。

そのような女性の無意識的な男性への裁き(息子のような感覚で)を、

男性はどこかで感じるから、その反応として社会は男性優位になっていったのでは?!

そんなことまで思いを巡らせてしまいました。

女性&男性蔑視は、どちらが卵かニワトリなのかはわかりませんが、

そんな感じで、実はお互いがそれぞれを下にみる気持ちを持っていたのかもしれません。

本来なら男性と女性は、お互いの違いを尊重して協力することでうまくいき、違うからこそ惹かれあい愛し合う存在なのに…..

と、話が広がりましたが、

いずれにしろ、私も森氏のことなど批評してる立場ではなかったのでした(苦笑)。

ということで、今朝は起きてすぐに、ダンナさんのところに行き(先に起きてた)、
上記の説明をして、ごめんね、と謝りました。

そして女性を代表して(?)、

世の中の「男たち」にも、これまで、ごめんなさい、です。

これからは、フラットな意識でお互いを補完する同胞として心を通わせていきたいなと思いました。

あ、↑ この言い方固いな(苦笑)

書き直しますと、

たった今、この場から、性がどちらであろうと、お互いの違いを尊重して、そしてその違いに愛をもって接していきたいなと心の底から思いました。

↑ イメージ画像です(私とダンナさんではありません、笑)

ルーツを知る

少し前から新しいことを始めようと準備してるのですが、その過程で

「自分のルーツを認識して土台をしっかりと」というインスピレーションが降りてきました。

それで自分のルーツを知るために私が何をしたかというと….

アカシックレコードAkashic Records

のリーディングをしてもらいました。

アカシックレコードとは、

「地球上の生命の意識体験のすべてが記録されている記憶の貯蔵庫」です(By ゲリーボーネル)。

大雑把にわかりやすい言い方をするならば、

地球に生まれたすべての人のすべての過去世体験が記憶されてるクラウドコンピューターと

思うといいかもしれません。

アカシックレコードにはなんと2億600万年前〜西暦6732年(つまり未来も)までの記録が貯蔵されてると言われています(ゲリーさんによると)。

私が知りたいと思った自分のルーツは、

親とか祖先のことや、住んでる国の歴史ではなくて、

自分の魂の歴史=すべての過去世でした。

多くの人は、これまで数百回輪廻転生してるそうですが、私も自分がそのくらい生まれ変わってきてるのだと認識しています。

でも、今、この地球に、またも生かされてるので、

その数百回の輪廻転生を経てきたルーツ=過去世を知りたくなったというわけです。

現在アカシックレコードを読み取ることができる人はとてもとても多くて、そういう時代なんだな〜と思います。

ということで多くの人の中から、自分にピン!と来る人を探していたら、海外のある女性の方が通訳付きでリーディングしてくれるという情報に行き着きましたので、早速申し込みました。

(ご興味のある方のために書きますが….かなり高額です、冷汗)

リーディングは1時間でオンライン。

他人のものと間違わないで、正しく私のアカシックレコードを読んでもらうには、この世で法的に記載されてる氏名を伝える必要があるのだそうです(役所仕事か?!笑)。

そんな感じで、リーディングが始まりましたが、

やはり私は何百回も転生してきた魂だそうで、その中でも今世と最も関連してる記録にアクセスしてもらうと、

「あなたは Temple Priest だった」、

日本語でいうと「神官」だったと云われました。

そして、その私の過去世の記録にアクセスしてるときに

「おお!」という表情をして

「ものすごーく威厳のある姿がみえて、そのエネルギーを感じます」とジェスチャー付きで、その感じが伝わってくるように説明されました。

きょとん….(→ 威厳とはほど遠い影のうすい現在のわたし、苦笑)。

神官だったというのは、以前にもアトランティス の過去世でそれだったといわれたことがあって、オラクルカードでもよく出てきてたので、やっぱそっか、という感じでしたが、

威厳があったというのは、正直びっくりしました。

その過去世のときは未来を見通す力もあったので、王や女王のような指導者たちに進言することもしていたそうです。

↑ これを聞いてその場で私の頭に浮かんだのが….じゃ、なんで今世はあんな庶民の家を選んで生まれたんだ?!でした(笑)。

しかし、この自問への答えは、セッション後に「それが今世の1つの目的でもあるんだ〜」と妙に納得してすっきりしました。

他には、

「こどものときに親元を離れて、特別なスピリチュアルの教育を受けるための特殊な学校に行っています」

と言われ、

なぬ?!子供のときに山寺のようなとこにつらい修行に1人でだされたわけ?!みたいな寂しいイメージを持ったら、その私の感覚を感じたのか、リーディングしてくれた女性が笑いながら、

「いや、その世界では、こどもでそういう教育を受けることはむしろ栄誉なこと、光栄なこととして認識されていたんですよ」

とフォローしてくれました。

(後日に、レムリアのクリスタルシティスクールのことを知って、そこのことか?!と思ったけど、もうセッション終わってるので残念ながら確認できません)

他には、なぜ私がエネルギー療法に導かれてるかというのを教えてもらったのですが、

「植物を使ってヒーリングをする人たちとは違って、あなたは当時から、”エネルギー”や”意識”というものを取り扱っていた」

といわれました。

なるほど、そっかー、だから、私は気がつくと、エネルギーを扱うものにばかりひかれるわけなんだ〜と、これはルーツがわかって、非常にすっきりしました。

そしてもちろん他の色んな過去世もあるけど、総括していうならば、

私の魂は、アセンション トラベラー 

と呼べて、

人が意識を上昇させる時代にそれを助けるために転生しつづけてきてるのだそうです。

私は、その人の魂の高い方の目的に気がつかせることが得意というかお役目のようなことを言われました。

なんか、↑ すごいことしてるように思いますが(汗)、

確かに、コンサルテーションのときにクライアントさんに、

それがあなたのお役目でしょうとか、それがテーマでしょう、とか勝手に口から出てくるときがあって(汗)、

そういうのは、過去世と関係してたのかもなと思うと妙に納得してしまった私でした。

このリーディングをしてくださった女性は、こちらが知りたいことにだけ答えてくださって(それがアカシックを読むルールなのかもしれませんが)、

これをあなたはやり残してますよとか、これが前世でできてないとかいう心がへこむことは(?)、

伝えられませんでした(敢えて尋ねませんでしたし)。

ただ、こういうことを大事にしなさいみたいなことを教えてくれましたけど、それ、すでに知ってた(苦笑)。でも、改めて気に留めていよう、と思いました。

というわけで、アカシックレコードリーディングは、

時間枠を超えた壮大な旅をしたような体験となりましたが(高価なアトラクションに乗ったようなもの、汗)、

あーやっぱり過去世と今はつながってるのね、そうやって今の自分がいるんだとわかって、

ものすごーいながーい根っこが自分に生えたようで、土台がしっかりできたようにも感じます。

とはいっても、過去世すらも大いなる源からみれば、

魂の長い”夢”または”幻影”であるというのはわかってるので、

過去世にこだわりすぎないで、「今」を大事に生きればよいなとも思いました。

ただ、現世に疲れたときは、時間枠を超えて壮大な流れの中の自分の魂の物語を覗くことで、

今世をありがたく生きるのもありかもしれません。

↑ 現世からちょっとだけ抜け出すイメージ(?!)

冴えない日

わたしの心が晴れない日がありました。

気分が冴えなくて、傷ついたような沈んだ気分の日でした。

前日は、心が浮き立ってなにもかも順調で明るく楽しい日だったのに(苦笑)。

気分が冴えない理由を探るならば、自分の中の弱さ(プライドとも言える)が

傷ついたからだとわかっています。

そしてそれが何を私に教えてくれてるのかもわかっていて、

それで私はどうするのか、ということまでわかっています。

大きな心の問題が起きたわけではなくて、だから泣くようなことでも、

怒るようなことでもない、ただ、ほんのちょっと気分が落ちるようなことがあったのでした。

冴えない気分のまま空をみあげると、空もすっきりしない様相でした。

雲が薄〜くたちこめて、明るさがどこにもなくて、雲の輪郭がわからず面白みがない、

雨が降りだしそうな暗さでもない、どよーんとした空。

わたしの心をみせられてるような空でした。

あ〜、心と同じように、空もいつも明るく冴えてるとは限らない、いつも美しい空とは限らないよな。

でも、再び、また明るいスカッとする空や、美しい雲のパターンをみれることもわかってる。

そうやって、全てが流れ、事象が起こり続けてるとわかってるけど、

それでも、わたしは心の平安を求めてる。

一時的にじゃなくて、ずっとずーっと心が安らかだったら、

もしくはずーっと心が明るいままだったらよいのに、とどこかで望んでいる。

そんなことを思いながら寝る前に瞑想していたら、こんなインスピレショーンをもらいました ↓

「ほんとうのわたしたちは、

気象現象を見上げる側じゃなくて、

気象現象を見下ろす天空の方だよ」

あら、すみません、そうでした(汗)。

ほんとうの私たちは、

さまざまな気象現象が起こるその「真下」で生きてる存在じゃなくて、

気象現象の影響をいっさい受けない

そのはるかかなたの揺るがない「天空」の方でした。

天空は、

そこで雲が増えようと、雷が鳴ろうと、豪雨になろうと、

太陽が休みなく照りつけようと、なんの影響もうけない。

それらの気象現象の移りゆくさまを、ただ眺める存在。

私たち「人間」は、気象現象の起こる空間で、その影響の下でいきていて、

空模様と同じように、変化しつづける落ち着かない心模様を抱えて生きている。

そんな変化し続ける毎日の心の動きに疲れるな〜と思ったら、

ほんとうの自分は、永遠に平安な「天空」の方なんだと思い出すと、

心の動きを達観できるかもしれません。

↑ 達観したせいか(?)、今日はすっきり雲一つない秋晴れです。

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もっと楽に生きていきたいな〜と思う方へ

エネルギー療法コンサルテーション、

心のスタディコンサルテーションというのをやっています。

心の乱れを、レメディやエッセンスなどのヘルプで整えていくことができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:

ARNICA エネルギー療法

みんなのお母さん

昨日の夕方、家族で出かけてたら車の中で、非常に久しぶりの大口論になりました(汗)。

わたしとダンナさんがそれぞれ怒ってぶつかった、ブチギレた?!

怒りがおさまってから、ダンナさんに

「今週テニスが足りなかったんじゃない〜?(→ 私の怒りエネルギー噴出の場、苦笑)」

と言われたりしたけれど、

なんであんなに怒ったのかな〜と自分を分析してみたら、こんな感じでした:

前夜、息子が熱く語る話(私にはヒジョーに興味が薄い各国の武器開発の話)を聞いてあげた。

出かける少し前に、今熱中してるインドの賢者の本を1人で静かに「離れ」で読んでたら、

ダンナさんがやってきて、彼が午前に体験したことを熱く語り出し、

おまけに「後でみるから」と断ったのにそのとき撮影した動画までみせられ、

あげくに話が終わったら、その場で彼はぐーぐー昼寝を始めたため、

私の読書集中がとぎれて、結局、母屋で家事をした。

その後、家族で出かけた車の中で、行先について私が意見を言ったら、

それを聞きいれてくれなかったので、私は怒りが噴出したのでした。

”私はあななたちの話を聞いてあげたよね?!私の意見も聞いてくれていいでしょ!”

が怒りの元でした。

これって、ママ達の夫婦喧嘩の元とよく似ています。

日中、子供の気持ちをたくさん受け止めて、子供目線で話を聞いてあげて、

やっと帰宅したパパに、今度は自分の話を聞いてもらおうとすると、パパは全然聞いてくれない。

そこで怒り噴出みたいな(苦笑)。

年配の夫婦だって同じような喧嘩が多いかもです。

妻は夫の話を聞いてあげたり、食事や生活の要望を聞きいれてあげてるのに、

妻の話をほぼ聞けない夫。そしてだんだん口を聞かなくなる夫婦みたいな(苦笑)。

女性性(じょせいせい)というのは、

受容するという特徴がありますから、

女の人は自然と他者の話を聞いてあげたり、受け入れる という役割になるのだと思います。

特に「母」となると、母性が強くでますので、自分が属する家族全員の受け止め役に自然となってしまうのかもしれません。

ん?!、それなら「母」って、誰が受け止めてくれるの?

母の母かしら?!

実際、自分にお母さんがいると、実家にいって愚痴ったり話を聞いてもらってる人も多いかもしれません。

でも、そういうお母さんがいない母たちは、どうなるんだ?!

全国のそういうたくさんのお母さんを受け止める役は誰?!

なんて考えていたら、こんなインスピレーション が降りてきました↓

「みんなのお母さん、それはマザーアース」

Mother Earth : つまり地球です。

地球は、母なる星、なんて表現もされますし、

地球も意識をもっている惑星で、地球は女性性の星とも言われています。

例えば、地球はフランス語でいうと La Terre :ちゃんと女性名詞になってます。

このインスピレーション が降りてきて、

わ〜、わたしは、お母さんの上で暮らしてるんだ

って思ったら、ものすごく安らかな暖かい気持ちになりました。

地球:マザーアースは、

そこに住む子供(私たち)に、

食べ物を慈悲深く与えてくれて

(土に植えたら野菜や果物ができ、動物や海で魚も育ててくれてる)、

そこに住む子供たちが喧嘩(戦争)しても、

そこに住む子供たちが、ママをたたいたり傷つけても(環境汚染、環境破壊)、

その美しい自然の中で、子供たちを育(はぐく)んでくれています。

たまに、怒るけど?!(台風とか自然災害)。

ということで、誰にも受け止めてもらえてないなと思ったら、

マザーアースに受け止めてもらってることを思い出すのはどうでしょうか。

母が当たり前の存在じゃないように、

地球も当たり前の存在じゃない、

だから感謝を忘れないようにしたいな、地球という母の上で暮らせているありがたさをいつも感じていたいなと、

今回の出来事からつくづく思いました。

地球というみんなのお母さんとつながれる瞑想、おすすめです:

なんでも導きのサイン

今朝6時前、息子をバス停まで送っていく途中で信号待ちになり、

フロントガラス越しに流れていく雲をみていたら、浮かんできたのが:

インスタ始めよう

でした。

きっかけは、数日前にお会いしたころあい自然楽校の佑里子さんに、

「Blogは、私を知ってる 人が読みにくるもの、

もっと多くの人に知ってもらうには インスタとか がいいですよ」

みたいなことを教えてもらったから。

ころあいさんは、インスタを始めてから、問合せの数が目に見えて増えたそうです。

このときは、へ〜そうか〜、そうだよね、と思っていただけです。

なぜなら、まだこの時点で「自分の思い込み」の方が、

「導きのサイン」よりも強かったので。

私は、Facebook や Twitter や Instagramなどは、

不特定多数に向けて情報発信したい人や、

キラキラした生活をしてる人が活用するSNS

だという思い込みを持っていたのです(汗)。

わたしは個人的にひっそり(?)してたいタイプで、

生活も、ものすごーく地味なんで(苦笑)、

SNS始めても、自然 か 猫 しかあげるもんがない、つまりキラキラした生活も情報もないから、そういうものと自分は関係ないと思い込んでいました。

この化石のような古い思い込みは、いつからもってたんだろう〜って苦笑しながら考えたら、

Facebookが普及しはじめたときのイメージかもと思いました。

当時は、どこそこでランチしたとか、

こんな素敵なもの購入しましたとか、こんなに友人たちと楽しんでますよ、

みたいな投稿しかみたことなくて、

うわ〜自分とは無縁の世界だっ!て思ったの覚えてます(汗)。

一応、わたしも個人事業しているので、Facebookを活用しようかと考えてアカウントをとってはみたものの、

仕事でお会いするクライアントさんとVサインした写真は撮るような業種じゃないし(苦笑)、
そもそもわたしのプライベート生活には華(ハナ)がない……と再確認し、

SNSとわたしはそぐわない、という「思い込みをつくった」のでした。

しかし、今朝、あの瞬間、あ〜佑里子さんから告げられた言葉は、まさにサインなんだ!、と気づいて、

即実行することにしました。

「ふっとやってきて、あなたの気をひくものはサインですから受け止めましょう」なんて人様に言ってるわりには、自分にブロックかかってた(笑)!

猫、山、空しか、うつってない地味なインスタも、全然アリだし!

そんなんで、思い込みがカチッと外れました。

折しも、わたしはこれから、新しい活動をしようと考えているところなので(そのうちお知らせします)、

まさにこれは絶好のタイミングでした。

↑ こうやって文章にしてみたら、とても小さな、しかし相当にくだらない思い込みでしたね〜

でも、誰しもこんなの持ってるんじゃないでしょうかね。

私にはそれムリ  とか

ガラじゃないとか

なんとなく手をださないでおこう とか

それら 1回点検してみたら いいかもです。

てなわけで、ジミーなインスタ開設してみました:https://www.instagram.com/arnica.pe/?hl=ja

これから、いろんなインスタみにいってフォローしていこっと♡ワクワク♡

沖縄じゃないです苦笑、山陰海岸ジオパークの一部。
やっぱ、海はいい!

1つ前の時代のモンでは?!

私が子供の頃、母がコトあるごとに私に言い聞かせてたのは、

「  あきちゃん(と母は私を呼んでた)、

女は 愛嬌(あいきょう)よ 

という言葉でした。

ふざけた口調でも、断定的な口調でもなく、これこそが大事なのよ、みたいに説得するような口調でこれを言うのでした。

こどもの私はそれを聞くたびに、

なんてバカなことをこの人は言ってるんだろう!

と思ってました。

この人は、なんてくだらないことを私に教えるんだろう!

と思ってました(苦笑)。

そして、その母の教えにはうなづきもせず、ただ毎回黙っていたと記憶しています。

この教えに対する反目から、

私はぶっきらぼうな愛嬌のない女性になったのかもしれません(汗&苦笑)、

もしくは母が幼い私にこの文言を繰り返していたのは、もともと私が、もっと愛嬌があれば愛されるのにと思わせる愛想のない娘だったからかもしれません(大汗)。

母のパーソナリティでいうと、彼女は上に姉が3人いて、上の人たちに可愛がられるのが日々を楽に円滑に過ごすコツだと学んだのかもしれなくて、

実際、母はどんなコミュニティに入っても、いつも姉さん風の人と仲良くなって、その人に可愛がられるような人間関係を作っていました。

それにしても、こういう親からの教えというのは、親個人の生い立ちや性質だけでなく、

「時代」を大きく反映してるな〜と思います。

私の母が生きた時代というのは、女性の社会進出はまだまだ少なく、女が学(がく)を積むと嫁にいけなくなると言われていた時代、

専業主婦が大部分で、女は男に仕え、男性に愛され大事にされてこそナンボみたいな時代の流れがあったと思います。

だから、私の母も、あなたも愛嬌のある愛される女性になるのが一番よ、みたいなことを教えたかったのかもしれません。

私のダンナさんの話もだすならば、彼は子供の頃から、漫画みたいな絵を描くのが好きで(実家でみせてもらった)かなりクリエイティブな発想の子だったと思うのですが、

彼の両親は幼少期の彼のそういう才能を十分知りながらも、漫画みたいなものを描いても生活できないからと、進路を決めるときにエンジニアの道に進むことを強く勧め、そして彼はその道に進みました。

もちろん、両親の希望通りに彼は食べることで困りはしませんでした、食べていける職業だったから。

でも、彼は自分が生まれもった才能を存分に発揮するということにずーっと苦しむことにもなったわけです。

ダンナさんの両親が彼に勧めた進路も、「時代」の影響を受けた考えだな〜と思います。

親の考えには、彼らが生きた「時代」の中で、彼らが生きていくのにこれがよいだろうと思った選択が反映されています。

何が言いたいかというと、この流れは実は今も綿々と続いてるということを自覚するのがよいのでは、ということです。

たとえ、若い世代のパパ&ママであっても、

自分がこれまで生きてきた時代から受けた影響の教えを、

子ども達に押し付けていないか自問自答するとよいのでは、と思うのです。

もちろん、私も(苦笑)。

今、子どもに教えようとしてるルールや価値観は、

自分の(1つ古い)時代のモンではないか!?、って、

1回考えてみるのはどうかなと思うのでした。

その価値観やルールは、本当に自分が心から大事だと思ってることなのか、

その子が幸せになるためのものなのか、

はたまた、それは自分の親や時代から刷り込まれただけの考えではないのか、

まずは大人自身も点検してみるといいのではと思いました(今朝、この内容がインスピレーション で降りてきた)。

最後に…..

母から愛嬌について言われた上記のエピソードをダンナさんに話したら、

「確かに愛嬌ナイネ(→私)、愛嬌あるほうがこっちは嬉シイヨ!」

と言われました。

あ、やっぱり、私、笑顔足りなかった?!(大汗)。

愛嬌こそが大事である、とはやはり思わないけど、

笑顔でいることは大事ですな〜(反省)!

↑ にゃんこ達の寝てる姿をみてると自然に笑顔になるのですが、ね。猫達には愛嬌のある私です。
人間に対して愛嬌がないのかも(汗)。

自由な選択だった

私には、年に一度、一緒に旅行することにしてる高校のときからの大親友がいます。

彼女は病院で介護の仕事に就いているのですが、その病院で少し前にコロナのクラスター感染が起きました(汗)。

彼女が働いていた病棟に感染者がいたため、彼女はホテルで2週間の隔離生活をするはめになったのです。(自宅待機という選択肢もあったけど、一緒に暮らす彼女の娘さんが看護師のため、感染のリスクがないようホテル待機を選択した)。

滞在したホテルの1フロアに病院の同僚らが待機してるのは察しがつくけど、万が一の感染を防ぐためにコンタクトしちゃいけないので会話もなし、部屋の外でドアが開いたりする音が聞こえるのみ&朝それぞれの部屋の前にだされたゴミをみてあー誰かいるねと思うだけ、というなかなか不気味なシチュエーションだったそうです…..

2週間の間、食糧の買い出しだけ外にでていいらしいのですが(待機中に2回PCR検査して陰性だった)、それ以外はビジネスホテルの狭い部屋で、誰と話をすることもなく、ひとりきり(汗)。

私が電話したときは、うつになりかけてたかも、と苦笑してました。

私がそういう隔離生活を送ると想像すると….

わーい、2週間、料理、掃除、洗濯しなくていい、ひゃっほー!

ワイン買い込んで、読書三昧、動画三昧、運動不足ならヨガして、瞑想も誰にも邪魔されずたくさんできる〜って、喜んじゃいそうですが(苦笑)、

あ、猫たちに会えないのが寂しいかも(汗)、

なんて思ったけど、

実際に自分がそういうせまい部屋に隔離されたら、おそらく、あれして、これして、などというやる気自体がなくなっていくのかもしれません。

ホテル隔離の最終日、最後の検査をうけて陰性かどうかの結果待ちのとき、

いよいよ明日帰宅できるとなって彼女がまず思ったのは、

栄養失調気味だから、自分が食べたい美味しいものを作ろう!

ということでした。

ずっと外で作られたものを食べてきたのだから、なによりもまず、そこを思うだろうと思います。

よく考えたら、

自分で食べたいものを決めて、

材料を選んで買って、

それを自分で作って食べる。

毎日の料理作りとは、

なんと自由なことをさせてもらっていたんだ! と、私も彼女の言葉を聞きながら、

気づきました。

家族のための料理を作っていると、だんだん義務みたいに感じて、うんざりすることもあるのですが、

料理って全て自由な選択から成り立ってるんですよね。

自由に食べる品を決めてよくて、

自由に材料を選んでよくて、

作り方も自分の好きなようにできる、

そして好きに盛り付けて、

好きな食べ方ができる(手でつまんだり、かぶりついたり、

フォークとナイフで食べたり、5秒でたいらげたり、おしゃべりしながら食べたり)。

料理&食べるって自由選択の結晶だったんだ!って改めて思いました。

そんなこといったら、全て人生は自由選択でできてるんですけどね。

自由だったというのは、不自由な状態にならないとなかなか気づけないものです。

コロナは困ることも深刻な問題も多いけれど、こんな感じで不自由さを強制的に教えてくれることで、

これまで当たり前だったことがどんなに自由で幸せだったかも教えてくれてるな〜と思った出来事でした。

しかしコロナのおかげで、彼女との例年の旅行計画はキャンセルとなりました。

それもまたこれまで当たり前にできてたことができなくなって、友達と旅行できてたことがどれだけありがたかったんだと気づくことになってます….。

暑くなってくると、猫たちは猫ベッドでなく床に寝そべります。一番涼しいんでしょうね。
好きな場所でいつでも寝そべることができる、自由だ〜!

思い通りにならないとき

先日のことです。

午後から予定が入っていたので、午前中のうちに、

仕事の資料作りとプリントアウト、

それを郵便局にて郵送、

買い物、

アップされたばかりの見たい!と思ってる動画をみる、

コインランドリーで洗濯物を乾かす(雨だったので)、

という複数の用事を頭の中で効率よく組み合わせて、それに従って行動してました。

資料作りと郵便局は計画通りにささーっと済ませることができ、

次にコインランドリーに向かい、洗濯物を乾かす間に動画をみて、

帰り道で買い物を済ませたらバッチリだ!と、

乾燥機をまわし、

車に戻り、いざ!動画 ♪ と思ってバッグをさぐったら、

スマホを家に忘れてきてました(!)

昔の私なら、あーバカっ!、私はどっか抜けてるな〜と思いつつ、

この待ち時間に買い物に行って、少しでも予定を進めようと動いてたのですが、

このところの私は….

こういうときは、サレンダーするか〜と力を抜いて、車の中にとどまりました。

そんで瞑想しました。

私は車に Ipod積んでいて運転中に音楽を聞いたりするんですが、

そこに瞑想音源とかヒーリングBGMも入れてます。

このときは、チベットのヒーリングミュージックというのを聞いたのですが(雨音とマッチしたので)、瞑想して…. はっ!と気がついたら、乾燥機がすでに停止してました。

寝てた?!苦笑、5秒も経った感覚ないのに、40分以上たってた(汗)。

しかし非常にすっきりした心で、インスピレーションまで もらって、買い物もスムーズにすすみ、午後も気持ちよく予定をこなせました。

サレンダーsurrender という言葉は、

カジノ用語にもありまして(カードの賭けを途中で放棄できる)、

降伏する、放棄する、というのが文字通りの意味です。

英語版オラクルカードを使う方は、surrenderと書かれたメッセージカードはお馴染みかもしれません。

そちらの世界の意味でいうと、サレンダーは、

天にまかせよう、

エゴで動いて四苦八苦しないで、大いなる流れのままに、

みたいな意味です。

この日の私みたいに、日常の小さなことから人生の大きな出来事まで

ー「自分の思い通りに」コトが運ばないとき、

ー「自分の予想」とは違ったことが起こったとき、

サレンダーすると、とても楽になります。

自分の思い通りにコトが進まないときは、

大いなる流れと違うことを起こそうとしてるよ、というお知らせだからです。

コトがうまくいってるときは流れにのってる、

コトがうまくいかないときは違う流れにのろうとしてる(もしくは逆らおうとしてる)、

ということなので、

あーそっかー!と、自分の「思い通りをあきらめてみる」のはどうでしょうか。

ということで、私は問題解決の最短で最強、最楽な方法が、

サレンダーする、だと思っています

(というか、それが真理なのですが)。

サレンダーという言葉をわざわざ使うのは、類似表現の

手放す とか

流れに身をまかせる

という少々使い古された言葉で理解すると、

新しい習慣としてなかなか導入しにくいからです。

サレンダーというあまり聴き慣れない言葉を使うことで、

新しい概念として自分の中に導入していくことができたら、

新しい生き方に変わっていくんじゃないでしょうか。

加古郡で遭遇した満開のラベンダー! 匂いを深ーく何度も吸い込ませてもらいました!

みんな同じ旅をしてる

先日、

久しぶりに話をする機会があった男性(60前後くらいの人)から、

自粛期間中の彼の状況を聞いていました。

仕事上に起こった変化の話がメインでしたが、最後にそのことで彼の心にもなにか変化があったか尋ねてみました。

この男性に、以前、いわゆる精神世界のことを話したことがありましたが(彼の話題にそういう意味を感じたので伝えてみた)

「それは怪しい宗教みたいなもんだよね!」

という反応でした(苦笑)。

(「肉眼で見える物質世界」だけしか存在しないと信じてる人も多いようですが、逆にそういう人たちは、自分たちが受け入れやすい学術の知識:最新の科学、物理学や天文学等で解明されはじめてる現状の方にも触れていないのかもしれません)

そのような男性が、私からの質問にこう答えました:

「なんだかね….なんで自分は生まれてきたんだろう、って思って、

それが知りたいなと思ったんだよ」と。

!!!(→ 無言で目をむく私)。

「そうなんですか!」(→ これは、声にでた)

やっぱり、どんな人もそこにたどり着くんだな〜としみじみ思いました。

私もずっと探してきました。

私の場合は、

子供の頃から、なぜかわからないけど、お金とか物より

「心」が一番大事だなと思っていました。

もちろん、お金や物や外側のものに目がくらんだ(汗)こともたくさんありますが(今も、苦笑)、

でもいっつも「心」がなによりも大事なものだと感じてました。

昔は、そのことを、自分は「心理」に興味があるのだと思っていました。

そのうち、その思いは「自己実現したい」という言葉に変わり、

そして「真実を知りたい」という言葉になっていきました。

やがて「真実」を探している途上で、

ホメオパシー療法に流れていって、

ホメオパスをやって、コンサルテーションで人々の人生を一緒に追体験するうちに、

今度はこれら全てが起こってる「この世の仕組みを知りたい」という探求になりました。

そして、この世の仕組みがわかっていく途上で、

自分が探し求めていた「真実」とは何のことだったのか、

「自分」とは何だったのか、にたどり着きました。

たどり着いたといっても、覚醒したわけではありませんが(苦笑)。

けれどそこで真実探求の道はいったん終わって、

今度はそれを分かち合っていきたい状態に変わり、今があります。

人は、究極の問いとして、

ー自分が何であるか知りたい(自分は何者なのか、自分は何で生まれてきてここにいるのか)

ーこの世とは何か(この世の真実とは何か)

ー神は本当にいるのか

を深いところに持ってると思います(上記3つは、言葉は違うけど同じ問いだと思います)。

意識的でも無意識でもこの問いをどこかに持ちながら、

その答えにたどり着いていって、自分がどんな存在だったかを思い出す、

それが人生だと私は思っています。

色んな悩みを持つのも、

問題にぶつかるのも、

そして病になるのも、

とにかくそういう様々な用意されてる経験が、

その答えにたどり着くための 

きっかけであり、

ツール 

なのだと思います。

話を戻しますと、その男性に、

「(なんで生まれてきたのか)よかったら、私が説明しましょうか〜」

と冗談ぽく提案してみたら、

「結構です!」

と断られました(笑)。

彼は、それを知りたいとはっきり認識したのだから、それにたどり着くでしょう。

今後の時代は、そういう内面の旅をしていく人がさらに増えるのだろうと思います。

道端のアジサイが美しい季節になりました:

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少し前に始めた「心のスタディグループ」は、自分だけの体験でなく、他の人の悩みや体験をもツールにして、各々の心の旅をしていくものです。

上記の究極の問いが心に浮かんでいる方、今、もっている悩みや病の症状をツールにして
内面の旅を始めるてみるのはどうでしょうか。

ホメオパシーのレメディなど高次のエネルギーを使って、その旅のサポートをします。
ご興味のある方は、HPをご覧ください:https://arnicahomeo.com/

喜べない贈り物 続編

一つ前の記事と関連した内容になりますが、実は私も「喜べない贈り物」をもらっていた時期があります。

贈り主は義理の母でした。

義理の母は、なにか機会があれば贈り物をくれる人でした(既に他界してます)。

私の両親は誕生日ですらめったに贈り物をしない人達だったので(変人?!、苦笑)、私にとって贈り物をもらうということはとても嬉しかったのに、

義理の母からの贈り物は、

開けて “びっくり” → 正直いうと ”がっくり” な品物ばかりでした….

例えば、私が着ていた服は、無地もしくは柄でもせいぜい水玉やストライプ、花模様なのに、

ヒョウ柄の服をくれたり(汗)。

バンビ柄くらいなら着れそうですけど、なんで私にヒョウ!?みたいな(苦笑)。

私は 当時からカゴバッグ愛用者だったのですが、その私に

パンクロッカー?調のデザインの黒のテカテカ光るビニール製のバッグをくれたり(汗)、

アクセサリーも小ぶりなものしかつけてない私に、

動けばジャラジャラと音が鳴る大ぶりの複数のパーツが組み合わせてあるブレスレットをくれたり(汗)….etc.

今は、振り返ってわかるんです、

あれらの贈り物は、彼女から私への(無意識ながらの)こういうメッセージだったんだなって↓

「Akiko(私の名)、もっとはじけなさい!!!」(苦笑&泣ける)

あー、ヒョウ柄と黒いビニールバッグもって、ブレスレットジャラジャラ言わせてパツキンに染めて、義理の母に会いにいっとけばよかった!(笑)

でも当時の私は、そんなことに気づけるキャパはなく、

彼女からの贈り物を開封しては、彼女の息子であるダンナさんに、

「みてよ、これ! なんで、私にこれ選ぶかな?!」と文句言って騒いでました。

ダンナさんは自分の母のことで文句を言われるのも嫌だけど、

自分の母のプレゼントのチョイスの悪さにもうんざりしたような顔をして

「もう、わかった、それ、捨てといて!」

みたいな応答をしていました。

私は文句をいいつつも、贈られたものをすぐに捨てられなくて(贈り物をもらうことは嬉しかったので)、しばらく保管してから一度も使わないまま処分してました(結局、汗)。

かたや、私も誕生日やクリスマスに義理の母に贈り物をするようになりました。

最初は何をあげたらよいのかわからなかったけど、

直接尋ねて、紫&モーブ&ピンク系統の色が好きとわかったので、

そういう色の品を選んで贈るようにしました。

そして機会があれば、私が好きな色は白だよ、と伝えたり、

私は自然派なものに興味がある、というアピールも忘れませんでした(ちゃっかり笑)。

そんなんで 3, 4年くらい経ったあるとき、

私からの贈り物をその場で開封した義理の母が、

少し目を潤ませながら興奮を抑えた声で

「Akiko、私ね、この色が大好きなのよ!」

と告白するように言ってきました。

「知ってるよ、だからあなたに選んだんだよ」

内心、今頃気がついたんかーい!?とツッコミながら、そう答えました。

(そのときの品の色が彼女のドンピシャ好きな色だったのでしょう)

それから、彼女が私に贈ってくるものが変わっていきました。

それまでくれたことのない生成りの麻の生地の雑貨 とか、白を貴重にしたもの、

自然派の珍しい石鹸やエッセンシャルオイルなどをくれるようになったのです。

これ、過去に実際にくれたもの、今でもとってあります ↓

義理の母は、両親が妹の方を溺愛していて(2人姉妹)、

愛情だけでなく物質的にも、妹と差をつけられて育った人らしいです(→ 本人談)。

義理の母は、自分勝手に好きなように生きるタイプ、

妹は、親のいい子になることでコントロールされてしまったタイプの人です。

彼女たちの両親は、姉=義理の母の目の前で、妹の方を可愛がるのをみせつけることで、

”いい子になってくれればお前も可愛がるよ” という条件を示していたのかもしれません。

彼らは全く従順でなかった義理の母をなんとか自分たちの範疇におさめたかったのでしょう。

贈り物をするのが好きな理由が「相手を喜ばせたいため」だとしたら、

義理の母が贈り物好きなのは、

両親を本当は喜ばせたかったという代償行為なのかもしれません。

自分が思うままに好きなように生きることを残念ながら喜んでくれる親じゃなかった、

だから喜ばせることはできなかった、

そんな思いを、贈り物をして人を喜ばせることで癒していたのかもしれません。

あー、それにしても、

あの開封した瞬間に「げっ!!」と毎回思った

義理の母からのクセの強い贈り物たちとの思い出が懐かしい〜(笑)

↑ 彼女が好きだった系の色たち(ネイルの画像でみつけました)、この系統の色をみると瞬間的に義理の母を思い出します。