寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

神のシナリオ

誰が言い出した言葉なのか…. 
私たちの人生は「神のシナリオ」で決まっていると言われたりします。

「神のシナリオ」と聞くと、

自分の魂が望む道だとか、

自分の生涯のパートナーとの出会いとか、

自分の才能をいかす仕事に導かれるとか、

そんな人生でのドラマチックな出来事だけを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、

神のシナリオをなめてはいけません汗、
神のシナリオは、細部にいたるまで「全て」なのです。

たまたま昨日、お子さんの視力がよくないというご相談メールを受けたので、そのことを例にあげて書きますと….

「視力が弱い」

これすら、神のシナリオなのです。

視力が弱いと診断されると、親はなんとかして視力を回復させてあげたいと思うでしょう。

もちろん、ゲームやスマホのやりすぎで視力が弱った、姿勢が悪いことで視力が低下した、それらを改善しようと思うことは自然な流れです。

でも、その子が視力が弱いという、そのこと自体、神のシナリオなのです。

どういうことかというと、その子は視力がよくないことで、
その子にとって人生がうまくいくようシナリオが設定されているのです。

一番わかりやすいダイレクトな例は、

視力がよくないことがきっかけで、視力をあげることができる新しいメソッド開発や、画期的なレンズを開発する人物になることになっているとか、です。

間接的な例だと、

視力がよくなくて、そのうちメガネをかけたことで、将来のパートナーと出会えることになっていたり(相手の女性はメガネ男子が大好きで彼にひかれる)、

視力がよくないからと、大学の講義で前に座ったことで、隣に座っていた人生の大親友と出会うことになっていたり、とかです。

表面化しないため認識できない例でいうと、

視力がよくないことで、視力の正確さを求められるスポーツをやらなかったことから、そのスポーツで大怪我することを避けるように実は守られていたり、

視力が弱いことで、細かいことがあまり見えないので気にしなくなり、大事なことだけに集中できる人生になったり、

逆に細部までちゃんと見ようと意識が働いて、細かい気配りができるような人物になったり、とかです。

神のシナリオがなぜそうなっていたか、人間にはその正確な答え合わせをすることはできませんが、

いずれにしろ、そうなるようになっているのです。

つまり、すべてうまくいくようになっている、それが神のシナリオです。

だから、親ができることは、その神のシナリオを

拒絶しない、嫌悪しない、ジャッジしない、ことです。

お子さんの視力が弱いのは「悪いことだ」とか「よくないことが起きてる」「わたしのせいでそうなったのかも」と

ネガティブ評価をしないことをおすすめします。


なんでかわからないけど、

視力が弱いことになっているんだね〜とそのまま受け止めることです。

受け止めた状態で、

視力を回復することができる情報を知ったら、回復に向けて動いてもいいし、
目を悪くする姿勢に注意したり、スマホに対して時間を制限したり悪化しないよう努力したりするのは自由です。

ただ、神のシナリオ自体と戦う必要はないということです。

これは、他のことにも全て当てはまります。

例えば、体が小さいとか、ぽっちゃり体型とか、歯が弱いとか、気が弱いとか、怒りっぽいとか、感情が激しすぎるとか、

いわゆる遺伝的にうけとったものも、全てです。

それら全て、なにかのシナリオのために設定されているのです。

そのシナリオをもとに、人生がうまくいくようになっているのです。

こどもだけでなく、大人ももちろん神のシナリオを生きてますので、

どうぞ、起きてることを拒絶しないで、ただ、受け取ってください。

受け取るというのは、

今、自分が置かれてるつらい状況に甘んじろということではないです汗。

もし、今、つらい状況に置かれてる方がいたら、

あー、これを体験するシナリオになっていたんだね、と、

その状況が「起きてることを受け入れる」ということが、シナリオを受け取るということです。

なんで、これが起きちゃったの!? 嫌だ!とか、

あいつのせいだ!、親のせいでこれが起きた!とか、

起きたことを拒否したり、人のせいにしたり、

起きてることをネガティブ評価しないということです。

これを体験することになっていたんだ、と神のシナリオを受け入れたら、

その後は、自分の好きに「反応すれば」よいのです。

私たちは起きてくることはコントロールできないけれど、

起きたことに対してどう反応するかは自由なのです。

最後に、私、今、肩をいためて、趣味のテニスをお休み中なのですが、

これも当然、神のシナリオでした。

振り返ると、あそこでああなって、こうなったXXXな条件と重なって、痛めること=この期間にテニスをしないことになっていたのだと、勝手に神のシナリオの筋を追っています。

なんでこの期間にテニスをしないことになっていたか?って、その答えがわかるのは、もう少し後になってからだろうな、となんとなく推測しています(すごく良いことが起こる予感!)。

神のシナリオ、完璧ですから笑。

肩を痛めたおかげで、本来ならテニスしてる時間に、お花見できました笑。
この清々しい桜を見て、心地よくなることになっていたんですね〜笑

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神のシナリオを受け入れたら、この世の苦しみは激減のはず。
そしたら、私がやってる療法もあまり必要なくなるでしょう笑。
そうなったら、次は何しよー!? ← きっと次のシナリオがみえてくる笑

シナリオとわかっていても、拒んでしまう方、なぜそうなるか、一緒に解きほぐしてみましょうか…. ご興味のある方は HPのほうへどうぞ:https://arnicahomeo.com/

あなたは何も悪くない。

Aさん、Bさん、X(エックス)さんでゲームをしていました。

まず、BさんとXさんの対戦。

途中でXさんが、Bさんのやり方に、それは不正だー! ズルしてる!とクレームをつけました。

気の弱そうなBさんはそのクレームを受け入れ、Xさんは自分に有利なポイントに変更させました。

Aさんは、Xさんってクレイマー?!とひるみつつ、自分はゲームの観戦者なのでとりあえず黙っていました。

その後、AさんとXさんの対戦になりました。

Xさんは、今度はAさんのやり方を不正だー!と言い出しました。
Aさんは、さっきのBさんとのやりとりをみていたので、自分はひるまず自分のやり方を押し通しました。が、Xさんが3度目のクレームを言ったときには我慢がならず、軽い口論になりました。その後、Xさんは黙りましたが、当然、そのゲームは不穏な空気となりました。

結局、対戦はAさんが勝ったのですが、Aさんはクレームを言われたので、この勝ちが楽しくも嬉しくもありませんでした。

それどころか、Aさんは、その後も気分がモヤモヤとしたままでした。

ゲーム仲間に、その話を愚痴ると、

そういうこともアルアル、誰でも経験するから、みたいな感じでアドバイスされました。

しかし夜になっても、Aさんのモヤモヤはおさまらない。
なぜ自分はこれをさらっと皆みたいに流せないんだろう….Aさんは自分の内側を探ってみることにしました….

まず、Aさんが自分の内側をのぞいて気がついたのは、

こんなにもモヤモヤするのは、
自分が完全に真っ白だとは胸を張っていえないからではないか、ということでした。

Xさんのクレームが、完全なるイチャモンであるならば、ここまで自分をモヤモヤさせないのではないかと思ったのです。

自分はもしかして不正をしたのではないか、という自分への疑いを持ってるということにAさんは気がついたのでした。

対戦のときは、強気でXさんに反論したけれど、Xさんの見方からみると確かに自分はズルしたようにも取れるかもしれない、それがモヤモヤの原因だとわかったのでした。

ゲームは遊びなのに、そこで真剣にクレームするXさんと同じように、自分も勝ちたいという気持ちがものすごく強くてああいうことが両者に起きたのじゃないか、

だから、ゆずらずに強気でXさんに言い返した自分もクレーマーと同じかもしれない….

という感じで、良心の呵責がおきました。

そして、次に、

自分は勝ちたいために、そういうことをしてしまったんだ

自分はそういうずるい人間だったのだ

というような自責の念がでてきて、Aさんはどんどん落ちこんでいきました….チーン。

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さて、このAさんのエピソードと内側への旅が教えてくれることは何でしょうか。

まず1つめは、

Xさんというわかりやすいクレーマーが現れて

Aさんの中にもあった、ずるい部分を鏡のようにみせてくれました。

XさんがBさんにしたような、

自分にとって有利なポイントに変えさせたようなずるい側面を

Aさんも実は持っていた(Xさんほど強くはないにしても)、というのを教えてくれました。

2つめは、

Aさんには、良心がちゃんと健在してるというのを教えてくれました。

モヤモヤしたということは、Aさんの良心がどこかで痛むからで、

ずるいことはよくないとか、そんなずるい自分を受け入れたくない(自分らしくない)という深い指針がある、というのを教えてくれています。

もし良心に蓋をしてたり、良心を麻痺させてる人なら、このエピソードは、
”そんなこともあるさ” くらいで通り過ぎてしまう出来事だからです。

3つめは、

Aさんは、自分のことをいい人だと思い込んでいたかった、自分は良い人だと評価しておきたかったことを教えてくれています。

もし、自分がずるい部分を持ってるとちゃんと認識していたら、こんなにひきずりはしないからです。あ、やっちゃった、自分はそういうところある笑、とすぐに認められなかったから、長くひきずったのです。

心理の分析だけだと、ここで終わりじゃないかなと思いますが、

ここで終わったら、落ち込んだままになりませんかね?!汗。

あー自分はずるかったんだな、とか、

自分をどこかでいいひとだと思い込んでいたんだな、とか、

それに気づいて、その内側の心理を認めたとしても、これで心は晴れるでしょうか。

そういうずるい部分があった自分を認めたことで心地よくなるなら、それでよいのですが、そうじゃなくて落ち込んだままの人の方が多いように思うので、

ここで、違う視点からの捉え方をオススメしたいです。

それはこのようなエピソードを、

こんな人間達が起こした「人」による事象としてみるのではなく、

エネルギーの引き合い(意識がつくりだした現象)としてみる見方です。

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上記の事象は、なぜ起きたかというと……

Aさんが
「自分はずるい人間だ」「自分は不正なことをするところがある」という波動、
そういう潜在意識(深いところに隠れてる意識)を、自分自身が持ってるからなのです。

Aさん本人が「自分はずるいことをしてしまう人間だ」という意識をもってるから、
その意識を反映した波動により X さんが引き寄せられて、具体的な事象として体験したという仕組みなのです。

だから、Aさん、

あなたは何も悪くない。

自分はずるい人間なのだと落ち込まなくていいのです。

Aさんは、Aさんが人生のどこかで持ってしまったその不要な波動、

その意識を、ただ捨てさってしまえばよいのです。

本当に、ただ、それだけのこと、そういう仕組みでその現象が起きたというだけのことなのです。

あなたは何も悪くない、

ただ、そのくっついた不要な波動(乱れた波動)を払い落とすだけなのです。

Aさんが、なぜ、そんな波動を持ってしまったのかって?!

それは例えば、

小さいころ親に「お前はほんとにずるい子だね」ときつい顔で言われて、
えーわたしってずるい子なんだ!と思い込んでしまったからかもしれないし、

学校で先生や友達に「そのやりかたはずるいんじゃない?」みたいに言われて、
「そうなんだ、私はずるい人間なんだ」と衝撃を受けたときからかもしれません。

その波動を身につけてしまった機会は、人生の体験により人様々ですが、
いずれにしろ、あることにより波動が乱れて、真のピュアな自分とは違う不要な波動を持ったままになってるのです。

その不要な波動は、もともとのあなたのものではないので、それを排除するために、

Xさんという人が現れることで、あなたにそれを教えてくれたのです。

だから上記のゲームで起きた出来事は、
Aさんの低い波動を解除するためにおきたエネルギー現象なのです。

ということで、不快な現象、モヤモヤする現象が起きたら、

それはあなたを落ち込ませたり、自責の念や良心の呵責を起こすためではなく、

ただ、あなたにとって本来の自分とは違う波動になってるよ、と教えてくれる現象だということを知ってもらいたいなと思います。

とはいっても、感情を持つ人間ですから笑、最初は自動的に落ち込んだり、モヤモヤしたりしますけどね汗。

ただ、そこで終わらないで、それを使って波動上昇に転換させて欲しいなと願います。

昨日3/26 はいろんな人が岐路に立った日と感じました。                               
その流れでこのお花のアレンジメントもいただきました、私にはお花はもっとも嬉しいプレゼントの1つです。 
       

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不要な波動を捨てるには、イメージワークが効果があります。
重石(不要な意識)をよっこらしょと海に投げ捨て去るイメージとか、
天に放出する光となって返すイメージとか、地球に足の裏から流していくイメージとか、自分がしっくりくるイメージで捨て去れます(1回ですっきりしなかったら何回もやる)。

トラブルに巻き込まれるけど、不要な波動がなにかわからないとか、
不要とわかってるけど、自分では排除するのが難しい方は、エネルギー療法を使って不要な波動の掃除をお手伝いできます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/




いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。

いちどきにひとつのことだけ

今年、腸内細菌レメディプログラムというのに取り組んでいるのですが(ご興味のある方は、こちらの記事へ)、

今月は第7チャクラを開く効果のあるレメディをとったせいなのか、

こんなメッセージがインスピレーションで降りてきました。

いちどきにひとつのことだけをする

です。

一行三昧(いちぎょうざんまい)という言葉はまさにそれを表してると思いますが、

マインドフルネスとか、いまここにいる、とかも同じ意味と思います。

ということで、いちどきにひとつのことしかしない、を意識して毎日過ごし始めてるのですが、

ヒジョーにびっくりします。

わたし、こんなにいちどきにたくさんのことやってたの!?

自分でもあきれるぐらいのマルチタスカーでした笑。

例えば、

コーヒーを片手に持ってテーブルに運びながら、その途中で目についたキャットフードの袋を別の手でちょいっと元の場所に戻すとか、

歯磨きしながら、洗面台の汚れに目がいって、スポンジで少しこすったり、または鏡のくもりに気がついてタオルでふいたり(歯ブラシを口にくわえたまま!)、

本を読んでる途中で、ふと気になってスマホをいじってるとか、ふとお腹すいたとお菓子をさがしにいってつまみながら本読みはじめるとか etc…

ほとんど全てがこんな感じで日常を過ごしているのです。

そんな私が、いちどきにひとつのことをやっていくには、段階があるなと思いました。

まず最初の段階は、

行動として、ひとつのことしかしない

です。

行動を1つに絞ることから、始めてます。

上の例でいうと、コーヒーをテーブルに運ぶなら、まずは運ぶことを完了する。

キャットフードの袋が目に入って気になっても、コーヒーをまずは置く、そして置いたら次は袋を片付ける、みたいな感じです。

そうやって段々と、いちどきにひとつのことしかしなくなってきたら(それでもまだ複数やってたりしますが笑)、

行動だけでなく、その目の前のことにしか「意識を向けない」を、

次の段階としてやっています。

目の前で起こってること以外の思考をしないようにする、という感じです。

ご飯をたべながら、あとでしないといけないことを頭の中で想定してるときや、

ふと過去の出来事が浮かんであれやこれやと思っても、

それらのことを思考するのをいったんストップして、

ご飯をたべることだけに意識をもっていくような練習です。

とはいえ、これが、もう、とにかく、なかなかできません……

このようなブログ記事を書いてるときは、記事の内容に思考自体がいっていますので、

わりとできます。

でも、ご飯を食べるとか、洗濯物を干すとか、車の運転をしてるようなとき、

つまり体の動きがメインでなにかをしてるとき(特にその行動が慣れているもののとき)、

ふっと思考はどこかをさまようんですよね笑。

そして目の前のことから意識が離れてることに気がつきます。

あれ、また離れてた、ってこの繰り返し笑。

とにかくすごい頻度です大汗。

それにしても、いちどきにひとつのことしかしなくなったら、

行動がとても丁寧になるなぁ、 と思います。

つまり、自分にしたらいつもよりゆっくりなペースになってるなと思うのですが、

でも、それでこなしてる日常の仕事量に変化はありません。

マルチタスクしてたから、ひとつのことしかしないと効率が悪いのかと思いきや、

それは全くないどころか、

逆にもっと物事はうまくまわってるように感じます。

ひとつ、ひとつの物事を完了した感覚が伴うからなのかもしれません。

いちどきにひとつのことだけやる

いちどきにひとつのことだけに意識を向ける

これは、自分を新しい境地に連れていってくれる習慣だと思います。

つづけよっと!

茶道とはまさにそれ!ですね。

思考の数々を可視化できるなら

今朝、

「ネガティブに推理し続ける思考を止めらない」

というようなお悩みについて話していたせいか、

午後に久しぶりに庭の草むしりをしていたら、

「その思考が止められない状態というのは、つまりこういう感じだよね」

と生い茂った雑草がみせてくれてました ↓

これはヘクソカズラ(すごいネーミング汗)という植物ですが、つる性で、少し紫がかった茎が何重にもあちこちに巻きついていて、なにがなんだかわからない状態でした。

もし思考がこの植物のツルのように育っていくのが目に見えるなら、

それでもわたしたちは、その育っていく思考を止めないでしょうか!?汗

何度も何度も同じことについてああかもしれない、いやこうかもしれないと推理したり、

何度も何度も嫌な体験を蒸し返して思い出したり、

何度も何度も心配なことを予想してどうなるだろうと思考する…..

思考して思い浮かべるということは、その事象にエネルギーを与えてるということになりますから、

まさに頭の中で育てているわけです笑、みえないけど。

もし、思考してるときに出てくる言葉の数々が、

雲のような黒い文字として発生していき、頭の周りに浮かんでいくとしたら、

ほとんどの人の頭部は、真っ黒な雲で覆われて、顔や頭が判別できないかもしれません汗。

人によっては、全身真っ黒な文字の雲に覆われて存在がみえなくなってる人もいるかも笑。

でもそうやって可視化できたり、植物のように物質として思考が育っていくなら、

私たちは思考を途中で止めることができるのではないでしょうか。

思考がツルのようにグルグル自分に巻きついてきたら、うっとおしくってしようがないから、

私が午後の草むしりでしたように、つるを束で思い切りひっぱってブチッ!って切ったり、

園芸はさみでジョキッ!!と切り落とし、すべてのツルを払い落としてスッキリしたくなると思います。

そして、あーすっきりした、なんで伸び放題にしてたんだろう、って苦笑するのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、わたしたちの思考は外からはみえないし、

自分でもその量を客観視することができない。

だから、思考の数々がいかに自分を縛りつけているかみれないし、

同じ思考にどんどんエネルギーを与えて日々育ててることにもなかなか気づけないのかもしれません。

もちろん、わたしも常に思考しています。

気になることがあったときなど、ずーっと考えていたりもします。

ただ、その思考をツルのようにぐるぐる絡ませたり、何重にも大きく育ててしまう

ようなことはかなり少なくなってきたかもしれません。

考えてもなんの成果もでないどころか、自分を苦しませる思考については、

神にまかせた!(流れにまかせる)

と、自分でかかえこまないようにしたり、

瞑想して思考を洗い流したり(思考はわくけど、どんどん流していって留めない)、

例えばテニスに集中することで、思考しない時間をつくって、思考回路を完全に切り替えるとか、

そんなのが、グルグル巻きの思考に陥らないわたしの方法かもしれません。

そして、今日体験した草むしりも1つの方法として使えるなと思いました。

なにか気になることを思考しだして、

それがツルを巻いたようにグルグルしてきたら(思考するのを止められなくなったら)、

そこでぶちっと引っこ抜いて、その思考が育つのを終わりにする、ってイメージです。

その引っこ抜いたツルは、丸めて土に返してあげるイメージがよいかも笑。

グルグル巻きを利用して緑のリースにしてみた。                           
止まらない思考もリースにできたら、素敵?!                             

ーーーーーーーーーーーーー

私がみてきた思考が止められない人たちの大きな原因の1つは、

自分が全て考えていかねばならない

と思ってることです。

自分が全てをなんとかしないといけないと思ってるから、

とことん考えるしかなくて、

だから延々と思考が手放せないのです。

だから思考を手放すには、

この世界の流れをつくっている創造主がいることに気がつき、

考えても自分ではどうしようもできないこと(先の不安とか、他人の心の中や、過去の出来事など)は、

そちらに任せておこう

その流れを信頼しよう

と思えていけるようになるのが鍵かなと思います。

そうなるには、

静かな一人の時間をもってみるとか、

自然の中に身をおく時間を長くもつとか、

瞑想をやってみるとか、

思考でなく感性を研ぎ澄ます方に時間をつかってみるのがお勧めです。

(左脳を休めて、右脳を使う)

そうすると、思考が静まって、その奥の深淵な世界を体験できていき、

全て自分でやらなくてもいいんだ、というのがわかってくると思います。

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どうしても思考から離れられない人には、

高次元の力をかりたエッセンスやレメディなどを使う方法もあります。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

SHOHEI OHTANI 効果

2,3ヶ月前のことですが、高校生の息子が、模試だか何かの試験(記憶曖昧、笑)で、

「英語のリスニングテストが校内順位で2位だったよ〜」とご機嫌で教えてくれたことがありました。

彼の父(私の夫)は外国人なので、そりゃそうでしょ、と当然に思う人もいるかもしれませんが、

彼の父はフランス人なので英語を話すわけではなく(仕事は英語でしてますが)、

家庭内で英語を話すことなど全くありませんから、私には非常に意外な結果で、

ええ! そりゃすごいね!!と単に驚いたのでした。

そもそも、息子がリスニングの勉強などしてるところなど1度もみたこともないので、

「一体、どうやって、リスニング能力つけたの?」と質問してみたところ、

あのね、と少し笑いながら教えてくれました。

大谷翔平選手がメジャーで活躍するようになってから、しょっちゅう現地の人がつくった英語版「SHOHEI OHTANI 切り抜きYoutube」をみてるそうなんです。

そうすると、自然とネイティブアメリカンイングリッシュを毎日聴くことになるわけで、

いつのまにかリスニング能力が身についてきたそうです、苦笑。

(もちろん全部聞き取れるわけではなく、リスニングテスト用の典型的な文章みたいなのが聴けるくらいにはなったってことなんでしょう)

SHOHEI OHTANI 効果は、野球だけの世界に限らなかった!!

この彼の秘訣を聞いてから、どれどれ、と私もOHTANI選手の活躍をYoutubeでのぞいてみるようになったのですが、

あるとき、いつのまにか彼の活躍してるYoutubeを楽しみにみてる自分がいるということに気がつきました。

私はテニスが趣味なので、スポーツの試合をみるとしたら、ほぼテニスしかみません。

ですから、野球自体に興味はないのです…..が、OHTANI選手の活躍Youtubeはなぜかその後も自分でみにいってました……なぜ?!と思って分析してみたら、

映像内で聞こえてくるアメリカ人のほめ称え方が私のツボなんだということがわかりました。

アメリカ人のアナウンサーや解説者やYoutuber が、

OHTANI選手を形容する言葉の使い方や態度に触れてるのが、

私を心地よくするので、またみにいこうとなるのでした。

日本でももちろん大谷選手をほめ称えてる映像やニュースはたくさんあるのですが、

日本で褒めてる姿勢をみてると、

解説者が上から褒めるか(まるで親が子供を褒めるような、テクニックを抜き出してそこを褒める)、

突然、「神」のようにあがめて、自分たちとは別格とするような扱い方が多いように

私には思えるのですが、そういうのはあまり心地よく感じないのでした。

アメリカ人たちがつくってるYoutubeをみると、

ほめるボキャブラリーがとにかく多彩で、そのせいか褒め称え方に個性が感じられて、

そこに心が伴ってるのも伝わってきます。

しかも褒め称えるときの立ち位置は、

相手を下におくのでも、上におくのでもなくて、

同列で同等に感じるのです。

ほめる相手に対して、斜(しゃ)に構えていなくて、ハートがオープンな褒めたたえ方だなと思います。

例えばある動画では、

野球の有名なOBの解説者の方が(60か70くらいの人、私には全く誰かわからない笑)、スタジオに来てくれたOHTANI選手に、

「I love you, I really love you!」なんて言葉をかけていて、

きゅーんとしました。ご自身もキャリアを築いてきて有名でプライドもあるだろう男性が、

20代で日本からきて活躍したての選手に、

君はこれがうまいね、とか上から言うんじゃなくて、

I love you なんてストレートに言えちゃうところ♡

OHTANI選手について話す他球団選手のインタビューをみても、

「OHTANIと同じ時期に野球というスポーツができてることが本当にラッキーで、誇りです」

みたいな言葉でほめたたえていて、

ただテクニックや結果をすごいと言ってるんじゃなくて、

ほめる相手と自分とのつながりに感謝してる目線を持ってるところが、

素敵だな〜と思いましたし、それをインタビューでさらっと答えることができるその人(有名な選手のようでした)、

そしてその人の思考を培ったアメリカもまたスケール的にすごいなと思いました。

他の有名そうな野球解説者(この人も誰だか全くわからない、笑)のYoutubeでは、

OHTANIが40号ホームランを打ったときの自分や球場にいる人の気持ちを代弁していたのですが、

「こんな現象をみるのは初めてだ、

皆がOHTANIを応援していて、それは球場にいるときだけでなく、

OHTANIが道を歩いてるときにも皆が彼を応援してるんだ、

自分たちのひいきにしてる球団を超えて、皆がOHTANIがうまくプレイしてほしいと応援してる、

この状態は(皆がすごい試合をみて、皆がなにかを一緒に応援してる状態)、

It’s really cool !! 」と表現してました。

こんな表現をできるひとたち、つまりはそういう精神を持ってる懐(ふところ)の広いアメリカ、

OHTANI選手のおかげで、アメリカの素晴らしさを再発見した私です。

そして、このような映像を多くの人がみてることで(どれも再生回数がすごいので)、

このような人の称え方、人と人とのつながりを称える精神は世界に伝播していくだろうなと思って、毎回暖かい気持ちにもなるのでした。

SHOHEI OHTANI効果、絶大です!

*過去にも大谷選手のことを記事にしてたの思い出しました。
大谷選手に関するのは最初のパラグラフだけですが、ご興味があれば、どうぞ → 目標実現ツール

大谷選手は、Angelsエンジェルス に所属する「天使」ですな笑。

こどもの吃音

1つ前の記事に続いて、時々ご相談を受けるお子さんの吃音(いわゆる、どもり)について書いてみようと思います。

まずは、吃音という症状を起こしてる感情/メンタルが何かについてですが、

ルイーズ・ヘイによると:

・不安

・自己表現にかける

・泣き叫ぶと怒られた

などから起こるそうです。

リズ・ブルボーによると:

幼いときに、恐れのために、自分はこうしたいとはっきり主張できなかった人がなりやすい

とのことです。

確かに、吃音は、大人になってから発症してるひとはあまり聞いたことがなくて、

主に幼児期に発症がみられます。

軽い場合は、その後成長とともにみられなくなっていくことが多いようですが、

完全にはなくならずストレスがかかったときだけ症状がでたり、

重度の場合は大人になっても吃音が続くというのがみられます。

まあ、つまりは、幼少期にその人が体験したことが、吃音を起こす元になった、

別の言い方をすると、それを体験するようになっていたといえるかもしれません。

私がみてきたケースでいうと、お子さんで吃音症状がみられる場合、

その子の家族のメンバーと、

その子自身の性質との「組み合わせ」で起きてるのではと思うことが多いです。

どういうことかというと、

吃音症状をだすお子さんの家族の誰か(一人もしくは複数)の言動と

その子自身の性質が合わさることにより、家庭環境の中で「自分を表現するのを抑えてきた」というパターンがみられるのです。

つまり吃音という症状は、簡単に言うと、

自分を澱(よど)みなく表現できない状態にいる、というのを教えてくれています。

以下、症状を出してる子と家族の代表的なパターンをいくつか挙げてみます:

1)口が達者な家族がいて、その子が表現する前に、その子のいいたいことを先に言ってしまっている

→ その子の代弁者のような存在が家族の中にいて、その代弁者の方が自分よりうまく話したり説明できるので、自分を表現したり主張するという手段を完全にその代弁者にゆずってしまってるパターン。

深いところでみると、自分にはできないとか自信のなさ、失敗することへの恐れがみられます。

2)頭の回転が早い家族がいて、その子自身のペースより早いペースで話したり、物事を進めてしまっている

→ 本来の自分のペースが乱されている。あせらされることで、自分のタイミングやペースで表現することが難しくなっているパターン。

深いところでみると、実は人のペースに合わせたくないという頑なさもみられます。

3)頭ごなしに自分の意見を主張する家族がいて、その子の意見を聞いていない&反論させない

→ 自分の主張をしようと思っても、簡単にその家族に自分の意見を切り捨てられるので、表現しようとすると緊張したり、すくんでしまうパターン。

深いところでみると、家族の意見の方が素晴らしくて、自分の意見や主張には価値がないと自分でジャッジをしているので、余計に言えなくなっています。

ということで、吃音の症状がでてるお子さんがいたら、上記ようなパターンを家族で形成していないか点検してみて、じゃ、どうしたらいいかなと考えてみるとよいかなと思います。

いつもそうですが、症状というのは一人で勝手に発症してるわけでなく、まわりのパターンと組み合わさっていることがほとんどです。

ですので、その症状に向き合うと、家族の他のパターンを外すことができますので、

家庭内のエネルギーも上がり、よりよい状態になると思います。

長く吃音症状が続いてる場合は、ホメオパス にかかるのがよいと思いますが、

急性的に症状がみられていて、キットのレメディを使おうと思うなら:

Nat-mur / Calc (自分以外の代弁者がいて自分を抑えてる場合)

Arg-nit / Merc / Sulph (自分のペースが乱されてる場合)

Lyco / Staph (自分より強い相手がいて自分の意見を主張できていない場合)

などが使えると思います。

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吃音の話は、私も実体験があります。

私の兄が幼少期のある時期から、どもりがちでした。

今のエネルギー療法の仕事をするようになって、上記のような感じでそれを分析してみたところ、

私の父が 3)のパターンで、私が 1)のパターンでした、ダブルで最悪、汗。

もちろん、そこに兄の性質も加味され、さらに母の方向のずれた対応により、冗長されたと思います冷汗。

しかし、人の人生というのは本当に面白い&強いもので、

兄は、人前で教える(つまり話すのがメイン)という職業につきました。

小さいころからオタク気質であったことを生かし、自分が好きなことを徹底的に研究することを選びつつ、同時に非常に苦手だった人前で話すという組み合わせに行き着いたのです。

好きと苦手のミックス!

だからもう苦手は克服されたということです、偉いな〜と思います(←上から、笑)。

ちなみに兄が選んだ奥さんも、私とは正反対のいつもニコニコ優しく、話をちゃんと最後まで非常にゆっくりとうなづきながら聞いてくれる女性です笑。

幼少期から高校まで、わりと苦労したと思う兄、その兄を思い浮かべながら、

彼がつかんだ後半の満ち足りた人生を思うと、鼻の奥がツンとなる妹です…..。

梅雨のあいまに咲こうとしてるメダカ鉢の睡蓮。咲こうとするエネルギーにはいつも心打たれます。        

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吃音が長い間あらわれてる場合は、コンサルテーションを受けてみるのもよいかもしれません。

いずれにしろ、あなたに現れる症状はあなたに何かを教えてくれるものです。

ご興味のある方はHPの方までどうぞ:https://arnicahomeo.com/

こどものチック

チックという症状で時々ご相談をいただきますが、

チックは、大人でみられることは少なくて、主にこどもの時期にみられる症状だと思います。

リズ・ブルボー(症状を感情/精神的なレベルで解説してるカナダ人)によると、

チックは、

自分をコントロールしすぎたため、逆にコントロールをうしなった状態

を表します。

自分の意志とは無関係に筋肉が動く状態を

チックといいますから(目をパチパチしたり、顔をピクピクさせたり、小さな音を無意識にだしたり、小さな咳払いを繰り返したり、なにかをずっと触ったり)、

「(自分の)コントロールをなくした状態」という意味はよくわかると思います。

わたしがみてきたケースなどから、

このチックという症状をわたしの言葉で説明するなら、

いい子でいたいと頑張ってる現象

よくできる子になりたいと頑張ってる現象

と言えるかもです。

チックという症状がみられる時期には、

大概なにかしらの行事(入学式や卒業式)や発表会みたいなのがあって、

そこで親や先生にみられることと関連してると思うからです。

チックの症状がみられる子というのは、

そういう自分をみせる機会で、

親や先生から期待されてる自分の像を守りたいとか、

その像を壊さないようにしたい、という心理でいるようにみえます。

本当の自分よりも背伸びしようとしすぎて、

緊張が高まりすぎて限界がきた状態と言えるかもしれません。

大人はなぜチックになりにくいかというと、

もう自分の才能やら資質についてはかなり認識してきてるので(あきらめ?!笑)、

自分以上の状態を演じようと思わないからではないでしょうかね…..。

とにかく、こどもたちは健気に頑張ってるんですよ、

自分のためではなく親や先生や周りの人のために、が問題ですが苦笑。

でも、こういう体験もすることで、

頑張るのがしんどいときは、自分がしたいからしてるのではなくて、

誰かのためにやろうとしてるからしんどいのだ、と気づいていくのかもしれません。

ところで、チックは違う角度からみると、他の事象も教えてくれています。

チックを発症してるお子さんは、そのお子さん一人で勝手にいい子になりたくて発症したわけではないというのも、知っておいて欲しいなと思います。

チック症状をみせてるお子さんは、大体の場合、その親御さんが

そのお子さんをみつめすぎてる、という条件もあてはまることが多いように私は思います。

過剰に視線を注(そそ)ぎすぎてる、そんな親御さんが多いようにみえます。

親でなければ、

先生が過剰に監視していたり、

先生が過剰に発表会など行事を成功させようとプレッシャーをかけてる様子がみえたりします。

先生が、なぜ、そんなにプレッシャーを感じてるかというと、元をたどれば、

保護者=つまり親たちが非常にその出来具合に期待をしてる、というのを察知してるのかもしれません(先生もチック発症しそうな状態、笑)。

ですので、お子さんにチックのような症状がみられたら、

親御さんは、自分がその子を注視しすぎてないか、

その子に毎日起きることが自分の日常のメインの関心事になっていないか、

ちょっと点検するのがよいのでは、と思います。

そりゃ、子どものことは大事でしょうから、よく気をつけてみているとは思いますが、

自分自身への関心のエネルギーを自分ベクトルじゃなくて、すべて子供に向けていないか、

自分のその姿勢の方もみるとよいと思います。

想像してみてください、

親の情熱が全て、子である自分に注がれているとしたら……

ちょっとぞっとしませんか

窮屈に感じませんか。

エネルギー的にいっても、こどもはそんな親からのエネルギーは

重くてしかたないから、軽やかに自分らしくそのままでいることは難しいかもしれません。

ということで、お子さんにチック症状がみられたら、それは親であるあなたにとっても、

もっと自分に注目して自分自身の毎日を大事にしよう とか

もっと自分が好きなように生きていいんだよ とか

そんなサインでもあるかもしれません。

最後に、

チック症状がみられるお子さんにキットのレメディを使うとしたら、

以下のものが使えると思います。

Arg-nit (緊張が強い)

Ars (なんでも完璧にやろうとして神経がはりつめてる)

Ign (自然に起こる感情をおさえぎみ)

Lyco (よくできると思われようと必死)

Rhus-t (できないことが不安)

↑ 今の我が家にはびこる雑草でつくったミニブーケ。
手前の白い可愛い花「ハコベ」は、ニワトリやひよこの餌にもなるらしく、
さらには乾燥させた粉末を塩とまぜてつかうと、
歯槽膿漏や歯茎からの出血にとてもよい薬草だそうです。

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チックが発表会や新学期だけなどの一時的なものじゃなくて、

長いこと続いてる場合は、

ブロックが少し深くなっているかもしれませんので、

コンサルテーションを受けるのも、よいかもしれません。

症状はいつも、人生をもっと生きやすくするためのサインです。

一緒にそのサインの意味を探ってみませんか、人体というのは本当に面白くて

よくできているものです。

ご興味のある方はHPをご覧ください:https://arnicahomeo.com/

かくも長く続く「親」の型

習字を習うとき、まずはお手本をみて、

とめ、はね、はらいというような技術から、

字全体の整った型を学んでいくと思います。

それと同じで、人は自分の周りにいる人から「型」を学んで育っていくのだと思います。

毎日みたり、聞いたりする言葉の使い方から、

言葉にしていなくてもぐっと我慢している態度とか、

いつもニコニコしてることとか、怒ってるのにそれを見せない態度なども含めて、

全てを見聞きして感じながら、いつのまにかそれを型としているものです。

その型は大概において、親のことが多いと思いますが、

女性の場合は、主に「母」、

男性の場合は「父」の型を

採用してる人が多いように思います。

親の型をそのまま写しながらいく人が多いかもしれませんが、

初期のうち=つまり幼少期から、親の型を嫌って、

その型をやぶって生きていく人もいます。

いわゆる親を反面教師としてるわけですが(私もそのタイプ苦笑)、

いずれにしろ、元型である親を支点にして違う型を選んでいるので、

そういう人であっても親の「型」から学んだことに変わりはありません。

人は家庭内で型を学んだ後は、

学校など社会の中で、他の型をみていきながら、

自分の親の型に疑問をもったり、否定したり、もしくは肯定したりします。

そして、だんだんと自分はどうやって生きていきたいかを学びながら、親の型をいじくったり、

壊したりと、それまでの型を調整して、自分のオリジナルの型になっていくのだと思います。

そういう「型」という視点でみるならば、

自分の意思表示や自己表現といった問題を持ってる人は、

この親からの「型」を擬(なぞら)えているのが原因のようにみえます。

親の型を今も自分の型として生きてるので、自分を発揮できていないようです。

親の型があまり好ましくない型だった場合は、
子供だった自分も、その型にはまりたくないなと認識してるからわかりやすいのですが、

厄介なのは、親の型をとても良かったと評価してる場合です。

良い型だから、といっても、それは完全にあなたを表すものではないのに、その型で

生きていこうとしてるから苦しいのです。

なぜなら、あなたと親は違う人間なのだから。

体も違うし、

心も違うし、感覚も違っています(似てるところはあったとしても)。

だから、親の型通りで生きていってると、

あなたとして生きてるわけではないので、とても苦しいのです。

着ぐるみきてるみたいな感じ?!笑

「習字」が進んだ先にある芸術「書道」というのは、検索すると

ー自分の個性や感情を文字で表現するもの

ー書によって表現する芸術

という説明がありました。

まさに、人生も同じことだなと思います。

母や父の型をいつまでも擬(なぞら)えないで、

自分の型で人生を過ごしていくこと、

習字から書道の道を極めていくように、

過去に学んだ親の型から自由になり、

自分というたった一人の人間をこの世で表現していくことが人生の芸術なんじゃないかな〜と思います。

今年も新茶の季節。↑ 一番茶といわれる新芽を摘みました。
毎年一緒につくらせてもらってる仲良し御近所さんの鉄鍋で炒っては干して乾かすを繰り返します。
鉄鍋で茶葉を炒ってます、ものすごーい良い香り!浄化される感じ。
今年の一番茶。甘みがあって、口の中がさっぱりします。美味い!

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子育て中に、私はよくない親の見本(型)を子供にみせてしまっていないだろうか、と不安になる人がわりといるのですが、親はどんな型をみせてもいいのではと私は思います。

なにか学ぶとき最初は型がいるものですから。

いずれにしろ、その子が親の型をみて学びながら、自分で自分の型を獲得していくことになるのだと思います。

そういう意味でいうと、家系のカルマというのは、延々となぞらえて苦しんできたご先祖様からの型という言い方もできるかもしれません苦笑。

あまりにも長い間、親の型を擬(なぞら)えすぎて、

自分で親の型を壊すのが難しい場合は、

その型を変えるエネルギー物質を使って、型を壊すお手伝いができます。

(親の型は、1種のエネルギーパターンみたいなものですので)

詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/