いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。

いつまでも遊んでいたい」への6件のフィードバック

  1. 子どものころのピュアさを内に秘めたまま、でも、大人として社会に適合する秘訣は何なんでしょうね。

    いいね

    1. それ、誰でもできてることだと思います笑。

      普通にこの世界で生活してる人なら、
      社会に適合してると言えると思いますし、
      そしてどんな人でも子供のピュアさをうちに秘めてると私は思います。

      秘めてるから、昨日みたいに尋ねるとひょっこりでてくるのだと思います。
      それを秘めてるのを忘れてる人はいるかもだけど、完全になくしてる人はいないと思います(好きなことややりたいことにその片鱗は現れてるから)。

      だから秘訣は、
      子どものころのピュアさを自分はまだ持ってるとちゃんと気がつくことじゃないですかね。そして、気がついたら、それをとても大事にしていくことじゃないんでしょうかね。
      朝から何の話だ〜笑

      いいね: 1人

      1. お返事ありがとうございます!
        そうなのですね~。
        そのピュアさが、社会や、素敵と思えるものに合致していないと、自己判断で×(バツ)を付けてしまいそうですが、“とても大事に”していけばいいんですね^^

        いいね

  2. ”素敵と思えるものに合致していない” という自己判断の✖︎の感覚がなぜできたか。。。。。

    いわゆるこどもだった自分に「大人」がそれはよくないよ、とか、それはやめときなさい、と形容してきた体験があったわけで、いつのまにか、その価値観で、こどもだった自分もそれを✖️とみるようになったからだと思います(つまりはその価値観を受け継いだような感じ)。

    もし、大人が、例えば漫画ばかり読むこどもに、
    いいね!いつも熱中できててその集中力素晴らしいね、と表現してくれたり、
    自分で自分の楽しみをみつけることができてるって素敵だね!と形容してくれてたり、
    漫画っていろんな人生のヒントが隠れてるから面白いよね、どんどん読めちゃうよねと共感してくれていたら、その子は、自分は社会に適合していないという価値観は持たなかったと思います。

    だから、しょうがなかった、その親の親世代もまたそういうことを言われてきたのだから。

    今の大人世代は、そういう前世代の価値観を受け継いできた苦しみに気がつきだして、
    これはもう止めていこう、こどものピュアさを大事にしていこうと価値観転換の役目を負うことになっていたのではないかな〜 とか思います。

    あーまた朝からいっぱい書いちゃった笑

    いいね: 1人

    1. アーニカ様
      なんだか、コメント欄がカウンセリング化してきて、すみません^^;、そして、ありがとうございます!

      確かに、漫画のたとえで続けさせて頂きますと、
      私は漫画が好きですが、親からなのか、社会の風潮からなのか、
      漫画は片手間に読むもの、本を読みなさい、という価値観を取り入れてきた気がします。

      いまでは自分の子どもが漫画好きですが、宿題等する必要のあることを後回しにするのもあり、
      私としては、「そんなものばかりに時間を費やして!」と、言ってしまいます。
      けれど、アーニカ様のおっしゃるとおり、漫画=悪ではないし、漫画の意義や、長時間読み続けられることを前向きに捉えることもできる筈なのですよね。

      ということで、今日は、子どもが漫画やテレビ等に熱中しているときは、説教くさいことは言わずに、goodな点を見出すようにしてみます^^

      いいね

  3. このコメントがなぜか迷惑フォルダに入っていて、今、気がつきました汗 
    気づくのが遅くなりすみません….
    確かに漫画やテレビが「悪」みたいな風潮がありましたものね….あ、今もか?!
    「漫画は片手間に読むもの」確かに、こういう感覚は多くの人にあるかもですね。
    たこ焼きやケーキはおやつで主食ではない、みたいなのと一緒かな笑??

    だから、逆に、人は、漫画とかたこやきとかケーキに惹かれるのかもですね。
    ちょっとした軽いすぐにみつけられる楽しみで、そして癒しなんですよね(漫画を真剣に描いてる人も好きな人もいますが)。

    だからもし、自分や子供が漫画やテレビに熱中してたら、詰め込んだ生活で疲れてるのかもね、
    癒しとか、ちょっとした楽しみが欲しいときだよね、と思っておくと寛容になれるかもですね。
    実際、私も疲れてるときや夜には、しちめんどくさい(死語?)本など読みたくないですからね〜笑

    いいね: 1人

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