先日、息子が17歳になりまして、
プレゼント、何か欲しいものあるの?
と尋ねましたら、
いまどきの子らしく、タブレット型の電子機器が欲しいとのことでした。
私のときと比べると、そんな高価なものをプレゼント?!と驚きを隠せませんが
(というか、そもそも私は親から誕生日プレゼントをもらった記憶すらないのですが汗)
旦那さんは、息子がこの大人に近い年齢になったことがとてつもなく嬉しいようで(もちろん私もですが)、
なんでも好きなものは買ってやるぞっっ的な勢いなので、任せることにしました。
息子があれやこれやと候補の商品を調べて、
旦那さんにそれらの情報をみせて、二人でワイワイ比較検討しているようでしたが、
今朝、息子を送迎してる車の中で、私に、最終選択の相談をしてきました。
結局、2つの商品 A と B にしぼったらしいのですが、どっちにしようかな〜と
迷ってるそうです。
プロセッサの性能は、Bの方がAより良い、といってもそこまで大きな差ではない。
使い勝手や画面の大きさもBの方がよい、しかし、これも大差ではない。
値段は、Aの方がBより2万くらい安い → ここまでが条件ならAにする、ということらしいのですが、
問題は、Aだと納期が1ヶ月以上待ち状態で、Bはすぐに発送可だそうです。
それで、どっちがいいかな〜と、早朝から、うなっています。
その息子の楽しそうな?悩みを聞きながら、私が思っていたのは
「そういや、この子は、よく2つのうち、どちらを選ぶかで迷ってるな…..」
でした笑。
それで、これはちょうど良い機会かも、と、私が迷ったときにどう選択するかについて話すことにしました。
私は、例えば何かを買いたいとなって、最終に2つもしくは3つの中から選ばないといけなくなったときに
「タイミング」というのを重視しています。
例えば、息子の選択の例だと、
納期が先のものは選ばないで、すぐに手に入るほうを選択します。
なぜなら、私が欲しいと感じて出してるエネルギーに合致して、現れた品だからです。
違う表現をするならば、これは大いなる流れが与えてくれたものだから、そちらを選ぼうと思うわけなのです。
ただし!
納期が先であっても、その日数を待ったとしても、あちらの方が欲しいと「感じてる」なら、
それは物理的条件を超えたところで、自分の深いところが望んでるものだから、
あちらを選択するようにします。
例えば、今の車(mazda CX-3 黒)を数年前に選んだときにも、
デザインが好きだったので、最初からこの車と決めていたのですが、
新車を試乗して購入しようとしたら、
色は「白」が希望だったのですが、白だと、納期が3ヶ月先だと言われました。
一方、1万kmしか走っていない中古の「黒」が販売されてるのも見たのですが、中古なので、こちらは即入手可能でした。
白を買うつもりでいたので、旦那さんとも相談したし、うーむ、と迷いましたが、
今、この車が欲しい私に「黒」が与えられてる、だから、黒にしよ、と思いました。
(黒は、白の次の第二希望の色だった)
あのとき、3ヶ月待ってでも、「白」が欲しいと感じなかったということでもあります。
そして、実際にその車にして、今は黒でよかったな、と思います。
もちろん、あのとき、3ヶ月待って「白」にしても、それでも自分は「白」で
良かったなと思っただろうなと思います笑。
ま、つまり、どっちを選んでも、満足したんだろうなと思うのです。
別の言い方をすると、
何を選んでも、成功も失敗もない、ということだと思っています。
自分がソレを選んだことを受け入れて過ごしていけば、ソレでよかったってなるものではないかなと思います。
人生はとにかく選択の連続で、その選択では、あー、あっちにしたらよかったな、とか、こっちを選んで失敗だ、と思うことも、あるでしょうが、
そう思うことも、それを体験することになっていたんだと思います。
いずれにしろ、私が息子に伝えたかったのは、
物理的な条件や、損得条件だけで選択できないとき、
もう少し大きな視点で選べば(大いなる流れとかタイミングとか、自分が深いところから望んでる感覚を大事にする)心がすっ!とした感覚で選べるよってことでした。
これから、彼の人生で、もっと大きな規模の人生の選択をしていくだろうなと思います。
大学だったり、職業自体の選択とか就職先だったり、
人生のパートナーとか、家とか住む場所…etc..
そのときに、自分の深いところとつながる選択ができるといいなと願います。
また選ぶことより、選択してそれで「何を体験するか」のほうが大事だということにも気がついてほしいなと思いました。
車を運転しながら、上記の「私の選択の仕方」について息子に話したら、
「わかった、決めたわ!」とすっと答えた息子でした。
