光を湛(たた)える

今日は大雨により警報がでています。雨のせいか、ふと、ネタが降りてきたので笑、blog記事を書くことにしました。

私は、一時期、あるアメリカ人女性(ヒーラー、アセンションリーダー)が発信するInstaやYoutubeメッセージを頻繁に聞きにいっていたことがありました。

その女性のメッセージは、とても慈愛に満ちているけど、フラットで、情報もわかりやすく(ガイドからのチャネリングで教えてくれていた)多くのことを学ばせてもらいました。

彼女があるとき、自分のお母さんの話をしていたのですが、

彼女が精神世界の仕事をするようになったのは、小さい頃からのお母さんからの影響だそうですが(お母さんもサイキック能力があった)、

娘である彼女からみても、お母さんは今まで出会った人のなかでもずばぬけて賢く慈愛に満ちていて、さらには「全てがわかっている人だ」とも表現していました。

いわゆる覚醒してる人なんだろうなだと、その言い方から私は推測したのですが、

そのお母さんは、今、人生で何をしてるかというと、ヒーラーでもメッセンジャーでも書籍の執筆やセミナーなどをしてるわけでもなく、

アメリカの大型スーパーで、いち従業員として働いているとのことでした。

雑多なスーパーで買い物客や他の従業員と普通に混じって仕事をし、

全てをわかりつつ、

彼女のいるその場所に静かに光を輝かせながら、毎日を過ごしているのだそうです。

それがお母さんが選んだ生き方なのだそうです。

彼女のお母さんの生き方は、私の心に深く響きましたが、それで過去のある出来事を思い出しました。

今から十数年前、私は、緑が多くて、大小幾つか池のある公園の近くに住んでいました(東京の西部)。

ある日、玄関の外にでたら、雨が降ってましたが、門の手前のコンクリート部分に、ヒキガエルがちょこん、といました(ウシガエルだったかも?とにかく大きかった)。

私が近づいても、飛んだり逃げたりしなくて、どうやら弱っているようにみえました。

死んでいく前なのかも、と思わせました。

何かの理由で公園と方向を間違えて、我が家の方にまでやってきたのかもしれないと思いました。

でも自力で動いて公園の方に戻ることはできなさそうな感じだったのと、コンクリートの上で死ぬのは嫌だろうなという気持ちがでてきて(そこで死んでもらうのも困るし汗)、

家に戻って、ビニール手袋をしてレインコートを着て、そのカエルを公園に連れて行こうと思いました。

手袋ごしとはいえ、正直、触るの怖かったのですが、大丈夫だからね〜みたいに声をかけながら、

そのカエルを両手でそっと包みこんで、持ち上げました。

カエルは、全く動かず、されるがままでいてくれました。

おびえたり、恐怖も感じてない、それどころか静寂さを感じました。

とてもとても静かで、本当に静かで、その静かさがあまりにも尊くて、なぜか両手に持ったまま涙がでてきました。

私を信頼してくれてると思ったのもありますし、

両手にずっしりと重さのあるそのカエルの命がとても気高いものに感じられました。

カエルを両手のひらから、、万が一飛び出さない様にスーパーの袋にそっといれて、自転車のかごにのせて、ゆっくりと漕ぎながら、公園に着きました。

公園について、柵で囲われた湧水のある小さな池で、人が入ってこなさそうな茂みに、両手でそっとカエルをおろしました。

カエルは、目を一度まばたきさせながらも、変わらずとてもとても静かでした。

帰り道、その静かな尊い命を思い出すと、涙が流れてきて止まりませんでした。

あのカエルのこと、時々ふっと思い出すのですが、なぜ自分に涙がでてくるのかわかりませんでした。

でも、冒頭のヒーラーのお母さんが、スーパーで静かに自分の光をたたえて、まわりにその光をあてながら暮らしてるのを聞いたときに、あのカエルも、それだったんだなとわかりました。

だから、あんなに尊く感じたし、あんなに私の心に響いたんだなと思いました。

昨今、精神世界の話がわりと普及していて、魂の目的という言葉がつかわれますが、

魂の目的というのは、そんな感じで、この世で光を湛(たた)えながら暮らすということなんだろうと私は思っています。

社会で、成功したり失敗したり、なにかを成し遂げたり、何も成し遂げなくても、

つまり、この世の社会で、物質的な次元で何をするかは、魂には全然関係がなくて、

魂の目的は、ただそれぞれの魂の光をこの世で輝かせることなんだろうと私は理解しています。

そして、光を湛える状態というのは、「静寂」なんだろうとも思っています。

雨の季節になると、あの大きな、でもとてもとても静かだったカエルを思い出します。

我が家の裏庭では、この季節は、私のメダカ鉢を水場として集まってくるトノサマガエルやウシガエルたちがよく鳴いてます汗。

↑ 先日、光をたたえる存在が裏山に出現か!?と思ったら、裏山に隠れている夕陽が木々の隙間から光っていただけでした苦笑。

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