こんなに涙がでて、悲しかったのはいつ以来だろう…..
ノラ猫から我が家の外(そと)猫に昇格していたフェリックスですが、
おそらく亡くなってしまったと思います….
10月初め頃に、1、2日姿をみせなくなったと思ったら、喉の下を大きく腫らして戻ってきました。
ケンカ傷ではなさそうだったので、野生動物用のワナかなにかにひっかかって怪我をしたのかもしれません。
体液をかなり排出して匂いがひどい状態だったのですが、ごはんも普通にねだるし、よく食べるので、効果のありそうなレメディを与えて様子をみてました。
2,3日で腫れがおさまって傷もふさがってきたので、安心していたのですが、
その日はえさをあげてもほとんど食べないで、家裏にフェリックス用に置いてあげた箱の中に入って寝てました。
お湯に浸したタオルで体液が乾いて汚れた喉の部分を拭いてあげると、初めてごろんとお腹すらみせてくれました。
あぁ、こんなに慣れてくれたなら、明日は体をお湯で洗ってあげることができるかもしれないと思いました。
その日の夜は、少し冷えたので、寝る前にフェリックス に布をかけてあげようと見に行ったら、
相変わらず箱の中で寝てました。
布をかけてあげなら、頭をなでると、ゴロゴロ、ゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえてきました。
「フェリックス、明日は体を洗ってみようね〜」と声をかけながら、さらにナデナデすると、
みゃあ!とびっくりするくらい大きく鳴いてくれました。
翌朝、起きてすぐにフェリックスをみにいくと、箱はカラになっていて、
そしてその日からフェリックスは帰ってこなくなりました。
猫は亡くなるときに必ず姿を消すと言われますが、まさにそうしたのだろうなと思いました。
ナデナデできるようになったから、これからもっともっと近くなって、抱っこしたり、グルーミングしたり、もっともっと快適に過ごさせてあげたいと思っていた矢先でした。
1匹でどこかに隠れたまま、この世からひっそり姿を消したのだと思うと、
さびしくて 悲しくて、涙が止まりませんでした。
ノラ猫独特のフェリックスのほそっこい体、
玄関をあけると図々しいくらいにえさをねだってくる鳴き声、
道で寝転んでいてもわたしが帰ってくると、ひょいひょいと飛ぶようにこっちに歩いてくる姿、
そんな全てがもう戻ってこないのかと思うと、悲しくて悲しくてたまりませんでした。
あの晩、家の土間に無理やりにでも入れていたら、家でまだ看病できたのかな、とも思いましたが、
フェリックスが本能に従って選んだ死に方ができたのは、よかったな とも思えました。
とにかく、いつも外にいてくれたフェリックスが、突然いなくなった喪失感はとても大きかったです。
動物とは言葉でなくテレパシーみたいなもの、いわゆる心と心で交流しています。
だから、その交流がなくなったときに感じる心の痛みはきっと想定外に大きいのだと思います。
魂(動物の場合はスピリット)は永遠だとわかっていても、あの小さな体や鳴き声を五感でリアルに感じることがないのだと思うと寂しくてたまりません。
フェリックスがいなくなって数日たっても、涙は枯れることがなくて、自分の元気がどんどんなくなっていくので、これはちょっとなんとかしたいなと
ホメオパシーのレメディ Ignatia イグナシア をとりました。
Ignatia というのは「愛するものとの別れ」に使われるレメディですが、私がこの用途で使ったのは初めてです。
しかし、レメディをとってすぐに(といっても30分後くらいですが)インスピレーション が降りてきました。
「悲しみの方にフォーカスしてるよね」と。
そうでした、フェリックスがいなくなったほうにばかり視点を向けてたけど、
フェリックスがいて楽しかったほうをみよう!と思いました。
うちの猫が食べ残した餌(汗)でもなんでもあげたらペロリと美味しそうに食べてくれた姿とか、
最初に頭をなでようと触ったらびくっと飛び退いて後ろにさがったときのこととか、
そのうちご飯を食べてるときだけ頭をなでさせてくれるようになったこととか、
最後は足にすりすりしてくれるようになった姿とか….etc.
そんなのを思い返したら、フェリックスへの愛しさがどんどん&どんどん胸にあふれてきて、
今度は愛しくて愛しくて、愛しい涙が止まらなくなってきました。
涙は温かいものになったけど、結局、また涙が止まらない日々(汗)。
それでもう1度、後日にIgnatia をとりました。
そしたら、またインスピレーション が降りてきました。
「何が起こったか、が大事じゃない、何を体験したか、だよ」と。
フェリックスという野良猫が我が家に立ち寄って、私が餌をあげて、
そして最後に死ぬために彼が我が家を去ったという出来事が大事なのじゃなくて、
大事なのは、
フェリックスと過ごした時間に私が何を体験したか、それこそが大事なのでした。
以前なら野良猫には餌をあげるつもりはなかった私が、
ふと心を開いてご飯をあげたこと、そしてその猫と心の交流が始まって、
最後は心がつながった体験。
フェリックスを触ることに(ひっかかれるんじゃないかと)警戒心がなくなったときに、
フェリックスも私に心を開いてくれて、頭をナデナデさせてくれて、足にスリスリしてくれて、
喉をゴロゴロもいわせてくれた。
猫と人間だけど、見知らぬ者同志が、少しづつ心をひらいて、
心と心がつながって、とても暖かい愛を通わせることができた体験でした。
短い期間だったけど、こんなに涙があふれて止まらないくらい大きな出会いで体験でした。
うわー、ありがとう、フェリックス!
愛しい愛しいフェリックス、出会ってくれてありがとうね!

↑ 我が家の猫ミヌともケンカせずに挨拶してましたっけ。

↑ これは秋になって少し寒くなったので玄関前に置いてみた箱、そしたらフェリックスはすぐに中に入ってくれてたのでおかしかったです。

↑ フェリックスといったら、玄関あけたらすぐに餌をねだってたこの顔を一番に思い出します。
追記:ペットロスにより長引いてしまう人間側の悲しみとは別に、実は動物たちは短い命でたくさん転生できるのを楽しんでるらしいです(苦笑)。
フェリックスも、ちゃんとした家猫か他の動物の姿で思い切り甘やかされる人生をちゃっかり既に始めてるのかもな〜と思います → 想像すると、フェリックスならありえる〜!と思って笑えます。
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