先日、あるクライアントさんから頂いた経過連絡のメールに、こんなことが書いてありました:
「ふと鏡を見ると、自分の良いところが見えるようになってきた」
これを読んで、私の心にふわっと1つの花が開いたような感覚になりました。
大きな転換点がこの方に起こったことを表すからです。
エネルギーでいうとネガティブ波動がポジティブ波動に転換された、
別の言い方をすると、1つのエネルギーブロックが外れたことを表します。
コップに入ったお水を、
もうこれだけしかないとみるか、
まだこんなにあるとみるか、という有名な例えと全く同じですが、
目の前の事象は、ただそういうコトが、ただそうあるだけなのに(コップに水が入ってるだけ)、
見る側の感覚で、それがネガティブな事象になったり、ポジティブな事象になり、
その分かれ道は、その人にどういう人生がやってくるかと関わっています。
エネルギー的にいうと、ポジティブな事柄をひきよせるか、ネガティブな事柄を引き寄せるか、です。
クライアントさんの話に戻りますと、その方はそれまでご自分の顔を鏡でみるときに、良くないところを挙げていた=つまり、足りないところばかりをみていたのに、
今は、良いところが見えるようになってきた、のです。
ご自分の顔はそれほど変わらないはずなのに(汗)。
同じ経過報告メールの中には、ダイエットしてるわけでもないのに痩せ始めていることも書かれていて、
さらに綺麗になるようもっと笑おう、ということまで書かれていました。
これらの経過報告から、ポジティブ側に波動が変わってると評価できるので、
エネルギー療法でかかわってるものとして、とても嬉しくなりました。
ところで、このメールから数日後、知り合いの年配の男性と話す機会があったのですが、
その男性は、その日、私がしたあることを、珍しく褒めてくれたのでした(汗)。
珍しく、と書いたのは、その男性は、コップの水はもうこれだけしかない、と思う典型的なタイプの人で、
それがあまりにも露骨だったときがあったので、
私は「足りないところばっかりみてるから、幸せを感じにくいでしょうね、なんだか、かわいそうですね」と
ヒジョーに余計な一言を放っていたことがあったのでした(大汗、反省)。
ところが、その日はその人らしい足りない部分への批判がなく、褒め言葉がでてきたので、
えー、どうしたんですか、珍しく(!)褒めてくれるんですね!
と、またヒジョーに余計な一言を放った私に(冷汗)、その男性は、こう答えました:
「いや、なんかね、足りるほうをみるようにしてみようかなと思って、ね」
OMG ! (オーマイガッ)
シンクロ?! 皆の波動があがってる?! うわーい!
やっぱ、
それはもっとこうしないとだめだよ、って言われるより、
それしてくれて、いいね、ありがとう、と、ポジティブに表現してもらう方が素直に嬉しいなと、
一個人として感じました。
そして、私こそが全然気づけていなかったその人の心の柔軟さに感動して、
XXさんこそ、ほんとに素晴らしい人ですよね、と、素直に褒め言葉を口にできたのでした。
この2つのエピソードをセラピスト 目線でまとめるならば、
このお2人のポジティブ波動変換は、一過性ではなくて根幹からの強さがあると思います。
最初からポジティブ、または何でもかんでもポジティブさえ選べばよい、というのは、
片方の価値観だけを受け入れていて、もう片方のネガティブ面を見ないようにしてるor 良くないとジャッジしてる、もしくは未知のものとして体験していない状態です。
純粋無垢な子どものポジティブさと同じようなもの。
でも、ネガティブな体験をしてきたゆえに、
ネガティブな視点をいつのまにか導入してしまい、その選択で起こることも体験してきた、
つまり、両面を味わったあとで、ポジティブ変換になっていくというのは、
ネガティブな視点もあるということを十分知りつつ、
自分はポジティブな見方を選んでいくという選択をしだした、ということ。
この選択は、
ネガティブな選択に対しても共感をもてているものなので、
厚みのある寛容な意識の現れだと思います。
一朝一夕ではたどり着けない境地、だから、そこに到達されたことがわかって、
お花がふわっと咲いたように私は感じたのかもしれません。
(私個人がその境地に達してるかは置いときましょう、苦笑&汗)

それぞれの環境で、それぞれのタイミングで、それぞれが花開く。人の人生のようです。


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