死ぬまでに

文句が多かったり、不平を言い続けてる人というのは、

自分が老人と言われるくらいまで生きていくと思いこんでる人だと思う。

もし余命1ヶ月ですと言われたら、

自分に残された時間を考えたら、

その貴重な時間に文句や不平を言おうと思うだろうか。

これからもずっと生きていけるだろうと思ってるから、お金がもっと必要、もっと欲しい、今の量では足りないと思う。

これからもずっと生きていけると思ってるから、あんな家が欲しい、こんな服が着たい、もっと綺麗になりたい、もっと良い人になろうなんて思う。

これからも今の生活が続くと思ってるから、まわりにいる家族にこれはやめてよ、あれはああして、それじゃだめよと改善をもとめて文句をいったりする。

これからも、長いこと生きていけると思ってるから、毎日の暮らしを今と同じに保つことが優先になって、こんなことしたらやっていけないんじゃないかとか、あれをしたらさすがに良くないだろうといろんな制限を自分にかける。

ずっと生かしてもらえるかどうかはわからない。

311で地震が起きて、津波が起こり、立て続けに原発事故まで起きたとき、私はこれからも自分がこのまま普通に生きていけるのだと思い込んでいたことにはっとしました。

地震の揺れがあまりに大きくて家の中から外の通りに飛び出して、まだ小さかった子供と抱き合いながら、私が、家族が、周りの人々が、この地震で今、ここで死ぬことだってありえるのだという現実におののきました。

あのくらいのことが起きなかったら、自分の「命」が当たり前だと思い込んでることに気がつきませんでした。

あのくらいのことが起こったから、いつかやろうとか、いつかそうなったら、と考えていた自分の人生を、いつかじゃなくて、今やるしかないんだと思いました(それでも実際に動くまで時間はかかりましたが)。

だっていつまで生かしてもらえるかはわからないから。

そのおかげで、都会をでて今の土地に引っ越してきて、そして好きなように生きてきたはずなのに、気がつけばまたいつのまにか毎日文句やら不平不満を抱いています(大汗)。

昨日はなぜかある映画がやたらと目につきました。

「死ぬまでにしたい10のこと」という作品で、既にみたことがあるのだけど、サインに従ってあえて再度観ました。

23歳で余命2ヶ月と宣告された若いママが、死ぬまでに自分がすることをリストアップして実行していく話です。

いつまでも生きていられないことがわかった女性の行動をみて、生きていられること、生かしてもらってることがとてつもなく貴重なんだということを再確認しました。

特に今は、コロナ騒ぎで感染、死亡、さらに経済的な問題もどんどんでてきていますが、どんな人もいつまで生かされてるのかわかりません。

だから、もし本当にしたいことをしていない人生を過ごしてるなら、いつまで生きさせてもらえるのかわからないのだし、いつかじゃなくて、そのうちじゃなくて、今からそのしたいことを大事にする人生にしていくのはどうかなと思います。

自分が本当にしたいことがわからない人は、まずはそんなにしたくはないのだけどなんとなく惰性的にやってきたことをやめていく、そんなことから始めると大事なことが見えてくるかなと思います。

コロナ騒ぎの自粛は、止めたくても止めることができなかった毎日の動きを止めてくれています。

一部の地域だけでなく、世界がそのように動いています。

自分だけ止めるのは勇気がいるけれど、皆が止まってます。

この機会をチャンスと受け止めて、より自分らしい方向に進んでいける岐路になるといいなと思います。

もし自分がもうすぐ死ぬという目で周りをみまわしたら、どんな嫌な人も、鬱陶しい人も、愛(いと)しくってしかたがなくなると思う。人はできることなら、全てをゆるしてからこの世を去っていきたいのだと私は思います。

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