先日、霜が降りた寒い朝、凍った車のフロントガラスをお湯で溶かしてから(汗)仕事に向かっておりました。
29号線沿いにぽつんと立つバス停を通り過ぎようとしたとき、そこに70代前後と思える小柄な女性が姫路行きのバスを寒そうに待っているのがみえました。
襟なし前開きジャケット(いわゆるシャネルスーツと呼ばれる上着)を着込んでいるけど、下は動きやすさを優先した”ズボン”のような感じのいでたちの彼女をみた瞬間、頭に自分の母親が浮かんできました。
20年も前の出来事ですが、義理の母が、結婚式をあげなかった私たち夫婦を親しい人々に顔見せをしたいと友人や親戚を招いて食事会を開きました(フランスのレストランで)。
その食事会に私の両親も挨拶がてら日本から参加することになったのですが、そのときのことをバス停に立つ女性をみて思い出したのでした。
海外旅行も生まれてはじめてなら、フランス人達との食事も当然初めてのいわゆる田舎ものの母が、”初めてづくし”で判断がつかなくなったのか、食事会で着る服が自分の選んだものでいいかどうか私にみてもらいたいと私を呼びにきました。
母のスーツケースから出され、そこに並べてあった服やアクセサリーは、相当にちぐはぐな組み合わせでした(汗)。
母が選んでいた上着がバス停にいた女性と同じ形だったのと、上下の組み合わせがちぐはぐだったことから、そのときの母を自動的に連想したようです。
そして芋づる式に、母の選んだちぐはぐな服を横目にみていた父の姿も思い出され、ああ、あのとき二人は人生初の出来事に舞い上がってたな〜、と当時のことが思い出され、ふと、涙がでてきました。
今はもう浄化はしたけれど私のトラウマの元となった両親、クセが強くて面倒くさい人たち、今では私はそれぞれをただの一人の人間として中立的にみているけれど、
でも「わたしの」お父さんとお母さんとして私を育ててくれた人たちなんだと改めて思い返すと、温かい涙が流れてきました。
そして、やはり独特なクセのある兄や妹、なにかに凝り出したらオタク気質になる私たち3人きょうだいのことも続けて思い浮かんできて、
あー、わたしらしい家族なんだ〜と苦笑しました。
そしたら逆にそのクセのある家族たちが愛おしくなって、温かい涙がもっと出てきました。
あの日あのバス停で寒い中バスを待っていたあの小さな女性は、
まさか、自分がそこに居たことで私に「癒しを起こした」とは想像もつかないでしょう。
しかしヒーラーでもセラピストでもない彼女が立っていただけで、私に深い癒しを起こしたのでした。
人はこうやっていつも他の人に影響を与えていると思います。
人はそこにいるだけで、他の人になにかの刺激を与えていると思います。
私なんて何の役にも立っていない、などという方がいますが、
今回のバス停に立っていた女性のように、意図しなくても、ただいるだけで、その存在が他の存在になにかをしていると思います。
実は私たちは1つにつながっている存在だから、とも言えますし、
この世は鏡のようなもので、他人をみることで自分のことを学ぶようにできてるから、とも言えると思います。
だから、あなたがただそこにいること、それがとても大事です。

↑ ニャンコがそこにいて、仕事の妨げになることも、だからとっても大事です……
*ちょこっとカウンセリング12月は、日程の都合がつかずお休みとさせていただきます。