身体を鍛えるとき、わざと負荷をかけたりします。
何かのスポーツを学んでいるときに、ハードな練習をしたり、苦手な部分を何度も繰り返したりして上手になろうとします。
苦手なテニスのサーブを練習しながら、ふと、身体のように「心」にもわざと強くなるために負荷=ストレスをかけることはあるんだろうか?と思いました。
例えば、営業の人達にノルマを課すのって、心に負荷をかけるみたいなことかしら?なんかつらいイメージし湧かないけど、それでも達したときにはかなりの達成感があって、捉え方によっては心の成長につながるような経験になるのかもしれません。
しかしよく考えてみたら、日々暮らすなかで学校、職場、地域社会、家庭なんかでも、心への負荷は既にそこらじゅうにたくさんあるので、わざわざ負荷をかける必要はないのでしょう。
人生でやってくる心への負荷を1つ1つクリアしていきながら、心も身体のように強くなって成長していくのが人生なのかもしれません。
けれど心への負荷が重すぎたとき、つぶれてしまうこともありますよね。
身体を鍛える話で例えると、現時点での身体の状態の少し上を行く負荷なら乗り越えることができるんでしょうが、それ以上の負荷は身体の故障につながることになるので、心への負荷も重すぎると心の故障になるかもしれません。
そういう場合は、ウエイトトレーニングでバーベルの重さを減らすのと同様に、心の負荷=ストレスをよいしょ、と減らすことができたらいいなと思います。
例えばママ友関係で苦しんでいたら、ちょっとママ友集団と距離を置いてみるとか、学校でつらいなら学校以外のつながりを探してみるとか、学校をちょっと休んでみるとか。
営業成績のノルマがきついなら、う〜ん、どうしたらいいんだろう(汗)、ノルマ気にしないでやってみるとか(クビ?)、戦略変えてみるとか?、誰かに相談してみるとか?思い切って職を変えてみるとか? あまり、納得できる案は思いつきませんが、いずれにしろ自分が過重な負荷でつぶされないように、この負荷は自分には重すぎると判断できる客観性を持っておくことが大事だと思います。
ところで、心に負荷がかかっても平気でいられる状況というのもあります。
それは目指す目標やゴールがあるときです。
負荷を乗り越えた先をみているときです。
営業成績にきついノルマが課せられていても、もし、その人がゆくゆくはその会社で上部の地位を目指す野心があるときは、ノルマでくじけてる場合ではないわけで、ノルマという負荷は序の口ということになり、こんなのへっちゃら、という心境になります。
勉強が全然つまらない学生時代でも、将来、例えば獣医になるんだとか、外資系企業で働こう、みたいな具体的な先の目標があれば、勉強から逃げてたりへこたれてるわけにはいきません。頭や心に負荷はかかるでしょうけれど、それは乗り越えるべきものとして受け入れ、そして乗り越えるでしょう。
高度3000mの山を目指してるとき、手前の500mの山はほんの小手調べでしかなくなり、負荷は軽く超えられるものになります。
ボディトレーニングと同じで、心への負荷も自分には必要で超えられるものであると確信していればつらくないのかもしれません。
↑ 負荷など不要 zzz クマのように? 眠るニャンコ …zzz
この寝姿を見て、私の心の負荷はかなり軽減されます(愛)。
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心への負荷が重すぎてつぶれてしまいそうな方、ホメオパシー療法が状況を客観的にみる助けになるかもしれません。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com