直感に従う

姫路の山間部に越してきて2年が経ちました。

東京からここへ移り住むという一大決心をしたのには、東日本大震災があったからです。当時は東京に住んでいましたが、地震で波のように揺れる電信柱をみながら(東京でもそのくらい揺れた)、そしてテレビで何度も流される津波の映像をみながら、明日がいつも来るとは限らない、を実感しました。いつまでも同じように暮らせるわけじゃない、いつかやろうと思ったことができるのは今かもしれない、だから後回しにしないで望むように暮らそうと夫婦で決めました。

ここに越してきてから、知り合いもツテもなかったこの土地にどうして?とよく尋ねられます。本当に自分達でも、ここを探し当てたことが不思議です。

引っ越すことを決めても、日本国内で自然豊かなとこならどこでも良かった私達。選択範囲が広すぎて逆にものすごく迷いました。当時は原発事故の放射能の影響を考え、引越すなら西部へ、というのが唯一の条件でしたが、それにしてもせまい日本であっても、候補となる場所は無限にあります。

選択肢にあがってくるのは、以前に旅行などに行って、好意を持った場所。そういう場所は幾つかありましたが、観光で訪れるのとは違っていざ住む、となるとう〜む、という感じで心が納得しない。結局は具体的な条件を足さないと絞れないので、我が家には必要な「国際空港からそんなに離れていない場所」を選ぶことにしました。そうなると、関西空港と福岡国際空港のある場所の近県ってことになります。

それですぐに思いついたのが兵庫県でした。
なぜ兵庫かというとものすごーく単純なのですが、その頃まわりに兵庫出身の人が二人(別々の知り合い)いて、その二人とも気が合うと感じてたからです。彼らは神戸の出身でしたが、もしかして兵庫って私達と気が合うかもと思ったのです。どんなことでも判断のきっかけになるものです。

その後連休を利用して数泊しながら、兵庫の田舎をめぐることにしました。
宿泊先はこの際だから古民家を体験してみようと、行先と古民家をキーワードとして検索したら、最初のページに、現在住んでいる我が家の売り家情報がヒットしたのです。

東京の10分の1以下(!)の値段で売られていた古い家、間取りも載っていました。その間取りが、私が常々希望していた平屋。しかも家の裏には清流まで流れていて、ありがたいことに畑までもがついてきます。

ということで、住む地探しは、いきなり具体的な不動産物件を見に行くことから始まりました。実際に家をみたときは、あまりの古さとぼろさにかなりひいたのですが、しかし環境とお値段(安い)が素晴らしすぎ。可愛い里山でその集落ともすごく「気」が合うと感じました。
その後は数日かけて、兵庫内の他の土地等も訪れましたが、この家がある場所ほどは気に入りませんでした。

旅行の最後に、もう一度この家に戻ってきてじっくりと眺めることにしました。ここが住む場所だろうと直感的に感じてはいたのですが、あまりに衝動的な気がして(最初に訪れた最初の家だったので)、自分の直感を疑ってました。決めかねてぼんやりと家の裏の畑にしゃがんでみたらクローバーが生えていました。それで思わずお願いしました「神様、この家を買う選択が正しいなら、ここに四葉のクローバーがあってください」。

そうしたら、はい、あったんです、その茂みに四葉のクローバーが1本。すぐにみつかりました。
うっそー → それでも自分の直感が信じられないヤツ。

DSC_0345

(↑クローバーのあったところで、カマキリをいじっているニャンコ)
その後購入までに少しジタバタしましたが、クローバーをみつけた日から6ヶ月後には我が家はここに移り住んできてました。

今ではこの移住は、これまでの人生の中で最上位に入る良い選択だったと思っています。

潜在意識と合致した選択をしているときって、偶然なども重なってどんどん物事が動くってことを再認識した出来事でもあります。

 

 

 

 

 

 

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